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第76歩 怨徴

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 大都会・東京、バブル期、土地の価格はうなぎ昇りで
日本の社会全体が浮かれ気味だった頃、乱立するビルの狭間で、ある怪奇現象が発生していた。
 
 介護職のTさんは若かった頃、欲しい車があり、とにかく金を稼ぎたかった。

新聞広告や職安の募集で
『寮・冷暖房完備、月給・手取り25万円』という触れ込みに乗って
遠い街から東京のビル工事現場で働くために上京した。

 職場の寮に着いてみると確かに冷暖房は完備だが
寮とは名ばかりでプレハブに布団があるだけで
粗末なトイレに小さな風呂も共同だった。

『これは・・・やられた・・・かな』

 同僚も年齢がバラバラで、みんな、どこか、うらぶれた感じの人が多く
無愛想で不親切な者も多かった。

 食事は各自、自由だったが毎日、朝昼晩、ほか弁を頼みたい者は
前もって予約して配達してもらうという事だった。

 仕事は決まっておらず手の足りないところに配置される作業員だった。

危険な高所や技術のいる工事は職人が通いで来ていた。

 辛かった事は、たくさんあるが粗末なプレハブで
イビキのひどい連中との雑魚寝ざこねが耐えられなかった。

 気の休まらない仲間との現場。

せめて睡眠だけは充分にとりたかったが
会社の近くに部屋を借りたくとも
毎月安くて五万以上は家賃で飛んでいく、
その前に保証人なしでは借りることもできない。

サウナやカプセルホテルを根城にしている者もいたが
自分はどうしようかと
毎日、考えていた。

カプセルサウナでも月5万以上かかるが保証人もいらないし
晩飯も自由、何より大きい風呂が魅力的でイビキも気にならない。
だが寮なら無料だった。

毎日、考えているうちにプレハブで事件が起こった。

「いでーっ」

「痛い、つー痛たあー」

夜中二時頃、雑魚寝の、あちこちで悲鳴が上がった。
騒ぎだした仲間にTさんも目を覚ました。

「誰だ!つーっ痛えなあ」

何人かが腕、頭、足に噛み付かれたという。

「なんだ、なんだ」みんな起きた。

だが気に入らない人間はいるかもしれないが
汚い頭や足に噛み付くような、
おかしな奴は誰なのか想像もつかなかった。

 そして次の日も、また次の日も噛み付きは止まなかった。

中には、ひどい傷を負い頭から出血したり足の指をやられて
歩行に支障の出る人も現れた。

 そして、とうとうTさんも夜中に
―ガブリッ
背中と肩を噛みつかれた。

「あーっ!いってぇーっ!!」

傷はハッキリ人間の歯型で深く噛まれており出血していた。

何より背中が痛く自分で消毒もできないので
仲間に見てもらい傷薬を施してもらった。

「一体何なんだ」
作業員たちが会社や監督に次々苦情を言った。

その日の夜。
今まで大人しかった作業員仲間が、みんなの前で言い出した。

「心当たりが、ある」

 実は数日前、今の現場敷地内から大量の人骨が出たという。

その場にいた数人が骨を集め頭陀袋ずだぶくろに入れて
ゴミと一緒に捨てたのだという。
メンバーには箝口令かんこうれいが敷かれ些少さしょうの手当が支給されたというのだ。

 みんな不満が爆発した。

「なんだよそれ!」

「手当をもらうなら俺たち怪我人だろうがっ!」

「そうだそうだ」

「監督を吊し上げよう!」

その時
「まま・・・みんな、聞いてくれ・・なぁ・・なっ・・」

永く此処にいる初老の作業員が立ち上がって

「こういう現場では、たまにあることだから、手当と怪我の事も
俺から監督に言うから騒がないように」と、みんなを、たしなめた。
 
 話では捨てられたと思っていた骨は、まだ保管しており
警察に相談し出土した場所から記録が調べられ、
その昔の受刑者や強制労働で死亡した人たちのものではないかと
目星がついて会社で手厚く供養する、ということだった。
 
 だがTさんは日頃の不満も手伝い歯型の残った体で会社に向かい、
すぐに退職を申し出た。

 あの渾身こんしんの力で噛み付かれ背中や肩を
怪我したのは忘れられないし、
すごい怨みを感じていて供養したところで、
もっと取り返しのつかない事故や怪我をする前に

「辞めたよ」と苦い顔をしてTさんは私を見ました。
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