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四六篇

柔らかカツサンド

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「おなかが空きました」

 会話が途切れ、新幹線が静岡を通過したあたりで爽子がそう切り出した。確かに彼女はよく喋ったし、お昼時はとっくに過ぎている。
 もしかしたら、荷棚に載せてやったマリンボーダーのボストンバッグに弁当が入ってるかもしれない。
 そう思った次彦は気を利かせて腰を浮かせようとしたところで、化粧の濃いパーサーが前からワゴンを押してきた。

「お昼、買っていいですか?」

 ワゴンを指をさして、わざわざ次彦に許可を求める。律儀なコだ。 

「勿論いいよ。僕は自分のを用意してるから」

 通路側に座る彼女は手を挙げてパーサーを呼び止め、少し迷ってから柔らかカツサンドとオレンジジュースを注文した。
 次彦はその間に、足元に置いてあったリュックから僕と同じ"品川貝つくし"とお茶を取り出した。
 ちなみに、僕はそれらをとっくに平らげている。

「あ、お財布……」
「ん?」

 しまったという表情の彼女。
 その目線を辿ると、どうやら財布は荷棚のボストンバッグの中らしい。
 次彦はもう膝の上に弁当を広げていたので、今更立ち上がるのも面倒だと感じていた。

「幾ら?」
「え……」
「ここは払っとくよ。待たせちゃ悪いし」
「あ、ご、ごめんなさい」

 申し訳なさそうにペコペコ頭を下げる爽子に対し、次彦は「別に奢るわけじゃないから」と言ってさりげなく笑う。
 それにつられて、爽子とパーサーも笑った。

「んじゃ、お言葉に甘えて。食べ終わったら返しますね」
「うん」

 たかがサンドイッチとジュース代くらい奢ってやればカッコよかったけれど、哀しいかな、僕達は親から小遣いをもらう身分の高校生に過ぎない。校則も厳しくバイトもままならないし。
 そういう意味で経済面に於いても大学生とは勝負にならない。……え? 次彦、何を意識している?

 ――意識しているのは僕だけじゃないだろ。

 ――つまり、次彦はそれを認めるのか?

 ――少しは。

 ――やめとけ。ダスティン・ホフマンにでもなる積もりか?

 ――リチャード・ギアだよ。

 ――観たことないくせに。

 ――お互いにね。でも多分、ダスティン・ホフマンよりはずっとスマートに女性のハートを掴むんだよ、きっと。

 ――どっちにしろ、僕達はただの高校生でこれは現実なんだ。ご都合主義の映画と一緒にするな。

 ――でも、一彦は気づいてるだろ? 彼女がどうして初対面の僕なんかにあんなことを打ち明けたのか……?


 それは彼女の問題であって、僕達の問題ではない。
 次彦には悪いけれど、これ以上僕は関与しない。
 僕達が大阪へ向かう理由はただ一つ。Queenのメッセージをこの耳でしかと受け止める以外何もない。
 全てを遮断して、僕は再びウォークマンの世界に入り浸る。……無論、世界で一番のパーフェクトな一卵性双生児にそんなことは不可能だが。


 ――そうかい。わかったよ、一彦オリジナル。なら、僕は僕でやりたいようにやるさ。

 
 無言で昼食に取り掛かる次彦と爽子は、それからも殆ど会話はしなかった。
 爽子は親しくもない相手に胸の内を明かしたことをとても後悔しているように見えたし、次彦は次彦で意図的に沈黙の壁を築いている。

「あの、食べます?」

 突然、爽子がカツサンドを差し出した。

「多くて全部は食べられないんで」
「いいの?」
「はい」

 弁当の量にやや物足りなさを感じていた次彦は遠慮なく、それに手を伸ばす。

「じゃ、お代はいいよ」
「え? でも、それとこれとは別なんで……」
「いいんだ。僕はとてもキミの王子様になれそうもないから。それに、タダでサンドイッチをもらうわけにもいかない。奢りでもなくなったしね」
「だって、あたしがお願いしたんだから」

 次彦は何も言わずにカツサンドにパクつく。それ以上の押し問答は野暮だ。
 新幹線は間もなく愛知県に差し掛かるところで、ふと次彦が妙なことを思いついた。

「そういや、この辺の名物って味噌カツだよね」
「あと、味噌煮込みうどんとか? 確か、おでんも味噌だった気がする。名古屋の人って、ホントお味噌が好きなのね」
「じゃあさ、味噌カツでサンドイッチなんか作ったりするのかな?」
「えー、それはどうかなぁ? ちょっと想像できないかも」

 味噌カツサンド?

 どうしてだろう、と次彦は首を捻る。
 何故そんな奇妙な発想が生じたのか、彼には(僕にも)全く意味がわからなかった。

 その話題を皮切りに、次彦はいよいよに乗り出す。


「もし、リチャード・ギアにへそがなかったとしても、彼はキミの王子様足り得るんだろうか?」

 たっぷりと間を置いてから「え?」と爽子が訊く。
 無理もないけれど、彼女は控えめに言ってかなり戸惑っている。

「……おヘソのこと?」
「そう」
「わかってると思うけれど、リチャード・ギアはれっきとした模範的な哺乳類だから。おヘソがないなんて蛙みたい」
「ならば、僕は蛙王子だ。水掻きこそないけどね」
「ちょ……何言ってんです?」

 爽子は落ち着かせるためにオレンジジュースを一口含み、喉を鳴らしてそれを飲んだ。

「冗談だとしても笑えない。今の次彦さんの顔、とっても怖くなってるもん」
「キミの目に映る今の僕こそが本物の姿だよ。キミに好かれたいと一瞬でも思った自分自身が腹立たしい。……だけどね、爽子さん。兄の一彦は至極まともだよ。へそだってちゃんとある。リチャード・ギアには程遠いけれどね。東京に戻ったら友達としてたまに会ってやってほしい。勿論、キミにはこれを断る権利がある」

 爽子の表情が見る見る強張っていく。

「あたしは次彦さんのお兄さんに会ったことがない。例え次彦さんとそっくりな一卵性双生児だとしても、あたしが知ってるのは次彦さんだけなの。あなたのお兄さんはあなたの代わりにはなれないんだから」
「なれるさ。一彦は僕の全てを兼ね備えている。でも、逆に僕は一彦の代わりにはなれない。次彦は一彦の十分条件であるけれども、その逆は"偽"となる」
「わからない……。次彦さんはどうしてそうやって自分を卑下するの?」
「卑下とは違う。僕にはとキミは指摘した。その通りだ。へそだけじゃない。僕には僕を形成するアイデンティティというものが全くない。何故なら、僕は一彦のクローンだからね」


 ――次彦、いい加減にしろ! 東京で僕が爽子と会う? 一体、誰がそんなこと頼んだ?

 ――これが僕の独断とでも言いたいのか? 忘れてくれるな。この僕は一彦の本心を伝えるスピーカーに過ぎないんだぜ。


 爽子はそれから押し黙って、オレンジジュースの容器をじっと見続けたまま動かなくなった。
 とても重くて長い時間に包まれて、新幹線はただただ機械的に西へ西へと僕達を運んでいく。


 京都駅で停車中に、漸く爽子が口を開いた。

「次彦さん。申し訳ないですけど、一彦さんと席を代わってくれませんか?」
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