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Chapter4.想いが育たぬように
4-3.予想外の密会
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その日、昼食を運びに来たアルマは妙によそよそしかった。何があったのかは分からぬが、テオファネスは無駄な詮索をしないよう、いつも通りに彼女に振る舞っていた。
「今日は日曜日だし、午後から一般の方が修道院に来る事もあるから外出は無し。退屈かも知れないけど、いつも通り部屋で過ごしてくれてたらありがたいな」
──夕食時と就寝前にまた来るから。と付け添えて、食後直ぐに彼女は退出した。
外出が無い時は大抵いつもは、少し休憩して行くと部屋で雑談する他、ソファで昼寝をする事さえあるのに……。本当にどうしたのか。そそくさと去ったアルマを気にしつつも、テオファネスは直ぐにスケッチブックと鉛筆を手に持った。
────さっき、目も合わせてくれなかった。俺、何かしたかな。
考えるが思い当たる節は何もない。
そんな気分だったのだろうか。だが、彼女は気分で動いたりせずムラが無い性質だ。だが、思い当たる節は幾らかある。その中で濃厚な説はエーファ絡みの事で悩んでいるのではないのかと窺えた。
一応彼女の身の上話はつい最近聞いたが、テオファネスは非常に複雑な気分になった。
何せ、自分にも同じくらいの歳の妹が居たからだ。
下の妹に関しては、存命であれば十三歳程度とエーファと変わらぬ年端だ。容姿はおろか声も似ていない。それでも「お兄ちゃん」と悲痛な声で呼ばれた時は酷く心臓が締め付けられる気分になったもので。
────あの子に何かしてあげられる事があれば良いけど。けど俺、こんな見た目だしな。
怯えてはいなかったが、それでも怖いと思ったに違いない。テオファネスは鉛筆を握る己の左手を見つめて小さく息をついた。
くすんだ真鍮を思わせる金属質の手は触覚も痛覚も無く熱を感じない。機械仕掛けの片目に関しては、遙か遠方の敵さえ見つけ出す他、視線さえ向ければ物陰に身を潜める人の体温を察知する。夜間でも真昼のようによく見える夜行千里眼と呼ばれた代物だ。
しかしこの目がなかなかに曲者だ。使いすぎれば目の奥が焼けるように痛み、数日間目が見えなくなる事もよくあった。だが、戦場を離れてからというものの目が痛む事は微塵も無い。そんな部分から、この数ヶ月でどことなく、ただの人間に戻れた気がした。それでも、やはり自分の容姿をまじまじと見れば、人で無いと改めて思い知る。
──人に戻りたい。
心の中で呟いた言葉はもう何千、何百回目か。とはいえ、叶わぬ事をテオファネス自身も分かっていた。
何せ、機甲は戻す術など考えずに作られているからだ。決定的理由は、メンテナンスなどの手入れは皆無だからだ。銃や砲台と違い使い捨て。肉体に置き換えられた金属構造はまるで呪いの如く年々身体を蝕み広がる一方で止まらない。
機甲は皆短命だ。個体差はあるものの、大抵二年程度で全身を侵す痛みに悶え叫び、一頻り暴れた後にピタリと事切れる。
しかしどういった因果か、最初期の成功例の自分は通常の寿命をとっくに越えて五年は生きている。それでも、半年以上前から身体の異変や衰えを感じていた。
処分の理由はまさにこれだった。あまりに人間らしい自分を惨めに思ったのだろう。カサンドラ准士官は「余生を少しでも幸せに生きて欲しい」と願いこの修道院に預けたのである。
そして最期の苦痛に暴れる際……確実に屠る事が出来る火曜の天使が居るからこそ選んだのだ。自分はこの子に終わらせて貰える。初めこそそう思ったが、時間が経つ程、アルマにそんな務めを与えたくないとテオファネスは思った。
機甲の最期はなんとも無様な容姿となる。強膜は真っ黒に濁り果て、肉体の大半が腐食した金属に覆われる。そう、それこそまるでバケモノだ。そんな姿は彼女に見られたくもない。だからこそ、終わりは一人で迎えようとテオファネスは既に心に決めていた。
幸いにも近辺に湖がある。金属の身体は水に浮かず溺死は出来る。一人で終わるには充分な環境だった。
────でも、出来るだけ長く生きたいな。
アルマと居たい。と、漠然とそう思ったと同時だった。
キィ……と音を上げて、背後の扉が開いた気がした。戦場でもないのですっかり気が抜けており、後ろに注意を払っていなかったので気付かなかった。アルマが来たのだろう。そう思い、テオファネスは振り向くが、目に映した存在に息を呑む。
つい先週出会って泣き付かれた少女──エーファの姿がそこにあったからだ。
今日はレースのふんだんにあしらわれた純白の礼装でなく、町娘が着るような愛らしい民族衣装に身を包んでいる。しかし、どういった訳か泥だらけだ。それにどことなく血の香りが鼻腔を掠めるものでテオファネスは瞳孔を絞って目を瞠る。
そういえば以前、男児に暴力を振るわれそうになっていただの、アルマから聞いた事があった。まさか、本当に暴力を振るわれたのか。
「……その傷、どうしたんだ?」
テオファネスは立ち上がり、直ぐさま棚の中を探った。間違いなく使う事も無いとは思っていたが、一応常備していたのだろう。引き出しの中に消毒薬やガーゼの一式他、胃腸薬や喉の薬が置かれていたのは知っていた。テオファネスはおぼつかない手つきで、消毒液とガーゼを取り出してエーファに僅かに視線を向ける。
「ソファに座りな。何より傷の手当てしよう」
そう言うが、彼女はテオファネスに近付くと首を横に振り、小さな唇を開く。
「……この前、ごめんなさい」
「え?」
きっとあの時の事と直ぐ理解するが、謝る要素などあったのか。テオファネスが首を傾げれば、彼女は頬を赤く染めモジモジと更に続ける。
「人違いだって、ちょっとして分かったのに……甘えて泣いて困らせてごめんなさい」
鈴の鳴るような声は恥じらいを大いに含んでいた。しかし、それを聞いたテオファネスは驚きのあまり目をしばたたく。
自分で気付いたのか。ならばこれはしっかりアルマに伝えるべきだろうと直ぐに思う。何せ、即刻情報を集めようとするなど、アルマが一番彼女を心配していたに違いないのだから。
「別にそれは構わないが」
──それより、怪我の処置をする。と仕切り直すが、彼女は首を横に振るいテオファネスの金属質な手の上にそっと小さな手を重ねた。
触れられた事に驚いた。
「怖くないのか……」と問えば、エーファは頷いた。
「大丈夫。お兄さんは泣いてたエーファ抱っこしてくれたからとても優しいの。ねぇ、お兄さんは兵隊さんだよね? 聞きたい事があって、エーファ内緒で会いに来たの……」
全く喋らない子。そう聞いていた筈だが存外彼女はよく喋る。面食らいつつも、なるだけ優しく「何だ」と訊けば、彼女は真っ直ぐにテオファネスを見上げた。
「……エーファの本当のお兄ちゃん、兵隊さんに行っちゃったの。お兄さんに雰囲気がとても似てるの。白い髪で背が高くてスラっとしてて……テオドール・チェルハっていう名前。お兄さん、お兄ちゃんの事を知らない?」
そう聞かれて、テオファネスは眉を下げた。
「悪いが、俺はシュタールの所属だ。エーファの兄さんがベルシュタイン軍だとしたら、同盟軍とはいえ、流石に俺にも分からない」
そもそも軍人の数など腐る程いる。それに戦場など数多にあり、同じ配属先なんて奇跡に等しい。それも戦場では三帝国がごちゃ混ぜの混沌状態。味方だとしてもまず名前は分からない。ほとぼりが冷めた後に、地面に転がり事切れた者の認識票を回収するにも、その名を見ようが全ては覚えていられない程だ。
「そうなんだ……」
「ごめんな。力になれなくて」
詫びれば、彼女は首を横に振るい「ありがとう」と愛らしい声で礼を言う。しかし、彼女は壁掛け時計を見るなりに慌てた様子で目を丸くする。
「いけない。エーファもう帰るね。アルマもうすぐ来るでしょ。秘密で会いに来たのバレたら、アルマに嫌な思いさせちゃう。お願い、アルマに私が来たこと内緒にして欲しいの」
そう言うなり、彼女はパタパタと慌ただしく走って部屋を出て行った。
……しかし、嫌な思いをさせるとは。どうにも妙に言葉が引っかかる。
エーファの消えたドアを見つめたまま、テオファネスは深く息をついた。
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