蛍降る駅

龍槍 椀 

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巡る縁は糸車の様に

啓二

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 敬二 



 会社の方針ならば従わざるをえないだろう。しかし、釈然としない物がたくさんある。

 私が出した企画を跳ねるのはいい、しかし、単なる思い付きで、次の企画を決定されるのは、決して面白いものではない。


 神崎部長。


 貴方はいったい何を考えているのです。今のままでは、離れつつある顧客を戻す事は出来ません。地道な商品開発無くして、いったい何を売ると言うのです。


 心の中の声は、いっこうに収まる感じではなかった。

 理由は簡単だ。今期の目玉に迎え入れ様としているデザイナー。

 世間の目は、うつろいやすい。特に、私達が扱っているアパレルでは...


 なるほど、「リ・オリー」は若い女性の間では、定番になりつつあります。しかし、あれは、もうブランドイメージが付き、その先の展開にあまり希望が持てないのです。


 部長。


 私は別な情報も持っているのです。ちょっと出せないものが。

 仕事に追われ、危険をみすみすのがすと、馬鹿を見るのは、貴方なのですよ。

 私の視線の先に、そのデザイナーと親しげに話す部長が見えている。危険、危険、危険。

 私の頭の中で、ずっと警告が鳴っている....。



*******************************



「結城君。では、ここの統括を君にしてもらおうか」




 神崎部長の声に、私は現実に引き戻された。




「いや~~部長~~。私なんかより、相田くんの方が良いですよ。彼は、このプロジェクトに最初から係わっていたし、森原先生には、彼の方が可愛がってもらってますし」




 部長は、ちょっと考えるふうに装った。私は、相田と森原貴美子の間に何があったかも知っている。酒の席で酔わせると、あの馬鹿、機嫌良くその事を細かくしゃべった。神埼部長もその事を感づいているはずだ。当然、神崎部長と森原の事も周知の事実だ。そう言う話しは、隠そうとしても、隠れる物では無い。結局、色香に惑わされた馬鹿が二人いたと言う事だ。そして、私は馬鹿に付き合う趣味は無い。




「う~~ん、そうか。わかった。では、相田君に統括を任そうか」

「良い御判断ですね。うまく行きますよ。私なんかより」

「そうか」




 神崎部長は私の言葉に至極御満悦になった。良いのだろうか、こんなに単純で....まぁいい。これで、責任問題になった時には、私は部外者だ。




「さて、君はどうする?」

「はい、出来れば、いまやっている通販部門での、新商品展開の方が嬉しいのですが。なにせ、『リ・オリー』のプロジェクトで、そちらの方に、かなりの人員が引きぬかれますからね」

「そうだな、じゃあ、君には、引き続き通販部門の統括をしてもらおうか」

「有難う御座います。『リ・オリー』にはかないませんが、出来るだけ頑張って見たいですから」

「うむ」

「付きましては部長。統括の決済権はどのくらいまで、認められるのでしょうか?」

「ああ、君を前に言うのはなんだが、通販部門は、決して良い状態ではない。いつ撤退してもおかしくは無いからな…… 取りあえず、全権と言う事で。予算は、年度末まで残りを全額使って構わない。まぁ、あまり残ってはいないがな」

「わかりました」




 私は、神妙な顔をして、深々と頭を下げた。下げた頭の下で、ほくそえんでいる事も知らずに、部長はまた、森原の元に向かった。

 その辞令を目にしたのは、朝早くだった。出社して、一番に見た。



『 【織部 あゆみ】   右の者 通信販売営業部第三課へ、転属を命ずる……』



 昨日の帰りにちらりと見た光景が、脳裏に浮かんだ。森原が綾部さんを見て、顔色を変えながら言った言葉。



「あの人とは、一緒に御仕事できません」



 早速、神崎部長が動いた訳だ。いや、相田かな。どちらでもいい。私には好都合だ。同じ服飾営業部にいた人だった。

 私の目と情報に間違いが無ければ、彼女は金の卵だ。まだ未知数ではあるが、これからの展開を考える上では貴重な戦力になる。いわば、私の切り札ともなるであろう人だった。

 こんな機会に巡り会えるのは、本当に珍しい。この事については、森原に感謝せねばならないだろう。

 退社時間寸前に森原に逢いにいった。ちょっとした、宣戦布告のような物だった。

 私は知っている。そう、彼女の作品が織部あゆみのコピーだと言う事を。そして、もう直ぐ、そのストックも切れるだろうと言う事も。あのコンテスト、そう、森原が最初に世に出たコンテスト。あの時からだった。私は同じ学校に在籍していた。だから、彼女達が卒業して行った後、学内で囁かれる噂にも精通していた。それに....私は改悪された森原のデザインより、オリジナルの織部デザインが美しく見えた。

 同じデパートに就職するとは思っていなかったし、同じ部署で働くとも思っていなかった。表面上は何事も無かったような仕事振りだが、『リ・オリー』の新作が出る度に、その商品を食い入るように見つめる、織部さんの表情は知っている。

 野心よりも、自分の作品が改悪される哀しみに沈んだ瞳だった。

 そして、私は思いついた。これが、あまり業績の上がらない、うちの服飾部門の決め手になると。だから、肩を落とし、思いつめた彼女の後を追った。彼女を追って、裏路地に入ったは良いが、そこで見失った。半時間その辺りを探しまわり、やっと、人通りも無く、この辺りには珍しい、深い闇をその中に溜め込んだ、神社への道に彼女を見つけた。なぜ、彼女はこんなところを、歩いていたのだろう。



「 …………織部さん、織部さん。」



 私は彼女を呼んだ。




「ああ、はい?なんだ、結城くんじゃないの。」




 暗い表情に、驚きの視線を混ぜた彼女がそう言った。




「なんだ、じゃありませんよ。あんな辞令があって、思いつめたような顔をして、こんな道を歩いているなんて!」

「こんな道?」




 自分がどこにいるのかわからない、そんな感じだった。やっと、彼女の瞳に光りが戻った。




「……でも、結城君は何故ここに?」




 正気に帰ったような彼女が、そう言った。私は勤めて明るく、事実の半面を伝えた。




「今日、あんな辞令が発令されたでしょ。 気になって…… 大丈夫ですか?」




 その、言葉に彼女の瞳から急に大粒の涙が零れ落ちた。きっと、張り裂けそうな心が緊張と、良からぬ思いで一杯だったのだろう。 思わず、感情を込めて、名前を呼んでしまった。




「……織部さん」

「ごめん…… 変だよね。急に泣き出してしまったりして」

「……誰だってそうですよ。 あんな事があったら」

「違うの……違うわ。 泣き出したのは、別の理由」

「別の?」

「そう、私の事を見ていてくれている人がいたと思うと……急に……温かくなって……」

「……そうですか。どうです?これから一杯。 僕で、よかったら。昔の話でもしながら、飲みましょうか。 ……知ってましたか? 僕は織部さんのデザインが一番好きだったんです。 泥棒騒ぎでコンテストがめちゃくちゃになったでしょ。 残念だったな~~」




 私の極秘事項を話すのは、まだ先だ。いま、彼女にへたに動かれては、こちらの計画がだめになる。先ずは、彼女に立ち直ってもらわねば。そして、覆面デザイナーとしてこの業界にちょっとした風を起こす為に、彼女に彼女自身を取り戻してもらわねば。



 さぁ、はじめよう。


 まっとうに生きる者の強さと、


 したたかさを証明してやる。




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