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第十章 なくした宝物
17話
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「少し休憩を入れよう」
秋斗さんは私の返事を聞かずに立ち上がる。
その行動を目で追っていると、「ごめんね」と謝られた。
「俺が休憩を入れないとちょっときついんだ」
言ってすぐに病室を出ていく。
どうして――どうしてそんなにつらいことを話そうとするのかな……。
部屋の出入り口を見ていたらツカサが入ってきた。
「減ってないし……」
「え?」
「お茶、全然飲んでないだろ」
視線でテーブルのお茶を示す。
「あ、そういえば……」
「十分くらいは休憩だろうから飲めば?」
「うん……」
カップに手を伸ばし、「あ」と思う。
「ありがとう……」
「何が?」
「病院の中庭で発見してくれて……」
「……雅さんの件まで聞いたの?」
「うん……。雅さんと初めて会った日のことと、病院で会った日のことを聞いたよ」
「……別に、あの人のことは思い出す必要ないと思うけど。それに、金輪際会うこともないと思う」
「そうなの?」
「たぶんね」
「あ、さっきね、秋斗さんがジュースをたくさん買ってきてくれたから、冷蔵庫に飲み物入ってるよ?」
「ナースセンターでコーヒー飲んでるからいい」
「そう……」
ツカサはスツールにも座らず、ソファの方へ行くでもなく、入り口近くの壁に寄りかかったまま。
「座らないの……?」
ツカサは無言で歩いてきてスツールに腰掛けた。
壁を背に、私を見るでもなく口を開く。
「どこまで聞いた?」
「六月六日。秋斗さんと藤山でデートして、お付き合いできないって断わったところまで」
どうしてか、あまり話したくない。でも、訊きたい……。
「ツカサは、私が秋斗さんを好きなこと、知っていたの?」
「……知ってた。その前の出来事だって聞いたんだろ?」
「誕生会の出来事……?」
「そう」
「うん、聞いた……。ツカサにはいつも迷惑をかけてばかりだね」
「……別に迷惑だと思ったことはない」
「ツカサはぶっきらぼうだけど優しいよね」
思わず苦笑が漏れる。
「この先の話も全部聞くの?」
ツカサは視線を床に落として訊いてきた。
「反対……?」
「そういうわけじゃないけど、心配ではある」
「……そう言われると、なんだか続きを聞くのが怖くなっちゃうな」
「翠、焦る必要はない。記憶を取り戻すことも、何もかも。焦ったってすぐに答えが出ないもののほうが多い」
私を見たツカサの目は真っ直ぐだった。どこまでも見透かされてしまいそうなくらい、真っ直ぐな目。
「……焦らないようにする。お話を聞いて頭がぐちゃぐちゃになっちゃったら……そしたら、お話聞いてね?」
「了解」
何を話したらいいのかわからなくて、目の前にあった手帳に手を伸ばそうとしたら、
「その前に水分補給」
静かに叱られた。
コクコク、とテンポよく飲み一気飲みしたら新たに注がれる。
もう一度手帳に手を伸ばしたけど、今度は叱られなかった。
「手帳になんでも書いてあるのに、どうして今まで開こうと思わなかったんだろう……」
携帯だってメールのやり取りを見れば、どんな関係だったのかはわかったはずなのに。
「自分の字で書かれていたとして、記憶がないなら見てもわからないだろ」
「そういうものかな……」
「だから、第三者――そのことに関わった人間から話を聞くほうがリアルなんだと思うけど?」
「そっか……」
「秋兄の話を聞き終わってから、何か補足してほしいことがあったら言って」
「え?」
「……たぶん、秋兄の話を聞いても記憶が抜け落ちている部分があるとしたら、そこは俺が関わってるんだと思うから」
「うん……」
「聞きたくなければ聞かなくていい」
ツカサ、わからないよ……。
「ねぇ、どうしてかな? ツカサも秋斗さんもつらそうな顔をするのに、どうして話そうとするの? 私にはそれがわからない」
「……翠はさ、自分のことも起きた出来事も、急に全部忘れられたらつらいとは思わない?」
「……悲しいかもしれない」
「しかも、記憶をなくした理由が自分にあったとしたら、つらくないわけがないだろ」
そうだった……。ツカサはこう言ったのだ。「翠の記憶がなくなった原因が俺と秋兄にあるかもしれないから」と。
「記憶が戻ったらツカサは嬉しい? 秋斗さんも喜ぶ? あんなつらそうな顔をしなくてもすむ?」
ツカサはしばらく無言だった。
「……俺は、嬉しくもつらくもない。秋兄はどうかな……。翠はさ、自分のことは考えないわけ?」
「え……?」
「思い出したら自分がつらくなるかもしれないって、そういうふうには考えないわけ?」
……それは考えていなかった。
「そういう出来事があったのかな……?」
「……さぁね」
ツカサはぷい、とそっぽを向いたまま、廊下からの気配を感じてスツールを立ち上がる。
秋斗さんが戻ってきたのだ。
「ただいま。……翠葉ちゃんも少しは休憩できた?」
「はい……」
「……司、何かあったか?」
「別に……。続き、話せば?」
そんなやり取りの末、ツカサは病室を出ていった。
秋斗さんは新たに買ってきたミネラルウォーターを冷蔵庫に入れるとスツールに腰掛け、
「何かあった?」
「えぇと……記憶を取り戻したときに、自分がつらくなるとは考えないのか、と言われました」
正直、そんなことはまったく考えていなかった。ただ、周りの人たちが記憶に関することを話したがらないのはそういうことなのか、と少し合点がいった気がする。
でも、だからといって、自分の過去から逃げていいものか……。
「どうしたい?」
「私は……秋斗さんとツカサがつらい顔しないですむのがいいです」
秋斗さんを見て答えると、秋斗さんは少し驚いたような顔をした。
「そうだった……翠葉ちゃんってこういう子だったよね」
「こういう子……?」
「うん……人のことばかり考えて、自分のことは後回し。そういう子……」
そういうわけじゃないんだけどな……。
「ただ、大切な人が悲しい思いをするのは嫌だから……それは自分が嫌だから、です」
「……記憶がなくても、俺のことも大切な人に入れてくれるの?」
目を見開いて訊かれる。
「正直、お話を聞いても、秋斗さんを好きだったことは思い出せません。でも、誰か好きな人がいたことは覚えていて、秋斗さんのお話をうかがう限りでは、それは間違いなく秋斗さんだと思うから」
「……俺が嘘をついているとは思わないの?」
どうして――どうしてそんな顔でそんなことを言うのかな。
「嘘をつく人はそんな顔はしないです」
「……ありがとう、信じてくれて」
信じる――? 私は何を保険にこの人を信じるのだろう……。
「……ごめんなさい。私、秋斗さんを信じたわけじゃないのかもしれない」
「……司、かな」
コクリと頷く。
「ツカサもそうだし、蒼兄の慕っている人だから……。そのふたつには疑いを持つ必要がないから。あとは直感です。私は家族以外の人と出かけるなんてことはしたことがないから。森林浴にふたりで行ったのなら、それだけ私は秋斗さんに心を許していたんだと思います」
その三つが揃わなければ、私はすべてを真に受けることはできなかっただろう。
「……それでも十分。今の俺を信じてくれる人はそういないから」
「っ――いったい何があったんですか?」
どうして周りの人の信用をなくすようなことになってしまったのか、皆目見当もつかない。
話している分には、秋斗さんという人の誠実さや優しさ、気遣いや思いやりが伝わってくるのに。どうして――
「俺は一度振られたけれど、そこで君を諦めたわけじゃないんだ。その後、何度も君の心がどこにあるのかを確かめようとした。翠葉ちゃんの考えた答えで振られたのならまだ良かったんだけど、君は雅に言われたことがきっかけで俺を振った。挙句、自分よりももっと俺に似合う人がいるはずだと言った」
私ならそう考えるだろう。何も疑問を抱かない。
「俺は悔しくて、自分の気持ちがこうも伝わらないものかとイラついて、怒鳴って、翠葉ちゃんを追い詰めて過呼吸を起こさせた」
人が怒る――そういうことに慣れていない私が、家族以外の負の感情に触れたとしたら、それもわからなくはない。でも、私はこの温厚そうな秋斗さんをそれほどまでに怒らせたのだ。
「……ごめんなさい」
「いや、その件に関してはちゃんと謝ってもらってる。蒼樹が間に入ってくれて、赤い花と黄色い花のたとえ話をしたんだ」
赤いお花と黄色いお花……?
「あ――赤いお花は一年草で、黄色いお花は宿根草……。私が欲しいのは赤いお花で……」
「そう、それ」
どうしてか、その話は覚えていた。
私が欲しいのは赤いお花だけど、赤いお花さんは黄色いお花さんのほうが毎年楽しめるから、と「黄色いお花をお持ちかえりください」と言うのだ。でも、私が欲しいのは赤いお花で、「たとえ一年という限られた期間でも赤いお花と過ごしたい」と、そういうお話だった。
「そのあとにもう一度話す機会を蒼樹が作ってくれて、俺は訊いたんだ」
「なんて……?」
「少しでも俺が好きなら俺の側にいてくれないかな、って」
「私はなんて答えたんですか?」
「ひとつ訂正させてほしいって言われた」
秋斗さんはクスリと笑う。
「少しじゃなくてすごくだって」
「え……?」
「その言葉のかかる場所は『好き』だって。真っ赤になった顔を手で隠しながら教えてくれた。そのあとキスをして仲直り。その日から翠葉ちゃんは俺の恋人になったんだよ」
そう言って笑った秋斗さんは、ものすごく幸せそうな顔をしていた。
けれども、私はそれどころじゃない。
顔も頭も全身が熱く感じられて、恥ずかしくて仕方がない。すでに髪の毛で顔を隠している状態だ。それでも、きっと真っ赤なのなんてばればれなのだ。
恥ずかしい……。
「でもね、それも数日ともたなかった」
「え?」
顔を上げると、苦笑した秋斗さんの顔がある。
さっきからこんなことの繰り返し。
「俺がいけないんだ……。翠葉ちゃんの許容量をオーバーするようなことばかりをして身体を傷つけた」
「……身体に、傷?」
「うなじにキスマークをつけた。そしたら、翠葉ちゃんはそれを掻き毟って擦過傷になった。挙句、その夜にはひどい頭痛を起こし、楓がマンションにいなければ病院へ行って処置を受ける必要があった」
自分はどうしてこうなんだろう……。
そう思わずにはいられない。
「楓と湊ちゃんに、しばらくの間は翠葉ちゃんと会うなと言われて、俺はそれを受け入れざるを得なかった。それがこの日、六月十一日だよ」
呆然としている私に、秋斗さんはまだ話を続ける。
「七月四日、この日にすべてなかったことにした。つまり、俺たちは別れたんだ。付き合うとか付き合わないとか、そういうのはなしにしようって話をした」
すると違う声が割り込む。
「秋兄、端折りすぎじゃない? 全部を話すなら全部を話せ。じゃないと意味がない」
気づけば戸口にツカサが立っていて、秋斗さんはツカサの言葉に絶句した。
「言わなくてもいいことだってある」
そう答えた秋斗さんに、ツカサは間髪容れずに応戦する。
「あれは言わなくていいことのうちに入らない」
「……何が?」
ツカサに問いかけると、
「翠が頭痛を起こした翌日、秋兄は胃潰瘍で緊急入院している」
ツカサは静かな声で、何かを抑えるような声音でそう言った。
秋斗さんは私の返事を聞かずに立ち上がる。
その行動を目で追っていると、「ごめんね」と謝られた。
「俺が休憩を入れないとちょっときついんだ」
言ってすぐに病室を出ていく。
どうして――どうしてそんなにつらいことを話そうとするのかな……。
部屋の出入り口を見ていたらツカサが入ってきた。
「減ってないし……」
「え?」
「お茶、全然飲んでないだろ」
視線でテーブルのお茶を示す。
「あ、そういえば……」
「十分くらいは休憩だろうから飲めば?」
「うん……」
カップに手を伸ばし、「あ」と思う。
「ありがとう……」
「何が?」
「病院の中庭で発見してくれて……」
「……雅さんの件まで聞いたの?」
「うん……。雅さんと初めて会った日のことと、病院で会った日のことを聞いたよ」
「……別に、あの人のことは思い出す必要ないと思うけど。それに、金輪際会うこともないと思う」
「そうなの?」
「たぶんね」
「あ、さっきね、秋斗さんがジュースをたくさん買ってきてくれたから、冷蔵庫に飲み物入ってるよ?」
「ナースセンターでコーヒー飲んでるからいい」
「そう……」
ツカサはスツールにも座らず、ソファの方へ行くでもなく、入り口近くの壁に寄りかかったまま。
「座らないの……?」
ツカサは無言で歩いてきてスツールに腰掛けた。
壁を背に、私を見るでもなく口を開く。
「どこまで聞いた?」
「六月六日。秋斗さんと藤山でデートして、お付き合いできないって断わったところまで」
どうしてか、あまり話したくない。でも、訊きたい……。
「ツカサは、私が秋斗さんを好きなこと、知っていたの?」
「……知ってた。その前の出来事だって聞いたんだろ?」
「誕生会の出来事……?」
「そう」
「うん、聞いた……。ツカサにはいつも迷惑をかけてばかりだね」
「……別に迷惑だと思ったことはない」
「ツカサはぶっきらぼうだけど優しいよね」
思わず苦笑が漏れる。
「この先の話も全部聞くの?」
ツカサは視線を床に落として訊いてきた。
「反対……?」
「そういうわけじゃないけど、心配ではある」
「……そう言われると、なんだか続きを聞くのが怖くなっちゃうな」
「翠、焦る必要はない。記憶を取り戻すことも、何もかも。焦ったってすぐに答えが出ないもののほうが多い」
私を見たツカサの目は真っ直ぐだった。どこまでも見透かされてしまいそうなくらい、真っ直ぐな目。
「……焦らないようにする。お話を聞いて頭がぐちゃぐちゃになっちゃったら……そしたら、お話聞いてね?」
「了解」
何を話したらいいのかわからなくて、目の前にあった手帳に手を伸ばそうとしたら、
「その前に水分補給」
静かに叱られた。
コクコク、とテンポよく飲み一気飲みしたら新たに注がれる。
もう一度手帳に手を伸ばしたけど、今度は叱られなかった。
「手帳になんでも書いてあるのに、どうして今まで開こうと思わなかったんだろう……」
携帯だってメールのやり取りを見れば、どんな関係だったのかはわかったはずなのに。
「自分の字で書かれていたとして、記憶がないなら見てもわからないだろ」
「そういうものかな……」
「だから、第三者――そのことに関わった人間から話を聞くほうがリアルなんだと思うけど?」
「そっか……」
「秋兄の話を聞き終わってから、何か補足してほしいことがあったら言って」
「え?」
「……たぶん、秋兄の話を聞いても記憶が抜け落ちている部分があるとしたら、そこは俺が関わってるんだと思うから」
「うん……」
「聞きたくなければ聞かなくていい」
ツカサ、わからないよ……。
「ねぇ、どうしてかな? ツカサも秋斗さんもつらそうな顔をするのに、どうして話そうとするの? 私にはそれがわからない」
「……翠はさ、自分のことも起きた出来事も、急に全部忘れられたらつらいとは思わない?」
「……悲しいかもしれない」
「しかも、記憶をなくした理由が自分にあったとしたら、つらくないわけがないだろ」
そうだった……。ツカサはこう言ったのだ。「翠の記憶がなくなった原因が俺と秋兄にあるかもしれないから」と。
「記憶が戻ったらツカサは嬉しい? 秋斗さんも喜ぶ? あんなつらそうな顔をしなくてもすむ?」
ツカサはしばらく無言だった。
「……俺は、嬉しくもつらくもない。秋兄はどうかな……。翠はさ、自分のことは考えないわけ?」
「え……?」
「思い出したら自分がつらくなるかもしれないって、そういうふうには考えないわけ?」
……それは考えていなかった。
「そういう出来事があったのかな……?」
「……さぁね」
ツカサはぷい、とそっぽを向いたまま、廊下からの気配を感じてスツールを立ち上がる。
秋斗さんが戻ってきたのだ。
「ただいま。……翠葉ちゃんも少しは休憩できた?」
「はい……」
「……司、何かあったか?」
「別に……。続き、話せば?」
そんなやり取りの末、ツカサは病室を出ていった。
秋斗さんは新たに買ってきたミネラルウォーターを冷蔵庫に入れるとスツールに腰掛け、
「何かあった?」
「えぇと……記憶を取り戻したときに、自分がつらくなるとは考えないのか、と言われました」
正直、そんなことはまったく考えていなかった。ただ、周りの人たちが記憶に関することを話したがらないのはそういうことなのか、と少し合点がいった気がする。
でも、だからといって、自分の過去から逃げていいものか……。
「どうしたい?」
「私は……秋斗さんとツカサがつらい顔しないですむのがいいです」
秋斗さんを見て答えると、秋斗さんは少し驚いたような顔をした。
「そうだった……翠葉ちゃんってこういう子だったよね」
「こういう子……?」
「うん……人のことばかり考えて、自分のことは後回し。そういう子……」
そういうわけじゃないんだけどな……。
「ただ、大切な人が悲しい思いをするのは嫌だから……それは自分が嫌だから、です」
「……記憶がなくても、俺のことも大切な人に入れてくれるの?」
目を見開いて訊かれる。
「正直、お話を聞いても、秋斗さんを好きだったことは思い出せません。でも、誰か好きな人がいたことは覚えていて、秋斗さんのお話をうかがう限りでは、それは間違いなく秋斗さんだと思うから」
「……俺が嘘をついているとは思わないの?」
どうして――どうしてそんな顔でそんなことを言うのかな。
「嘘をつく人はそんな顔はしないです」
「……ありがとう、信じてくれて」
信じる――? 私は何を保険にこの人を信じるのだろう……。
「……ごめんなさい。私、秋斗さんを信じたわけじゃないのかもしれない」
「……司、かな」
コクリと頷く。
「ツカサもそうだし、蒼兄の慕っている人だから……。そのふたつには疑いを持つ必要がないから。あとは直感です。私は家族以外の人と出かけるなんてことはしたことがないから。森林浴にふたりで行ったのなら、それだけ私は秋斗さんに心を許していたんだと思います」
その三つが揃わなければ、私はすべてを真に受けることはできなかっただろう。
「……それでも十分。今の俺を信じてくれる人はそういないから」
「っ――いったい何があったんですか?」
どうして周りの人の信用をなくすようなことになってしまったのか、皆目見当もつかない。
話している分には、秋斗さんという人の誠実さや優しさ、気遣いや思いやりが伝わってくるのに。どうして――
「俺は一度振られたけれど、そこで君を諦めたわけじゃないんだ。その後、何度も君の心がどこにあるのかを確かめようとした。翠葉ちゃんの考えた答えで振られたのならまだ良かったんだけど、君は雅に言われたことがきっかけで俺を振った。挙句、自分よりももっと俺に似合う人がいるはずだと言った」
私ならそう考えるだろう。何も疑問を抱かない。
「俺は悔しくて、自分の気持ちがこうも伝わらないものかとイラついて、怒鳴って、翠葉ちゃんを追い詰めて過呼吸を起こさせた」
人が怒る――そういうことに慣れていない私が、家族以外の負の感情に触れたとしたら、それもわからなくはない。でも、私はこの温厚そうな秋斗さんをそれほどまでに怒らせたのだ。
「……ごめんなさい」
「いや、その件に関してはちゃんと謝ってもらってる。蒼樹が間に入ってくれて、赤い花と黄色い花のたとえ話をしたんだ」
赤いお花と黄色いお花……?
「あ――赤いお花は一年草で、黄色いお花は宿根草……。私が欲しいのは赤いお花で……」
「そう、それ」
どうしてか、その話は覚えていた。
私が欲しいのは赤いお花だけど、赤いお花さんは黄色いお花さんのほうが毎年楽しめるから、と「黄色いお花をお持ちかえりください」と言うのだ。でも、私が欲しいのは赤いお花で、「たとえ一年という限られた期間でも赤いお花と過ごしたい」と、そういうお話だった。
「そのあとにもう一度話す機会を蒼樹が作ってくれて、俺は訊いたんだ」
「なんて……?」
「少しでも俺が好きなら俺の側にいてくれないかな、って」
「私はなんて答えたんですか?」
「ひとつ訂正させてほしいって言われた」
秋斗さんはクスリと笑う。
「少しじゃなくてすごくだって」
「え……?」
「その言葉のかかる場所は『好き』だって。真っ赤になった顔を手で隠しながら教えてくれた。そのあとキスをして仲直り。その日から翠葉ちゃんは俺の恋人になったんだよ」
そう言って笑った秋斗さんは、ものすごく幸せそうな顔をしていた。
けれども、私はそれどころじゃない。
顔も頭も全身が熱く感じられて、恥ずかしくて仕方がない。すでに髪の毛で顔を隠している状態だ。それでも、きっと真っ赤なのなんてばればれなのだ。
恥ずかしい……。
「でもね、それも数日ともたなかった」
「え?」
顔を上げると、苦笑した秋斗さんの顔がある。
さっきからこんなことの繰り返し。
「俺がいけないんだ……。翠葉ちゃんの許容量をオーバーするようなことばかりをして身体を傷つけた」
「……身体に、傷?」
「うなじにキスマークをつけた。そしたら、翠葉ちゃんはそれを掻き毟って擦過傷になった。挙句、その夜にはひどい頭痛を起こし、楓がマンションにいなければ病院へ行って処置を受ける必要があった」
自分はどうしてこうなんだろう……。
そう思わずにはいられない。
「楓と湊ちゃんに、しばらくの間は翠葉ちゃんと会うなと言われて、俺はそれを受け入れざるを得なかった。それがこの日、六月十一日だよ」
呆然としている私に、秋斗さんはまだ話を続ける。
「七月四日、この日にすべてなかったことにした。つまり、俺たちは別れたんだ。付き合うとか付き合わないとか、そういうのはなしにしようって話をした」
すると違う声が割り込む。
「秋兄、端折りすぎじゃない? 全部を話すなら全部を話せ。じゃないと意味がない」
気づけば戸口にツカサが立っていて、秋斗さんはツカサの言葉に絶句した。
「言わなくてもいいことだってある」
そう答えた秋斗さんに、ツカサは間髪容れずに応戦する。
「あれは言わなくていいことのうちに入らない」
「……何が?」
ツカサに問いかけると、
「翠が頭痛を起こした翌日、秋兄は胃潰瘍で緊急入院している」
ツカサは静かな声で、何かを抑えるような声音でそう言った。
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