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番外編
カッコよくならないで
しおりを挟む―――それは俺がレノから家の購入報告を聞いた数日後の、午後の事だった。
「うーん、こんな感じかぁー?」
俺は別邸の自室で、箪笥の上に置かれた鏡を前にじっと自分の顔を見つめていた。
しかしそこにノックと共にレノが部屋に入ってきた。
「失礼しますよ……って、何をしてるんですか?」
レノは俺を見るなり、尋ねてきた。だが俺はその問いには答えず、ドヤ顔で聞き返す。
「レノ。な、コレどうよ?!」
「どう、と言われましても。一体どうしたんです? その髪型」
レノは俺の頭を見て言った。
実はヘアーワックスをヒューゴから借りた俺は、いつも下ろしている髪を上げてオールバックにしてみていた。いつもと雰囲気が違って、少しは大人っぽくなっている気がする。
「俺ももうすぐ十九歳だからな。ちょっと大人っぽくなろうかと思って」
俺は腰に手を当てつつ、フスンッと鼻息を出して答える。
するとレノはじぃーっと俺を見ると、おもむろに片手を上げて俺の頭にぽんっと乗せた。そして何をするのかと思えば、折角セットした髪型をぐしゃぐしゃに掻き混ぜやがった!
「ちょ、何すんだよっ!」
俺はレノから離れて乱れた髪を抑える。そうすればレノは呆れた視線を俺に向けた。
「似合いません。いつも通りがいいです」
ハッキリと言われて俺はムッとする。
「似合わなくはないだろ。もぉー、折角セットしたのにぃー」
俺は口を尖らせつつ、鏡を見ながら乱れた髪を整える。だがそんな俺をレノは鏡越しに見つめて、こう言った。
「髪型を変える必要なんてありませんよ。貴方はそのままで十分素敵ですから」
急な甘い言葉に俺は胸がドキリとする。
「な、急になんだよ」
俺が振り向いて尋ねれば、レノはにこりと笑うだけで何も言わない。でも、俺を見つめる赤い瞳は本心からの言葉だと雄弁に伝えてくる。だから俺はなんだか恥ずかしくて、照れ臭い。
……ホント、レノってば恥ずかしい台詞をよくぽんぽんっと言えるよな。レノの目には俺はどう映ってんだか。
俺はレノを見つめ返して思う。けれどレノを見ていて、俺はふとある事に気がついた。
……そう言えばレノが髪を上げてるところって見た事ないな?
レノはサラサラの直毛で、綺麗な銀髪をいつも下ろしている。子供の頃から髪型はずっと一緒だ。
……髪を上げたら、どんな感じになるんだろ?
俺はちょっとした好奇心に突き動かされて、レノに両手を伸ばす。
「坊ちゃん?」
「ちょっとじっとしてて」
俺は戸惑うレノを他所に、両手でレノの髪を掻き上げてみた。
そうすれば、いつもは前髪に隠れている凛々しい眉がお目見えし、美しい顔立ちが露わになる。その上、髪を上げたレノはいつもの二倍増し色っぽい。
つまりは、カッコイイと言う事実が判明してしまった。
……あらやだ、カッコイイ。……でも同じ男としてちょっとジェラシぃー、むむむっ。
「坊ちゃん、一体なんです?」
「ぐぅ……この顔面偏差値たかたか男めッ」
俺はケッと不貞腐れた顔で思わず呟く。そうすればレノは当然困惑した顔を見せた。
「は? 顔面偏差値?」
「別にー? 綺麗な顔してるなって思っただけだ」
俺は言いながら、レノの髪を抑えていた手を離す。するとレノのサラサラヘアーはすんなりと元の髪型に戻った。でもレノはまだ困惑気味だ。
「人の髪を勝手に上げたかと思ったら、急に不機嫌になって。全く、何なんですか?」
「なんでもない。レノがイケメンだと改めて自覚しただけだ」
「いけめん?」
レノは意味がわからず首を傾げるが、前世語録だと気がついたようで俺に問い返しはしなかった。ただ……。
「いけめんが何なのかわかりませんが。坊ちゃんは私の顔、嫌いじゃないでしょう?」
レノは無駄にキラキラした笑顔を見せて俺に言った。そのキラキラの眩しさに俺はぐぅっと目を細める。
そしてレノの言う通り、俺はレノの顔が嫌いじゃなかった。いや、むしろ好きな方だ。
……だってレノの赤い瞳は綺麗だし、声もいい。なにより抱き合った時のレノはとびきり魅力的で……。
俺は夜の一幕を思い出して、一人勝手に恥ずかしくなる。でもそんな俺にレノは声をかけた。
「坊ちゃん、何を思い出してるんです?」
「ひょ!? べ、別に何も思い出してないし!!」
俺は少しだけ頬を熱くさせながら答える。そうすればレノはまるで俺の心を見透かしたように目を細めてじぃっと見つめた。
「へぇ? そうですか」
「そ、そうだよ!!」
「……まあ、そういう事にしておきましょう」
レノに言われて俺はホッと息を吐く。だが、奴は油断した俺に囁いた。
「今日の夜はじっくり過ごしましょうね?」
「ななななッ?!」
動揺する俺を他所にレノはにっこりと笑う。
……やっぱ、レノってば神様達と一緒で心が読めるんじゃないのか?!
「前も言いましたが、貴方は顔に気持ちが出過ぎるんですよ」
レノに言われて俺は即座に両頬に手を当てる。
「だからって勝手に読むんじゃありません!」
「無理ですね」
レノはニコッと笑って、楽しげに言う。絶対俺をからかって楽しんでる、ムキィッ!
「こっちを見るんでない!」
「嫌です」
レノはふふっと笑いながら言い、そっぽ向いた俺を見つめる。ホント、いい性格してる!
なのでムカついた俺は顔だけじゃなく、体ごとレノに背を向けた。フンダッ!
「坊ちゃん、こっち向いてください」
「やなこった」
俺は背を背けたまま答える。そうすれば、レノはいきなり後ろからぎゅっと抱き締めてきた。
「お、おいっ」
「坊ちゃんを見ないなんて、そんなの無理ですよ。大好きなんですから」
レノに耳元で囁かれて俺はドキッとする。甘い声で言われたら、胸のドラマーがスティックを持ち出すだろうが……ドコドコドコ。
「あー、もうわかったから離れろぃ!」
うごうごと動けば、レノは抱き締めていた手を緩めた。
「本当にわかってるんですか?」
「はいはい、わかってるよ」
……お前が俺の事、すごい好きなのは。
声に出すのは恥ずかしくて俺は心の中で呟く。でもそんな俺にレノは言った。
「でも、坊ちゃんも私の事が好きですよね?」
レノに尋ねられ、俺は「なななっ」とどもる。
「言わなくてもわかります、坊ちゃんの顔を見ていれば。だから貴方を見ずにいられない」
レノは嬉しそうに言い、俺はむぐっと口を閉じる。
……お、俺ってそんなに顔に出てるのか?! 恥ずかしっ! でもレノの事を好きなのは事実だしぃ。
なんて俺が思っていると、レノは少し屈むなり俺にちゅっとチューしてきた! もー、いつも不意打ちすぎんかッ!?
「ふぎゃ?! な、なななにするんじゃい!」
「私の事が大好きだと顔に書いてあったので」
レノはふふっと笑って言う。だから俺は何か言い返したいけど、レノの事が好きなのは事実なので言い返すことができない。ぐぅっ!
そして俺が何も言えないことをいいことにレノは俺の頬に手を当てた。
「だから坊ちゃん。今夜は本当に、二人っきりで楽しみましょうね?」
レノに宣言され、俺はボンッと顔を真っ赤にする。だって抱く宣言されたんだもん! それなのにレノってば。
「今夜は寝かせませんから」
なんて追い打ちをかけるから、俺はとうとう許容オーバーを迎える。
「あばっ、あばばばっ!」
言葉を失くして震える俺をレノは楽し気に見て、そっと頬に当てていた手を下ろした。
「さて。では私はそろそろ行きますね? それと坊ちゃん、貴方はそのままで十分魅力的ですからこれは貰って行きます。では」
レノは鏡の横に置いていたヘアーワックスを手に取ると上着のポケットに入れて、軽やかな足取りでドアへと向かった。そしてドアを開けて出て行く際、レノは俺に振り返った。
「ああそれと。言わなくても貴方の顔を見ればわかりますが、それでも気持ちを口にしていただけるととても嬉しいです。だから、今夜は期待してます」
レノはニコッと笑って、それだけを言うとパタンっとドアを閉めて出て行った。
そして一人残された俺と言えば、よろよろよろっとよろめきながらベッドに倒れ込み、ぎゅっと枕を掴む。
……今夜寝かせないって、俺ってば何されちゃうワケッ!? むっきゃぁぁ―――ッ!!
今夜起こる事を考えて、俺は心の中で大絶叫するのだった。
◇◇◇◇
――――そして、キトリーがひとりで悶々としている頃。
部屋を出たレノと言えば、厨房を訪れていた。
「ん、レノ。どうした? 坊ちゃんにおやつか?」
厨房に入ってきたレノに気がつき、ヒューゴは鍋をかき回しながら尋ねた。しかしレノは何も言わずにポケットからヘアーワックスを取り出し、トンッとテーブルに置いた。
「これ、お返しします」
「ん? それ、坊ちゃんに貸したやつじゃないか」
「次からキトリー様にこのようなものは渡さないでください」
レノが真面目な顔をして言うとヒューゴは一瞬キョトンッとしたが、すぐにレノの気持ちに気がついてにやりと笑った。
「そーだよなぁ。坊ちゃんが格好良くなると困るもんなー? でも束縛する男は嫌われるぞー?」
ヒューゴがニヤニヤしながら言うと、レノはちらりとヒューゴを一瞥した。
「ヒューゴさんには言われたくありませんね。未だに、フェルナンドさんが一人で出かけようとするとあれやこれやと理由を付けて一緒に出掛けるような人には」
レノにズバッと言われてヒューゴはたじろぐ。
「そ、それはたまたまで」
「別に構いませんよ。断られた時は後を追って行っていたなんて事も」
レノはにこりと笑って言い、ヒューゴはヒクヒクッと口元をひきつらせる。そして観念したような顔でレノを見た。
「全くちょっとからかっただけだっていうのに」
「そういうのは坊ちゃんだけにしてください」
「はいはい、わかったよ」
ヒューゴはふぅっとため息を吐いて、腰に手を当てる。そして視線をキトリーに渡したはずのヘアーワックスへと向けた。
「で、お前がこれを持って来たってことは坊ちゃんは使ってたのか?」
ヒューゴに尋ねられて、レノは素直に頷く。
「ええ、髪型を変えて楽しんでましたよ」
「そーか。でも、髪型を変えるぐらい良くないか? 坊ちゃんも年頃なんだし」
「そうかもしれません。でもヒューゴさんなら止めさせたい私の気持ち、わかるでしょう?」
レノが真面目な顔をして言えば、ヒューゴは腕を組んで「ん-、まあなぁ」としみじみと呟いた。
「坊ちゃん、あれだけ整った顔立ちをしてるのに、どうしてか自分の事は普通だと思ってるからなぁ。ホント、変なところでニブちんと言うか。帝都にいる時も人に好かれてたのに、その事に気がついてなかったし」
ヒューゴは思い出しつつ、少々呆れ気味に言った。
そう。キトリーは持ち前の鈍感さを発揮して、自分の魅力に気がついていなかった。
男前な父親に美しい母親、そして見目麗しい兄を家族に持っていながら自分は普通だと思っているのだ。だが実際は、艶やかな黒髪に輝きを放つ鮮やかな緑の瞳。派手さはないが、親しみのある顔立ち。そしてバランスの良い細身の体。
町中に立っていれば、行き交う人の視線を奪う事は間違いない。
そんな外見を持っているのに、人を想う優しい性格と明るい笑顔、その上誰にでも気さくで……帝都に住んでいた頃、悪役令息として名が知れていたキトリーだが、それでも人によく好かれていた。
でも、誰も交際や求婚を求めなかったのはキトリーが王家に次ぐ公爵家令息であり、なによりバルト帝国第一王子であるジェレミーの婚約者だったからだ。
だが婚約が解消された今、公爵家には見合いの話がいくつか持ち込まれている。でも、その話がキトリーの元にまで届かないのはキトリーの父親であるエヴァンスが留めているから。
だからこそ、レノは早々に自分のものであるという銀の指輪をキトリーの薬指に嵌めたのだ。
なのに、今以上にキトリーはカッコよくなろうとしている。
「わかっていただけたのなら、坊ちゃんから頼まれても次回は断ってくださいね」
レノが頼むとヒューゴをふぅっと息を吐きながら、頭をガシガシっと掻いて答えた。
「わかったよ」
「ありがとうございます。では、お仕事中失礼しました」
レノは返答を貰うなり、踵を返して厨房を出て行く。その後ろで「はー、今度坊ちゃんに頼まれたらどう断るか」とぼやくヒューゴの呟きが聞こえたが、レノは聞こえなかったことにした。
そして一人、廊下を歩きながらレノは先程のキトリーを思い出す。前髪を上げて、少し大人っぽくなった姿を。
……今も十分魅力的だと言うのに、これから大人になっていくほどに坊ちゃんはもっと素敵になっていくんでしょうね。あどけない顔立ちが精悍さを帯びて、大人の男になって。
レノは未来のキトリーを想像して、思わず深いため息を吐く。
「はぁ。……これ以上、あまり格好良くなって欲しくないですね」
レノは願うように呟くが、きっとこの願いは叶わない。だから。
……となれば、坊ちゃんにはしっかりと自分が誰のものかわからせておかないといけませんね。今夜から坊ちゃんの体にしっかりと言い聞かせておきましょう。どろどろに甘やかして、私から離れないようにしなければ。
レノは歩きながら、ぐっと手を握って心の中で固く決意する。キトリーが自分以外の誰も見ないようにする為に。
―――だがその頃。
キトリーは妙な悪寒をお尻に感じ、ぷるりと震えていた。
……むむっ、なにやら嫌な予感。今夜の事じゃないだろうな?
そう思うが、その予感は見事に当たってしまうのだった。
☆つづく☆
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