上 下
9 / 13

9、面倒くさい女

しおりを挟む
 馬車がホテルに迎えに来て、ブレフトとヘルダは乗り込んだ。
 その時、御者が手紙を預かっているとブレフトに差しだした。

「レオン・ベイレフェルト?」

 手紙と言っても紙切れに書いたメモだった。差出人を見て、しばらく考える。苛立ったような武骨な文字の名前は、確か我が家を訪れている伯爵夫人の息子のものだ。

 ワゴンの中で腰を下ろしたブレフトは、何事かとすぐに目を通した。。

――妻を犠牲にして、好き放題に生きてさぞや楽しいだろう。そろそろ「今」は終わる。覚悟をしておくがいい。

 それだけの文面だった。

「なんだ、これは! 無礼な」

 ブレフトは紙をぐしゃぐしゃに潰した。腹が立ったから、窓から道へ投げ捨てもした。
 
「今が終わるって、なんだよ。爵位も継げないくせして、生意気な」

 イライラが治まらない。ブレフトは親指の爪を噛んだ。いつもなら愛らしいと思えるヘルダですら、さっきの口ごたえをされたせいで鬱陶しく感じる。

(そうだ。新しいメイドを雇えばいいんだ。メイドを入れ替えればいいんだ)

 ヘルダの豊満な胸やくびれた腰は手放しがたいが。手を付ける娘を増やせばいい。領内なら連れ歩いても問題はないし、ヘルダは夜の相手をさせればいい。文句を言うなら、ユリアーナの持参金をいくらか渡してやればいい。

 ブレフトは、それが娼婦に対する扱いであることに気づいていない。

◇◇◇

 思いあがったブレフトは選択を間違えた。

「ブレフトさま。わたくしの持参金が、かなり目減りしています。何にお使いですか?」

 数か月後。ブレフトはユリアーナに問い詰められた。

「うるさい。妻の持参金は夫の物だ。ぼくが使って何が悪い。お前は最近、貴族に頼まれて部屋の内装や調度品を選ぶのを手伝っているのだろう。それで金を稼いでいるというじゃないか。それもぼくに寄越せ」

 季節はもう冬だった。
 今は王都のタウンハウスではなく、クラーセン家の領地に戻っている。雪はめったに降らない。ただ鉛色の雲が重く垂れこめ、霧雨が降ることが多い。

 冬の鬱陶しさをやりすごしたいと考える夫人たちが、室内で快適に過ごせるようにとユリアーナへの依頼が増えているのだ。
 お金はいらないといっても、夫人達は納得しない。ならば代わりにと、宝石を贈ってくる。むしろ高価になってしまうので、ユリアーナは内装や服装のアドバイスに価格を設定することになった。

(レオンの話してくれたとおり、お仕事になったわ)

 その事実は嬉しいし、自分が認められているのはとても誇らしい。
 けれど、このままでは仕事の報酬がすべてブレフトの物になってしまう。

 ブレフトはヘルダに飽きたのか、最近では新たに雇ったメイドに夢中だ。ヘルダよりもさらに若い。あどけない顔に、似合わないほどの胸の大きいメイドだ。

(この家を出ていかなければ。わたくしはどこまでも搾り取られてしまうわ)
 
 そしてブレフトに飽きられたヘルダは、主をなじった。

「旦那さま。どうしてあたしを夜しか呼ばないんですか? あたしはメイドです。旦那さま専用の娼婦じゃありません」

 書斎を訪れたヘルダが、ブレフトに抗議した。ちょうど主は手紙を読んでいるところだった。

 これまでは免除されることの多かった掃除を、ヘルダは命じられることが増えた。
 廊下を箒で掃いて、階段の手すりを拭いて、窓を磨いて。

 彼女が避けてきた仕事ばかりをいいつけられる。お茶を淹れるくらいが、楽で手が抜けてちょうどいいのに。

 クラーセン家のメイドの数は多い。だが、これまでヘルダがブレフトと出かけた日の掃除を、他のメイドは押しつけられていた。
 ヘルダには、その分の仕事がまわってきているだけだ。

「なんで、掃除ばかりしないといけないんですか?」
「お前は自分をメイドだと言ったじゃないか。掃除に関しては、お前がユリアーナの紅茶に雑巾の水を入れたからだろう? 給仕を任せることはできないんだよ」

 ブレフトは、鬱陶しそうに眉を寄せてヘルダを見遣る。

 夕食後なので、外は暗い。オイルランプの芯から、ジジッという音が聞こえた。
 ブレフトは、ベイレフェルト家から届いた手紙をペーパーナイフで開封しようとしていたところだ。

 どうせベイレフェルト夫人が、またユリアーナをお茶会に誘う内容だろう。ならば、彼女宛てにすればいいのに、と考えていたところだった。

(ユリアーナは、今では金という卵を産んでくれるからな。ベイレフェルト夫人以外の貴族からもお呼びがかかることが多い。雑巾の水を飲んで、具合を悪くしたら困るじゃないか)

「旦那さまは、奥さまよりもあたしの方がいいって仰ったわ」
「別にユリアーナに好意があるわけじゃない。ほら、ぼくはヘルダのことを可愛がっているだろう?」

 本当に面倒くさい女だ。
 そう考えるブレフトを、ヘルダは睨みつけた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

危害を加えられたので予定よりも早く婚約を白紙撤回できました

しゃーりん
恋愛
階段から突き落とされて、目が覚めるといろんな記憶を失っていたアンジェリーナ。 自分のことも誰のことも覚えていない。 王太子殿下の婚約者であったことも忘れ、結婚式は来年なのに殿下には恋人がいるという。 聞くところによると、婚約は白紙撤回が前提だった。 なぜアンジェリーナが危害を加えられたのかはわからないが、それにより予定よりも早く婚約を白紙撤回することになったというお話です。

【完結】え?今になって婚約破棄ですか?私は構いませんが大丈夫ですか?

ゆうぎり
恋愛
カリンは幼少期からの婚約者オリバーに学園で婚約破棄されました。 卒業3か月前の事です。 卒業後すぐの結婚予定で、既に招待状も出し終わり済みです。 もちろんその場で受け入れましたよ。一向に構いません。 カリンはずっと婚約解消を願っていましたから。 でも大丈夫ですか? 婚約破棄したのなら既に他人。迷惑だけはかけないで下さいね。 ※ゆるゆる設定です ※軽い感じで読み流して下さい

腹に彼の子が宿っている? そうですか、ではお幸せに。

四季
恋愛
「わたくしの腹には彼の子が宿っていますの! 貴女はさっさと消えてくださる?」 突然やって来た金髪ロングヘアの女性は私にそんなことを告げた。

誰でもよいのであれば、私でなくてもよろしいですよね?

miyumeri
恋愛
「まぁ、婚約者なんてそれなりの家格と財産があればだれでもよかったんだよ。」 2か月前に婚約した彼は、そう友人たちと談笑していた。 そうですか、誰でもいいんですね。だったら、私でなくてもよいですよね? 最初、この馬鹿子息を主人公に書いていたのですが なんだか、先にこのお嬢様のお話を書いたほうが 彼の心象を表現しやすいような気がして、急遽こちらを先に 投稿いたしました。来週お馬鹿君のストーリーを投稿させていただきます。 お読みいただければ幸いです。

婚約破棄された令嬢のささやかな幸福

香木陽灯(旧:香木あかり)
恋愛
 田舎の伯爵令嬢アリシア・ローデンには婚約者がいた。  しかし婚約者とアリシアの妹が不貞を働き、子を身ごもったのだという。 「結婚は家同士の繋がり。二人が結ばれるなら私は身を引きましょう。どうぞお幸せに」  婚約破棄されたアリシアは潔く身を引くことにした。  婚約破棄という烙印が押された以上、もう結婚は出来ない。  ならば一人で生きていくだけ。  アリシアは王都の外れにある小さな家を買い、そこで暮らし始める。 「あぁ、最高……ここなら一人で自由に暮らせるわ!」  初めての一人暮らしを満喫するアリシア。  趣味だった刺繍で生計が立てられるようになった頃……。 「アリシア、頼むから戻って来てくれ! 俺と結婚してくれ……!」  何故か元婚約者がやってきて頭を下げたのだ。  しかし丁重にお断りした翌日、 「お姉様、お願いだから戻ってきてください! あいつの相手はお姉様じゃなきゃ無理です……!」  妹までもがやってくる始末。  しかしアリシアは微笑んで首を横に振るばかり。 「私はもう結婚する気も家に戻る気もありませんの。どうぞお幸せに」  家族や婚約者は知らないことだったが、実はアリシアは幸せな生活を送っていたのだった。

私が出て行った後、旦那様から後悔の手紙がもたらされました

新野乃花(大舟)
恋愛
ルナとルーク伯爵は婚約関係にあったが、その関係は伯爵の妹であるリリアによって壊される。伯爵はルナの事よりもリリアの事ばかりを優先するためだ。そんな日々が繰り返される中で、ルナは伯爵の元から姿を消す。最初こそ何とも思っていなかった伯爵であったが、その後あるきっかけをもとに、ルナの元に後悔の手紙を送ることとなるのだった…。

王子を助けたのは妹だと勘違いされた令嬢は人魚姫の嘆きを知る

リオール
恋愛
子供の頃に溺れてる子を助けたのは姉のフィリア。 けれど助けたのは妹メリッサだと勘違いされ、妹はその助けた相手の婚約者となるのだった。 助けた相手──第一王子へ生まれかけた恋心に蓋をして、フィリアは二人の幸せを願う。 真実を隠し続けた人魚姫はこんなにも苦しかったの? 知って欲しい、知って欲しくない。 相反する思いを胸に、フィリアはその思いを秘め続ける。 ※最初の方は明るいですが、すぐにシリアスとなります。ギャグ無いです。 ※全24話+プロローグ,エピローグ(執筆済み。順次UP予定) ※当初の予定と少し違う展開に、ここの紹介文を慌てて修正しました。色々ツッコミどころ満載だと思いますが、海のように広い心でスルーしてください(汗

処理中です...