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四六篇

阪神・淡路大震災

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 1990年代になると、僕の勤務する日本街路公団含め四つの特殊法人の腐敗が次々と世間へ明るみになっていった。
 そこには多額の負債を産み出すシステムが長年に渡ってズルズルと引き継がれていた。天下り、談合、街路族議員による利権政治……国鉄と同じだ。
 必然、街路関係四公団の解体と民営化への流れが世論に支持されるようになっていた。末端で真面目に勤労に勤しむ僕達にしてみればいい迷惑だ。
 そんな最中、1995年1月17日に兵庫県南部地震が発生した。
 後に言われる阪神・淡路大震災である。

 当時、僕は二十八歳になろうとしていて富山の独身寮で生活をしていたが、早朝のテレビに映し出されたその信じられない光景に僕や同僚は唖然とした。高速道路(阪神高速神戸線)の倒壊・落橋である。
 それは僕達にしてみれば悪夢そのものだった。
 神戸は日本街路公団の管轄外であったにせよ、とても他人事とは思えなかった。
 だが、僕はそれ以上に京都に住んでいる爽子の安否が気になった。
 言うまでもなく、神戸と京都では70㎞以上も離れているので同様の被害があるとは思えなかったけれど、彼女がその災害発生時に京都にいた保証はどこにもない。
 僕は食堂のテレビに群がる同僚達から離れて爽子に連絡を試みるも、電話は一向に繋がらなかった。

 もどかしい。
 今はコスタリカを離れ、南米アマゾン川流域にいる次彦にはすぐに意思の疎通ができるというのに。
 次彦も僕の心配はしていない。何故なら、僕自身は身の危険を感じていないからだ。

 それよりも、一抹の不安がよぎる。

 確か、彼女と工房を共にする先輩は兵庫県出身ではなかったか?

 二十六になる爽子は今でも独り身だった(例の大学生のいとこは痺れを切らしたかどうかは定かじゃないが、昨年に同い年の保育士と結婚していた)。
 大学卒業時に爽子は学芸員の資格を取得していたものの、相変わらず彼女は京都市内にある小さな工房で己の作品作りに精を出しながら、その傍ら工芸教室で老若男女に簡単な手ほどきをして生計を立てていた。
 さすがにレンタルビデオのバイトは辞めていた。多分、工房の仕事に忙殺されているのだろう。
 爽子は店を辞める前に一本のビデオを僕に送ってきた。レンタル落ちの『愛と青春の旅立ち』だ。
 あまり気乗りはしなかったけれど、いずれ感想を求められるだろうから、東京を去る直前に渋々観た記憶がある。

 率直に。
 この映画の肝は絶望と苦悩を経て士官になったザックではなく、士官と結婚を夢見る女工のポーラでもなく、はたまたその二人のハッピーエンドでもない。
 ザック達を徹底的にしごき、その試練に見事打ち克った卒業生は皆自分の上司になってしまう鬼軍曹フォーリーの悲哀にある。
 その背景にはそれぞれ複雑な生い立ちとそれに伴うコンプレックスが鏤められていて、脇を固める人物にも様々な葛藤がある。映画としては秀逸だと僕も思う。
 けれども、これだけ爽子がこの映画を僕に推してくるのは何かの暗示だろうかと勘ぐってしまう。

 僕は京都まで足を運んで、リチャード・ギアばりに彼女を迎えに行かなくてはならないのだろうか?

 それを望んでいるのは彼女だけではなく、僕自身もそうじゃないのか?

 ――一彦、今がその時じゃないのか? 簡単なことだ。連絡が取れないなら会いに行けよ。無論、ある程度の混乱が去ってからだけど。……今度は逃げるな。

 地球の裏側で次彦がそう助言する。……助言?

 ――よく言う。フレディの死んだ翌日、次彦は爽子に咎められたんだぜ。「どうしてコスタリカなんかに逃げた」ってな。

 ――おいおい、先に逃げたのは一彦だろ? 十年前を忘れたか? 京都駅で爽子が言ったことに対し、一彦は応えてやらなかった。



「次彦さん。申し訳ないですけど、一彦さんと席を代わってくれませんか?」



 確かにそうだ。

 だけどな、次彦。
 あの時、席を代わったところで一体この僕に何ができたんだ?

 爽子はあの時から今の今まで、次彦のことが好きなままなんだ。その対象はこの僕なんかじゃない。
 たとえ僕達が世界で一番のパーフェクトな一卵性双生児であったとしても。
 僕に次彦の代わりは務まらないし、逆も然り。
 そう望んだからこそ、僕達はこうしてお互い別々の道を歩んでいるんじゃないのか?

 ――そうだとしても……

 次彦は深々と溜息をつきながら言った。

 ――爽子に対する一彦の想いに偽りはない。爽子が一彦を拒絶するかどうかなんて二の次だ。

 ――認めるさ。それと同時に、その気持ちを偽って生きていかなきゃならないのも事実だ。

 ――偽りのないことを偽っている、と。

 ――その通り。

 だけども、僕は爽子の拒絶が怖くて逃げてるんじゃない。いや、逃げてすらいない。


 The Show Must Go On

 
 僕は演じ続けなければならないんだ。
 さしずめ、僕は次彦と爽子の行く末をただただ見届ける哀しき軍曹だ。


 実際、僕は爽子と会わなかった。次彦の説得にも頑なに応じなかった。
 転機が訪れたのはそれから四年後のこと。東京に残っていた僕達の母が死んでからだった。

 一人の女性が喪主を務める僕の前に現れた。


 宇田島貞子


 聞いたことのない名前だった。
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