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第4章
カタリウムは人を選ぶ 8
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パーティに加わったダストを乗せて、馬車は進路をグレンナに変更する。
ダスト愛用のショート・ボウと斜め掛けの矢筒には六本分の矢羽、腰には牛刀の入った鞘とベルトポーチが確認できるが、彼の荷物はそれだけでバックパックすら持っていない。
ヒエンの横にダストが座り、進行方向を背にしてユージンが武具や他の荷物を横にして座っている。
これ見よがしに包帯で巻かれた頭をさすりながら、ユージンは吐き捨てるように言う。
「オイ、ガキ。これから二張の弓を使い分ける気か?」
ダストは「わからない」と答えた。
「わからないだと?」
ユージンは顔をしかめた。
「このロング・ボウを武器として使うかはまだわからない。僕がやらなければならないのはこれを元の場所に返すことだよ」
「例の"声"がそう指示してるんか?」
ヒエンが訊く。
「指示って言うかお願いっぽいと思う。言葉の意味がわかんないから耳から伝わった感覚で僕なりに解釈するしかないんだ」
そう答えてから、ダストは今更ながら二人が自分に会いに来たことに疑問を感じた。
「ねえ、ヒエン。確かキミは王様の家臣に護身術を教えに主城へ行ったんじゃなかった? それにこの人は誰? どうして僕のことを知ってるの?」
「ソイツとは主城で会うたんや。臣長の部屋で酒飲んで暴れとったからウチが臣長から銀貨一枚で引き取ったった。紹介しよう。囚人のシュー・ジンです」
「テメエ、真顔で中途半端な嘘ついてんじゃねぇッ! 誰だ、シュー・ジンて!」
ユージンが怒りを増す度に頭の包帯がどんどん赤く滲んでいく。
ヒエンは密かにそれを楽しんでいる。
「知らねぇなら教えといてやるよ。オレはユージン・ナガロック。ザール出身だが今は住所不定の傭兵だ。特技はシーリザード殺し。好きな物は酒と女と自由と金。座右の銘は"油断大敵オレ様素敵"だ。両手の親指を自分に向けながら言うのが基本な」
すると、ダストは興奮して思わず立ち上がる。
「ユージン? もしかして、本当にあのユージン・ナガロックなの?」
「いかにも」
ユージンがそう言うと、ダストは頬を紅潮させて喜ぶ。
「す、すごいやッ! 本物のユージン・ナガロックと一緒の馬車に乗ってるだなんてきっと誰も信じないよ! だって……だって、僕自身も信じられないもの! ぼ、僕、あなたの大ファンなんですッ!」
「ほう」
ユージンは満更でもなさそうにニンマリ笑って、それほど長くはない足を組み始めた。
「そんなにオレのことが好きなのか?」
「ハ、ハイ! 大好きです! あなたはシバルウーニ大陸の英雄です! 太陽です! 男子はみんながあなたに憧れてる! 僕だってもっと体が大きかったら、あなたみたいに素手でシーリザードを倒して民衆を守ってあげたいと思ってました!」
「そうだろ? そうだよな! ま、無理すんな。オレは特別だからよ! ダストはダストで生きたいように生きればいいさ!」
「あ、あ、ありがとうございます! 光栄です!」
「うむ」
ガハハハハハハと気持ち良さそうに高笑いするユージンとは逆に、二人にドン引きのヒエンは足下にあったユージンの兜を踏みつけて窓外に目をやる。
(参加せんとこ……)
「それで」
と、ダストが尊敬する英雄に訊ねる。
「ナガロック先生はヒエンと……」
「おいおい、先生はよしてくれよ! こちとら満足に教育も受けてねぇ身分だ。気軽に"ナガロック師匠"でいいぜ!」
(どこが気軽やねん! 師弟関係崩れてへんやんけ!)
参加しないと誓ったばかりのヒエン、いきなりのツッコミどころに心の中で参加してしまう。
「では改めまして……ナガロック師匠はどうして、ヒエンと行動を共にしているのですか?」
「うむ、よい質問だね」
それから、ユージンは一応御者に聞こえないように声をひそめて説明しだした。
自分とヒエンはチル臣長の唱える"シーリザード人間説"を証明するため、シーリザードの生け捕りを依頼されたのだと……。
それは内密に遂行されなければならないこと、自分はシーリザードを倒して捕縄術師範代のヒエンが素早く捕縛する段取りだが、捕らえる麻縄の強度に問題があること、知り合いの質屋にカタリウムでできた弦を見せられたこと、麻縄に代わる特別な縄をそのカタリウムで作ればシーリザードを生け捕りできるだろうが、カタリウムに関する情報が全くないこと、ロング・ボウはおそらく精霊か葉人族が作った物かもしれないということ、葉人族がいるテフスペリア大森林の奥に行くにはいろんなタイプの人材が必要なこと、そして、カタリウムの弦が張ったロング・ボウを扱えるのは以前イニアで会ったダストしかいないというヒエン発案の下、ここまで馬車でやって来たのだということ……。
黙って聞いていたダストが口を挟む。
「僕がさっき言った"元の場所"というのが実はその葉人族の集落なんです。つまり、僕達の思惑はある程度まで一致してるんですよ」
「ただよ」
眉を寄せたユージンは首を傾げる。
「確かにソイツは盗品だが、持ち主に返したところでどうなるかがもう一つわからねえ。葉人族から感謝されて何か貰えたりすんのかよ?」
「それはわかりません。ただ、葉人族が返却を要求しているのではなく、あくまでこのロング・ボウの弦が『元の場所に帰りたい』と僕に訴えてるんです。なので、葉人族が僕達を友好的に迎え入れてくれる保証はありません。攻撃される可能性の方が圧倒的に高いでしょうが」
「奴らは排他主義だからな」
ユージンは黙り込んでいるヒエンに向かって、
「よう、オメエはどう考える? このロング・ボウを葉人族の領域まで持って行ったとして、それがプラスに転じると思うか?」
「わからんな。ソイツが鍵"になることは確かやが……」
ヒエンは顔を横に向けたままそう答えた。
「"鍵"がなきゃ、葉人族と交渉することもままならねぇってことか」
ユージンのその発言に、ダストは口元をキュッと結び決心して名乗り出る。
「もしかしたら……僕が交渉できるかもしれません。つまり、これを返すことでカタリウムについての何らかを聞き出せるかもしれない、ということですが」
「どういうことや?」
ヒエンはやっと街道から見える景色を放棄して訊ねる。
「オカンが何か教えてくれたんか?」
ダストはベルトポーチから、細かくたたまれた手紙を取り出しヒエンに渡す。
「母さんは結局、死んでしまうまで何も言わなかった。だけど、自分がいつ死んでもいいようにその手紙をずっと枕の下に隠していたんだ。……ただ、核心には触れてないけどね」
「読んでええんか?」
ダストが頷いた。
ヒエンはその手紙に目を通す。
冒頭は『これをあなたが読んでいるということは、既に私は死んでしまっているのですね』で始まった。
ギタイナ・ブランカはザール公国にそびえ立つ、クノッフザルテ山脈の麓にある大きな街で生まれた。
父親は採掘業を営んでいて裕福な暮らしをしていたという。
四人の兄と三人の姉を持つ末っ子のギタイナは家族や周囲の人達に愛されて幸せに暮らしていた。
十五歳のある日のこと。
彼女はクノッフザルテの雪解け水が流れるレナウ川の川堤で薬草を摘んでいた時、対岸に今まで見たことがない花弁が銀色に輝く花を発見した。
川のすぐ向こうはテフランド公国の領土で勝手に渡ってはいけないと固く禁じられていたが、そこが他国の領土ということよりも、人間を忌み嫌う亜人種が住んでいるからというのが本当の理由だった。
当然、ギタイナもそれを知ってはいたが、珍しい花に対して強い好奇心を抱いたのと、対岸の景色がこちら側とそんなに変わらなかったので危機意識が完全に欠落していた。
流れは速く水は凍るように冷たかったが、川底が見えるくらいの浅瀬で一番深くても脛ほどしかなかったので、ギタイナは何の躊躇もなく渡ってしまった。
そして、彼女は二度と生まれ育った故郷へ戻ることはなかった。
「ん?」
手紙に目を通していたヒエンは思わず声を出した。
内容が一気に飛んでいたからだが、すぐにそれがギタイナの意図的なものだとわかる。
彼女は何らかの理由で葉人族の描写を一切記さなかったのだ。
手紙は『テフランドの孤児院に住み込みで働き、そこであなたを産みました』と続いている。
『後はあなたの知っている通りです。私は夫を持たぬままあなたを産んで、そしてそこから二度結婚しました』とある。
最初はイニア出身の若い行商で、ギタイナ母子は夫に付いてそのままイニアへと移り住んだが、ギタイナがその男との間に子供を儲けることを拒んだので捨てられてしまう。
次に年老いた醜い男と所帯を持ったが、男は変わり者で周囲から嫌われていた。
"浮雲亭"という宿屋を経営していたが、ギタイナが嫁ぐまで彼は全く部屋を掃除していなかった。
ギタイナがあえて彼を選んだ理由は、その男は既に性機能が果てていたからに他ならなかった。
彼女はどうしてもダスト以外の子供を産みたくなかったのだ。
そして、手紙は最後にこう締めくくられている。
『あなたが一番知りたかった部分は書きませんでした。でも、あなたは気づいているはずです。そう、それが真実なのです。これからは自信を持って生きなさい。あなたには誰よりも誇らしい血が流れているのですから』
長い手紙ではなかったので、ヒエンはもう一度じっくりと目を通してからそれをユージンに渡した。
ユージンも時間をかけてそれを読んだ。
「クノッフザルテか……。懐かしい響きだぜ。オレは二度と行けねぇけどな」
ダストに手紙を返しながら、ザール人のユージンは上を向いてそう言った。
「どうしてですか?」
ダストが訊く。
「国外追放されてんだ。オメエが生まれるずっと前のことだがよ……。兵役について軍法会議で陳述した内容がどういうわけか君主批判と曲解されちまったんだ。ま、オレの実力を僻んでる奴は大勢いるからな。死刑宣告や島流しの刑を言い渡されてねぇだけマシか」
「そんな理不尽な……。でもそのうち帰れますよ。ザールの民衆はナガロック師匠のことをわかってくれてるはずです」
「無理だな。地理的にザールにゃシーリザードは現れない。オレの名声が轟いたのは皮肉なことに、兵団長のエリートコースから外され各国を転々とするフリーの傭兵になってからだ」
ダストはそれでも引かなかった。
「そんなことないです! ナガロック師匠の偉大さはシーリザードだけで評価されるべきじゃない! ザール国民にだって今の師匠の活躍は知れ渡っているはずですよ!」
「なあ、ダスト」
「は、はい……」
ユージンの表情に喜びはなかった。
むしろ不愉快極まりない顔をしている。
怒らせた覚えはない。
ダストはヒエンに確認の視線を送る。
ヒエンもわからずフルフルと首を振る。
「オメエ、母親の手紙読んだんだろ?」
「よ、読みましたが……」
「そんな当たり前のこと訊いてどうすんねん。アホちゃうか?」
「るせえッ! オメエは黙ってろ!」
「……な、何やねん」
ユージンが怒鳴ることはしょっちゅうだが、ヒエンが本気で怯んだのはこれが初めてだった。
そんな彼女を無視して、ユージンは真剣な眼差しでダストを見つめる。
「手紙を見たんなら、オメエはオレに対してそんな媚びへつらう態度を取るんじゃねぇよ。……ザールの女は気丈だ。好きでもねぇ男と結婚したのもオメエを一人前の人間に育てるために他ならない。手紙に書いてあったろ? 『自信を持って生きろ』って」
「ハイ……」
「だったら、オメエは金輪際オレに対して太鼓持ちみてぇな態度とるんじゃねえぞ。オレのことを師匠って呼ぶのも禁止な」
「記憶力ないんか? オマエがそう呼べ言うたやんけ」
「黙ってろって言っただろうがッ! 事情が変わったんだ。それに、元々オレは子分を必要としない。昔から対等な関係を築ける奴じゃねぇと共に行動しなかったからよ。……どうだ、ダスト? オレはオメエを命懸けで守るが、オメエは逆にオレを守れるのか? おんぶに抱っこのガキだったら旅の仲間にゃ必要ねぇや。今すぐ馬車を降りてニーリフで宿屋経営やってりゃいい。それだって立派な人生だぞ」
それを聞いたダストは唇を噛みしめ、ギュッと両拳を握りしめる。
暫しの沈黙の後、ダストは口を開く。
「僕は戻らない。宿は売ってそのお金で母さんのお墓を建てたから。戻る場所なんてない。どこにもないんだ!」
三人の間に静寂が生まれる。
ヒエンには対処できない間だ。
白い顎鬚を触りながら何かを確かめるように、ユージンはダストを直視する。
「……それなりの覚悟はあるみてぇだな」
「覚悟はあります」
「違うだろ。『あります』じゃねえ! もう一度言うぞ。オレに子分は必要ない。求めてるのは対等な仲間なんだよ!」
ダストは力強く頷いた。
ユージンは相手を睨みつけて訊く。
「おい、ダスト。オメエの目の前に座ってるこのオレは誰だ?」
「ユージン」
ダストは正面を見据えて答える。
「ユージン・ナガロック。僕の仲間だ」
「よく言った!」
ユージンが豪快にガハハと笑う。
「これでダストは本当にオレ達の一員になった! 今夜は盛大にパーッと乾杯しようぜ……って、オレしか酒飲めねぇけどな!」
ダストは照れくさそうに笑った。
そして、ヒエンもつられて笑ってしまう。
キラースへの想いが少しずつ薄れていく。
それは寂しいことでありながら、同時に正しいことだとヒエンは思った。
その後、一行はシバルウ王国直轄領のフォトアという村で一泊することになった。
ダストとの合流が思いのほか早く済んだものの、夜通し馬車を走らせてグレンナ入りするのはやはり無理があった。
ヒエンの脳裏に昨日の悪夢がよぎる。
ロザと同じ規模なので、フォトアにもやはり宿屋は一軒しかなかった。
同じ直轄領内でもグレンナと違ってこの村は聖生神の加護を必要としているらしく、あらゆる建物は白一色である。
ドキドキしながら宿屋の主人に空き部屋を訊ねると、
「空いてるけどベッドは一つっきり。どうすんの?」
白い服を着ている小太りのオヤジは眠そうな目をしてそう答えた。
接客態度がまるでなってない。
白ずくめを守っていれば勝手に商売繁盛の神が舞い降りると思っているらしい。
しかしながら、頭を抱えるヒエンに腹を立てる元気はもはや残っていなかった。
ユージンと出会ってからこの三日間、見事に宿運尽きている。
右手に盾、左手に途中で調達した酒瓶、背中にバックパックを背負ったユージンはイライラしながら命令する。
「オヤジ、さっさと部屋に案内しやがれッ! どうせオレ達は夜通し宴会やるんだからベッドなんざむしろ邪魔だ! ……ヒエン、辛気くさい顔してんじゃねぇぞ! せっかくの蜂蜜酒がマズくなるわ!」
「……何でそこまでテンションアゲアゲやねん」
ヒエンは心の中で思った。
(明日はウチら、三人揃って馬車の中で寝るんやろな)
ダスト愛用のショート・ボウと斜め掛けの矢筒には六本分の矢羽、腰には牛刀の入った鞘とベルトポーチが確認できるが、彼の荷物はそれだけでバックパックすら持っていない。
ヒエンの横にダストが座り、進行方向を背にしてユージンが武具や他の荷物を横にして座っている。
これ見よがしに包帯で巻かれた頭をさすりながら、ユージンは吐き捨てるように言う。
「オイ、ガキ。これから二張の弓を使い分ける気か?」
ダストは「わからない」と答えた。
「わからないだと?」
ユージンは顔をしかめた。
「このロング・ボウを武器として使うかはまだわからない。僕がやらなければならないのはこれを元の場所に返すことだよ」
「例の"声"がそう指示してるんか?」
ヒエンが訊く。
「指示って言うかお願いっぽいと思う。言葉の意味がわかんないから耳から伝わった感覚で僕なりに解釈するしかないんだ」
そう答えてから、ダストは今更ながら二人が自分に会いに来たことに疑問を感じた。
「ねえ、ヒエン。確かキミは王様の家臣に護身術を教えに主城へ行ったんじゃなかった? それにこの人は誰? どうして僕のことを知ってるの?」
「ソイツとは主城で会うたんや。臣長の部屋で酒飲んで暴れとったからウチが臣長から銀貨一枚で引き取ったった。紹介しよう。囚人のシュー・ジンです」
「テメエ、真顔で中途半端な嘘ついてんじゃねぇッ! 誰だ、シュー・ジンて!」
ユージンが怒りを増す度に頭の包帯がどんどん赤く滲んでいく。
ヒエンは密かにそれを楽しんでいる。
「知らねぇなら教えといてやるよ。オレはユージン・ナガロック。ザール出身だが今は住所不定の傭兵だ。特技はシーリザード殺し。好きな物は酒と女と自由と金。座右の銘は"油断大敵オレ様素敵"だ。両手の親指を自分に向けながら言うのが基本な」
すると、ダストは興奮して思わず立ち上がる。
「ユージン? もしかして、本当にあのユージン・ナガロックなの?」
「いかにも」
ユージンがそう言うと、ダストは頬を紅潮させて喜ぶ。
「す、すごいやッ! 本物のユージン・ナガロックと一緒の馬車に乗ってるだなんてきっと誰も信じないよ! だって……だって、僕自身も信じられないもの! ぼ、僕、あなたの大ファンなんですッ!」
「ほう」
ユージンは満更でもなさそうにニンマリ笑って、それほど長くはない足を組み始めた。
「そんなにオレのことが好きなのか?」
「ハ、ハイ! 大好きです! あなたはシバルウーニ大陸の英雄です! 太陽です! 男子はみんながあなたに憧れてる! 僕だってもっと体が大きかったら、あなたみたいに素手でシーリザードを倒して民衆を守ってあげたいと思ってました!」
「そうだろ? そうだよな! ま、無理すんな。オレは特別だからよ! ダストはダストで生きたいように生きればいいさ!」
「あ、あ、ありがとうございます! 光栄です!」
「うむ」
ガハハハハハハと気持ち良さそうに高笑いするユージンとは逆に、二人にドン引きのヒエンは足下にあったユージンの兜を踏みつけて窓外に目をやる。
(参加せんとこ……)
「それで」
と、ダストが尊敬する英雄に訊ねる。
「ナガロック先生はヒエンと……」
「おいおい、先生はよしてくれよ! こちとら満足に教育も受けてねぇ身分だ。気軽に"ナガロック師匠"でいいぜ!」
(どこが気軽やねん! 師弟関係崩れてへんやんけ!)
参加しないと誓ったばかりのヒエン、いきなりのツッコミどころに心の中で参加してしまう。
「では改めまして……ナガロック師匠はどうして、ヒエンと行動を共にしているのですか?」
「うむ、よい質問だね」
それから、ユージンは一応御者に聞こえないように声をひそめて説明しだした。
自分とヒエンはチル臣長の唱える"シーリザード人間説"を証明するため、シーリザードの生け捕りを依頼されたのだと……。
それは内密に遂行されなければならないこと、自分はシーリザードを倒して捕縄術師範代のヒエンが素早く捕縛する段取りだが、捕らえる麻縄の強度に問題があること、知り合いの質屋にカタリウムでできた弦を見せられたこと、麻縄に代わる特別な縄をそのカタリウムで作ればシーリザードを生け捕りできるだろうが、カタリウムに関する情報が全くないこと、ロング・ボウはおそらく精霊か葉人族が作った物かもしれないということ、葉人族がいるテフスペリア大森林の奥に行くにはいろんなタイプの人材が必要なこと、そして、カタリウムの弦が張ったロング・ボウを扱えるのは以前イニアで会ったダストしかいないというヒエン発案の下、ここまで馬車でやって来たのだということ……。
黙って聞いていたダストが口を挟む。
「僕がさっき言った"元の場所"というのが実はその葉人族の集落なんです。つまり、僕達の思惑はある程度まで一致してるんですよ」
「ただよ」
眉を寄せたユージンは首を傾げる。
「確かにソイツは盗品だが、持ち主に返したところでどうなるかがもう一つわからねえ。葉人族から感謝されて何か貰えたりすんのかよ?」
「それはわかりません。ただ、葉人族が返却を要求しているのではなく、あくまでこのロング・ボウの弦が『元の場所に帰りたい』と僕に訴えてるんです。なので、葉人族が僕達を友好的に迎え入れてくれる保証はありません。攻撃される可能性の方が圧倒的に高いでしょうが」
「奴らは排他主義だからな」
ユージンは黙り込んでいるヒエンに向かって、
「よう、オメエはどう考える? このロング・ボウを葉人族の領域まで持って行ったとして、それがプラスに転じると思うか?」
「わからんな。ソイツが鍵"になることは確かやが……」
ヒエンは顔を横に向けたままそう答えた。
「"鍵"がなきゃ、葉人族と交渉することもままならねぇってことか」
ユージンのその発言に、ダストは口元をキュッと結び決心して名乗り出る。
「もしかしたら……僕が交渉できるかもしれません。つまり、これを返すことでカタリウムについての何らかを聞き出せるかもしれない、ということですが」
「どういうことや?」
ヒエンはやっと街道から見える景色を放棄して訊ねる。
「オカンが何か教えてくれたんか?」
ダストはベルトポーチから、細かくたたまれた手紙を取り出しヒエンに渡す。
「母さんは結局、死んでしまうまで何も言わなかった。だけど、自分がいつ死んでもいいようにその手紙をずっと枕の下に隠していたんだ。……ただ、核心には触れてないけどね」
「読んでええんか?」
ダストが頷いた。
ヒエンはその手紙に目を通す。
冒頭は『これをあなたが読んでいるということは、既に私は死んでしまっているのですね』で始まった。
ギタイナ・ブランカはザール公国にそびえ立つ、クノッフザルテ山脈の麓にある大きな街で生まれた。
父親は採掘業を営んでいて裕福な暮らしをしていたという。
四人の兄と三人の姉を持つ末っ子のギタイナは家族や周囲の人達に愛されて幸せに暮らしていた。
十五歳のある日のこと。
彼女はクノッフザルテの雪解け水が流れるレナウ川の川堤で薬草を摘んでいた時、対岸に今まで見たことがない花弁が銀色に輝く花を発見した。
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当然、ギタイナもそれを知ってはいたが、珍しい花に対して強い好奇心を抱いたのと、対岸の景色がこちら側とそんなに変わらなかったので危機意識が完全に欠落していた。
流れは速く水は凍るように冷たかったが、川底が見えるくらいの浅瀬で一番深くても脛ほどしかなかったので、ギタイナは何の躊躇もなく渡ってしまった。
そして、彼女は二度と生まれ育った故郷へ戻ることはなかった。
「ん?」
手紙に目を通していたヒエンは思わず声を出した。
内容が一気に飛んでいたからだが、すぐにそれがギタイナの意図的なものだとわかる。
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最初はイニア出身の若い行商で、ギタイナ母子は夫に付いてそのままイニアへと移り住んだが、ギタイナがその男との間に子供を儲けることを拒んだので捨てられてしまう。
次に年老いた醜い男と所帯を持ったが、男は変わり者で周囲から嫌われていた。
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彼女はどうしてもダスト以外の子供を産みたくなかったのだ。
そして、手紙は最後にこう締めくくられている。
『あなたが一番知りたかった部分は書きませんでした。でも、あなたは気づいているはずです。そう、それが真実なのです。これからは自信を持って生きなさい。あなたには誰よりも誇らしい血が流れているのですから』
長い手紙ではなかったので、ヒエンはもう一度じっくりと目を通してからそれをユージンに渡した。
ユージンも時間をかけてそれを読んだ。
「クノッフザルテか……。懐かしい響きだぜ。オレは二度と行けねぇけどな」
ダストに手紙を返しながら、ザール人のユージンは上を向いてそう言った。
「どうしてですか?」
ダストが訊く。
「国外追放されてんだ。オメエが生まれるずっと前のことだがよ……。兵役について軍法会議で陳述した内容がどういうわけか君主批判と曲解されちまったんだ。ま、オレの実力を僻んでる奴は大勢いるからな。死刑宣告や島流しの刑を言い渡されてねぇだけマシか」
「そんな理不尽な……。でもそのうち帰れますよ。ザールの民衆はナガロック師匠のことをわかってくれてるはずです」
「無理だな。地理的にザールにゃシーリザードは現れない。オレの名声が轟いたのは皮肉なことに、兵団長のエリートコースから外され各国を転々とするフリーの傭兵になってからだ」
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「そんなことないです! ナガロック師匠の偉大さはシーリザードだけで評価されるべきじゃない! ザール国民にだって今の師匠の活躍は知れ渡っているはずですよ!」
「なあ、ダスト」
「は、はい……」
ユージンの表情に喜びはなかった。
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怒らせた覚えはない。
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「そんな当たり前のこと訊いてどうすんねん。アホちゃうか?」
「るせえッ! オメエは黙ってろ!」
「……な、何やねん」
ユージンが怒鳴ることはしょっちゅうだが、ヒエンが本気で怯んだのはこれが初めてだった。
そんな彼女を無視して、ユージンは真剣な眼差しでダストを見つめる。
「手紙を見たんなら、オメエはオレに対してそんな媚びへつらう態度を取るんじゃねぇよ。……ザールの女は気丈だ。好きでもねぇ男と結婚したのもオメエを一人前の人間に育てるために他ならない。手紙に書いてあったろ? 『自信を持って生きろ』って」
「ハイ……」
「だったら、オメエは金輪際オレに対して太鼓持ちみてぇな態度とるんじゃねえぞ。オレのことを師匠って呼ぶのも禁止な」
「記憶力ないんか? オマエがそう呼べ言うたやんけ」
「黙ってろって言っただろうがッ! 事情が変わったんだ。それに、元々オレは子分を必要としない。昔から対等な関係を築ける奴じゃねぇと共に行動しなかったからよ。……どうだ、ダスト? オレはオメエを命懸けで守るが、オメエは逆にオレを守れるのか? おんぶに抱っこのガキだったら旅の仲間にゃ必要ねぇや。今すぐ馬車を降りてニーリフで宿屋経営やってりゃいい。それだって立派な人生だぞ」
それを聞いたダストは唇を噛みしめ、ギュッと両拳を握りしめる。
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「僕は戻らない。宿は売ってそのお金で母さんのお墓を建てたから。戻る場所なんてない。どこにもないんだ!」
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ヒエンには対処できない間だ。
白い顎鬚を触りながら何かを確かめるように、ユージンはダストを直視する。
「……それなりの覚悟はあるみてぇだな」
「覚悟はあります」
「違うだろ。『あります』じゃねえ! もう一度言うぞ。オレに子分は必要ない。求めてるのは対等な仲間なんだよ!」
ダストは力強く頷いた。
ユージンは相手を睨みつけて訊く。
「おい、ダスト。オメエの目の前に座ってるこのオレは誰だ?」
「ユージン」
ダストは正面を見据えて答える。
「ユージン・ナガロック。僕の仲間だ」
「よく言った!」
ユージンが豪快にガハハと笑う。
「これでダストは本当にオレ達の一員になった! 今夜は盛大にパーッと乾杯しようぜ……って、オレしか酒飲めねぇけどな!」
ダストは照れくさそうに笑った。
そして、ヒエンもつられて笑ってしまう。
キラースへの想いが少しずつ薄れていく。
それは寂しいことでありながら、同時に正しいことだとヒエンは思った。
その後、一行はシバルウ王国直轄領のフォトアという村で一泊することになった。
ダストとの合流が思いのほか早く済んだものの、夜通し馬車を走らせてグレンナ入りするのはやはり無理があった。
ヒエンの脳裏に昨日の悪夢がよぎる。
ロザと同じ規模なので、フォトアにもやはり宿屋は一軒しかなかった。
同じ直轄領内でもグレンナと違ってこの村は聖生神の加護を必要としているらしく、あらゆる建物は白一色である。
ドキドキしながら宿屋の主人に空き部屋を訊ねると、
「空いてるけどベッドは一つっきり。どうすんの?」
白い服を着ている小太りのオヤジは眠そうな目をしてそう答えた。
接客態度がまるでなってない。
白ずくめを守っていれば勝手に商売繁盛の神が舞い降りると思っているらしい。
しかしながら、頭を抱えるヒエンに腹を立てる元気はもはや残っていなかった。
ユージンと出会ってからこの三日間、見事に宿運尽きている。
右手に盾、左手に途中で調達した酒瓶、背中にバックパックを背負ったユージンはイライラしながら命令する。
「オヤジ、さっさと部屋に案内しやがれッ! どうせオレ達は夜通し宴会やるんだからベッドなんざむしろ邪魔だ! ……ヒエン、辛気くさい顔してんじゃねぇぞ! せっかくの蜂蜜酒がマズくなるわ!」
「……何でそこまでテンションアゲアゲやねん」
ヒエンは心の中で思った。
(明日はウチら、三人揃って馬車の中で寝るんやろな)
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取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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