人を咥えて竜が舞う

よん

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第4章

カタリウムは人を選ぶ 6

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 ロザに着いた時は既に真っ暗だった。
 辻馬車を降り、村に一つしかないという宿を訪れる。
 二人の前に揉み手をしながら現れたのは、眼鏡を掛けた愛想のいい中年の男だった。

「いやあ、お客さんラッキーですよ。ちょうど一部屋だけ空いてございます」
「は?」

 ヒエンは我が耳を疑った。

「……一つだけ?」
「はい。お二人様、御一緒に御案内できます」
「ベ、ベッド別々やんな?」

 祈るようなヒエンの表情に対して、眼鏡の男は困ったように揉み手する。

「ツインルームはあいにく埋まっておりまして……ダブルのお部屋しか御用意できません」

 振り返ると、ニヤニヤ笑いながらユージンはヒエンの反応を楽しんでいる。
 ヒエンは気の毒そうな顔をしてユージンの肩にポンと手を置く。

「オマエ、健気やな。そんなに野宿が嬉しいんか?」

 ユージンの笑みは一瞬にして消え失せた。

「ふざけんじゃねぇぞッ! 部屋が空いてるのに何でわざわざ野宿しなきゃ何ねぇッ! しかもオメエじゃなくてオレかよ?」
「当たり前やん。ウチ、か弱い女子やで」
「こんな時だけ不自然なまばたきすんな! 暗殺者アサシン並みに気配消してオレを落とそうとした猛者が何言ってやがるッ! ダブルならオレとオマエが一緒に寝りゃいいじゃねえか!」
「一緒に……」

 ヒエン、あっという間に真っ赤になる。

「オ、オマエ、何回言わすんやッ! ウチは下ネタ嫌いや言うてるやろッ!」
「馬鹿野郎! 『一緒に寝る』のどこが下ネタだッ!」
「オマエのその不純丸出しの顔が下ネタそのものやッ! どうせなら兜も中途半端なヤツやなくて、鉄仮面でその不細工ヅラ丸ごと隠してまえッ!」
「謝れッ! オレにじゃなく、難産の末に健康に産んでくれたオレの母親に今すぐザールまで行って謝って来いやッ!」
「お、お客様……」

 揉み手をしながら仲裁に入ろうとする眼鏡の男。
 しかし、次第にヒートアップしていく二人の視界にその姿は映らない。

「ウチは昨日、検察署の石棺みたいにガチガチなベッドで満足に眠れてないんや! 黙ってウチにベッドを譲らんかい!」
「ヘッ、寝てるだけそっちはマシだぜ。オレなんて一睡もしてねぇんだからよ」
「そんなもんオマエの匙加減一つやないけ! 寝よう思たらいつでもジジイと一緒に寝れたんやからな!」
「だから、何でこのオレがジジイと『一緒に寝る』んだよ! 想像しただけで鳥肌が立つぜ!」
「オ、オマエ、ホンマもんのアホやろッ! ウチはそういう意味で『一緒に寝る』て言うたんちゃうわ!」
「オレだって、そういう意味で『一緒に寝る』って言ったんじゃねぇぞ!」
「お客様、あのですね……他のお客様に御迷惑が……」
「うるせぇッ! テメエは黙って手でも揉んでろッ!」

 ヒエンも眼鏡の男に何かを言おうとした時だった。
 体格のいい肌着姿の男が部屋から出てきてヒエンを驚かせた。

「そこの漫才コンビのお二人さん。明日の朝早いんでとっとと寝たいんだが、静かにしてもらえるかい?」

 振り返ったユージンも、その男のまさかの登場に驚いて言葉を失った。
 再会を喜ぶように、男は笑顔で二人を出迎えた。

「ナガロック殿。"待ち人遅けれどきたる"ですな。三日待った甲斐があるというものだ」

 そしてヒエンに向かって訊ねる。

「よう、生きてるか?」
「……今んとこな」

 ヒエンは目を伏せながらキラースに返した。

「そうか」

 相変わらず精悍な顔つきでキラースは満足そうに頷く。
 そこで妙な静寂が生まれる。
 ヒエンが最も嫌うイヤな間であるはずなのに、眼鏡の男の癖がうつったのか赤くなった彼女は手を合わせてモジモジしているだけである。

(……やれやれ)

 ユージンは急におとなしくなったヒエンの代わりに、仕方なく口を開く。

「珍しいところで会ったな。蜂蜜酒の件では世話になったぜ」

 キラースは苦笑する。

「あの部屋に酒を持って行ったのはあれが初めてだよ。臣長殿もよく許可したもんだ」
「すまなかった。今度一杯奢らせてくれ」

 ユージンの申し出に対し、キラースは目を閉じて首を振った。

「今度はない。明後日には竜観庁に飛ぶからな」
「りゅ、竜観庁ッ!」

 これにはユージンだけでなく、ヒエンも声を出して驚いた。

「オ、オメエ、それって南ナニワームのもっと南……事実上の島流しじゃねぇか! 臣長殿に盾突いたから左遷されちまったのか?」
「いや、志願したんだ」
「何でやッ?」

 悲愴な表情のヒエン、ユージンを押しのけてキラースの前に立った。

「ウチのせいなんかッ? ウチが……ウチがチルの思った通り動かんかったからか?」

 キラースは優しい微笑みを浮かべながら、

「そんな可愛い顔もできるんだな」

 と、ヒエンのクセのあるショートヘアを撫でた。
 その手を払いのけてヒエンは思い切り叫びたかった。
「アホか、オマエは! 竜観庁なんか行ったら死んでまうだけやろッ!」と……。
 しかし、今のヒエンにはそれができない。
 キラースに見つめられると、これまで経験したことのない痛みが胸に突き刺さって発すべき全ての言葉を奪っていったからだ。
 けれども、この瞬間が永遠に続いてほしいともヒエンは考えていた。
 少なくとも、この甘くせつない時間を解くのは自分ではない……。
 やがて、キラースが無情に現実世界へと引き戻す。

「オヤジさん」
「は、はい」
「ベッドの数で困ってるようだが、オレの部屋はツインだ。そして幸いなことにベッドが一台余ってる。新規の客、こっちに一人引き取ってやってもいいぜ」

 それを聞き、ヒエンはますます真っ赤になった。   
 もはや突き刺すどころの痛みじゃない。
 心臓が爆発寸前である。
 眼鏡の男は揉み手を解き放って諸手を挙げた。

「それは素晴らしい提案です! しかし、お客様はよろしいのですか?」

 キラースは頷き、

「ああ、いいぜ。……来いよ、ナガロック殿」

 と、ヒエンの脇を通り抜ける。
 当たり前だ。
 どうして自分が誘われると思ったのか、ヒエンは自分でもわからなかった。

 ……期待?

「実はサイドテーブルに酒がある。ワインだけど付き合うか?」
「ヘヘ、酒なら何でも来い、だ。――じゃあな、ヒエン。広くて柔らかいベッドで手足伸ばしてゆっくり寝てくれや」

 ユージンは自分とヒエンの二人分の宿泊代を受付カウンターに置き、バックパックと盾を持って先に行くキラースの後を追う。
 キラースはユージンの盾に興味を持ったのか二人で何やらやり取りしているが、ヒエンの耳には何も入ってこなかった。
 二人が部屋の中に入って行くまで、ヒエンは顔から血の気がサーッと引いていく感覚をじっくり噛みしめている。
 それは二人の大人から残酷に突き放された感覚だ。
 三人の中で悪いのは自分だとヒエンはわかっている。
 こんな時にいつもの自分らしさを貫けないのはまだ未熟な子供だからであり、二人を困らせたのはまぎれもなく自分自身なのだ。
 明日の朝早く、キラースは何も言わずに密かにこの宿を発つだろう。
 それはキラースの優しさなのだと思わなくてはならない。
 ヒエンの想いはキラースに通じているが、彼はその想いに応えられないし、淡い期待を十八歳の少女に持たせればそれは却って罪になる。
 そしてユージンもまた、それらを把握した上でいつものようにヒエンに接したのだ。


 眠れなかった。
 大きすぎるベッドの上は孤独な彼女をいっそう心細くさせる。
 朝が怖い。
 キラースは自分を置き去りにして遠い遠い場所に行ってしまうから……。
 この宿の一室にそのキラースがいる。
 初めて会った気がしない。
 タイプは全然違うが、それでも初恋のあの人に雰囲気がとても似ている。
 考えてみれば、も直轄領の出身だ。
 今なら彼のいる扉をノックすれば、もう一度あの顔を見ることができる。

 まだ間に合う。

 何に……?

 月がそう訊ねる。
 ヒエンは夜空に浮かぶそのハーフムーンが忌々しく感じた。
 朝が来ればその忌々しい月が姿を消す。
 キラースを道連れにして姿を消す。
 自分も一緒にそこへ連れて行ってほしいと思う。
 生きろと言ってくれた愛する人と共に、月に消されて死ねたらこの上ない幸せだろう。

 二十歳になるまで自分は死ななければならない。

 そして、その猶予は二年をとうに切っている。
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