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11、翌朝
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翌朝。
兄のイーヴァルと護衛のバート、それに警護官たちが森へと入った。
セシリアももちろん同行したかったが、兄に反対された。
結局、テオドルと一緒に朝食をとっている。
「私は、姫さまと同席する理由がないのですが」
食堂のテーブルをはさんで向かい合った席に、セシリアとテオドルは座っている。
「わたくしを助けてくれたでしょう? ですからお父さまも是非にと仰っていたの」
王宮の警護官には夜勤があるが。王族を守る騎士には、基本的には夜勤はない。社交で夜遅くに王宮に戻るときは、別だけれど。
昨夜は非常事態でテオドルを呼び出した上に、朝まで仕事をさせてしまった。
「このままテオドルを家に帰すのは、危険だからよ」
「寝不足くらい、どうということはありませんよ」
今朝のテオドルは、ふだんよりも話をしてくれる。それが嬉しくて、少し苦く感じるオレンジジュースが、いつもよりも甘く思えた。
かりっと焼いた薄いパンに、セシリアはジャムをのせた。
ルバーブのジャムは、ほのかに赤い。口に入れると、さくっとトーストが音を立てた。甘酸っぱい味が口の中に広がっていく。
「ルバーブって、野菜にしか見えないわよね。どうしてジャムにするのかしら」
「確か、煮ればすぐに溶けてしまうのではなかったでしょうか。それに酸味が強いので、砂糖を入れるようですね」
テオドルはナイフとフォークで、羊乳から作られた茶色いチーズを切った。
とてもきれいな手つきだ。彼が貴族の子息であることがよく分かる。
「どうかなさいましたか?」
「ううん。こうしてテオドルと一緒に食事をするなんて……」
「初めてですね」
「うれしくて」
思わずこぼした言葉に、驚いたのはテオドルの方だった。
目を見開いて、向かいの席のセシリアをじーっと見つめている。
何か言いたそうに口を開きかけて。でも、すぐに唇を閉じてしまった。
「なぁに?」
「いえ、その。姫さまは、もっと栄養をお考えになった方がよろしいかと。さきほどから、ジャムばかりお召し上がりです」
明らかに、話をごまかしている。
セシリアはカップを手にして、紅茶をひとくち飲んだ。
「わたくしも、森に入りたかったわ」
「殿下がお戻りになるのを、お待ちになった方がいいですね。私としても、姫さまを危険な場所にはお連れできません」
「確かに、わたくしはお兄さまみたいに剣は扱えないけれど」
それでも、今では自分がかつて聖女であったことを思いだした。
無能な聖女。ビアンカ自身もそう思っていた。
けれど、実際は違った。ビアンカは王国を守るために、常に力を放ち続けていたのだ。
意識せずとも邪を浄化する。圧倒的な力を持つ、絶大な力を持つ聖女にしかできぬことだ。
(セシリアに、ビアンカの力がどれほど残っているは分からないわ。でも、わたくしは襲ってくる瘴気を祓ったのだから。何かの役には立てるはず)
◇◇◇
イーヴァルと護衛騎士のバートは、警護官たちと共に森へと入った。
鬱蒼とした木々が生い茂り、朝陽は足元までは届かない。
途中で二人の警護官と分かれて、森を捜索する。
「うわ、草が足に絡まるんだけど」
「朝露が降りてございますから。我慢なさってください」
「靴や服が湿って、気持ち悪い」
イーヴァルは二十一歳の王太子なのに。バートに対しては我儘を口にする。
湿った苔の匂いに混じって、異様な臭いが鼻をかすめる。腐敗したような、饐えたような臭いに、イーヴァルは眉をひそめた。
「ゆうべ、セシリアの部屋に吹きこんだ靄と同じ臭いだ」
「瘴気の沼がございます」
バートは、前方を指さす。
「私が先に見てまいりましょう」
「ダメだ。これ以上、前に進むな」
イーヴァルは、鋭い声を発した。
いつになく真剣な面持ちの主の言葉に、バートは素直に従った。
ふだんは朗らかで、けれど飄々としてつかみどころのないイーヴァルだ。その主が、真剣なのだからよほど危険に違いない。
「瘴気に呑まれたのは、神殿の犬でしょうか」
「犬の方が賢いぞ。報酬に尻尾を振って、王家の情報を流している掃除夫だ」
イーヴァルは、草の中に転がっている男物の靴に目を向ける。
どこかに体でも残っているかと思ったが、呑みこまれてしまったらしい。
「掃除婦に化けた密偵が、王宮の夜の森で神殿の者と会っていたのか。或いは、澱みの沼を拡大させるための儀式を行っていたのかもしれないな」
「ならば、瘴気が意志を持ったかのように暴走したのも納得できますね」
「瘴気は、まっすぐにセシリアの部屋を狙い、攻撃した。迷いなく」
沼のある場所からは、王宮の建物は当然見えない。
けれど狙われたのは、国王である父でもなく王太子であるイーヴァルの部屋でもなかった。
「王宮も安全とは言えないな。いくらテオドルが王宮の側に住んでいるとはいえ、やはり呼び出しには少し時間がかかった。夜中だったのもあるが」
「殿下は、姫さまのことが、とても大切でいらっしゃるから」
「一言よけいだ」
家族の前でも、使用人の前でも、民の前でも決して見せないが。イーヴァルは子供のように口を尖らせた。
兄のイーヴァルと護衛のバート、それに警護官たちが森へと入った。
セシリアももちろん同行したかったが、兄に反対された。
結局、テオドルと一緒に朝食をとっている。
「私は、姫さまと同席する理由がないのですが」
食堂のテーブルをはさんで向かい合った席に、セシリアとテオドルは座っている。
「わたくしを助けてくれたでしょう? ですからお父さまも是非にと仰っていたの」
王宮の警護官には夜勤があるが。王族を守る騎士には、基本的には夜勤はない。社交で夜遅くに王宮に戻るときは、別だけれど。
昨夜は非常事態でテオドルを呼び出した上に、朝まで仕事をさせてしまった。
「このままテオドルを家に帰すのは、危険だからよ」
「寝不足くらい、どうということはありませんよ」
今朝のテオドルは、ふだんよりも話をしてくれる。それが嬉しくて、少し苦く感じるオレンジジュースが、いつもよりも甘く思えた。
かりっと焼いた薄いパンに、セシリアはジャムをのせた。
ルバーブのジャムは、ほのかに赤い。口に入れると、さくっとトーストが音を立てた。甘酸っぱい味が口の中に広がっていく。
「ルバーブって、野菜にしか見えないわよね。どうしてジャムにするのかしら」
「確か、煮ればすぐに溶けてしまうのではなかったでしょうか。それに酸味が強いので、砂糖を入れるようですね」
テオドルはナイフとフォークで、羊乳から作られた茶色いチーズを切った。
とてもきれいな手つきだ。彼が貴族の子息であることがよく分かる。
「どうかなさいましたか?」
「ううん。こうしてテオドルと一緒に食事をするなんて……」
「初めてですね」
「うれしくて」
思わずこぼした言葉に、驚いたのはテオドルの方だった。
目を見開いて、向かいの席のセシリアをじーっと見つめている。
何か言いたそうに口を開きかけて。でも、すぐに唇を閉じてしまった。
「なぁに?」
「いえ、その。姫さまは、もっと栄養をお考えになった方がよろしいかと。さきほどから、ジャムばかりお召し上がりです」
明らかに、話をごまかしている。
セシリアはカップを手にして、紅茶をひとくち飲んだ。
「わたくしも、森に入りたかったわ」
「殿下がお戻りになるのを、お待ちになった方がいいですね。私としても、姫さまを危険な場所にはお連れできません」
「確かに、わたくしはお兄さまみたいに剣は扱えないけれど」
それでも、今では自分がかつて聖女であったことを思いだした。
無能な聖女。ビアンカ自身もそう思っていた。
けれど、実際は違った。ビアンカは王国を守るために、常に力を放ち続けていたのだ。
意識せずとも邪を浄化する。圧倒的な力を持つ、絶大な力を持つ聖女にしかできぬことだ。
(セシリアに、ビアンカの力がどれほど残っているは分からないわ。でも、わたくしは襲ってくる瘴気を祓ったのだから。何かの役には立てるはず)
◇◇◇
イーヴァルと護衛騎士のバートは、警護官たちと共に森へと入った。
鬱蒼とした木々が生い茂り、朝陽は足元までは届かない。
途中で二人の警護官と分かれて、森を捜索する。
「うわ、草が足に絡まるんだけど」
「朝露が降りてございますから。我慢なさってください」
「靴や服が湿って、気持ち悪い」
イーヴァルは二十一歳の王太子なのに。バートに対しては我儘を口にする。
湿った苔の匂いに混じって、異様な臭いが鼻をかすめる。腐敗したような、饐えたような臭いに、イーヴァルは眉をひそめた。
「ゆうべ、セシリアの部屋に吹きこんだ靄と同じ臭いだ」
「瘴気の沼がございます」
バートは、前方を指さす。
「私が先に見てまいりましょう」
「ダメだ。これ以上、前に進むな」
イーヴァルは、鋭い声を発した。
いつになく真剣な面持ちの主の言葉に、バートは素直に従った。
ふだんは朗らかで、けれど飄々としてつかみどころのないイーヴァルだ。その主が、真剣なのだからよほど危険に違いない。
「瘴気に呑まれたのは、神殿の犬でしょうか」
「犬の方が賢いぞ。報酬に尻尾を振って、王家の情報を流している掃除夫だ」
イーヴァルは、草の中に転がっている男物の靴に目を向ける。
どこかに体でも残っているかと思ったが、呑みこまれてしまったらしい。
「掃除婦に化けた密偵が、王宮の夜の森で神殿の者と会っていたのか。或いは、澱みの沼を拡大させるための儀式を行っていたのかもしれないな」
「ならば、瘴気が意志を持ったかのように暴走したのも納得できますね」
「瘴気は、まっすぐにセシリアの部屋を狙い、攻撃した。迷いなく」
沼のある場所からは、王宮の建物は当然見えない。
けれど狙われたのは、国王である父でもなく王太子であるイーヴァルの部屋でもなかった。
「王宮も安全とは言えないな。いくらテオドルが王宮の側に住んでいるとはいえ、やはり呼び出しには少し時間がかかった。夜中だったのもあるが」
「殿下は、姫さまのことが、とても大切でいらっしゃるから」
「一言よけいだ」
家族の前でも、使用人の前でも、民の前でも決して見せないが。イーヴァルは子供のように口を尖らせた。
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