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3、ほんまに困る
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翌日の土曜日。お嬢がオヤジさんと水族館に行く朝は、それはもう見事なくらいに晴れとった。
庭に植えられたひまわりは、朝の澄んだ陽ざしを存分に浴びて伸びている。
昨日は、夕方の天気予報はいろんな局に目を通し。関西に高気圧が張り出してるんを確認し、挙句の果てにはお天気アプリで降水予報まで調べてしもた。
「まぁ。車での移動やし、関係あらへんねんけど」
歯磨きをしながら、鏡に映る自分の姿を見る。
前髪を下ろした顔は、やっぱりちょっと幼く見える。
「涼二さん、ちょっといいかしら」
組長の妻である姐さんが、離れまでやって来た。タオルで顔を拭きながら、俺は渡り廊下へと出る。
「どないかしはったんですか?」
「それがね。うちの人が風邪をひいてしまって」
姐さんは口ごもった。あ、これはあかんと俺は察した。
お嬢は、オヤジさんと水族館に行くんを楽しみにしとったのに。
「プロポリスも風邪薬もビタミンCも飲ませたから、今日一日休んでいれば治るとは思うんだけど」
「姐さんが水族館に連れて行ったったらええやないですか。月葉さんも喜びますよ」
「それが、私も先約があるのよ。どうしても抜けられなくて」
ちょいちょい、と姐さんに手招きされて。俺は渡り廊下を進んだ。タオルを手に持たままなんを、母屋についてから気づいた。
今朝もお嬢は縁側におった。
体育座りって言うんか、ひざを抱えて座ってる。心なしか、背中に力がない。
これは、しょげてる時の態勢や。
俺は持っていたタオルを三角にして、角を二か所つまんで耳にした。
「つーきはちゃん。どないしたん?」
かなり高い声で話しかけながら、タオルでつくったウサギをお嬢の前に出す。
「つきはちゃんの、可愛いお顔がみたいなぁ」
「……見せない」
お? 手ごわいな。お嬢が三歳の頃は、これで一発解決やったのに。
「べつにパパが風邪をひいたのは、しょうがないと思うの。しんどいだろうし、わたしだってムリは言わないよ。でも……」
「せやなぁ。理解はしとっても、感情では納得できへんこともあるよなぁ」
ほどいたタオルを、お嬢の頭にぱさっとかぶせる。
「平気。ちゃんとパパの前ではいい子にしてるから」
タオルの陰からこぼれた声は、か細かった。俺は縁側に腰を下ろして、お嬢のうすい左肩に手をかけて、体を引き寄せる。
「お嬢が我慢するのん、オヤジさんは望んでへんと思うで。そら、我儘を言いたない気持ちは分かるけど」
「でも風邪をひいてるパパを困らせたくないし。別の日っていっても、今日だけが、パパに予定がない日だったから」
「優しい子やな。お嬢は」
俺の言葉に、一瞬お嬢は目を大きく見開いた。けど、すぐにタオルの両端で顔を隠してしまう。
「優しくないもん。こうして、拗ねてるもん」
「拗ねれるんは、子どもの特権でしょ。いじけた部分を見せてくれるんが、俺だけって言うんは、正直うれしいで」
お嬢が頭からタオルを外した。となりに座る俺の顔をじぃっと見つめてる。
「どうして花ちゃんにだけ、素直じゃない自分を見せられるんだろ」
「そら……」
言いかけた言葉を、俺は飲みこむ。
口にはできへんよな。お嬢は俺のことが好きで、一番に信頼してるから。両親よりも親しくて、近いから。遠慮がないやなんて。
自分の頭に浮かんだ言葉に、俺は顔が熱なるのを感じた。
「たいへん。花ちゃん、顔が赤いわ」
「いや、すぐに戻りますから」
「どうしよう。花ちゃんまで風邪を引いちゃったのかな。ママに頼んで、お薬をもらってくるね」
お嬢の小さい手が、俺のおでこに触れる。ひんやりとした感触が心地よい。
ほんまに困るねん。
まだ恋がどういうもんかも分かってへんのに。大人にはまだまだ遠い年齢やのに。
好きという言葉を使わんでも、俺のことを好きでしゃあないって全身でぶつかってくるから。
もっと年齢が近かったら。いっそ俺が子どもやったら。もしくはお嬢が大人やったら。
胸の奥に炭酸の泡が連なるみたいに、生まれてくるこの気持ちを、押し殺さんでもええのに。
婚約者っていう立場はもろてる。お嬢の隣にいる権利もある。
けど、どないもできへん。俺はええ年の大人やから。
「あ、顔色が戻ったよ」
「せやから、平気やゆうたでしょ」
こくりとうなずいて、お嬢は納得した。
「水族館やけど、俺と行きますか? なんやったら電車で行ってもええですよ」
「いいの?」
ぱぁぁぁっと、お嬢が花が開いたような鮮やかな笑顔になる。
この愛らしい笑顔が、俺にだけ向けられるものなんやから。
まぁ、ええか。
庭に植えられたひまわりは、朝の澄んだ陽ざしを存分に浴びて伸びている。
昨日は、夕方の天気予報はいろんな局に目を通し。関西に高気圧が張り出してるんを確認し、挙句の果てにはお天気アプリで降水予報まで調べてしもた。
「まぁ。車での移動やし、関係あらへんねんけど」
歯磨きをしながら、鏡に映る自分の姿を見る。
前髪を下ろした顔は、やっぱりちょっと幼く見える。
「涼二さん、ちょっといいかしら」
組長の妻である姐さんが、離れまでやって来た。タオルで顔を拭きながら、俺は渡り廊下へと出る。
「どないかしはったんですか?」
「それがね。うちの人が風邪をひいてしまって」
姐さんは口ごもった。あ、これはあかんと俺は察した。
お嬢は、オヤジさんと水族館に行くんを楽しみにしとったのに。
「プロポリスも風邪薬もビタミンCも飲ませたから、今日一日休んでいれば治るとは思うんだけど」
「姐さんが水族館に連れて行ったったらええやないですか。月葉さんも喜びますよ」
「それが、私も先約があるのよ。どうしても抜けられなくて」
ちょいちょい、と姐さんに手招きされて。俺は渡り廊下を進んだ。タオルを手に持たままなんを、母屋についてから気づいた。
今朝もお嬢は縁側におった。
体育座りって言うんか、ひざを抱えて座ってる。心なしか、背中に力がない。
これは、しょげてる時の態勢や。
俺は持っていたタオルを三角にして、角を二か所つまんで耳にした。
「つーきはちゃん。どないしたん?」
かなり高い声で話しかけながら、タオルでつくったウサギをお嬢の前に出す。
「つきはちゃんの、可愛いお顔がみたいなぁ」
「……見せない」
お? 手ごわいな。お嬢が三歳の頃は、これで一発解決やったのに。
「べつにパパが風邪をひいたのは、しょうがないと思うの。しんどいだろうし、わたしだってムリは言わないよ。でも……」
「せやなぁ。理解はしとっても、感情では納得できへんこともあるよなぁ」
ほどいたタオルを、お嬢の頭にぱさっとかぶせる。
「平気。ちゃんとパパの前ではいい子にしてるから」
タオルの陰からこぼれた声は、か細かった。俺は縁側に腰を下ろして、お嬢のうすい左肩に手をかけて、体を引き寄せる。
「お嬢が我慢するのん、オヤジさんは望んでへんと思うで。そら、我儘を言いたない気持ちは分かるけど」
「でも風邪をひいてるパパを困らせたくないし。別の日っていっても、今日だけが、パパに予定がない日だったから」
「優しい子やな。お嬢は」
俺の言葉に、一瞬お嬢は目を大きく見開いた。けど、すぐにタオルの両端で顔を隠してしまう。
「優しくないもん。こうして、拗ねてるもん」
「拗ねれるんは、子どもの特権でしょ。いじけた部分を見せてくれるんが、俺だけって言うんは、正直うれしいで」
お嬢が頭からタオルを外した。となりに座る俺の顔をじぃっと見つめてる。
「どうして花ちゃんにだけ、素直じゃない自分を見せられるんだろ」
「そら……」
言いかけた言葉を、俺は飲みこむ。
口にはできへんよな。お嬢は俺のことが好きで、一番に信頼してるから。両親よりも親しくて、近いから。遠慮がないやなんて。
自分の頭に浮かんだ言葉に、俺は顔が熱なるのを感じた。
「たいへん。花ちゃん、顔が赤いわ」
「いや、すぐに戻りますから」
「どうしよう。花ちゃんまで風邪を引いちゃったのかな。ママに頼んで、お薬をもらってくるね」
お嬢の小さい手が、俺のおでこに触れる。ひんやりとした感触が心地よい。
ほんまに困るねん。
まだ恋がどういうもんかも分かってへんのに。大人にはまだまだ遠い年齢やのに。
好きという言葉を使わんでも、俺のことを好きでしゃあないって全身でぶつかってくるから。
もっと年齢が近かったら。いっそ俺が子どもやったら。もしくはお嬢が大人やったら。
胸の奥に炭酸の泡が連なるみたいに、生まれてくるこの気持ちを、押し殺さんでもええのに。
婚約者っていう立場はもろてる。お嬢の隣にいる権利もある。
けど、どないもできへん。俺はええ年の大人やから。
「あ、顔色が戻ったよ」
「せやから、平気やゆうたでしょ」
こくりとうなずいて、お嬢は納得した。
「水族館やけど、俺と行きますか? なんやったら電車で行ってもええですよ」
「いいの?」
ぱぁぁぁっと、お嬢が花が開いたような鮮やかな笑顔になる。
この愛らしい笑顔が、俺にだけ向けられるものなんやから。
まぁ、ええか。
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