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第十章 なくした宝物
16話
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「翠葉ちゃん、お茶よ」
栞さんがトレイにポットとカップを載せて入ってきた。そして、ツカサと同じように「大丈夫?」と口にする。
「……ツカサには泣きそうな顔してるって言われちゃいました」
苦笑して答えると、「無理しなくても……」と口にする栞さんをツカサが制した。
「栞さんは仕事。ナースセンターに戻りましょう」
ツカサの視線の先には秋斗さんがいた。
栞さんは普段見せないような険しい表情を秋斗さんに向け、黙ったまま病室を出ていった。
「……珍しい」
秋斗さんは、「はは」と乾いた笑いを漏らす。
「仲が悪いわけじゃないんだ。ただ、俺が信用をなくすようなことばかりしてきただけ」
口にしては悲しそうな顔をした。
「リンゴジュースやグレープジュースが好きなんですか……?」
秋斗さんは果汁一〇〇パーセントのジュースやミックスベジタブルジュースを持っていた。もちろん、自販機で売っている紙パックのタイプ。
「好きというわけじゃないけど、今はこういうものやハーブティーを飲むようにしてる」
答え方に違和感を覚え、
「コーヒーをブラックで……とかそんなイメージに見えますよね?」
思い付きを口にすると、「そうだね」と笑った。
「でも、翠葉ちゃんと出逢ってからはハーブティーを飲むようになったんだ。このジュースは冷蔵庫に入れておいたら翠葉ちゃんがいつでも飲めるでしょう?」
買ってきたそれらを冷蔵庫に入れにいくと、戻ってきてスツールにおさまる。
「次の休憩ではミネラルウォーターを買ってこないとね」
「……本当に知り合いで、本当に私のことを知っているんですね」
私は何も思い出さないというのに、私の飲み物を飲むときの好みまで知っているのはなんだか奇妙にさえ思える。
「そうだなぁ……。でも、これは知り合ってなくても知ってたと思う」
「どうしてですか?」
「蒼樹がね、会うたびに翠葉ちゃんのことをペラペラペラペラ喋っていくんだ。どうしようもなく翠葉ちゃんがかわいいみたいでね。だから、数年にわたって情報は蓄積されていて、翠葉ちゃんに初めて会ったときも、初めてって感覚はなかったよ」
蒼兄……人のいないところで何を話してくれてるのだろう。
「こんな会話も前にしたことがあるんだ。記憶がなくても同じ反応をするね」
秋斗さんはどこかほっとしたような笑顔になる。
「翠葉ちゃん、手帳を持っているかな」
秋斗さんに訊かれ、サイドテーブルの引き出しから取り出した。手帳を開くと、
「あれ? この写真……」
挟んでいた写真に秋斗さんが手を伸ばす。
「きゃっ、それは――それは……えと、なんで持っているのでしょう?」
咄嗟に慌ててしまったものの、入手経路にはまったく心当たりがない。
「くっ、たぶん蒼樹にもらったんだろうね。俺も、こんな写真を手帳に挟まれているとは知らなかったな」
秋斗さんはクスクスと笑いだし、その顔があまりにも嬉しそうで、きれいな笑顔にドキドキした。
「これは俺が高三のときの生徒総会だろうな……。それからこっちは司が高校に入学したばかりのころ。図書棟の仕事部屋で撮った写真だ。……もう一枚のこれは――今年の球技大会ってところかな?」
再び手帳に視線を戻すと、
「手帳には色んな軸跡が残ってるんじゃないかな。開いてもいい?」
「はい、どうぞ……」
秋斗さんは一月から三月までは飛ばし、四月のページを開いた。
「この日に出逢った。あ、ほら書いてある、この日に翠葉ちゃんは校内で倒れたんだ。それを見つけて保健室へ運んだのが司。そのあと、湊ちゃんと俺が病院に運び込んだ」
秋斗さんは手帳を見ながら少しずつ日にちをたどる。
学校での出来事は意外と覚えていた。
ところどころに抜けているものがあって、それらが少しずつ埋まっていく感じ。でも、パズルのように穴埋めができるだけで、自分の記憶として思い出せているわけではない。
そんな中、なかった部分にあったはずのものが当てはまっていく感覚に妙な安心感を覚えた。
秋斗さんはその時々の会話まで覚えていて、自分が発した言葉に恥ずかしくなったり、聞いているだけで顔が赤くなるようことばかりだった。
「森林浴の帰りに、ウィステリアホテルでディナーを食べたんだ。その日の帰りに俺は翠葉ちゃんに提案をした」
「提案、ですか?」
「そう、そのときの翠葉ちゃんは別のことに動揺していて、俺はそれが面白くなかったんだ。自分の方を向いてほしかった」
「……一緒にいたのに、私は別の方向を見ていたんですか?」
秋斗さんはクスリと笑って、「ちょっと違う」と言う。
「物理的なことじゃなくて、気持ちの問題、かな。……翠葉ちゃんにはとても気になる人がいたんだ。でも、俺は君にどうしても自分を見てほしくて――自分と恋愛してみないか、って恋愛に憧れていた翠葉ちゃんに提案をした」
それは何……?
「ただでさえ動揺している翠葉ちゃんを、さらに動揺させることでしか、自分の方を向かせることができなかったんだ。君は困りに困って翌日知恵熱を出した。ほら、だからこの日は休みって書いてあるでしょ?」
指で五月十日月曜日を指される。
翌日の十一日もお休みになっているけれど、その日には桃華さんたちが自宅へきてくれたようだ。
おぼろげに、四人が部屋に入ってきたのは覚えている。けれども、そのほかは佐野くんに化学を教えている記憶しかなかった。
何かが抜けていると思うのに、肝心な何が抜けているのかがわからない。――モヤモヤする。
ひとり考え込んでいると、優しく甘い声がかけられた。
「俺はね、君のことが好きなんだ。女の子として、恋愛対象として……」
「え……?」
秋斗さんの声が繰り返し頭に流れる。
最初は音として捉えていたその声の、言葉の意味にびっくりした。
「秋斗さんが、誰を……?」
「翠葉ちゃん、君だよ」
「……あの、私、からかわれていたりしますか?」
「冗談でもなんでもない。本当にね、大好きなんだ」
その声音に頬が熱くなる。視線を合わせていられなくて、お布団に視線を落とす。と、
「これから話すことは、すべてがそれに起因している。だから、先に言っておきたかったんだ」
これから話すこと……?
不思議に思って顔を上げると、
「俺は、翠葉ちゃんと結婚したいくらい君が好きなんだよ」
思考停止に陥った私の顔は繕いようもないほど真っ赤に違いない。
「真っ赤だね」
秋斗さんはクスクスと笑い、
「そういうふうに反応してくれるところも全部好きなんだ」
私は「好き」と言われるたびに上気し、秋斗さんは「好き」と口にするたびに優しい顔をした。
とてもとても優しい、まるで大切なものを慈しむような、愛でるような眼差しを向けられる。その真っ直ぐな目にドキリとする。
「秋斗さん……その笑顔は反則だと思うんです……」
「前にも同じことを言われたな」
なんだか何を言っても笑われてしまう気がする。
「でもね、ずっと会えなかったし、ずっと言えなかったから……何度言っても足りないくらいなんだ」
「……でも、何度も言われたら、私の頭がショートしちゃいそうです……。そしたら、お話の続き、聞けなくなっちゃう……」
「そうだね、ごめん」
見ているこっちが切なくなるような顔をしないで……。
「翠葉ちゃんがそんな顔をすることはないよ」
優しく話してくれるけど、この人は気づいていない。自分がもっと切ない顔をしていることに。
「俺がそんな提案をしたあと、翠葉ちゃんは静さんとの打ち合わせでウィステリアホテルに行くことになった。その日は俺もホテルの一室で会議があったから一緒に行った」
その日に蒼兄の誕生日プレゼントを買ったことや、ロビーで雅さんという人と会い、警護対象になったことを教えられる。
作り話のように思える出来事がたくさんあって、聞いている私はただただ驚くばかりだった。
「試験が終わった日、検査で病院へ行った際、君は雅にとてもひどいことを言われて傷ついた」
主にはこんな内容のことだった。
秋斗さんと私はつり合わない。子どもが産める健康な身体でなければ結婚の資格はない、と。
「ごめんね。こんな思いはさせたくなかったし、何よりも雅との接触を避けるための警護だったのに……。司に怒られたよ。その日に限ってなんで離れたって」
放心状態の私を見つけてくれたのはツカサだという。
「俺はね、こんなことが起こるまでは絶対に翠葉ちゃんからOKがもらえると思っていたんだ」
「え……?」
「警護についていた期間、君はすごく俺を意識してくれるようになっていたし、俺に好きと言いかけたこともある。でも、結果的に俺は振られたんだ」
苦々しく笑いながら、手帳に視線を戻す。
「それがこの日、六月六日。その前、翠葉ちゃんの誕生日にはうちでランチを食べたんだよ」
秋斗さんは学校からマンションへ移動する際の会話や、秋斗さんの家での会話を思い出せる限り教えてくれた。
「ウィステリアホテルのシェフ、須藤さんは覚えてる?」
「はい、覚えています」
「彼と初めて会ったのはこの日なんだ」
須藤さんのことは覚えているのに、初めて会った日のことは覚えていない。
秋斗さんは自分の携帯を取り出すと、メール受信フォルダと送信済みフォルダを手帳と照らし合わせながら、
「この日はこんなことがあって、だからこういうメールのやり取りなんだよ」
と、本当に覚えている限りのことを教えてくれた。
キスをしたとか、抱きしめたとか、聞いていて恥ずかしくなるようなことを、秋斗さんはとても大切なことを話すよう口にする。
私は恥ずかしくて、どんな顔をして聞いていたらいいのかがわからない。気づけば、私は両頬を手で覆っていた。
「……私は、秋斗さんを好きだったんですね」
「……そう思いたい」
今、秋斗さんのことを好きかと訊かれると首を傾げてしまう。
でも、今までの話を聞いている限りだと、私は間違いなくこの人を――秋斗さんを好きだったのだと思う。
だって、そうじゃなかったらキスなんて、抱きしめられるのなんて、無理……。
秋斗さんと藤山でデートをする前々日に起きたことも聞いた。
街中で男の人に声をかけられ、それがきっかけで男性恐怖症になってしまったこと。その対象に秋斗さんは入ってしまったのに、ツカサと海斗くんは大丈夫だったこと。前日の、自分の誕生会の前に秋斗さんの仕事部屋で一緒にご飯を食べたこと。自分が手をつなぎたいと言ったのに、結果的には無理で、ツカサが宥めてくれたこと。
それでも私は六月六日に秋斗さんと会ったのだ。
手をつなぎたいと言い、自分から抱きついたという。
思い出せない。それは変わらない。
でも、秋斗さんが嘘を言っているようには見えないし、きっと本当にあった出来事なのだろう。
そうじゃなかったら、秋斗さんはこんなに悲しい顔をしなくていいはずだから――
栞さんがトレイにポットとカップを載せて入ってきた。そして、ツカサと同じように「大丈夫?」と口にする。
「……ツカサには泣きそうな顔してるって言われちゃいました」
苦笑して答えると、「無理しなくても……」と口にする栞さんをツカサが制した。
「栞さんは仕事。ナースセンターに戻りましょう」
ツカサの視線の先には秋斗さんがいた。
栞さんは普段見せないような険しい表情を秋斗さんに向け、黙ったまま病室を出ていった。
「……珍しい」
秋斗さんは、「はは」と乾いた笑いを漏らす。
「仲が悪いわけじゃないんだ。ただ、俺が信用をなくすようなことばかりしてきただけ」
口にしては悲しそうな顔をした。
「リンゴジュースやグレープジュースが好きなんですか……?」
秋斗さんは果汁一〇〇パーセントのジュースやミックスベジタブルジュースを持っていた。もちろん、自販機で売っている紙パックのタイプ。
「好きというわけじゃないけど、今はこういうものやハーブティーを飲むようにしてる」
答え方に違和感を覚え、
「コーヒーをブラックで……とかそんなイメージに見えますよね?」
思い付きを口にすると、「そうだね」と笑った。
「でも、翠葉ちゃんと出逢ってからはハーブティーを飲むようになったんだ。このジュースは冷蔵庫に入れておいたら翠葉ちゃんがいつでも飲めるでしょう?」
買ってきたそれらを冷蔵庫に入れにいくと、戻ってきてスツールにおさまる。
「次の休憩ではミネラルウォーターを買ってこないとね」
「……本当に知り合いで、本当に私のことを知っているんですね」
私は何も思い出さないというのに、私の飲み物を飲むときの好みまで知っているのはなんだか奇妙にさえ思える。
「そうだなぁ……。でも、これは知り合ってなくても知ってたと思う」
「どうしてですか?」
「蒼樹がね、会うたびに翠葉ちゃんのことをペラペラペラペラ喋っていくんだ。どうしようもなく翠葉ちゃんがかわいいみたいでね。だから、数年にわたって情報は蓄積されていて、翠葉ちゃんに初めて会ったときも、初めてって感覚はなかったよ」
蒼兄……人のいないところで何を話してくれてるのだろう。
「こんな会話も前にしたことがあるんだ。記憶がなくても同じ反応をするね」
秋斗さんはどこかほっとしたような笑顔になる。
「翠葉ちゃん、手帳を持っているかな」
秋斗さんに訊かれ、サイドテーブルの引き出しから取り出した。手帳を開くと、
「あれ? この写真……」
挟んでいた写真に秋斗さんが手を伸ばす。
「きゃっ、それは――それは……えと、なんで持っているのでしょう?」
咄嗟に慌ててしまったものの、入手経路にはまったく心当たりがない。
「くっ、たぶん蒼樹にもらったんだろうね。俺も、こんな写真を手帳に挟まれているとは知らなかったな」
秋斗さんはクスクスと笑いだし、その顔があまりにも嬉しそうで、きれいな笑顔にドキドキした。
「これは俺が高三のときの生徒総会だろうな……。それからこっちは司が高校に入学したばかりのころ。図書棟の仕事部屋で撮った写真だ。……もう一枚のこれは――今年の球技大会ってところかな?」
再び手帳に視線を戻すと、
「手帳には色んな軸跡が残ってるんじゃないかな。開いてもいい?」
「はい、どうぞ……」
秋斗さんは一月から三月までは飛ばし、四月のページを開いた。
「この日に出逢った。あ、ほら書いてある、この日に翠葉ちゃんは校内で倒れたんだ。それを見つけて保健室へ運んだのが司。そのあと、湊ちゃんと俺が病院に運び込んだ」
秋斗さんは手帳を見ながら少しずつ日にちをたどる。
学校での出来事は意外と覚えていた。
ところどころに抜けているものがあって、それらが少しずつ埋まっていく感じ。でも、パズルのように穴埋めができるだけで、自分の記憶として思い出せているわけではない。
そんな中、なかった部分にあったはずのものが当てはまっていく感覚に妙な安心感を覚えた。
秋斗さんはその時々の会話まで覚えていて、自分が発した言葉に恥ずかしくなったり、聞いているだけで顔が赤くなるようことばかりだった。
「森林浴の帰りに、ウィステリアホテルでディナーを食べたんだ。その日の帰りに俺は翠葉ちゃんに提案をした」
「提案、ですか?」
「そう、そのときの翠葉ちゃんは別のことに動揺していて、俺はそれが面白くなかったんだ。自分の方を向いてほしかった」
「……一緒にいたのに、私は別の方向を見ていたんですか?」
秋斗さんはクスリと笑って、「ちょっと違う」と言う。
「物理的なことじゃなくて、気持ちの問題、かな。……翠葉ちゃんにはとても気になる人がいたんだ。でも、俺は君にどうしても自分を見てほしくて――自分と恋愛してみないか、って恋愛に憧れていた翠葉ちゃんに提案をした」
それは何……?
「ただでさえ動揺している翠葉ちゃんを、さらに動揺させることでしか、自分の方を向かせることができなかったんだ。君は困りに困って翌日知恵熱を出した。ほら、だからこの日は休みって書いてあるでしょ?」
指で五月十日月曜日を指される。
翌日の十一日もお休みになっているけれど、その日には桃華さんたちが自宅へきてくれたようだ。
おぼろげに、四人が部屋に入ってきたのは覚えている。けれども、そのほかは佐野くんに化学を教えている記憶しかなかった。
何かが抜けていると思うのに、肝心な何が抜けているのかがわからない。――モヤモヤする。
ひとり考え込んでいると、優しく甘い声がかけられた。
「俺はね、君のことが好きなんだ。女の子として、恋愛対象として……」
「え……?」
秋斗さんの声が繰り返し頭に流れる。
最初は音として捉えていたその声の、言葉の意味にびっくりした。
「秋斗さんが、誰を……?」
「翠葉ちゃん、君だよ」
「……あの、私、からかわれていたりしますか?」
「冗談でもなんでもない。本当にね、大好きなんだ」
その声音に頬が熱くなる。視線を合わせていられなくて、お布団に視線を落とす。と、
「これから話すことは、すべてがそれに起因している。だから、先に言っておきたかったんだ」
これから話すこと……?
不思議に思って顔を上げると、
「俺は、翠葉ちゃんと結婚したいくらい君が好きなんだよ」
思考停止に陥った私の顔は繕いようもないほど真っ赤に違いない。
「真っ赤だね」
秋斗さんはクスクスと笑い、
「そういうふうに反応してくれるところも全部好きなんだ」
私は「好き」と言われるたびに上気し、秋斗さんは「好き」と口にするたびに優しい顔をした。
とてもとても優しい、まるで大切なものを慈しむような、愛でるような眼差しを向けられる。その真っ直ぐな目にドキリとする。
「秋斗さん……その笑顔は反則だと思うんです……」
「前にも同じことを言われたな」
なんだか何を言っても笑われてしまう気がする。
「でもね、ずっと会えなかったし、ずっと言えなかったから……何度言っても足りないくらいなんだ」
「……でも、何度も言われたら、私の頭がショートしちゃいそうです……。そしたら、お話の続き、聞けなくなっちゃう……」
「そうだね、ごめん」
見ているこっちが切なくなるような顔をしないで……。
「翠葉ちゃんがそんな顔をすることはないよ」
優しく話してくれるけど、この人は気づいていない。自分がもっと切ない顔をしていることに。
「俺がそんな提案をしたあと、翠葉ちゃんは静さんとの打ち合わせでウィステリアホテルに行くことになった。その日は俺もホテルの一室で会議があったから一緒に行った」
その日に蒼兄の誕生日プレゼントを買ったことや、ロビーで雅さんという人と会い、警護対象になったことを教えられる。
作り話のように思える出来事がたくさんあって、聞いている私はただただ驚くばかりだった。
「試験が終わった日、検査で病院へ行った際、君は雅にとてもひどいことを言われて傷ついた」
主にはこんな内容のことだった。
秋斗さんと私はつり合わない。子どもが産める健康な身体でなければ結婚の資格はない、と。
「ごめんね。こんな思いはさせたくなかったし、何よりも雅との接触を避けるための警護だったのに……。司に怒られたよ。その日に限ってなんで離れたって」
放心状態の私を見つけてくれたのはツカサだという。
「俺はね、こんなことが起こるまでは絶対に翠葉ちゃんからOKがもらえると思っていたんだ」
「え……?」
「警護についていた期間、君はすごく俺を意識してくれるようになっていたし、俺に好きと言いかけたこともある。でも、結果的に俺は振られたんだ」
苦々しく笑いながら、手帳に視線を戻す。
「それがこの日、六月六日。その前、翠葉ちゃんの誕生日にはうちでランチを食べたんだよ」
秋斗さんは学校からマンションへ移動する際の会話や、秋斗さんの家での会話を思い出せる限り教えてくれた。
「ウィステリアホテルのシェフ、須藤さんは覚えてる?」
「はい、覚えています」
「彼と初めて会ったのはこの日なんだ」
須藤さんのことは覚えているのに、初めて会った日のことは覚えていない。
秋斗さんは自分の携帯を取り出すと、メール受信フォルダと送信済みフォルダを手帳と照らし合わせながら、
「この日はこんなことがあって、だからこういうメールのやり取りなんだよ」
と、本当に覚えている限りのことを教えてくれた。
キスをしたとか、抱きしめたとか、聞いていて恥ずかしくなるようなことを、秋斗さんはとても大切なことを話すよう口にする。
私は恥ずかしくて、どんな顔をして聞いていたらいいのかがわからない。気づけば、私は両頬を手で覆っていた。
「……私は、秋斗さんを好きだったんですね」
「……そう思いたい」
今、秋斗さんのことを好きかと訊かれると首を傾げてしまう。
でも、今までの話を聞いている限りだと、私は間違いなくこの人を――秋斗さんを好きだったのだと思う。
だって、そうじゃなかったらキスなんて、抱きしめられるのなんて、無理……。
秋斗さんと藤山でデートをする前々日に起きたことも聞いた。
街中で男の人に声をかけられ、それがきっかけで男性恐怖症になってしまったこと。その対象に秋斗さんは入ってしまったのに、ツカサと海斗くんは大丈夫だったこと。前日の、自分の誕生会の前に秋斗さんの仕事部屋で一緒にご飯を食べたこと。自分が手をつなぎたいと言ったのに、結果的には無理で、ツカサが宥めてくれたこと。
それでも私は六月六日に秋斗さんと会ったのだ。
手をつなぎたいと言い、自分から抱きついたという。
思い出せない。それは変わらない。
でも、秋斗さんが嘘を言っているようには見えないし、きっと本当にあった出来事なのだろう。
そうじゃなかったら、秋斗さんはこんなに悲しい顔をしなくていいはずだから――
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