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第二章 401号室
9 そんなに似ているのかな?
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食堂で寮母にあいさつをすませたあと、康太と健司は大樹と武志に案内されて、大浴場とシャワー室を見て廻った。健司は、そのひとつひとつに驚き、わぁわぁと声を上げ、そのたびに武志が頭をガシガシと揺さぶった。しかし康太は、ぼんやりと考えごとをしていて、案内された施設を見たのか見なかったのかもはっきりとしなかった。
シャワー室を出たところで、武志が康太に云った。
「康太。少しは健司みたいに驚いてみせたらどうだ?」
康太は、えっ、と口にした。何か云わなければならないとわかってはいたが、それきり言葉が出てこなかった。
「吃驚して、声が出んとやろ」大樹が武志に云った。「おまえは入寮したとき、わぁわぁ叫びよったけどな」
「せからしか」武志が云いかえした。
康太は慌てて云った。「ええと。恵まれているんだなって思って……」
「ほらな。聞いたか、今井?」大樹が、康太の頭をぽんぽんと叩いた。
武志は、ふむ、と両腕を胸のまえで組んで大樹と康太を見比べ、
「おまえら、似たもの同士ばい」
「やけん同じ部屋になったったい」
大樹が即答した。
武志はニヤリと笑った。どことなく満足気な顔つきだった。「さあ、つぎは洗濯室だ。ユニフォームは、ここじゃなくて部室のを使えよ」
武志がこう云うが早いか、健司が康太の手を取った。疾るぞ、と目で康太に合図を送る。ふたりは、初々しい新入生らしく洗濯室に駆けこんだ。
――森先輩とぼくって、そんなに似ているのかな?
康太は健司を真似て、わぁわぁ云ってみた。しかし空っぽの洗濯機を覗きこんだり、くるくる廻る乾燥機を眺めているうちに、考えごとは頭のなかで、ぐるぐる廻るだけだった。
「おい、おまえら」洗濯室の入口から武志がふたりを呼んだ。「まだまだあるぞ。つぎはトレーニング室だ」
健司は、はい、と応え、康太を置いて武志のところへ疾った。武志は、健司の頭をつかんでつぎの場所へと連れていった。
洗濯室の入口には、大樹がひとり残っていた。左腕を高くあげて左手を入口の上部についている。大樹は、右手で例の犬笛を口に運んで銜えた。そうしてから、おもむろに右手を差しだし、人差し指を鉤にした。
康太は、大樹の胸が大きく膨らむのを見て、今行きます、と云って大樹のもとへ疾った。全速力だった。
「あ」
気づけば大樹の胸に飛びこんでいた。勢いのあまり止まれなかったのだ。胸の筋肉の感触、プールとタバコの匂い、そして肌のぬくもりが、Tシャツから飛びだしてきて、一度に康太を包みこんだ。
「おっと」大樹はびくともせず、さっと右腕を康太の背中に廻して抱きとめた。「アウト! 盗塁失敗だ」
康太は、はっと我にかえった。一歩退がって大樹に顔を向ける。「す、すみません、森先輩……」
「今井みたいな盗塁王になるんだぞ」大樹は背中の右腕をほどき、そのまま大きな右手を康太の頭のうえに乗せた。「可愛いな、おまえ」
「あ、ありがとうございます……」胸がドキドキしている。
「さあ、行くぞ。トレーニング室は、隣りの建物だ」
康太は、大樹に跟いてエントランスへ急いだ。武志と健司が、エントランスの戸を開いて待ちかまえていた。
健司が手を振った。
「康太、早く!」
「ごめん、すぐ履きかえるから」
康太は個人の下足箱を開いた。
「おい、康太。おれのことは無視か?」
背中越しに武志の声が飛んできた。
康太は慌ててふり返って、すみません、と云って頭を下げた。
「康太、皆んな待ってるぞ」
顔を上げると、いつの間にか大樹が武志の隣りに立っていた。見ると、三人ともサンダルを履いている。康太は手にしたスニーカーを戻し、大学名入りのサンダルを手に取った。ふり返ると大樹が犬笛を手にしていた。康太は反射的に三和土に疾り、大急ぎでサンダルを履いた。
「お待たせしました!」
合流した康太に武志が云った。
「サンダル、左右逆だぞ」
「康太ったら、相変わらずそそっかしいなあ」健司がそこへ加わった。
「え?」康太はサンダルを見た。すると頭に大きな手が置かれた。「あ……」大樹の手だとすぐにわかった。
「康太、今井の嘘に引っかかるんじゃないぞ」大樹がこう云いながら、頭をぽんぽんと叩いた。「まったく悪い先輩だよなあ、今井ってヤツは」
すると武志が大樹に向って、
「何ンちかん、貴様!」
とドスをきかせた。
康太は狼狽えた。健司はすでにエントランスを抜けて外に出ている。逃げ足だけは速いやつだ。それよりこのふたりを……。
そのときだった。
「おうおう。真っ昼間っから、狼と猪で盛りあってんのか?」
食堂から寮長の勝利が出てきた。手にしたバナナをむしゃむしゃと頬張りながら、のっしのっしと近づいてくる。
「あ、大野さん」
と大樹が云い、武志が、
「ゴリ……」
と云いかけたところで、勝利が、
「おい、デカ猪。その先を云ってみろ」
と声をかぶせた。
――あれ? どっかで似たようなことが……。
オリエンテーションの最終日にも、こうしたやり取りがあったのを、康太は思い出した。これはきっとこの三人のお約束なのだろう。ならば声をかけても大丈夫だ。康太は、勝利に努めてハキハキと云った。
「大野先輩、これからトレーニング室を見に行くところなんです」
「おれもちょうど筋トレしに行くところだ」勝利は、個人の下足箱からサンダルを取りだした。「ふたり部屋はどうだ。もう慣れたか?」
「まだ緊張していて失敗ばかりで……」康太は照れ笑いをした。
「森は怖くないから安心しろ」
「わかりました」
康太が頭をぺこりと下げると、勝利はすっかり上機嫌になった。武志が、ひゅう、と息を吐きだす音がエントランスに響いた。
「おい、デカ猪。どうやら命拾いしたようだな」
サンダルに履きかえようとして、勝利がバナナの皮を武志に投げた。武志はそれをキャッチして、
「部での教育が行き届いて――」
「それはない」
大樹と勝利が声をそろえて否定した。
康太は、くすっと笑った。
勝利が、康太の肩に片手を置き、顔を覗きこむようにして云った。「康太、いくら先輩でも、このデカ猪みたいにはなるなよ」そして、いたずらっぽく片眉を吊りあげた。「まあ、そんなことはないだろうけどさ。おまえは、すでにリトル・ウルフになっているからな」
シャワー室を出たところで、武志が康太に云った。
「康太。少しは健司みたいに驚いてみせたらどうだ?」
康太は、えっ、と口にした。何か云わなければならないとわかってはいたが、それきり言葉が出てこなかった。
「吃驚して、声が出んとやろ」大樹が武志に云った。「おまえは入寮したとき、わぁわぁ叫びよったけどな」
「せからしか」武志が云いかえした。
康太は慌てて云った。「ええと。恵まれているんだなって思って……」
「ほらな。聞いたか、今井?」大樹が、康太の頭をぽんぽんと叩いた。
武志は、ふむ、と両腕を胸のまえで組んで大樹と康太を見比べ、
「おまえら、似たもの同士ばい」
「やけん同じ部屋になったったい」
大樹が即答した。
武志はニヤリと笑った。どことなく満足気な顔つきだった。「さあ、つぎは洗濯室だ。ユニフォームは、ここじゃなくて部室のを使えよ」
武志がこう云うが早いか、健司が康太の手を取った。疾るぞ、と目で康太に合図を送る。ふたりは、初々しい新入生らしく洗濯室に駆けこんだ。
――森先輩とぼくって、そんなに似ているのかな?
康太は健司を真似て、わぁわぁ云ってみた。しかし空っぽの洗濯機を覗きこんだり、くるくる廻る乾燥機を眺めているうちに、考えごとは頭のなかで、ぐるぐる廻るだけだった。
「おい、おまえら」洗濯室の入口から武志がふたりを呼んだ。「まだまだあるぞ。つぎはトレーニング室だ」
健司は、はい、と応え、康太を置いて武志のところへ疾った。武志は、健司の頭をつかんでつぎの場所へと連れていった。
洗濯室の入口には、大樹がひとり残っていた。左腕を高くあげて左手を入口の上部についている。大樹は、右手で例の犬笛を口に運んで銜えた。そうしてから、おもむろに右手を差しだし、人差し指を鉤にした。
康太は、大樹の胸が大きく膨らむのを見て、今行きます、と云って大樹のもとへ疾った。全速力だった。
「あ」
気づけば大樹の胸に飛びこんでいた。勢いのあまり止まれなかったのだ。胸の筋肉の感触、プールとタバコの匂い、そして肌のぬくもりが、Tシャツから飛びだしてきて、一度に康太を包みこんだ。
「おっと」大樹はびくともせず、さっと右腕を康太の背中に廻して抱きとめた。「アウト! 盗塁失敗だ」
康太は、はっと我にかえった。一歩退がって大樹に顔を向ける。「す、すみません、森先輩……」
「今井みたいな盗塁王になるんだぞ」大樹は背中の右腕をほどき、そのまま大きな右手を康太の頭のうえに乗せた。「可愛いな、おまえ」
「あ、ありがとうございます……」胸がドキドキしている。
「さあ、行くぞ。トレーニング室は、隣りの建物だ」
康太は、大樹に跟いてエントランスへ急いだ。武志と健司が、エントランスの戸を開いて待ちかまえていた。
健司が手を振った。
「康太、早く!」
「ごめん、すぐ履きかえるから」
康太は個人の下足箱を開いた。
「おい、康太。おれのことは無視か?」
背中越しに武志の声が飛んできた。
康太は慌ててふり返って、すみません、と云って頭を下げた。
「康太、皆んな待ってるぞ」
顔を上げると、いつの間にか大樹が武志の隣りに立っていた。見ると、三人ともサンダルを履いている。康太は手にしたスニーカーを戻し、大学名入りのサンダルを手に取った。ふり返ると大樹が犬笛を手にしていた。康太は反射的に三和土に疾り、大急ぎでサンダルを履いた。
「お待たせしました!」
合流した康太に武志が云った。
「サンダル、左右逆だぞ」
「康太ったら、相変わらずそそっかしいなあ」健司がそこへ加わった。
「え?」康太はサンダルを見た。すると頭に大きな手が置かれた。「あ……」大樹の手だとすぐにわかった。
「康太、今井の嘘に引っかかるんじゃないぞ」大樹がこう云いながら、頭をぽんぽんと叩いた。「まったく悪い先輩だよなあ、今井ってヤツは」
すると武志が大樹に向って、
「何ンちかん、貴様!」
とドスをきかせた。
康太は狼狽えた。健司はすでにエントランスを抜けて外に出ている。逃げ足だけは速いやつだ。それよりこのふたりを……。
そのときだった。
「おうおう。真っ昼間っから、狼と猪で盛りあってんのか?」
食堂から寮長の勝利が出てきた。手にしたバナナをむしゃむしゃと頬張りながら、のっしのっしと近づいてくる。
「あ、大野さん」
と大樹が云い、武志が、
「ゴリ……」
と云いかけたところで、勝利が、
「おい、デカ猪。その先を云ってみろ」
と声をかぶせた。
――あれ? どっかで似たようなことが……。
オリエンテーションの最終日にも、こうしたやり取りがあったのを、康太は思い出した。これはきっとこの三人のお約束なのだろう。ならば声をかけても大丈夫だ。康太は、勝利に努めてハキハキと云った。
「大野先輩、これからトレーニング室を見に行くところなんです」
「おれもちょうど筋トレしに行くところだ」勝利は、個人の下足箱からサンダルを取りだした。「ふたり部屋はどうだ。もう慣れたか?」
「まだ緊張していて失敗ばかりで……」康太は照れ笑いをした。
「森は怖くないから安心しろ」
「わかりました」
康太が頭をぺこりと下げると、勝利はすっかり上機嫌になった。武志が、ひゅう、と息を吐きだす音がエントランスに響いた。
「おい、デカ猪。どうやら命拾いしたようだな」
サンダルに履きかえようとして、勝利がバナナの皮を武志に投げた。武志はそれをキャッチして、
「部での教育が行き届いて――」
「それはない」
大樹と勝利が声をそろえて否定した。
康太は、くすっと笑った。
勝利が、康太の肩に片手を置き、顔を覗きこむようにして云った。「康太、いくら先輩でも、このデカ猪みたいにはなるなよ」そして、いたずらっぽく片眉を吊りあげた。「まあ、そんなことはないだろうけどさ。おまえは、すでにリトル・ウルフになっているからな」
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