深川あやかし屋敷奇譚

笹目いく子

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百物語(三)

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「あっしじゃねぇ! あっしは潔白だぁ! 濡れ衣だ!」
「うるせぇ! 言い分は番屋でじっくり聞いてやらぁ」

 知らせを聞いて駆けつけた御用聞きの手下にふん縛られ、新吉が赤くなったり青くなったりしながら声を嗄らして叫んでいる。
 それを眺めていた仙一郎は、悲しげに首をふった。

「新吉さんたら、道理で床下を掘るのを嫌がったわけですねぇ。まさか本当に死体を埋めていたとは。いやぁ、悪いお人だ。私は見損ないましたよほんと。悪い女に弄ばれるのが生き甲斐のお仲間だとばかり思ってたのに、がーっかりだ」
「勝手にがっかりしねぇでくださいよ! じゃなくて旦那、あっしは新しい部屋をひっくり返すのが嫌だっただけです! そんな骨知りやせん!人殺しなんて大それたこと、あっしがするはずないでしょう? お伊予は生きてますったら! あんた千里眼なんでしょ? この目を見てくださいよ! ねぇ!」

 この善男の心の窓を覗いてくれといわんばかりに、新吉が縄尻を掴まれたまま詰め寄って、必死に仙一郎の顔を凝視する。
 うーん、と仙一郎はおざなりに男の顔を眺め、無邪気に首を傾げた。

「でもほら、骨が出てきちゃったしさ。しょうがないんじゃない?」
「旦那ぁ!」
「お伊予が出て行ったふりをして、実は殺したのをどこかに隠しておいたのか。だが、そのまんまにしとけねぇ理由が出来たと。そこに丁度頃合いよく火事が起きた。で、長屋が焼けたのをこれ幸いと、人目もねぇし床を張る前に埋めちまえばいいと考えたってわけか。ふてぇ野郎だぜ」

 懐手にした浅黒い肌の男が太い眉をぐいと持ち上げる。東西の堀留川に沿った一帯を縄張りにする御用聞きの親分で留七とめしちといい、本業は堀江町の貸本屋らしい。

「なんてこった。まさか新吉の奴がお伊予さんを……」差配の銀次郎が真っ青になった唇をふるわせた。「こりゃあ、あたしもお上の処罰を受けるでしょうな。兄さんに何と伝えようか……」

 大家は店子の親も同然、などと言われるが、これは単に情実ある付き合いを指すだけにとどまらない。店子が重罪を犯した場合、家主にも監督不行き届きを理由に罰金などの処罰が下される場合があった。まさに一蓮托生、子の不始末は親の不始末というわけだ。

「差配さん、誓ってあっしはそんなこたしちゃいません!」新吉が身悶えして叫ぶ。
「──銀次郎」不意に、長屋木戸の方角から声がかかった。押し出しのいい五十がらみの男が、松葉色の羽織と袷の裾をなびかせながら大股に近づいてくる。

「白骨死体が出たっていうじゃないか。どういうことだ?」
「兄さん……」差配が青ざめてぎくりと肩を竦ませる。兄さん、ということは、この長介店の地主で、越後屋店主の長介であろうか。ふくよかな頬と柔和な細い目が、どんぐり眼にがっしり締まった顎をした銀次郎とは対照的だ。

「はぁ、それが……」差配の喉仏が大きく動いた。「新吉の部屋から出まして……出て行った女房じゃないかと」
「何だと……!?」

 細い両目の奥にぎらりと怒気が宿る。大店の店主ゆえであろうか、その迫力にお凛の心ノ臓がぎゅっと縮んだ。

「あ、あっしは知りやせんです。越後屋さん、本当なんですよ」

 今にも泣き出しそうな新吉が必死にことの経緯を訴えるのを遠目に見ながら、お凛は仙一郎に囁いた。

「──人殺しだなんてそんな恐ろしいこと、あの真面目そうな新吉さんがするでしょうか……。大体、どこにお伊予さんを隠していたっていうんです? 旦那様もそう思うんですか?」

 もし新吉が無実であったらどうするのだ、と思いながら訊ねると、主は欠伸しながらのたもうた。

「ま、そういうこともあるんじゃないか。骨までしゃぶりつくされた恨みが骨髄に徹し、新吉さんが殺して埋めた。うん、実に単純明快。人間、積もり積もった憎しみが爆発すると、獄卒も真っ青な残虐非道もやってのけちまうもんさ。一件落着でいいじゃないか面倒くさいし。凶悪犯がお縄になってめでたしめでたし。やっぱり駄目だよねぇ、遊び慣れていないとさ。悪女でいい女に好かれるには、私みたいに余裕がないと。じゃ、そろそろ帰ろうか。今日はよく働いたから疲れたよ」

 そう言いながら赤い鸚哥を満足そうに眺めている主の襟首を、お凛は久々に締め上げてやりたくなった。
 その時、
 
「おっ、須藤様だ」

 留七が、どぶ板を鳴らしながら長屋木戸を入ってきた侍を見て鋭く囁いた。粋な小銀杏に髷を結い、帯に羽織の裾を巻き込んだ巻羽織という独特の着こなしに、着流しの腰に両刀を束さんだ背の高いお侍が、中間と小者を従えている。北町奉行所の定町廻り同心、須藤英之進様だという。細面に眠そうな目をした男だが、両目の奥に不穏な刃のような光が宿って見える。駆け寄った越後屋の兄弟と御用聞きと二言三言言葉を交わし、怯える新吉をちらりと見やった須藤は、彼らに先導されながら新吉の長屋に入って行った。
 その様子を眺めていた仙一郎が、間延びした声で言った。

「……新吉さんさぁ」
「へ、へぇ! 何ですか」
「お伊予さんが失踪した後に白骨死体が見つかったってのは、だいぶまずいぜ」
「へ……へぇ」

 板前が悄然とうなだれる。

「あんたこれから自身番へしょっぴかれて、すぐに大番屋行きですよ」  

 お江戸の町には無数の木戸が設けられていて、町を区切るものを町木戸、長屋の入り口に設けられたものを長屋木戸とか路地木戸と呼ぶ。町木戸の脇には木戸番屋と共にたいてい自身番屋があり、町内で捕縛された者は最寄りの自身番屋へ連行され、定町廻り同心によって下吟味が行われた。そこで怪しいと判断されれば、大番屋、最終的には伝馬町牢屋敷へと身柄を送られることになるのだ。牢屋敷で刑が確定すれば……執行まではあっという間だ。

「自身番には半日も留め置かれるのがせいぜいで、大番屋へ送られちまったらまず戻っちゃこれないぜ」

 仙一郎が神妙な調子で言う。お上の裁きは自白主義に基づくので、罪を認めない限り有罪にはならない。裏を返せば、自白してしまえば証拠が上がらなくとも罪人となってしまうのだそうな。

「それじゃあ、ずーっと自白をしなければいいじゃありませんか?」

 お凛が両手を叩いてぱっと顔を明るくすると、

「お前は肝心なところが抜けてるねぇ」

 仙一郎が小憎たらしい顔で見下ろしてきたのでむっとする。

「自白さえさせりゃあいいんだから、牢問ろうもんして嫌というほど責め立てりゃ、やってないことだって認めちまうだろうさ。それだって立派な自白だ」

 お凛と新吉がさぁっと青ざめて凍りつく。

「ま、そうしなきゃ咎人に白状させられないってのは同心の旦那方の恥だそうだから、やたらめったら苛めまくるってこたぁないさ」

 そうなのか、と二人が少し安堵すると、

「だが御用聞きの親分だとか、その手下になると話は別だけどね。荒っぽいお人が多いもんねぇ。たまーに、しょっぴかれてすぐに死んじゃう人とか、いるもんね」

 二人はまたもやふるえ上がった。

「新吉さん、恐ろしさのあまりあることないこと白状しちまうかもな」仙一郎が緊迫感のない調子で言った。
「旦那様、あんまり新吉さんを怖がらせないで下さい! あっ、新吉さん気を確かに!」

 新吉はもう紙のように白い顔をして、半分白目まで剥いて放心の呈である。これはいけない。本当にあることないこと白状してしまいそうだ、とお凛は真剣に不安になってきた。

「お前さんが犯人じゃあないとしてだ」仙一郎が腕を組む。
「あの死体の着物、あれはお伊予さんのだったかい?」
「いやぁ……どうだか。どろどろに汚れちまってはっきりとは……」ぼんやりと板前は首をふった。
「この長屋がある場所は昔は寺で、墓がぞろぞろあったとか……ないよねぇ?」
「いいえ……昔っからの町人地ですよ」

 ふぅん、と仙一郎はなめらかな首筋を撫でて考え込んだ。

「──やっぱりお前さんがやったんじゃないの?」
「そんな簡単に見切りをつけねぇで下さいよ!」

 地団太を踏む板前をよそに、主はつまらなそうに嘆息した。

「まぁ、引っかかるのはその骨だよね。お伊予さんが失踪して半年ってとこだから、遺体が骨になるには早すぎる」
「そうなんですか?」

 お凛が瞬きすると、うん、と主は腕組みをした。

「普通は土に埋めて綺麗な白骨になるのに四、五年はかかるって話だ。条件次第では一年くらいで骨になっちまうこともあるらしいが。お伊予さんだと言えないこともないが、確証はないってところだろうねぇ。野犬に食わせたとか、骨になるまで焼いたってんなら話は別だけどさ。それなら着物もズタボロになるだろうし、焼けちまった骨ってのは脆くなるからあんな風に綺麗に残りゃしないよ。私の見た感じじゃあ、そういうんじゃないね」

 やたらと骨に詳しいのはどういうわけだろうか、とお凛は一瞬薄気味悪いものを覚えたが、深く考えないことにした。

「つまり、新吉さんはやっぱり無実だってことですね?」
「でもこれだけじゃあ、無罪放免とはならないよ」

 わずかな希望を感じてお凛は意気込んだが、仙一郎の顔色は冴えない。

「……ところでこの以津真天いつまでんですけどね。こいつが鳴きはじめたのは、長屋を建て直した後からなんですよねぇ?」

 へえ、と新吉が力なく頷いた。

「それまでは普通の鳥と変わりゃしませんでした」
「ということは、それまではあの骨は別の場所にあったんだよなぁ……」
「本当にこの鳥が以津真天だとすれば、ですよね?」

 お凛が釘を刺すと、「当たり前じゃないか」と仙一郎は胸を張った。

「こいつが鳴いて、骨が出てきたんだ。本物の以津真天でなかったらなんなんだい」
「いや、まぁ……そうかもしれませんけれど……」

 ただの癇症な鳥なのではなかろうか、と思いつつも、お凛は語尾を濁らせた。

「……差配さんはさ」

 新吉の長屋の方へ顔を向けた主が、思いついたように言った。

「この鳥が以津真天だと気付いて、欲しがったりしませんでした?」
「え、こいつをですか?」

 訝しむ新吉に顔を戻し、当然のように首肯する。

「だって、世にも珍しい怪鳥ですよ? 私だったら絶対何が何でも貰っちまうけどな。それを私のところへ持っていけと勧めるなんて、どういうわけでしょうね」
「夜中に不気味な姿で泣き喚く鳥なんて、欲しかないでしょう」
「死体がなければただの鳥ですよ。何の問題もありゃしないでしょう?」
「それは……まぁ」

 新吉が言葉に詰まる。

「でも、妖かもしれない鳥なんて、普通側に置いておきたくないでしょう」

 お凛が異議を唱えると、

「あのねぇ、怪談話が大好きな戯作者だよ? 普通なわけないだろう。鶴屋先生を見てごらんよ。死霊に出会ったら怯えるどころか狂喜乱舞して追いかけ回すに違いない人種だよ?」

 普通でない人の見本みたいな主が言うだけに、妙な説得力がある。

「そういやぁ……」と、唐突に新吉が声を上げた。
「差配さんにこの鳥を預かって貰ってた時に、気味が悪いっておっしゃってましたよ。夜ごと妙な声で鳴くからやりきれんって。だからどこかへやってしまいたかったんでしょう。その時は、一体何の話だろうって不思議に思ったんですが……」

 お凛と仙一郎は同時に男を凝視した。

「……いつ?そりゃあいつのことです!?」
「どうして差配さんの家にこの鳥がいたんですか?」

 あ、え、と新吉は目を白黒させて二人を交互に見ると、

「いやね、長屋を建て直した時に預かってもらったんです。ほら、焼け出されちまってからしばらくの間は『波膳』に寝泊まりさせてもらってましたもんで……。あの日はもう、取るものも取りあえず鳥籠だけ引っつかんで逃げたんですよ。ですが料理屋に鳥なんぞ持ち込めねぇし、どうしようかと困っちまって。そうしたら、長屋が出来上がるまで差配さんが預かってくださるって」

 仙一郎と視線を交わし、お凛はごくりと喉を鳴らした。これは一体、どういうことなのだろう……?

「──その時、差配さんはどこに住んでいたんですか?差配さんの長屋も燃えちまったんでしょう」
「へぇ。ええと、越後屋さんの持ち物だっていう寮で……たしか浅草の元吉町にあったはずです」

 越後屋は、山谷堀を少し遡った元吉町の外れに川面を望む寮を持っていて、銀次郎は時折舟でそこへ行っては、誰にも邪魔されずに創作に励んでいるのだそうだ。何でも、差配は自ら猪牙舟を漕いで日本橋と元吉町を行き来するほど、舟の扱いに長けているらしい。

「そこで気味悪い声で鳥が鳴いたというのは、どういうことなんでしょう……?」

 お凛は怖気に襲われながら呟いた。
 打ち捨てられた亡者の代わりに鳴く鳥。それが鳴いたということは……。
 そこまで考えてはっと息を飲んだ。先ほど仙一郎が緋鸚哥を連れているのを見た時、銀次郎は傍目にもそれとわかるほど狼狽してはいなかったか。あれは、ただ気味が悪いというだけではなくて、もっと他に鳥を怖れる理由があったのだろうか……?

「あの……旦那様? まさか……その寮に、誰かの遺骸が打ち捨てられているとおっしゃるんじゃ……?」
 
 うーん、と仙一郎はすべすべした頬に手のひらを当てて考え込んだ。
 新吉は二人の様子を見てはじめてそこに気がついたのか、

「えっ……差配さんの寮に死体? ええ……? 何が、どうなってるんですか……?」

 と思考が追いつかぬ様子で唖然としている。

「──ところで、新吉さん」

 しばらくの沈黙の後、仙一郎がゆっくりと口を開いた。

「越後屋さんのご店主と銀次郎さんだけどさ。兄弟だってのに似ていないんですねぇ」
「へ? あ……そう、ですかね」

 新吉がぽかんとしたまま応じると、うん、と青年は頷いた。

「差配さんさ、何だかご店主を怖がっていやしませんでしたか? 仲悪いのかな?」
「さ、さぁ……。ああ、戯作者になりたいだとか言ってふらふらしているんで、長介さんによくどやしつけられてるって、昔おっしゃっていたかも……それが何か?」
「いや、別に……。私もねぇ、くだらん遊びにうつつを抜かしおって、と兄にはよく叱られていますからねぇ。気持ちはわかりますよ」

 あはは、と緊張感のない様子で仙一郎が笑った時、長屋から侍が姿を現した。
 ちゃり、ちゃり、とばら緒の雪駄の裏に打ったびょうを鳴らしながら、からすのような長身痩躯の須藤が迫ってくる。お凛の背後で新吉がじりじり後ずさり、がちがちと歯の根を鳴らすのが聞こえてきた。

「……てめぇが新吉だな。番屋でじっくり、あの骨の話を聞かせてもらおうか」

 御用聞きたちを従えた同心は、どろりとした鉛のような目を新吉に注いで言った。
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