そのメイドは振り向かない

藤原アオイ

文字の大きさ
上 下
15 / 32

もう、帰れないんだ(sideあずさ)

しおりを挟む
 夢を見ている。

 この国の人々が、エステルさんが、そしてエルヴィン様が死んでいく夢。玉座には闇を纏った銀色の男が座っていて、不気味に笑っているのだ。

 それがあまりにも怖すぎて、最近眠れていない。

 突然召喚されて、いつも怖い夢を見せられて。あぁ、全部夢ならよかったのに。幻想ならよかったのに。でも、私はずっとこのまま。

 知ってるよ。エステルも、エルヴィンも、他のみんなも生きた人間だってこと。私はこの人達のいる場所を救わなきゃいけないってこと。……私はもう、地球に帰れないってこと。

 今日も、枕が濡れていた。

 サイドデスクに置かれた小さなベルを鳴らして、エステルさんを呼ぶ。

 まだ日が昇ってすぐの時間なのに、彼女は駆けつけてくれる。そんな日を、何度も繰り返して。

 夢に出てくる不気味な銀色の闇。血塗れた王冠を奪う誰か。あれは多分エルヴィン様の義理の兄上であるルーカス様を指しているんだと思う。でも、確信が持てない。

 あんなに優しそうな王子が、そっち側のはずがない。ないのに、どうして。どうしてそんな夢ばかり見てしまうのだろう。

「あずさ様、朝食をお持ち致しました」

「朝早くからありがとうございます」

 彼女はこの部屋に身体を滑り込ませる。ちょっと待っててくれれば、扉くらい開けたのに。

「いえ、お届けが遅れてしまい申し訳ございません。それでは準備しますので、少々お待ちください」

 エステルさんがてきぱきと皿を並べていく。私は座ってそれが終わるのを待つ。

 肩にかからないくらいの銀髪、昼の空みたいな瞳。すごくよくできたお人形みたい。でも、彼女の手はすごく温かい。

 そこでようやく気付く。

 真っ白な彼女の腕に、黒い何かが纏わりついていることに。

「エステルさん、腕どうしたんですか?」

「これですか? ちょっと面倒な方に絡まれてしまって……。あっ、結構赤くなっちゃってますね。放っておけばそのうち治りますからご心配なく」

 もしかして、見えていないのだろうか。それとも、ここではこれが当たり前なのだろうか。でも彼女は確かに赤と言った。

「その……日本にはこういう時にするおまじないみたいなのがあって、えっと……」

 立ち上がって、エステルさんの真横まで移動する。彼女は持っていたお盆をテーブルに置き、ちょっとだけ身構えている。

「ちょっと腕触ります。えっと、腕触るのってマナー違反とかじゃないですよね?」

「はい、構いませんが……?」

 絹のようにきめ細かい白。そこに纏わりつく黒。私は黒が一番濃い所に触れ、ゆっくりと撫でていく。私の指にもねっとりと絡み付く闇。なんかコールタールみたいだなって思った。現物は見たことないけど。

「痛いの痛いの、飛んでけー」

 私がこう言った瞬間に、よくわからないどろどろした黒は霧のように消えていく。後に残っているのは、誰かに握られた痕跡だけ。彼女がさっき言ったように、まだほんのりと赤い。

「ありがとうございます、あずさ様。少し元気が出た気がします」

「それはよかった、です」

 思わず、口もとが緩む。

「それでは、冷めちゃう前に朝食をいただいちゃいましょうか」

「はいっ!」

 外はカリッとしているが、内側はふわふわのパン。手でちぎってからバターをしっかりと付けて、口へと運ぶ。舌の温度で溶けたバターが口の中で上品なハーモニーを作り出す。

 ベーコンエッグの方も、ベーコンの油の香りと塩コショウが絶妙なバランスでとても美味しい。結局、美味しいものは塩と油で出来てるらしい。

 お米と味噌汁の朝ごはんも良いけれど、こういう洋風のやつも捨てがたいと思う。というかここのご飯美味しすぎるから、食べすぎてめちゃくちゃ太りそうな予感がする。

「今日は完全にオフですが、何かやりたいことなどありますでしょうか?」

「えっと……折角の機会ですし、エステルさんのおすすめの食べ物とか食べてみたいです」

 あっ。ご飯のこと考えてたら、ご飯のことを口走ってしまった。

「構いませんよ。なんなら今すぐ買ってきましょうか?」

「たっ、食べ終わってからで良いですからっ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている

ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

【完】瓶底メガネの聖女様

らんか
恋愛
伯爵家の娘なのに、実母亡き後、後妻とその娘がやってきてから虐げられて育ったオリビア。 傷つけられ、生死の淵に立ったその時に、前世の記憶が蘇り、それと同時に魔力が発現した。 実家から事実上追い出された形で、家を出たオリビアは、偶然出会った人達の助けを借りて、今まで奪われ続けた、自分の大切なもの取り戻そうと奮闘する。 そんな自分にいつも寄り添ってくれるのは……。

無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから―― ※ 他サイトでも投稿中

「次点の聖女」

手嶋ゆき
恋愛
 何でもかんでも中途半端。万年二番手。どんなに努力しても一位には決してなれない存在。  私は「次点の聖女」と呼ばれていた。  約一万文字強で完結します。  小説家になろう様にも掲載しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

嫌われ聖女は魔獣が跋扈する辺境伯領に押し付けられる

kae
恋愛
 魔獣の森と国境の境目の辺境領地の領主、シリウス・レングナーの元に、ある日結婚を断ったはずの聖女サラが、隣の領からやってきた。  これまでの縁談で紹介されたのは、魔獣から国家を守る事でもらえる報奨金だけが目当ての女ばかりだった。  ましてや長年仲が悪いザカリアス伯爵が紹介する女なんて、スパイに決まっている。  しかし豪華な馬車でやってきたのだろうという予想を裏切り、聖女サラは魔物の跋扈する領地を、ただ一人で歩いてきた様子。  「チッ。お前のようなヤツは、嫌いだ。見ていてイライラする」  追い出そうとするシリウスに、サラは必死になって頭を下げる「私をレングナー伯爵様のところで、兵士として雇っていただけないでしょうか!?」  ザカリアス領に戻れないと言うサラを仕方なく雇って一月ほどしたある日、シリウスは休暇のはずのサラが、たった一人で、肩で息をしながら魔獣の浄化をしている姿を見てしまう。

処理中です...