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第4章
カタリウムは人を選ぶ 7
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ニーリフへと向かう馬車の中、ユージンは終始いびきをかいて爆睡していた。
「……懲りんやっちゃな。隙だらけやん」
感傷に浸ることもままならないヒエンは、それでもキラースが赴く竜観庁のことをずっと考えていた。
南ナニワーム島の果てから僅かに見えるかつては無人島だった場所に、巨大な塔が建てられたのはここ二十年のことでその歴史はまだ浅い。
毎日飛行する竜の観測を名目に建てられたナニワーム公国とシバルウ王国の共同施設であり、そこには五人前後の兵が常駐している。
ナニワーム公国の他の見張り台同様ノロシを上げるが、一番の目的は竜の生態を研究することにある。
彼らは寝食全てを塔の中で過ごす。
日誌を書いては十日ごとにやってくる連絡船に知り得た情報を渡し、日常生活に必要な物資をナニワームの公船から受け取る。
彼らは勿論、島にやって来るシーリザードを自力で倒さなければならない。
だが、塔の防備は優れていたし、見張りさえ怠らなければ被害に遭うことはまずなかった。
シーリザードにしてみればわざわざ槍で突かれるために塔をよじ登るようなものだ。
一番近いこの竜観庁を襲うより、ナニワーム島や大陸のイニア港、またはテフランド湾まで泳いだ方が人肉にありつけることを彼らは本能的に知っている。
さりとて、竜観庁が安全な場所だとは決して言えない。
最前線で勤務する者全員が権力者から疎んじられたり危険人物だと見なされた者で構成されていて、余程のことでない限り内地に戻されることはなかった。
意味があるとは思えない竜の観測といつ襲ってくるかわからないシーリザードの脅威にさらされながら、何の希望もなく日々を過ごさなければならないという閉塞感……彼らの主な死因は精神疾患による塔からの飛び降り自殺である。
国務に就きながら監獄よりも過酷な場所と言われるその島へ、キラースはもうすぐ行ってしまう。
「……コイツは平和やな」
ふと、ヒエンは隣で豪快に眠っているユージンが竜観庁に行く姿を想像した。
そして、気づく。
それは絶対にあり得ない!
可能性的にはゼロではない。
何しろ、これだけ傍若無人の男で敵も多いだろうから。
だが、そういう意味ではない。
自分の中で到底受け入れられないこととしてそれは絶対にあり得ないのだ。
意外だった。
キラース以上にユージン・ナガロックという男はもはや自分にとって大きすぎる存在になってしまっている。
もし、ユージンが自分の前から忽然と姿を消してしまったら、今とは比較にならないほどの喪失感に打ちひしがれることだろう。
何故だ?
喋ればいつも口喧嘩ばかりしてるし、見た目は最悪レベルだし、デリカシーのカケラもないこんな男が……。
「――ッ!!! な、何事やあぁッ?」
いきなり馬車が急停車した。
気持ち良さそうに眠っていたユージン、派手に座席から倒れて盾の縁部分にイヤと言うほど頭を強打して額から血をダラダラ流しているが、そんなことよりもヒエンは急停車の原因が気になった。
御者を怒鳴りつけようと思ったが、それより先に御者の方が、
「テメエッ、いきなり危ないだろッ! 轢き殺すところだったぞ!」
と、大声を出したので、ヒエンは怒りの矛先を御者から外の人物に変えた。
客室の扉を開けて飛び降りたヒエンは、二頭の馬の前に立っている年若の狩人を見て思わず声を失った。
相手も自分以上に驚いている。
「……ヒエン? ヒエンだよね? どうしてここに?」
ようやく落ち着きを取り戻したヒエンはムッとしながら口を開く。
「それはこっちのセリフやで、ダスト。……御者のオッサンの言う通りや。ここで轢き殺されてもオマエの方が悪いし、そうなったらオマエのオカンを無駄に悲しませるだけや」
一瞬、表情を曇らせダストが黙り込んだので、間を嫌ったヒエンは御者に向かって訊く。
「オッサン! ここはまだニーリフやないな?」
「へい、ニーリフまで後三回ほど、便所休憩を入れさしてもらう予定でがす」
そこへ、流血で真っ赤な顔のユージンも鬼の形相で馬車を降りてきた。
短い白髪の一部も血に染まっている。
「ヒエン! そいつが例のダストってガキか? オレをこんな目に遭わせやがってタダじゃおかねぇからな!」
「それはオマエの不注意が原因やろ。ツバでもつけとけ」
改めてヒエンはダストに向かい合う。
「こんなとこまで何しに来たんや? 街道にウサギやアナグマはおらんやろ」
「呼ばれたから来たんだ。……まさか、ヒエンが一緒だとは夢にも思わなかったけどね」
「呼ばれた? 誰に?」
「中にいる」
そう言ったダストは、ヒエンの横を過ぎて勝手に客室に入って行く。
まさか、と思う。
ヒエンとユージンは顔を見合わせた。
そのまさかが現実となって二人の前に現れる。
ダストは大事そうにロング・ボウを抱えて「この人に」と、差し出しながら答えた。
「カタリウムの声を……聞いたのか?」
ユージンには到底それが信じられなかった。
(耳がいいとは聞いちゃいたが、こういうことかよ……)
だが、それでいて目の前の華奢な少年があの厄介なロング・ボウを扱えるとは思えない。
「オメエにソイツが……」
そう言いかけた時だった。
突然、空高く飛ぶ猛禽類に向けて片目を閉じたダストは、いとも簡単に弓を引くポーズをとった。
カタリウムの弦は目一杯に引っ張られ、そして放たれる。
そこにロング・ボウの矢を番えていたならば、あの鳥は今頃心臓を射抜かれて地面に真っ逆さまだろう。
カタリウムは人を選ぶ。
そして、ダストは選ばれたのだ。
「古いけど強い弓だね。普通は空撃ちなんかしたら弓や弦が傷んじゃうのに」
構えを解いた少年、手にするロング・ボウを見つめながら褒める。
「譲りモンや」
惚れ惚れとした顔のヒエンは呆然と佇むユージンの肩を叩いて「どや?」と問い、ユージンは「ああ」と返す。
「……?」
ダストは二人の仕草に首を傾げながら訊ねる。
「あのさ、いきなり図々しいとは思うけれども……よかったら、これを僕に譲ってくれない?」
ヒエンは力強く頷く。
「信じられんかもしれんけど、ウチらはそれをオマエに渡すためにここまで来たんや。オマエ以外に誰もその弓は扱えんからな」
その返事を予想していたようで、ダストは大して驚きもしない。
「ありがとう。弓も喜んでくれてる」
ダストはしばらくそのロング・ボウに見入っていたが、その視線はゆっくりヒエンに移る。
「……ヒエン」
「ん?」
不吉な予感がした。
ダストの声のトーンが如実にそれを訴えている。
できることならその先は聞きたくないが、ヒエンは無言で受け止めるしかなかった。
ダストの頬から一筋の涙が伝う。
「母さんは死んだよ。ヒエンが旅立った二日後に」
「……ん」
ヒエンは思った。
ギタイナは息子が旅立てるようになるまで彼の成長を待って、無理に寿命を延ばして生きていたのかもしれない、と。
当然、その考えに何の根拠もないが。
「……懲りんやっちゃな。隙だらけやん」
感傷に浸ることもままならないヒエンは、それでもキラースが赴く竜観庁のことをずっと考えていた。
南ナニワーム島の果てから僅かに見えるかつては無人島だった場所に、巨大な塔が建てられたのはここ二十年のことでその歴史はまだ浅い。
毎日飛行する竜の観測を名目に建てられたナニワーム公国とシバルウ王国の共同施設であり、そこには五人前後の兵が常駐している。
ナニワーム公国の他の見張り台同様ノロシを上げるが、一番の目的は竜の生態を研究することにある。
彼らは寝食全てを塔の中で過ごす。
日誌を書いては十日ごとにやってくる連絡船に知り得た情報を渡し、日常生活に必要な物資をナニワームの公船から受け取る。
彼らは勿論、島にやって来るシーリザードを自力で倒さなければならない。
だが、塔の防備は優れていたし、見張りさえ怠らなければ被害に遭うことはまずなかった。
シーリザードにしてみればわざわざ槍で突かれるために塔をよじ登るようなものだ。
一番近いこの竜観庁を襲うより、ナニワーム島や大陸のイニア港、またはテフランド湾まで泳いだ方が人肉にありつけることを彼らは本能的に知っている。
さりとて、竜観庁が安全な場所だとは決して言えない。
最前線で勤務する者全員が権力者から疎んじられたり危険人物だと見なされた者で構成されていて、余程のことでない限り内地に戻されることはなかった。
意味があるとは思えない竜の観測といつ襲ってくるかわからないシーリザードの脅威にさらされながら、何の希望もなく日々を過ごさなければならないという閉塞感……彼らの主な死因は精神疾患による塔からの飛び降り自殺である。
国務に就きながら監獄よりも過酷な場所と言われるその島へ、キラースはもうすぐ行ってしまう。
「……コイツは平和やな」
ふと、ヒエンは隣で豪快に眠っているユージンが竜観庁に行く姿を想像した。
そして、気づく。
それは絶対にあり得ない!
可能性的にはゼロではない。
何しろ、これだけ傍若無人の男で敵も多いだろうから。
だが、そういう意味ではない。
自分の中で到底受け入れられないこととしてそれは絶対にあり得ないのだ。
意外だった。
キラース以上にユージン・ナガロックという男はもはや自分にとって大きすぎる存在になってしまっている。
もし、ユージンが自分の前から忽然と姿を消してしまったら、今とは比較にならないほどの喪失感に打ちひしがれることだろう。
何故だ?
喋ればいつも口喧嘩ばかりしてるし、見た目は最悪レベルだし、デリカシーのカケラもないこんな男が……。
「――ッ!!! な、何事やあぁッ?」
いきなり馬車が急停車した。
気持ち良さそうに眠っていたユージン、派手に座席から倒れて盾の縁部分にイヤと言うほど頭を強打して額から血をダラダラ流しているが、そんなことよりもヒエンは急停車の原因が気になった。
御者を怒鳴りつけようと思ったが、それより先に御者の方が、
「テメエッ、いきなり危ないだろッ! 轢き殺すところだったぞ!」
と、大声を出したので、ヒエンは怒りの矛先を御者から外の人物に変えた。
客室の扉を開けて飛び降りたヒエンは、二頭の馬の前に立っている年若の狩人を見て思わず声を失った。
相手も自分以上に驚いている。
「……ヒエン? ヒエンだよね? どうしてここに?」
ようやく落ち着きを取り戻したヒエンはムッとしながら口を開く。
「それはこっちのセリフやで、ダスト。……御者のオッサンの言う通りや。ここで轢き殺されてもオマエの方が悪いし、そうなったらオマエのオカンを無駄に悲しませるだけや」
一瞬、表情を曇らせダストが黙り込んだので、間を嫌ったヒエンは御者に向かって訊く。
「オッサン! ここはまだニーリフやないな?」
「へい、ニーリフまで後三回ほど、便所休憩を入れさしてもらう予定でがす」
そこへ、流血で真っ赤な顔のユージンも鬼の形相で馬車を降りてきた。
短い白髪の一部も血に染まっている。
「ヒエン! そいつが例のダストってガキか? オレをこんな目に遭わせやがってタダじゃおかねぇからな!」
「それはオマエの不注意が原因やろ。ツバでもつけとけ」
改めてヒエンはダストに向かい合う。
「こんなとこまで何しに来たんや? 街道にウサギやアナグマはおらんやろ」
「呼ばれたから来たんだ。……まさか、ヒエンが一緒だとは夢にも思わなかったけどね」
「呼ばれた? 誰に?」
「中にいる」
そう言ったダストは、ヒエンの横を過ぎて勝手に客室に入って行く。
まさか、と思う。
ヒエンとユージンは顔を見合わせた。
そのまさかが現実となって二人の前に現れる。
ダストは大事そうにロング・ボウを抱えて「この人に」と、差し出しながら答えた。
「カタリウムの声を……聞いたのか?」
ユージンには到底それが信じられなかった。
(耳がいいとは聞いちゃいたが、こういうことかよ……)
だが、それでいて目の前の華奢な少年があの厄介なロング・ボウを扱えるとは思えない。
「オメエにソイツが……」
そう言いかけた時だった。
突然、空高く飛ぶ猛禽類に向けて片目を閉じたダストは、いとも簡単に弓を引くポーズをとった。
カタリウムの弦は目一杯に引っ張られ、そして放たれる。
そこにロング・ボウの矢を番えていたならば、あの鳥は今頃心臓を射抜かれて地面に真っ逆さまだろう。
カタリウムは人を選ぶ。
そして、ダストは選ばれたのだ。
「古いけど強い弓だね。普通は空撃ちなんかしたら弓や弦が傷んじゃうのに」
構えを解いた少年、手にするロング・ボウを見つめながら褒める。
「譲りモンや」
惚れ惚れとした顔のヒエンは呆然と佇むユージンの肩を叩いて「どや?」と問い、ユージンは「ああ」と返す。
「……?」
ダストは二人の仕草に首を傾げながら訊ねる。
「あのさ、いきなり図々しいとは思うけれども……よかったら、これを僕に譲ってくれない?」
ヒエンは力強く頷く。
「信じられんかもしれんけど、ウチらはそれをオマエに渡すためにここまで来たんや。オマエ以外に誰もその弓は扱えんからな」
その返事を予想していたようで、ダストは大して驚きもしない。
「ありがとう。弓も喜んでくれてる」
ダストはしばらくそのロング・ボウに見入っていたが、その視線はゆっくりヒエンに移る。
「……ヒエン」
「ん?」
不吉な予感がした。
ダストの声のトーンが如実にそれを訴えている。
できることならその先は聞きたくないが、ヒエンは無言で受け止めるしかなかった。
ダストの頬から一筋の涙が伝う。
「母さんは死んだよ。ヒエンが旅立った二日後に」
「……ん」
ヒエンは思った。
ギタイナは息子が旅立てるようになるまで彼の成長を待って、無理に寿命を延ばして生きていたのかもしれない、と。
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