シークレットベイビー~エルフとダークエルフの狭間の子~【完結】

白滝春菊

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新しい家族編

変わりゆく世界の中で

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 ステラは工房を出ると、気まずい空気を少しでも解消しようとするかのように、無意識に足取りを速めてダイニングへ向かった。
 ダイニングに足を踏み入れると、キャロラインが静かに昼食の準備をしているのが見える。キッチンの窓から差し込む柔らかな光が彼女の白い兎の耳を照らしていた。

「キャロ、お昼ご飯、できてる?」

 声をかけると、キャロラインはその穏やかな笑顔で振り返り、にっこりと頷いた。

「もちろんです。今日はスープとアボカドのサンドイッチですよ」

 その言葉にステラの心はほんの少しだけ和らいだ。こんがりと焼けた香ばしいパンと新鮮なアボカドの香りが鼻をくすぐり、テーブルに並べられた料理が温かさを伝えてきた。
 けれど、ステラはその料理に向かって歩み寄ることができなかった。食べることを避けるわけではないが、どこか心の中に空虚さが広がっているような、まるで味がしないような感覚に包まれていた。

「キャロ……」

 その声にキャロラインが気づき、心配そうにステラの方へ顔を向ける。

「どうしましたか?」

 ステラは答える前に、少しだけ沈黙をおいた。その間、彼女の心の中で言葉を選んでいるようだった。
 口の中が乾き、何かを言おうとしても言葉がうまく出てこない。だが、ついにその思いを絞り出すようにステラはぽつりと呟いた。

「お姉ちゃんになりたくない……」
「えっ」

 その言葉にキャロラインは一瞬、驚きと戸惑いの色を見せた。ステラはテーブルにうつむき、頭を抱えるようにして、さらに言葉を続けた。

「だって、赤ちゃん、かわいくないし、妹を欲しかったのに、弟だし、お父さんもお母さんも、赤ちゃんばっかり見てるの……」

 その言葉には、幼さと切なさが入り混じっていた。キャロラインは黙ってその言葉を受け止め、少し考え込む。
 彼女はステラの気持ちを少しだけ理解しているようだった。姉として、何がステラをこんなにも不安にさせているのかがわかるような気がする。

「わかります。嫌ですよね。お姉ちゃんだから我慢しなきゃいけないって言われるの」

 キャロラインは優しくステラの頭を撫でた。その手のひらがふわりと彼女の髪を撫でられ、やっと気持ちを理解できた人にあえてホッとする。

「でも……我慢していれば、いつか必ず弟もかわいいと思えるようになりますよ」

 そしてキャロラインが少し困ったような顔をしながらも、ステラを励ますために続けた。

「えっと、喧嘩をすることはあるんですけどね。でも時間が解決してくれるので、ゆっくり仲良くなればいいんです」

 キャロラインの言葉にはステラにはまだ理解できないような、人間関係の深さが込められているようだった。
 大人になっていく過程でどんなに小さなことでも必ず意味を持つようになることを、キャロラインは知っているのだろう。
 だけど、ステラにとってはそれが今はまだ遠い未来のことのように感じられた。

「よくわかんないけど……頑張る」

 小さくつぶやきながら、ステラは一息ついてからキャロラインを見上げた。

 ◆

 病院の静かな一室。白い壁と柔らかな照明の中でアステルは疲れた表情を浮かべながらも、無垢な寝顔を見守っていた。
 小さな子供はすやすやと眠っていて、その穏やかな息遣いが部屋の静けさに溶け込んでいる。
 その横にはシリウスが座り、しばらくの間、じっとその寝顔を見つめていたがふと視線を落ち着かせ、口を開いた。

「アステル、少し話をしていいか?」

 シリウスの声は控えめで、どこか不安げな響きがあった。アステルはゆっくりと顔を上げ、その優しげな笑みを浮かべながら応じた。

「もちろん、どうしたの?」

 シリウスは深く息を吸い、少し言葉を選ぶようにしてから、静かに口を開く。

「ステラが不安定なんだ」

 その言葉を聞いたアステルの表情がわずかに険しくなる。シリウスは一度黙り込み、ケルヴィンやキャロラインから聞いたことを思い出しながら苦しげに話を続ける。

「姉になるという責任感を感じてるみたいで、どうしても心の中で矛盾を抱えてる。ケルヴィンが言うには、弟が可愛いと思えないとか……」

 アステルは無言でその言葉を聞いていた。心配そうなシリウスの手をゆっくりと握ってやりながら、静かな声で言った。

「この前と同じね」

 その言葉はシリウスの心に深く響いた。

「この前……?」

 シリウスが尋ねると、アステルは静かに頷きながら言葉を続ける。

「シリウスのこと、お父さんって呼んでくれなかったでしょ?」

 その言葉に、シリウスはほんの少し驚いた表情を浮かべ、目を細めた。

「ああ、そうだ」

 アステルは優しくシリウスの頬に触れる。その手のひらに込められた愛情はまるで子供を守るかのように温かかった。

「最初は、ステラが『お父さん』と呼んでくれなかったの、覚えてる?」

 シリウスは思い出しながら、少し顔をしかめる。そして、遠くを見つめるようにしながら、その記憶を辿った。

「おじさんって呼んでいた」
「あの時のステラは父親という存在をどこかで怖がっていたんだと思う。それが急に自分の生活に入り込んできたことが、きっと不安だったんじゃないかしら」

 シリウスは少し黙り込み、その思いを噛みしめるように静かに過去を思い返していた。自分の下の子供が生まれるということはステラにとっても大きな変化だった。それを受け入れることができるかどうかはきっと彼女にとって大きな試練だったのだろう。

「だがお父さんと呼んでくれるようになった」
「そうね。最初は違和感があったかもしれないけど、時間が経つにつれて、少しずつ心が変わってきたんだと思う。お父さんとしての役割を果たしていく中で、ステラも自然と受け入れてくれたのよ?」

 その言葉を聞いて、シリウスは少し安心したような表情を浮かべた。ステラが彼を父親として認めてくれたことは何よりも嬉しい瞬間だった。
 しかし、その過程がどれほどステラにとって辛く、時間がかかったことを思い返すと、胸が痛む。

 ステラが『お父さん』と呼べるようになったことは彼にとって大きな一歩だった。しかし、今度はその立場を奪うような新たな存在が生まれたことが、ステラにとっては不安に感じるのかもしれない。弟が生まれることで、ステラは自分の位置がまた変わることが。

「ステラが弟をかわいいと思えるようになるには時間がかかるかもしれない。でも、その時間は必ず必要なものよ。無理に急がせないで、一緒にステラの気持ちに寄り添ってあげましょう?」

 アステルは穏やかに微笑む、その優しい笑顔がシリウスの心に安心感をもたらす。しかし、心の中では自分の言葉がどれだけステラを安心させることができるのか、少し不安な気持ちが残っていた。
 それでも、シリウスが一緒にいてくれるならきっと大丈夫だろうと思う。アステルはそう信じていた。
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