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四六篇
フレディ・マーキュリー
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結論から言えば、Queenは大阪で解散発表などしなかった。
とても素晴らしいライブだった。月並みではあるけれど、そうとしか表現できやしない。
僕達の心配は(嬉しいことだけども)杞憂に終わった。
その二か月後、1985年7月13日。
アフリカ難民救済の名目で行われた伝説のチャリティーイベント"ライブ・エイド"でウェンブリー・スタジアムの観客を虜にしたQueenは奇跡的に復活を成し遂げた。彼らは再び輝きを取り戻すことに成功したのだ。
1991年11月25日。
その時、僕は二十四歳になっていて、大学卒業後は東京で日本街路公団に勤めていた。
京都にいた爽子から電話をもらったのはその日の正午過ぎだった。
食堂でさば定食を食べているところを呼び出された。
「ねえ、知ってる? 昨日、フレディが亡くなったって……」
それを聞いても、僕はさほど驚かなかった。
痩せこけた彼の姿は以前から報道されていて、もはや命が長くないことは容易に想像できたし、その死因がエイズによるものだと知ったところで失望もしなかった。彼の当時のパートナーは男性であるジム・ハットンだ。
僕はただ、「そう……」とだけ答えておいた。
フレディ・マーキュリーが死んでしまっても、僕の中には彼の魂が生きている。
肉体など所詮は容れ物に過ぎない。彼は生きたいように生き、そして死んだ。
死んでなお、彼は歌うことをやめていない以上、今後も何一つ変わりやしないのだ。
僕が爽子によってフレディの死を聞かされた瞬間、ここから一万三千㎞以上離れている次彦にもその情報が届いている。
何しろ僕達は世界で一番のパーフェクトな一卵性双生児だから。
彼は今、中米コスタリカで蛙の研究をしている。
調査員になったきっかけは、六年前のあの新幹線での爽子の一言、
「おヘソがないなんて蛙みたい」
それを受けて、次彦は水掻きのない蛙王子になる決意をした。
あの時、僕達は爽子と違って明確な将来像を描いていなかった。
漠然と大学に進学し、適当に働ければそれでいいと……。
けれども、一つだけ拘りがあった。
それは僕と次彦はそれぞれ全く異なる道を歩むということ。
そもそも、同じ高校へ通うことさえ大きな抵抗があった。似過ぎているが故に、僕達は共に行動することに苦痛を感じていたからだ。
しかしながら、両親はそんな息子達の思いなど尊重する人種ではなかった。
彼らはどうしても僕達をセットで管理しなければならない事情があったようだ。
両親は僕達に関しては驚くほど無関心だった。
その実、彼等は僕達をとても注意深く監視している節があった。
無関心でありつつ管理……矛盾しているようだけれども、恰も放牧している羊にマイクロチップを埋め込んでいるような距離感だ。
親からの愛情を殆ど感じぬままに僕達は成長し、やがて自立した。
この頃には漸く、彼等の監視の目は緩やかになった。
僕達にとって両親は謎の存在だった。
まず第一に、僕達は父親の職業を知らない。母は専業主婦だった(その割に、殆ど家にいなかったが)。
にも拘わらず、家計は少しも逼迫していなかった。
両親がどのようにして収入を得ていたのかは、いまだわからないままである。
ただ一度、父親が酔った勢いで、
「俺は霞が関で働いている」
そう豪語したことが一度だけあった。
霞が関と言えば、行政機関の庁舎が集中している日本の中枢だ。
パチンコ狂いのアル中人間にしては、なかなかの冗談だと思う。
今現在、僕は父と違って実際そこに勤めている(その父は昨年、肝臓癌で他界してしまったが)。
そして近々、北陸支社へ転勤しなければならない。場所は多分、富山だろう。
来春、京都の芸大を卒業する爽子はその地に留まり、先輩の工房を手伝う予定だという。収入はそれほど期待できないので、レンタルビデオのアルバイトを今後も継続するようだ。
彼女は自己の追求のために創作活動を望み、そのような人生設計を選択したのだ。
それを僕が取り上げる権利などあるわけがない。
「わざわざ知らせてくれてありがとう。じゃあね。早いとこ食事を済ませて外を回らないといけないから」
電話を切ろうとする僕に、爽子は「待って」と、それを阻止。
「忙しいのはわかってるけど……でも、どうしても訊きたいことがあるの」
「何だろう?」
「一彦さんにじゃなくて。……ねえ、コレって次彦さんにも聞こえてるのよね?」
「うん。アイツは今、机に向かって、アカメアマガエルのレポートを書いてるよ。時刻は夜の九時過ぎ」
そこで長い沈黙に入る爽子。
困ったな。
このままじゃ、昼食を全部平らげることなく木更津へ向かわなければならない。夕食の時間が確保できるかも怪しいもんだ。
尤も、東京湾アクアラインが開通する年に僕はもう東京にいないけれど。
やがて、爽子が重たい口を開いて言う。
「……ねえ、どうしてコスタリカなんかに逃げたの?」
次彦の想いは間違いなく爽子に届いていて、それでもアイツはそれを口にしなかった。両想いでありながら躊躇する二人。そこに付け入る隙など全くない。
ますます、僕は爽子を富山へ誘えなくなった。
雨季が過ぎようとしているコスタリカの安いコテージで、次彦は忌々しそうに舌打ちをする。
――おい、一彦。おまえはいつまで自分の気持ちに嘘をついてるんだ?
The Great Pretender
Queenではなく、フレディのソロ曲。
Oh yes I'm the great pretender
そう、僕は偉大な嘘つき
Pretending I'm doing well
己をうまく偽れる
電話はそのまま切れた。
憂鬱な月曜の午後は始まったばかりだ。
とても素晴らしいライブだった。月並みではあるけれど、そうとしか表現できやしない。
僕達の心配は(嬉しいことだけども)杞憂に終わった。
その二か月後、1985年7月13日。
アフリカ難民救済の名目で行われた伝説のチャリティーイベント"ライブ・エイド"でウェンブリー・スタジアムの観客を虜にしたQueenは奇跡的に復活を成し遂げた。彼らは再び輝きを取り戻すことに成功したのだ。
1991年11月25日。
その時、僕は二十四歳になっていて、大学卒業後は東京で日本街路公団に勤めていた。
京都にいた爽子から電話をもらったのはその日の正午過ぎだった。
食堂でさば定食を食べているところを呼び出された。
「ねえ、知ってる? 昨日、フレディが亡くなったって……」
それを聞いても、僕はさほど驚かなかった。
痩せこけた彼の姿は以前から報道されていて、もはや命が長くないことは容易に想像できたし、その死因がエイズによるものだと知ったところで失望もしなかった。彼の当時のパートナーは男性であるジム・ハットンだ。
僕はただ、「そう……」とだけ答えておいた。
フレディ・マーキュリーが死んでしまっても、僕の中には彼の魂が生きている。
肉体など所詮は容れ物に過ぎない。彼は生きたいように生き、そして死んだ。
死んでなお、彼は歌うことをやめていない以上、今後も何一つ変わりやしないのだ。
僕が爽子によってフレディの死を聞かされた瞬間、ここから一万三千㎞以上離れている次彦にもその情報が届いている。
何しろ僕達は世界で一番のパーフェクトな一卵性双生児だから。
彼は今、中米コスタリカで蛙の研究をしている。
調査員になったきっかけは、六年前のあの新幹線での爽子の一言、
「おヘソがないなんて蛙みたい」
それを受けて、次彦は水掻きのない蛙王子になる決意をした。
あの時、僕達は爽子と違って明確な将来像を描いていなかった。
漠然と大学に進学し、適当に働ければそれでいいと……。
けれども、一つだけ拘りがあった。
それは僕と次彦はそれぞれ全く異なる道を歩むということ。
そもそも、同じ高校へ通うことさえ大きな抵抗があった。似過ぎているが故に、僕達は共に行動することに苦痛を感じていたからだ。
しかしながら、両親はそんな息子達の思いなど尊重する人種ではなかった。
彼らはどうしても僕達をセットで管理しなければならない事情があったようだ。
両親は僕達に関しては驚くほど無関心だった。
その実、彼等は僕達をとても注意深く監視している節があった。
無関心でありつつ管理……矛盾しているようだけれども、恰も放牧している羊にマイクロチップを埋め込んでいるような距離感だ。
親からの愛情を殆ど感じぬままに僕達は成長し、やがて自立した。
この頃には漸く、彼等の監視の目は緩やかになった。
僕達にとって両親は謎の存在だった。
まず第一に、僕達は父親の職業を知らない。母は専業主婦だった(その割に、殆ど家にいなかったが)。
にも拘わらず、家計は少しも逼迫していなかった。
両親がどのようにして収入を得ていたのかは、いまだわからないままである。
ただ一度、父親が酔った勢いで、
「俺は霞が関で働いている」
そう豪語したことが一度だけあった。
霞が関と言えば、行政機関の庁舎が集中している日本の中枢だ。
パチンコ狂いのアル中人間にしては、なかなかの冗談だと思う。
今現在、僕は父と違って実際そこに勤めている(その父は昨年、肝臓癌で他界してしまったが)。
そして近々、北陸支社へ転勤しなければならない。場所は多分、富山だろう。
来春、京都の芸大を卒業する爽子はその地に留まり、先輩の工房を手伝う予定だという。収入はそれほど期待できないので、レンタルビデオのアルバイトを今後も継続するようだ。
彼女は自己の追求のために創作活動を望み、そのような人生設計を選択したのだ。
それを僕が取り上げる権利などあるわけがない。
「わざわざ知らせてくれてありがとう。じゃあね。早いとこ食事を済ませて外を回らないといけないから」
電話を切ろうとする僕に、爽子は「待って」と、それを阻止。
「忙しいのはわかってるけど……でも、どうしても訊きたいことがあるの」
「何だろう?」
「一彦さんにじゃなくて。……ねえ、コレって次彦さんにも聞こえてるのよね?」
「うん。アイツは今、机に向かって、アカメアマガエルのレポートを書いてるよ。時刻は夜の九時過ぎ」
そこで長い沈黙に入る爽子。
困ったな。
このままじゃ、昼食を全部平らげることなく木更津へ向かわなければならない。夕食の時間が確保できるかも怪しいもんだ。
尤も、東京湾アクアラインが開通する年に僕はもう東京にいないけれど。
やがて、爽子が重たい口を開いて言う。
「……ねえ、どうしてコスタリカなんかに逃げたの?」
次彦の想いは間違いなく爽子に届いていて、それでもアイツはそれを口にしなかった。両想いでありながら躊躇する二人。そこに付け入る隙など全くない。
ますます、僕は爽子を富山へ誘えなくなった。
雨季が過ぎようとしているコスタリカの安いコテージで、次彦は忌々しそうに舌打ちをする。
――おい、一彦。おまえはいつまで自分の気持ちに嘘をついてるんだ?
The Great Pretender
Queenではなく、フレディのソロ曲。
Oh yes I'm the great pretender
そう、僕は偉大な嘘つき
Pretending I'm doing well
己をうまく偽れる
電話はそのまま切れた。
憂鬱な月曜の午後は始まったばかりだ。
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