蛍降る駅

龍槍 椀 

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蛍降る駅

私の原点 と 視界の先

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 抜けるような青空に、入道雲が立ち上がっていた。


 

 緑がとてもまぶしく、川のせせらぎに、心が軽くなる。




 お墓参りの帰り道、私はわざと遠回りして、村のあちこちを見て回った。 子供の頃の記憶が鮮明に呼び起こされた。 オテンバだった私は、男の子達と一緒に、川で魚取り、森で虫取り、近所の畑に入って、悪いこととは知りつつ、トマトなんかの盗み食いをしたりしていた。

 同じくらい、貧しい男の子の家に遊びに行き、広告の裏に、見てきた山や、川、虫、魚なんかの絵を書くのが一番のお気に入りの遊びだった。 今でも、蝉の詳細な絵が描けるのは、そのときの名残。

 貧しい家では、おもちゃなどは買ってもらえず、同年代の女の子とは、どうしても遊べなかった。人形一つ持っていなかった私。 でも、子供心に、両親にねだる事は、いけないことなんだと、感じていた。

 もちろん、ねだれば、何とかなったかも知れない。 けれども、悲しそうな母の顔は見たくなかったし、父に怒られのも嫌だった。 泥んこになりながら、思い切り笑いながら、私は、いつも寂しさを感じていた。

 大好きだったのは、絵を描く事。 写真を見ること。 デザインの勉強をしようと思ったのは、きっとそんな子供の頃の記憶があったからかも知れない。

 もう一つ、高校に行かせて貰ってから、何度か見た、写真部のパネル。 切り取られた風景は、とても、とても美しかった。 その写真を撮ったのが、将一だった。彼は伊藤の分家の中では一番貧しい家の息子だった。 自分でバイトして、買ったカメラを大事そうにいつも持っていた。

 写真を見ることが、好きな私は、いつしか、そんな彼と友達になった。 お気に入りの場所や、被写体を言い合って、笑っていたような気がする。




 楽しい記憶だった。




 クラスの他の子達は、別に気にも止めていなかった。 目立つ方じゃなかったし、悪く言えば、ブスがブサイクと付き合っていたからって、話題にもなりはしない、と、言えばいいのだろうか。

 高校一年…… 私は、村を出て、デザインの勉強をすることを決めた。 父は、このまま村に残り、何処かに嫁ぐ事を望んでいた。 だから、直ぐにバイトを始め、幾許かの蓄えを作りはじめた。 進路相談のあった日、私は、自分の希望を素直に先生に言った。 先生は笑いながら、ある、デザイン学校を薦めてくれた。 

 自分の可能性を信じる私は、その薦めに応じた。 ただし、両親には黙ったままで。 その事が両親にわかったのは、入学手続きを済ませた後だった。 だから、父と大喧嘩をしてしまった。 おろおろする母を背に、卒業式の直ぐ後、電車に乗った。 決めていたデザイン学校に行くために。

 将一だけが、駅に来てくれた。彼は私に言った。



『なんの為に行くんだ?』



 私は答えた。



『自然を・・・忘れ去られ様としている、自然の美しさを、世間の人に思い出してもらいたいのよ。自然が作り出した造型は、美の極致よ。 私はそれを、世界中のみんなに知ってもらいたいの! 私の夢よ。 私は、夢を実現するまで、此処には戻ってこない!』




 蛍が飛び交う駅舎。薄暗がりに、将一の顔が笑っていた。




『涼ちゃんらしい。楽しみだ。』




 ぶらぶらと歩き、駅舎の前までくる。 大口を叩いて、何かになろうとした私は、いったい、何が出来たの?やはり、アスファルトの上のミミズなのかしら・・・。




^^^^^^^



 夏の日差しが容赦なく照りつけ、道には逃げ水が、浮かび上がっていた。 一台の軽トラが、荷台に大きな太鼓を積んで走り去っていった。 父が、荷台に乗っていたような気がする。

 家に帰ると、母が、待っていた。




「父さんは? まだ、ちゃんと、話してないし……」

「あぁん? ああ、父さんね。 お祭りの時期は家には居ないわな。 ははっは!」

「さっき、軽トラに太鼓が乗ってたの、見たような気がするわ」

「あん人だったら、太鼓と一緒だわ。 太鼓の音が始まりだすと、帰ってきやしないよ」

「やっぱり、あれ、父さんだったのね」

「見たんか? 声掛けてやればよかったのに」

「恥ずかしいよ」

「まったく、よく似た親子だよ」




 その夜、父は帰ってこなかったらしい。 昼の暑さに負けた私は、早くにお風呂に入り、簡単でさっぱりした夕食を取って、眠りについた。 冷麦の冷たさと、茗荷の味が疲れた私の身体を優しく力付けた。 よく眠れそうだった。 そう言えば、こちらに帰ってから、クーラーのある場所に行っていないわ。




「全く、こん子は、ねてばっかりいるねぇ」




 母は呆れたように、そう言いながらも、眠っている私に夏蒲団を掛けてくれた。




 ^^^^^



 村は朝から騒がしかった。 鎮守様のお祭りには、近隣四ヶ村の者が集まる。 夕方になれば花火も上がり、結構大きなお祭りだった。 子供達の嬌声が響き渡り、昼前には、太鼓の音が聞こえていてきた。




「涼子。夕方になったら浴衣に着替えなさいね」

「うん・・・なんか手伝うことある?」

「別になんもないよ。ぐでぐで、ひっくり返っときな」

「ありがと・・・」



 母のありがたい言葉通り、日中の日差しの中には出て行かなかった。 久しぶりの暇な時間に、昔の物を引っ張り出してみた。 夢や希望しか書いていない恥ずかしい日記帖。 何冊も描きつぶしたスケッチブック。 色の変わった通知表。 とても遠くに来てしまった気がした。



 私ノ夢ハ、ドウナッテシマッタノダロウ?



 重い沈黙が私の周りを取り巻いていた。



 涼やかな風が、縁側を通り抜け、私の元に入ってきたのは、そろそろ、日も傾き始めた頃だった。 畑から帰ってきた母が、隣の座敷で、何かしていた。




「涼子!はよ来なさい。仕度せんとな。」



 母に促され、私は、座敷にいった。 用意は全て整えられていた。 下着姿にされ、叔母の浴衣に袖を通す。 ちゃんと、手入れされていたのだろう。 それは、まったく違和感なく私の身体に合った。




「佐和子が生き返ったみたいだわな。ようにおとるよ」




 そう言って母は眼を細めた。薄い水色に、桔梗が染め抜かれた浴衣は、主人を失ってから、どんな思いで今まで居たのだろう。誰かに着てもらえることなど、もう無かったかも知れないこの浴衣は、どんな夢を持っていたのだろう。




「きっと佐和子もよろこんどるよ。佐和子のお気に入りの、大事な浴衣だったんだもんな。それを、大好きだったあんたに、着てもらえるて、浴衣も喜んどるだろうな」




 母がポツリポツリと話す言葉に、涙が溢れそうになった。 恥ずかしくなったのだろうか、母は、思い切り帯を締めていた。 苦しくて切なくて・・・言葉にならなかった。

 珍しく、玄関から声がした。




「こんばんわ・・・・将一です。居られますか?」

「はいはい、いま、いくでな。ちょっとまっとてください」




 母は、私を姿身の前に座らせ、ざっと髪を梳き、高校の時にしていたように、短い髪を後ろでまとめた。




「なんで?」

「浴衣には、上げた方が似合うでな。・・・さぁできた、いっといで!」




 母はそう言うと、ポンと私の肩を叩いた。




 ^^^^^




 鎮守様のある、隣村には、将一の軽トラで15分もかからなかった。 笑いあい、昔の事を色々喋った。 将一の傍らには、見覚えのある、カメラがあった。 手にとってみた。冷たいまさに ” 機械 ” の、感じがした。




「何か撮るの?」




 私は無意識のうちで、そう尋ねていた。




「うん……お祭りをね。 それと、涼ちゃんも」

「私?」

「そう。 なんだかとっても色っぽいし。 その浴衣、よく似合ってるよ」

「……ありがとう、これ、おばさんのなんだ。 佐和子叔母さん」

「叔母さんのか…… 佐和子叔母さんって? 俺達が子供の頃に亡くなった?」

「うん、形見の品だよ」

「ふ~ん。そっか~きっと、その叔母さん、涼ちゃんの事、好きだったんだな」

「なんで?」

「身に有ってる。 と、いうより、その浴衣が着られたがってるって感じがしたからな。 形見の品なんてのは、誰が着てもあんまり似合わないもんなんだよな。 特に身につけていた物はね。 だから、そんな風に良く似合っているのは、故人がよっぽど思い入れのある人なんだろうなってな」




 泣きそうになった。熱い物が込み上げてきた。




「変なこと言ったか?」

「ううん、違うの。 なんだが、そう言ってもらえて嬉しかったの」

「お祭りだからな、楽しくいこう!」




 将一は、そう言ってくれた。


 お祭りは、盛大で華やかで、そして、穏やかだった。 金魚すくい、射的、etc. 出店は何処のお祭りでもたいした違いは無いけれど、楽しかった。 隣に将一が居てくれるだけで楽しかった。 ……あれっ? どうしてかな? むかし、夢と引き換えに諦めたはずじゃなかったの?


 そんな、疑問が心の底に湧き出した。でも、将一の変わらぬ笑顔を見ると、どうでも良くなってしまった。


 花火が打ちあがった。


 夜空に広がる、紅、蒼、碧の色花たち。




 音と光の競演。





 そこに居る皆と一緒に、私は確かな幸せなを感じていた。





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