第三皇子の嫁入り

白霧雪。

文字の大きさ
上 下
14 / 24
第三章

《 一 》※

しおりを挟む
 

 華やかで甘い香りが室内を満たす。くゆる煙が天井付近で漂い、絵を薄く濁らせた。

 遊楽道士の格好もそのままに、怯えきった蓮雨リェンユーを抱き寄せて寝台に腰かける。片手を振って、上がっていた紗を下ろしてしまうと広い寝室の中に幾重にも包まれた繭のような小さな小部屋ができた。

「あの男が嫌いか? 仙家の中ではわりと評判は良かったはずだが……いや、その前に、あの男を知っているのか?」

 穏やかだが、有無を言わさぬ声音に、髪を梳かれながら小さく、途切れ途切れに答える。

 華夏雲ファシアユンはかつて、皇客として城に招かれていた際、蓮雨リェンユーが大のお気に入りで一日たりとも傍から離さなかった可笑しな男だ。母の薔香ショウシャンが何と言おうとも、笑みを浮かべてすべての文句を受け流し、絶対に蓮雨リェンユーを離そうとしなかった。

「恋だの愛だの、そういうのじゃないんです。ただただ、あの男の私を見る目が恐ろしい……あれは人を見る眼じゃない、怖くて、どうしようもなく怖いんです」

 底知れない感情ほど恐ろしいものはない。心が、体が欲しいわけじゃないのだと言っていた。ただそこにいるだけでいいのだと。存在しているだけで私は嬉しいのです、と。心底気持ち悪かった。できる限り離れて距離を保ちたいのに、皇族してもてなさなければいけないから酷く苦痛だった。

 花仙の胸元に頭を預けて、何も視ないように目を閉じてしまう。とくんとくん、と少しだけ早い鼓動に耳を傾けて気持ちを落ち着かせる。人よりも、精霊の類いに近い存在だからだろうか。花仙といると、とても心が穏やかになる。母と一緒のいるのとは違う安心感に包まれて、張りつめている気がついうっかり緩んでしまうのだ。

「貴方が、人でないからなのでしょうか……」
「なにが?」
「早く、次の呪符を探しに行かなければいけないと、分かっているのに、ずっとこうしていたいと思ってしまうんです。……外は、とても恐ろしいモノでいっぱいだから」

 声がほのかな甘さを含んでいた。弱みに付け入るようで気は進まないが、せっかくの機会を逃してしまうほど花仙も優しくはなかった。

「明日でも明後日でも、呪符なんていつでも探し出せる。今日くらい休んだってかまわないさ」

 蓮雨リェンユーを抱きかかえたまま寝台に寝転がり、額に口づけを落とす。

「……お前は、俺の庇護下にいるんだから何も恐れることなどないよ。それでも怖いと言うのならお守りをあげよう」

 するり、と。指に冷たい感触がして目を開けた。

「…………これ」
「そう。指輪だ。別に、美仙のやつがうるさく言っていたからじゃないぞ。お前が来てからちゃんと用意したものだ。魔除け、厄除け、まぁなんか、いろいろ適当に加護を詰め込んでおいたから、何かあってもそれが小花シャオファのことを護ってくれるよ」

 キラキラと、右手の薬指に嵌った繊細な銀の指輪飾り。銀の蔓が絡み合い、中央に淡く輝く白金の宝石がはめ込まれていた。

「もらって、いいんですか?」
「むしろもらってくれないと困る。俺が端正込めて創ったんだ。持っているだけでご利益があるぞ」

 指輪のはまった手を掬い上げて、恭しく手の甲に口づけられる。

 花仙は、人は嫌いだと言いながら人である蓮雨リェンユーに優しくしてくれる。自身に捧げられたモノだから、とその一言ではとてもおさまらないくらい、優しくて親切にしてくれる。この人なら、何をしても許してくれるのではないかとすら思ってしまうのだ。

 胸中に湧き上がったほろ苦い、けれど甘い感情が照れくさくて胸元に額を擦りつけた。

「……花仙のそばは、とても安心します」

 爽やかな、甘さを含んだ花仙の香りは穏やかな眠気を誘ってくる。

「そう。俺が、お前の安らげる場所になれるのならとても嬉しいよ。小花シャオファ、口吸いをしよう。そうすれば、俺の仙気をお前に分け与えることができるから」

 もっともらしいことを言って、脱力しきった体に覆いかぶさってくる。小さな唇を食むように合わせて、拙く触れるだけの口付けを繰り返した。

「花、仙……もっと、もっとください」

 熱に浮かされた蒼い瞳は色味を増して、光の届かない深い水底のようだ。暗い蒼に映し出された花仙がまばゆく輝いて、まるで蓮雨リェンユーにとっての光に見える。

 薄く開いた唇から舌を差し込んで、絡め合い、どちらともない透明な糸が二人を繋ぐ。

 舌先を軽く吸われて、上顎のでこぼこをなぞられると背筋から甘い痺れが全身に広がった。宿での一夜が思い出されて、胎の奥が疼いてしまう。

 花仙は身に纏う香りは重厚で優美な奥深さのある甘さだが、唾液はいつまでも口吸いをしていたいほど蜜のように甘美だ。花も、花の香りも好きじゃなかったのに、この人と一緒にいるとそれほど悪くないんじゃないかと思ってしまう。母さえいればいいと思っていたのに、母と蓮雨リェンユーしか存在しない小さな世界に花仙はたやすく足を踏み入れてきた。

「いいよ、いくらでも」

 ちゅ、ちゅ、と小鳥の囀りのように可愛らしい音を立てて唇を吸われる。唇を舐められて、舌を吸われて、歯型をなぞられる。はじめは優しいのに、しだいに荒々しく口内を舌が蹂躙していった。

 息苦しくて呼吸がままならず、唇を放されると息も絶え絶えに顔を真っ赤にして胸を上下させた。耳のすぐそばに両手をついて見下ろしてくる花仙は、自分とは違って余裕綽綽な様子で腹立たしかった。息苦しさで涙を滲ませた瞳を緩ませて、悪戯に垂れた白金の一房を掴んでグイと引き寄せる。

「いッ……!?」

 ガリッ、と白い喉に噛みついて、完璧なこの男に傷をつけてやる。

「っ、ふはっ、はは、貴方は、肌が白いから赤色が目立ちますね」

 誰も傷をつけることなんて許されない、尊い神仙に傷をつけてしまった。後悔もなにもない。ただ、優越感と征服欲に心地よくなった。この人を傷つけられるのは自分しかいないのだ。

 くっきりと、喉仏を囲う歯型に思わず笑みがこぼれてしまう。とても小さい些細な悪戯だ。神仙である彼にしてみれば、こんなかすり傷一晩と立たずに癒えてしまうのだろう。それを少しだけ寂しく思いながら、ぷつりと浮かぶ赤い雫に舌を伸ばした。きっと、この人なら血液すら甘い味がするに違いない。

 舌が喉に触れ、赤い雫を掬い取る。傷口にわざと触れるように舐めると、ビクリと一瞬震えて体を硬直させた。いつも、好き勝手に触れてくるのに蓮雨リェンユーから触れると体が強張るのがなんだか面白かった。

「――小花シャオファ、それ以上は駄目だ」
「ふふ、嫌だ、やめないですよ、ぁッ!」

 最後の忠告を無視したのだから、もういいだろう。散々煽られて我慢したんだから。乱暴にしないように、手つきは優しく穏やかなのに、どこか性急で荒々しい。

 下衣を手早く脱がして、大きな手のひらでそこに触れた。中途半端に開いたままの口に被りついて、飲みこみ切れないほどの唾液を送り込む。口の端から溢れた唾液が顎を伝い、首筋を濡らしていった。

 柔く握って上下に扱き、先を指先でぐりぐりと刺激されるととろりと先走りが溢れた。

 真っ白な肢体を乱して、咲いたばかりの花を散らす背徳感に花仙の気分は高揚していくばかり。蒼い瞳を独り占めしたい。美しい真っ白な体に自分を刻み込みたい。男であるとか、女でないとか関係なかった。蓮雨リェンユー蓮雨リェンユーである限り、それだけで良かった。心も体も、全てこの腕の中に閉じ込めて囲って自分だけの物にしたい。

 仙道には「欲をかくべからず」とあるけれど、こと蓮雨リェンユーに関しては無欲ではいられない。だって、目を放したらすぐにでも取られてしまうんだもの。それなら目を離さないで、ずっと一緒にいればいい。人間はどうでもいいけれど、蓮雨リェンユーは別だ。――花びらで包み込んで、蜜に溺れさせて、俺がいなければ生きていけなくなればいいのに。

 蜂蜜色の瞳を妖しく光らせて、深く深く口づけを交わした。




 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

捨て猫はエリート騎士に溺愛される

135
BL
絶賛反抗期中のヤンキーが異世界でエリート騎士に甘やかされて、飼い猫になる話。 目つきの悪い野良猫が飼い猫になって目きゅるんきゅるんの愛される存在になる感じで読んでください。 お話をうまく書けるようになったら続きを書いてみたいなって。 京也は総受け。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!

ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。 「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」 なんだか義兄の様子がおかしいのですが…? このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ! ファンタジーラブコメBLです。 平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります。 ※(3/14)ストック更新終わりました!幕間を挟みます。また本筋練り終わりましたら再開します。待っててくださいね♡ 【登場人物】 攻→ヴィルヘルム 完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが… 受→レイナード 和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。

飼われる側って案外良いらしい。

なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。 なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。 「まあ何も変わらない、はず…」 ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。 ほんとに。ほんとうに。 紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22) ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。 変化を嫌い、現状維持を好む。 タルア=ミース(347) 職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。 最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話

gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、 立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。 タイトルそのままですみません。

処理中です...