蛍降る駅

龍槍 椀 

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蛍降る駅

祭りの夜と、私の決意

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 一緒に花火を見る将一の顔を、見詰めてしまった。
 


 胸が痛くなった。 せつなくて、せつなくて、せつなくて。 将一がふと私を見た。 視線が絡む。何もいえなくなった。 ……そして、とつぜん、何も聞こえなくなった。 花火の揚がる音も、周囲の喧騒も…… 何もかも……


 私は、そっと目を閉じた。


 唇に彼のぬくもりを感じた。


 最後の大きな花火が夜空に散った後、暗闇が押し寄せてきた。 三々五々人は家路につき始めた。 将一も、それに習い、人波にもまれつつ、軽トラまで来てしまった。 あれから、何も話していない。 あれは 夢? 幻? なんだったの?


 軽トラに乗り込むと、将一は言った。





「ちょっと、寄る所があるんだけど、大丈夫?」

「うん。もう、いい大人だし、うちじゃ、心配はしないよ」

「なら、いいんだけど。川上の小父さんは、いまでも怖いからな。」

「そんな事ないよ……」




 将一は、車を走らせた。 何処に行くのか? まさかホテル? えっ、でも…… そんな…… そんなわけ無いわよね。 でも、彼は昔からちょっと強引な所有るし…… 


 ほ、ほら、私だっていい年だし、そ、そんな経験の一つや二つ…… ごめんなさい…… 嘘つきました…… 


 車は、国道をそれ、山に向かう、脇道に入った。 えっ?えっ?どういうこと? あせる私を横目に、ドンドン山の方に向かう。

 ま、まって、こ、心の準備が…… だ、誰も居ない、夜の山の中って…… う、嬉しんだけど、は、恥ずかしいし…… こ、こんな年になって、情報で一杯の頭の中で、いろんなシミュレーションはしてたけど、まさかこんな唐突に始まるなんて…… う、嘘でしょ……

 でも、将一は、とてもまじめで…… 慌てふためく私をよそに…… 無言で軽トラを走らせてたんだ。 ふと気がついた、それは飛地への道だった。




「飛地に行くの?」

「判った? 涼ちゃん土地勘有るね。 そうだよ」




 やがて車は止まった。ビニールハウスの直ぐそばだった。 車から降りず、将一は、ポツリポツリと語り始めた。

「僕の夢はね、たった一人の女の子の言葉から始まったんだ。ずぅぅぅっと昔。子供だった頃、その女の子は、夜になると、河辺にいって飽きずに蛍を眺めていた。夕方の紅く光る雲を見詰めていたこともある。虫や魚や山や川、里の景色がとても好きだった女の子。その子が言ったんだ。『蛍はね、豊かな自然が無いと、生きてはいけないの』ってね」



 私は、その女の子を知っている。 ……何気なく言った言葉を真に受けていたなんて、思っていなかった。




「大きくなって、その子が『自然を・・・忘れ去られ様としている、自然の美しさを、世間の人に思い出してもらうのよ。自然が作り出した造型は、美の極致よ。私はそれを、世界中のみんなに知ってもらいたいの!』って言って、この村を出て行ったときに、僕の夢は現実味を帯びたんだ。その子が帰ってくるまでに、この村に、蛍が生きていける自然を取り戻そうってね」



 そ、そんな…… たったそれだけの事で…… この死んだような村に残り…… 


「村の自然は死にかけていた。皆、アスファルトの上のミミズになりかけていた。だから、有機農法と昔ながらの無農薬栽培方法を始めた。それなりの販売ルートも開拓した。最初は相手にされなかったけど、やっと、軌道に乗った。うちの村だけじゃなく、この一帯の村へその活動は広がっている。だから、これが出来た。」




 そう言ってから、彼は車を降りた。ビニールハウスへ向かう。扉を開け、私を誘った。




「これが成果の一つ。 最初の一歩。 これを川に放す。 来年はこれが親になって、何倍も増える。」




 私の目の前に、淡く点滅する光の群れがあった。天の川が落ちてきたような錯覚すら覚える。蛍だった。源氏蛍の群れだった。



「ビニールハウスで育てた幼虫が五千匹。 やっと成虫になりかけている。 あした放そうと思っている。 涼ちゃんに見せたかった、僕の『夢』だ」




 青白い光の塊が、歪んだ。涙が頬を伝って落ちた。彼は、彼は夢を実現したのだ。




「その気になったら、いつでも帰ってこいよ。 俺は待ってる。 いつまでも待ってる。 どうせ分家だから、誰にも文句は無いはずだ。 いや、文句なんか言わさないよ」

「将ちゃん!!」




 大好きよ! 我侭ばっかり言っていた私。 つまらない物と決め付けていた生活。 直ぐにでも彼の胸に飛び込んで行きたかった。 でも、出来なかった。 私は何? 何をしてきたの? 何を実現してきたの? このままじゃ、私、前に進めない!




「ありがとう…… いま、此処で貴方に飛び込んでいけたらどんなに幸せだろう…… でも、貴方に聞かれたわよね、『夢は叶ったのか』って。 まだ、何にも出来てない……と、言うより、忘れていた。 だから、……よかったら……  もう少し待って。」

「いいよ。 何かを忘れたら、思い出せばいいし、やり直すことが出来るのなら、やり直せばいい。 ただ、これだけは忘れないでくれ。 僕は『此処に居る』」

「うん、絶対に忘れない」




 私はそう言って彼を抱きしめた。彼もしっかりと抱きしめてくれた。暖かい。胸に開いた穴が彼で埋まっていく。私の夢で埋まっていく。嬉しかった。



 蛍の光が私たちを照らし出していた。



 私は静かな幸せな気持ちのまま、家に送られれた。 母は何度も礼をいい、彼は頭を掻きながら、帰っていった。

 母は何も言わずとも、何があったか、察してくれたようだった。 浴衣を脱いで、衣紋かけにかけてから、お風呂にはいる。 汗を流し、いつものカッコに着替えて、自分の部屋の布団に潜り込んだ。母の声が聞こえた。




「佐和ちゃん、ありがとね。幸せそうな顔してたわ。なにがあったか知らんけど、来たときより、ずっといい顔になってたわ。あんたのおかげよ」




 母の声は涙に濡れていた。


 私は悲しみと悔しさ以外の涙を、




 この布団の中ではじめて流していた。







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