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後日談など
久しぶりの夜会 4
しおりを挟む知らない、若い男だ。
ヴィンセントは何事もなかったかのように、男からそっと目を逸らそうとした。
しかし、その前に男はにっこりと笑みを浮かべ、軽い足取りでヴィンセントへと近寄ってくる。
「はじめまして、ヴィンセント様」
「ええ……はじめまして」
妙な気まずさにヴィンセントが戸惑っていると、男は「ウォルター子爵家のレイモンドと申します」と自ら名乗ってくれた。
けれども、レイモンドのこともウォルター子爵家のことも知らないヴィンセントには、やんわりと微笑むことしかできない。
男はヴィンセントの反応を気にした様子もなく、にこやかにヴィンセントへと手を差し出してくる。
「一曲どうですか?」
「…………」
ヴィンセントは差し出された手のひらを見つめ、どうしたものかと苦笑を深める。
結婚してから、クロード以外と踊ったことがない。社交界からなるべく遠ざかっていたし、そもそもヴィンセントにダンスを申し込んでくる相手もいなかった。
それがいったいどうしたことか。
ヴィンセントは視線を上げ、訝しむようにレイモンドと目を合わせた。
「……どうして俺に?」
「ダンスを申し込むのに理由が必要ですか?」
「そういう訳ではありませんが、俺はあまりダンスに誘われたことがないので」
「あなたの凛々しい美しさに皆臆しているのでしょう」
「…………」
ヴィンセントは途端にレイモンドが胡散臭い男に思えてきた。眉を顰め、どうダンスの誘いを断ろうかと考える。
社交界でダンスの誘いを断るのは基本的にマナー違反とされるため、なにかしら理由をつけなければならない。
しかし、ヴィンセントがこういうときに機転が利く男だったら、過去にあれほどクロードとすれ違うこともなかっただろう。
どうしたものかとヴィンセントが考えを巡らせていたところで、レイモンドがふっと笑った。
「今、あなたにダンスを申し込んだ理由はふたつあります。ひとつ目は、いつもあなたの隣にいるあなたの夫が今日はいなかったから。ふたつ目は、あなたの紫色の瞳をもっと間近で見たくなったから……でしょうか」
「…………」
口説かれている、と思うほどヴィンセントは純粋ではなかった。そもそもヴィンセントはさほど男受けする容姿でもない。
なにを考えているのかわからないレイモンドを見つめ、ヴィンセントは軽く肩をすくめる。
「クロード様に近づくために俺に取り入ろうとしても無駄ですよ。俺は夫の仕事には一切口出ししませんから」
「やはり元騎士だけあって警戒心は強いんですね。ですが、俺はあなたとダンスを踊りたいだけです」
どれだけヴィンセントが冷やかに対応しても、レイモンドはにこやかに笑ったままだった。
こちらに危害を加えてくるような気配はない。ただ、なにを考えているのかまったく読めないレイモンドが不気味だった。
……しかし、ここまで来ると断るのも面倒だ。
ヴィンセントは手に持っていたワイングラスをテーブルの上に置いた。
そして、渋々レイモンドの手を取ろうとした、そのとき──
「俺の妻は俺以外とは踊らない」
苛立ち混じりの、よく通る声だった。
そちらを見るまでもなく、ヴィンセントはようやく来たかと胸を撫で下ろす。
現れた金髪碧眼の男──ヴィンセントの夫であるクロードはずんずんとこちらに近づいてきて、不遜な態度でヴィンセントの隣に腰を下ろした。
そして、当然のようにヴィンセントの腰を抱き寄せ、冷やかな目でレイモンドを見る。
「失礼。妻は足を痛めている」
「それは残念です。では、また次の機会に」
「……次の機会なんてない。二度と俺の妻に気安く声をかけるな」
「クロード様」
さすがに言い過ぎだろうと、ヴィンセントは窘めるように名を呼んだ。
けれども、クロードは不快そうにレイモンドを睨むのをやめなかった。
それをさほど気にした様子もなく、「失礼致します」とゆったり一礼して、レイモンドは静かにふたりの元から去っていく。
最初から最後までよくわからない男だったな……と思いながら、ヴィンセントは遠ざかっていくその背中を見送った。
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