その日の空は蒼かった

龍槍 椀 

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エスコー=トリント練兵場の「聖女」 

心に蓋を…… (1)

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「呼び出して、済まなかったね。 私の事は憶えていてくれているようで、何より。 まずは、座って欲しい」




 マクシミリアン殿下の言葉に、最敬礼を解き、設えられた豪華な椅子に軽く腰を下ろす。 勧められた事を否定するのは、不敬に当たるもの。 オトナシク、椅子に座り、伏し目がちに、辺りを伺うと…… 


 ほぼ、完全に人払いがされているのよ。


 応接室に居るのは、四人だけ。 マクシミリアン殿下、そして、副使の方。 ほぼ同年代の見覚えの有る人。 私と…… 事務官として私の側に控えるクレアさん。

 クレアさんに目配せをして、お茶の準備をお願いしたわ。 従卒すら、いらっしゃらない無いんだもの。 幸い、クレアさんは茶事に関しては、一通りの事は出来るから…… でも、あまりに高貴な方の前だから、手が震えているのよ。

 大丈夫? なにか有っても、一緒に謝るから。 落ち着いて……ね。




「硬くならず、話を聞いて欲しい」

「はい、マクシミリアン殿下。 お話の前に直言の許可を、お与え頂きませんでしょうか?」

「ふむ、そうだね。 薬師リーナ、直言を許可する」

「有難き幸せ。 感謝申し上げます」




 流れ的には…… これで、直接マクシミリアン殿下とお話出来る筈。 お隣の方も…… 厳しい視線を私に向けてはいるけれども…… これで、非礼では無い筈。  




「私もアンソニーも、君とは二回目だね。 やっと、きちんと、『言葉』を交わせる」

「此方の方が…… アンソニー様…… 王国騎士団 騎士団長 モーガン=アクト=テイナイト公爵様の……」




 まだ、幼いけれど、枯れた声が私の耳に届くの。 やや驚いた顔。 憶えているもの。 マクシミリアン様の、ずっと壁になっていた方だもの。 今も…… そして、前世も……




「あぁ、そうだ。 テイナイト公爵の三男。 アンソニー=ルーデル=テイナイト。 爵位は子爵を賜っている」

「薬師リーナに御座います。 どうぞ良しなに」




 また、記憶があふれ出すの。 そうね、リリアンネ公女の頬を叩いた時に、見てらっしゃったのもこの方。 この方だったかしら。 そして…… 「断罪の時」、私を床に叩きつけたのは、この方だったわね。 突き飛ばし、足蹴にされたのは、記憶の底に沈んでいたのにね。


 その時は……


 他国の姫君に対して手を挙げた私には、反論する余地も無くなっていた。 そう、他国の平和の使者たる姫君を害したと見られても、間違いはなかった。 ただ、私の心情を少しでも判ってくれる人が居たなら…… そう、思わずには、居られなかった。

 口惜しさと、憤りが綯交ないまぜになった私の視線は………… もう、誰にも届く事は無かった。

 記憶の奥底から、浮かんでくるその時の情景。 床にうずくまりながらも必死で、蔑んだ瞳で見下ろすマクシミリアン様を見上げ…… その瞳の中にありありと浮かぶ、憎悪の光を見詰め…… 絶望が体と心を締め付け…… 


 何もかもが、黒く染め上げられたかの想い……


 顔からスッと表情が消え、そして、硬く硬く固まる。  私の表情が変わるのを目敏く見付けたのか、マクシミリアン殿下は、ちょと困り顔。 でもね…… やっぱり身構えるわ。 前世の記憶の前には、私の心は無防備になるんだもの。 絶望と悔恨の想いが胸に競り上がって来るんだもの。

 そんな私の心など、きっと伺い知れない。 だから、彼は云うの。 本当に、本当に優しげな声でね。




「あぁ…… アンソニーは、こんな感じなのだけれど、優しい男なのですよ。 そう、警戒しないで欲しい」

「……御意に」




 とは言っても、表情は変わらないわ。 痛いの…… とっても、心が。 いくら、マクシミリアン殿下の優しい笑顔と、心を揺さぶる声が聞こえようとも、記憶は私を苛むから……




「う~ん、困りましたね。 一応は勅使として、此処に来たのですよ。 ウーノル殿下のご希望だし…… そう、警戒されたも困ります」

「申し訳御座いません。 高貴な方の前ですので、どうしても緊張してしまいますので」

「…………そうなのですか。 やはり、私がマグノリアの血を引く者だからなのでしょうか?」




 その言葉を紡がれたマクシミリアン殿下。 真剣な面持ちでこちらを見詰められるの。 と、同時にテイナイト子爵様の視線が凍る様に冷たくなる。 あぁ、そう云う事ね。 第四軍の主敵が、今や明らかにマグノリア王国となってしまっているものね。




「それは、違います。 そうでは、御座いませんわ。 殿下は、紛う事なきファンダリア王家の御一人。 今は亡き、マグノリア王国が先王、カルブレーキ=トップガイト=マグノリア陛下の王子殿下で有らせられましたのは、もう過去の事。 わたくしは、マクシミリアン殿下は、大切なファンダリアの高貴な方と、そう認識しております」

「では、なぜ、そう…… かたくなのでしょう?」

「それは、わたくしが、辺境の民であるからで御座います。 ……住まう世界が違うのです」

「……薬師リーナもまた、ファンダリアの民では無いのですか?」

「……蒼き血を持つ者と、そうでない者。 おのずから、違いは御座いましょう」

「そう……なのですか……」




 気まずそうに、指で頭を掻くマクシミリアン殿下。 その癖は、現世でもお有りに成るのね。 また…… また一つ…… 遠き記憶が溢れ出すわ。 王城に押しかけて、強引にお茶会を強請ねだる私に、困った顔で、指で頭を掻いてらしたものね……


 その、まばゆい光の中の情景…… 二度と、見る事が無いと思っていた…… その仕草…… 


 本当に嫌になる。 心の弱い私は…… マクシミリアン殿下のどんな小さな言動にも、心が揺らいでしまうの。 殊更に、表情を硬くするのも…… 心に引き摺られない様にする為。 だって、誓ったんだもの。


 ――― もう、恋なんてしない ―――


 って。 平穏を望み、誠実に生きている、生きとし生ける、この世の全ての者に、愛を注ぎ、慈しみ、その安寧を護るって……

 そう、誓ったんだもの…… その安寧を妨げる者を排除し、救える命をこの小さな手で、救うと―――






 ――――― そう、決めたんだもの。




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