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【前日譚】夜明け前が一番暗い
渇望 ―ベルンハルトとグレンの出会い―
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【前日譚】は全て本編に入れられなかった《一周目》での話です
※結末が結末なので全体的に暗いです
-----------------------------
本編 第16話「ベルンハルトは過去を知る」の補完
タイトル通り二人の出会い編です
なんか色々言ってますが一目惚れの話です
-----------------------------
初めて彼と出会ったときからずっと、グレンは彼に魅入られている。
彼の美しさに、強さに――その弱さに。
______________
_______
___
黄金の川が流れるが如き滑らかな金の髪と、空を映した青い瞳。性差を感じさせない華奢な体躯。
――天使。
絵画や絵本の中にしかいないはずの神の御使いが自分の前に舞い降りたのかと、グレンは目を瞬かせた。
「グレン。ミルザム伯爵のご子息だ。ご挨拶なさい」
茫然と言葉を失って立ち尽くすのを背を叩く父の手に促され、ぎくしゃくと口を動かす。
「グレン・アルナイルと申します。ベルンハルト様」
当然ながら、彼は天使ではない。
――ベルンハルト・ミルザム。
ミルザム伯爵家の一人息子。ミルザム伯領の領主の嫡男だ。
グレンの生まれたアルナイル男爵家は、ミルザム伯領の統治下にある。
そして、アルナイル男爵家の長子は代々、ミルザムの後継者に仕える慣習があった。
今日は、男爵家の長子であるグレンと彼との初の対面の日である。
「……ああ」
どうにか微笑みを浮かべて首を垂れたグレンに対し、ベルンハルトは椅子に座ったまま返事とも独り言ともつかぬ小さな声を漏らし、それきり黙り込んだ。
グレンは顔を上げてよいものかもわからず、目だけ動かしこっそりとその姿を眺める。
襟を飾るレースと同化するような白皙の美貌に表情はない。
その細い指先が本のページを捲っていなければ、人形だと言われても信じただろう。
◆
広い部屋に流れる、沈黙。
はじめにそれに耐えかねたのはグレンの父であった。
「……ベルンハルト様。私は、これで失礼しても宜しいでしょうか」
「ああ……」
彼の許しを得た男は、息子の肩を軽く叩き部屋を後にする。
残されたグレンは、普通ならもっと戸惑うべきだったのだろう。けれど。
(なんて……美しいんだろう)
今まで見たどんなものよりも――これから先見るどんな素晴らしいものよりも麗しい“天使“と同じ空間にあれる喜びに浸り、それ以外の感情を失っていた。
◆
「グレン、とか言ったか」
時計の長針が十周はする程の時が刻まれた頃、彼が口を開いた。先ほどまでよりは幾分か大きなその声は、確かにグレンの鼓膜を揺らした。
(天使とは、このような声をしているのか)
薔薇の名前を呼ぶように玲瓏な響き。
あまりの陶酔に眩暈がしそうだった。
「はい、ベルンハルト様」
「……お前、いつまでそうしているつもりだ」
ベルンハルトは本を閉じると、机に肘をついて忌々しげにグレンを見遣る。
「貴方の許可が出るまで、ずっとです」
大きな溜息が聞こえた。
「もういい……いいから、顔上げろ」
グレンは彼の言葉に従い、背筋を伸ばす。
「グレン・アルナイル。お前は、オレのことをどう聞いている?」
「貴方は、ミルザム伯爵の嫡男で――」
「違う。そんなことは訊いていない」
彼は立ち上がると、グレンの前に歩み出る。
(小さい……)
父には同い年だと聞かされていたが、その割には随分と小柄だ、とグレンは思った。
「大人たちは……“オレ“のことをなんと言って嘲ったんだ?」
体躯に見合いの繊麗な指が、グレンの胸を小突く。
「どんな風な美辞麗句で飾って、オレの無様を語り聞かせた?」
悪辣な表情と言葉。
けれどグレンは――彼が、人から軽侮されることに慣れながらも、それに痛みを感じていることを悟った。
「……美しい、人形のようなお方だと……父は、そう僕に言いました」
「人形、ねぇ……」
父の――アルナイル男爵の言葉に込められたのは、彼の美しさへの賞賛、そして侮蔑だ。
脆い人形は、統治者には相応しくない――。
「それで? 実際にそのお人形に会った感想は?」
蒼穹の瞳がグレンを見上げる。
宝石よりもなお希少な双眸に、グレンの姿が映っている。
(ああ、そこを代わってくれ)
成ろうことなら、自分も彼の瞳の中の世界の住人となり一生を終えたい。
そんな想いに駆られ、グレンはしばし口をつぐんだ。
(いけない。この尊いお方が、俺に問いを投げかけてくれているんだ。その栄誉になんとしても応えなくては)
惚けた頭をどうにか働かせて、鈍重に口を開き。
「――天使のようだと思いました」
思ったままを告げた。
彼はじっとグレンの瞳を見つめ、それから柳眉を寄せる。
「……馬鹿じゃないのか」
「そうですね」
「オレが天使だって? オレは……オレのせいでお母様は亡くなられたのだし、お父様もオレのことを塵から生まれた羽虫だとお考えだというのに」
(羽虫だと?)
共通点など、羽が生えていること、その一点のみではないか。
グレンは色をなし、思わず彼の肩を掴んだ。
「いいえ、いいえベルンハルト様。誰がなんと言おうとも、貴方は僕の天使です」
それからグレンは、彼は何百と聞かされたであろう賛美を、濁流の如く語った。
「っ、もういい! もういいからやめろ!」
彼がそう言ってグレンの手を振り払うまで続けた。
「……結局、顔だけだって言いたいわけか」
彼は唇を歪めて、顔を背ける。
「僕はまだ、貴方の人となりを知りませんので」
「少し話しただけで……いや、話さなくたってわかるだろ。オレは、お前にもお前の父にも、椅子の一つも勧めなかった」
言われてみればそうか、とグレンは頷き。すぐに微笑んだ。
そんなことが、なんだと言うのか。
「――貴方は、お優しい人です」
「はっ……父親に似て、嫌味がお上手だな」
彼は初めに座っていた窓辺の書斎机ではなく、部屋の中央の紅いベルベットのソファに腰を下ろすと、すらりとした脚を組んだ。
「グレン・アルナイル。お前はオレに何を望む?」
そして問いかける。
人を誑かす、淫靡な笑みを浮かべて。
グレンは、彼の前に跪いた。
「ベルンハルト様。僕は――烏滸がましくも、貴方のお傍で一生を終えさせていただきたく存じます」
なんて傲慢な願いだ。――そう心の中で自身が囁くのを捩じ伏せる。
「理由を」
生まれながらに人の上に立つことを決定づけられた人間であるはずの少年の声は、か細く震えていた。
グレンは彼のそういう弱さを、痛ましく思い――愛おしいと思った。
「貴方は、僕の瞳を見つめ、言葉をかけてくださった。生まれて初めてです。両親も、僕自身ですら――この瞳を直視し得ないと言うのに」
――黄金の目は魔王の瞳。
忌まわしい色彩を持って生まれたグレンを、人々は恐れ、遠ざけた。
どんなに優しい人でさえ、グレンを慈しんだ乳母でさえ、目を逸らした。
あんなにも真っ直ぐに見つめ、言葉を投げてくれたのは、彼が初めてだった。
「オレはあんな御伽話を信じるほど馬鹿じゃないだけだ」
「御伽話……そうですね。でも、ベルンハルト様。大半の人間は貴方より愚かなのですよ」
この世界には古くから伝わる魔物の伝承が、御伽話がある。
曰く。
――それは、大地から木々から人々から、生きとし生けるものから生命の素たる魔力を奪い、空を黒く覆い尽くすほどの魔力の渦を造った。その力を以て、世界を滅さんとした。
――それは、煌々と輝く黄金の瞳を持っていた。
“それ“は、その存在は、畏怖と嫌悪を込めて魔王と呼ばれる。
「どうだか……御伽話を信じない者など、或いは考えなしにお前の目を見つめる者など……これからいくらでも現れるだろうさ」
オレである必要がどこにある。ポツリと付け足されたその嘆きこそ、彼の本心だろう。
彼は、承認が欲しいのだ。
彼は、自分が唯一無二であると認められたいのだ。
彼は、自身の存在を赦されたいのだ。
出来損ないの烙印で羽を穢された天使は、再び純白の翼を手に入れることを望んでいる。
(ならば……俺がそれを叶えよう)
グレンは、その心に付け入った。
「そうかもしれません。僕はこれから先……もしかしたら明日にでも、僕のこの目を厭わぬ人と出会うのかもしれません」
息を吐く気配を感じる。
薔薇の華が黒く枯れていくのを見つめる諦念。彼が、まだ短い生の中で幾度となく味わったであろう辛酸。
(俺が全て引き受け呑み下したい)
グレンは言葉を続けた。
「でも、ベルンハルト様。僕は――貴方がいい」
彼の許しも得られていないのに頭を上げ、その麗しき面貌を見据えた。
「……理由に、なっていない」
「理由……そうですね。貴方の美しさに心を奪われたからです。俺は哀れで愚かな男なのです。俗物です。蔑んでくださって構いません。だから――ベルンハルト様」
再度俯き、黒皮に包まれたその爪先へ、恭しく唇を落とした。
「どうか俺を、貴方のお傍に置いてください。そして願わくは、この不浄なる身体の全てを捧げ、御身をお守りしたいと思うことをお許しください」
だから、どうか。――グレンは、渇望する。
(笑ってくれ。俺に向けてでなくてもいい。ただ、心の底より幸せであると、笑って欲しい)
「俺は……貴方が、好きです」
礼儀をかなぐり捨て、膝の上で握り締められた白い手の甲にも口付けようとした。
「グレン・アルナイル」
それを押し留めるように名を呼び、彼は――ベルンハルト・ミルザムは、足の先でグレンの顎を持ち上げる。
「お前は今、オレに全てを捧げると言ったな」
「はい」
――貴方が死ねと言うのならば、迷わず地獄へ堕ちましょう。
――貴方が神を殺せと言うのならば、躊躇わずその胸を穿ちましょう。
グレンにはすでに、その覚悟があった。
(俺はとっくに貴方の虜だ)
あとは――彼が堕ちてくるのを待つよりない。
「なら……オレがこの世界を滅ぼせと言ったら?」
彼の言葉に、グレンは微笑んだ。
ああ、なんだ――そんなことか。なんと他愛もない願いだろう。
「勿論――魔王と成って、全てを滅びに導いてご覧にいれましょう」
出来るかどうかではない。
為すべきか為さざるべきかだ。
彼も、自らの問いの答えへ真偽は求めていなかったらしい。微笑んで、グレンの首元に結ばれたリボンを引いた。
「いいさ。オレが飽きるまでの間だけ……お前を傍に置いてやる」
「ありがとうございます、ベルンハルト様」
◆◆◆
「ベル。おいで、ベルンハルト」
彼と出会ってから数年の月日が経った。
「グレン、速い……もっとゆっくり歩けって前に言っただろ」
「ああ、ごめんね」
二人だけで過ごす時間においては、グレンは彼を“ベルンハルト“或いは“ベル“と、肉親よりもなお親しく呼称し、気安く話すことを許されている。
――お前は、オレに全てを与えるんだ。
――オレの奴隷に、父に、友人に……その全てにお前が成れ。
それが、彼の望みであったから。
「この愚図! オレが言ったことは一回で覚えろ」
「うん。……ね、手を繋ごうか」
息を切らして睨みつけてくる彼に、手を差し出す。
「そうしたら、ずっと一緒に歩けるよ」
「……置いて行ったら、許さないからな」
彼は苛立たしげに鼻を鳴らしながらも、その手を握り返した。
「わかってるよ。何だったら、ほら……〈契約〉。――“グレン・アルナイルはベルンハルト・ミルザムの手を……」
「おいやめろ! そこまでしなくていい!」
契約魔法を発動しようとするグレンを、彼は慌てて制止する。
「ははっ……冗談だよ」
半ば本気だった。止められなければ躊躇いなく誓っただろう。――生涯、その手を離すことはないと。
「行こう、ベル」
彼の手を握り返し、隣合って歩く。
向かうのは、彼の肌と同じ、雪のような白い花の咲き乱れる花園だ。
「いい天気だね」
彼はまだ、心からの幸せを溢れさせることはしない。それでも、グレンは幸福だった。
※結末が結末なので全体的に暗いです
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本編 第16話「ベルンハルトは過去を知る」の補完
タイトル通り二人の出会い編です
なんか色々言ってますが一目惚れの話です
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初めて彼と出会ったときからずっと、グレンは彼に魅入られている。
彼の美しさに、強さに――その弱さに。
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黄金の川が流れるが如き滑らかな金の髪と、空を映した青い瞳。性差を感じさせない華奢な体躯。
――天使。
絵画や絵本の中にしかいないはずの神の御使いが自分の前に舞い降りたのかと、グレンは目を瞬かせた。
「グレン。ミルザム伯爵のご子息だ。ご挨拶なさい」
茫然と言葉を失って立ち尽くすのを背を叩く父の手に促され、ぎくしゃくと口を動かす。
「グレン・アルナイルと申します。ベルンハルト様」
当然ながら、彼は天使ではない。
――ベルンハルト・ミルザム。
ミルザム伯爵家の一人息子。ミルザム伯領の領主の嫡男だ。
グレンの生まれたアルナイル男爵家は、ミルザム伯領の統治下にある。
そして、アルナイル男爵家の長子は代々、ミルザムの後継者に仕える慣習があった。
今日は、男爵家の長子であるグレンと彼との初の対面の日である。
「……ああ」
どうにか微笑みを浮かべて首を垂れたグレンに対し、ベルンハルトは椅子に座ったまま返事とも独り言ともつかぬ小さな声を漏らし、それきり黙り込んだ。
グレンは顔を上げてよいものかもわからず、目だけ動かしこっそりとその姿を眺める。
襟を飾るレースと同化するような白皙の美貌に表情はない。
その細い指先が本のページを捲っていなければ、人形だと言われても信じただろう。
◆
広い部屋に流れる、沈黙。
はじめにそれに耐えかねたのはグレンの父であった。
「……ベルンハルト様。私は、これで失礼しても宜しいでしょうか」
「ああ……」
彼の許しを得た男は、息子の肩を軽く叩き部屋を後にする。
残されたグレンは、普通ならもっと戸惑うべきだったのだろう。けれど。
(なんて……美しいんだろう)
今まで見たどんなものよりも――これから先見るどんな素晴らしいものよりも麗しい“天使“と同じ空間にあれる喜びに浸り、それ以外の感情を失っていた。
◆
「グレン、とか言ったか」
時計の長針が十周はする程の時が刻まれた頃、彼が口を開いた。先ほどまでよりは幾分か大きなその声は、確かにグレンの鼓膜を揺らした。
(天使とは、このような声をしているのか)
薔薇の名前を呼ぶように玲瓏な響き。
あまりの陶酔に眩暈がしそうだった。
「はい、ベルンハルト様」
「……お前、いつまでそうしているつもりだ」
ベルンハルトは本を閉じると、机に肘をついて忌々しげにグレンを見遣る。
「貴方の許可が出るまで、ずっとです」
大きな溜息が聞こえた。
「もういい……いいから、顔上げろ」
グレンは彼の言葉に従い、背筋を伸ばす。
「グレン・アルナイル。お前は、オレのことをどう聞いている?」
「貴方は、ミルザム伯爵の嫡男で――」
「違う。そんなことは訊いていない」
彼は立ち上がると、グレンの前に歩み出る。
(小さい……)
父には同い年だと聞かされていたが、その割には随分と小柄だ、とグレンは思った。
「大人たちは……“オレ“のことをなんと言って嘲ったんだ?」
体躯に見合いの繊麗な指が、グレンの胸を小突く。
「どんな風な美辞麗句で飾って、オレの無様を語り聞かせた?」
悪辣な表情と言葉。
けれどグレンは――彼が、人から軽侮されることに慣れながらも、それに痛みを感じていることを悟った。
「……美しい、人形のようなお方だと……父は、そう僕に言いました」
「人形、ねぇ……」
父の――アルナイル男爵の言葉に込められたのは、彼の美しさへの賞賛、そして侮蔑だ。
脆い人形は、統治者には相応しくない――。
「それで? 実際にそのお人形に会った感想は?」
蒼穹の瞳がグレンを見上げる。
宝石よりもなお希少な双眸に、グレンの姿が映っている。
(ああ、そこを代わってくれ)
成ろうことなら、自分も彼の瞳の中の世界の住人となり一生を終えたい。
そんな想いに駆られ、グレンはしばし口をつぐんだ。
(いけない。この尊いお方が、俺に問いを投げかけてくれているんだ。その栄誉になんとしても応えなくては)
惚けた頭をどうにか働かせて、鈍重に口を開き。
「――天使のようだと思いました」
思ったままを告げた。
彼はじっとグレンの瞳を見つめ、それから柳眉を寄せる。
「……馬鹿じゃないのか」
「そうですね」
「オレが天使だって? オレは……オレのせいでお母様は亡くなられたのだし、お父様もオレのことを塵から生まれた羽虫だとお考えだというのに」
(羽虫だと?)
共通点など、羽が生えていること、その一点のみではないか。
グレンは色をなし、思わず彼の肩を掴んだ。
「いいえ、いいえベルンハルト様。誰がなんと言おうとも、貴方は僕の天使です」
それからグレンは、彼は何百と聞かされたであろう賛美を、濁流の如く語った。
「っ、もういい! もういいからやめろ!」
彼がそう言ってグレンの手を振り払うまで続けた。
「……結局、顔だけだって言いたいわけか」
彼は唇を歪めて、顔を背ける。
「僕はまだ、貴方の人となりを知りませんので」
「少し話しただけで……いや、話さなくたってわかるだろ。オレは、お前にもお前の父にも、椅子の一つも勧めなかった」
言われてみればそうか、とグレンは頷き。すぐに微笑んだ。
そんなことが、なんだと言うのか。
「――貴方は、お優しい人です」
「はっ……父親に似て、嫌味がお上手だな」
彼は初めに座っていた窓辺の書斎机ではなく、部屋の中央の紅いベルベットのソファに腰を下ろすと、すらりとした脚を組んだ。
「グレン・アルナイル。お前はオレに何を望む?」
そして問いかける。
人を誑かす、淫靡な笑みを浮かべて。
グレンは、彼の前に跪いた。
「ベルンハルト様。僕は――烏滸がましくも、貴方のお傍で一生を終えさせていただきたく存じます」
なんて傲慢な願いだ。――そう心の中で自身が囁くのを捩じ伏せる。
「理由を」
生まれながらに人の上に立つことを決定づけられた人間であるはずの少年の声は、か細く震えていた。
グレンは彼のそういう弱さを、痛ましく思い――愛おしいと思った。
「貴方は、僕の瞳を見つめ、言葉をかけてくださった。生まれて初めてです。両親も、僕自身ですら――この瞳を直視し得ないと言うのに」
――黄金の目は魔王の瞳。
忌まわしい色彩を持って生まれたグレンを、人々は恐れ、遠ざけた。
どんなに優しい人でさえ、グレンを慈しんだ乳母でさえ、目を逸らした。
あんなにも真っ直ぐに見つめ、言葉を投げてくれたのは、彼が初めてだった。
「オレはあんな御伽話を信じるほど馬鹿じゃないだけだ」
「御伽話……そうですね。でも、ベルンハルト様。大半の人間は貴方より愚かなのですよ」
この世界には古くから伝わる魔物の伝承が、御伽話がある。
曰く。
――それは、大地から木々から人々から、生きとし生けるものから生命の素たる魔力を奪い、空を黒く覆い尽くすほどの魔力の渦を造った。その力を以て、世界を滅さんとした。
――それは、煌々と輝く黄金の瞳を持っていた。
“それ“は、その存在は、畏怖と嫌悪を込めて魔王と呼ばれる。
「どうだか……御伽話を信じない者など、或いは考えなしにお前の目を見つめる者など……これからいくらでも現れるだろうさ」
オレである必要がどこにある。ポツリと付け足されたその嘆きこそ、彼の本心だろう。
彼は、承認が欲しいのだ。
彼は、自分が唯一無二であると認められたいのだ。
彼は、自身の存在を赦されたいのだ。
出来損ないの烙印で羽を穢された天使は、再び純白の翼を手に入れることを望んでいる。
(ならば……俺がそれを叶えよう)
グレンは、その心に付け入った。
「そうかもしれません。僕はこれから先……もしかしたら明日にでも、僕のこの目を厭わぬ人と出会うのかもしれません」
息を吐く気配を感じる。
薔薇の華が黒く枯れていくのを見つめる諦念。彼が、まだ短い生の中で幾度となく味わったであろう辛酸。
(俺が全て引き受け呑み下したい)
グレンは言葉を続けた。
「でも、ベルンハルト様。僕は――貴方がいい」
彼の許しも得られていないのに頭を上げ、その麗しき面貌を見据えた。
「……理由に、なっていない」
「理由……そうですね。貴方の美しさに心を奪われたからです。俺は哀れで愚かな男なのです。俗物です。蔑んでくださって構いません。だから――ベルンハルト様」
再度俯き、黒皮に包まれたその爪先へ、恭しく唇を落とした。
「どうか俺を、貴方のお傍に置いてください。そして願わくは、この不浄なる身体の全てを捧げ、御身をお守りしたいと思うことをお許しください」
だから、どうか。――グレンは、渇望する。
(笑ってくれ。俺に向けてでなくてもいい。ただ、心の底より幸せであると、笑って欲しい)
「俺は……貴方が、好きです」
礼儀をかなぐり捨て、膝の上で握り締められた白い手の甲にも口付けようとした。
「グレン・アルナイル」
それを押し留めるように名を呼び、彼は――ベルンハルト・ミルザムは、足の先でグレンの顎を持ち上げる。
「お前は今、オレに全てを捧げると言ったな」
「はい」
――貴方が死ねと言うのならば、迷わず地獄へ堕ちましょう。
――貴方が神を殺せと言うのならば、躊躇わずその胸を穿ちましょう。
グレンにはすでに、その覚悟があった。
(俺はとっくに貴方の虜だ)
あとは――彼が堕ちてくるのを待つよりない。
「なら……オレがこの世界を滅ぼせと言ったら?」
彼の言葉に、グレンは微笑んだ。
ああ、なんだ――そんなことか。なんと他愛もない願いだろう。
「勿論――魔王と成って、全てを滅びに導いてご覧にいれましょう」
出来るかどうかではない。
為すべきか為さざるべきかだ。
彼も、自らの問いの答えへ真偽は求めていなかったらしい。微笑んで、グレンの首元に結ばれたリボンを引いた。
「いいさ。オレが飽きるまでの間だけ……お前を傍に置いてやる」
「ありがとうございます、ベルンハルト様」
◆◆◆
「ベル。おいで、ベルンハルト」
彼と出会ってから数年の月日が経った。
「グレン、速い……もっとゆっくり歩けって前に言っただろ」
「ああ、ごめんね」
二人だけで過ごす時間においては、グレンは彼を“ベルンハルト“或いは“ベル“と、肉親よりもなお親しく呼称し、気安く話すことを許されている。
――お前は、オレに全てを与えるんだ。
――オレの奴隷に、父に、友人に……その全てにお前が成れ。
それが、彼の望みであったから。
「この愚図! オレが言ったことは一回で覚えろ」
「うん。……ね、手を繋ごうか」
息を切らして睨みつけてくる彼に、手を差し出す。
「そうしたら、ずっと一緒に歩けるよ」
「……置いて行ったら、許さないからな」
彼は苛立たしげに鼻を鳴らしながらも、その手を握り返した。
「わかってるよ。何だったら、ほら……〈契約〉。――“グレン・アルナイルはベルンハルト・ミルザムの手を……」
「おいやめろ! そこまでしなくていい!」
契約魔法を発動しようとするグレンを、彼は慌てて制止する。
「ははっ……冗談だよ」
半ば本気だった。止められなければ躊躇いなく誓っただろう。――生涯、その手を離すことはないと。
「行こう、ベル」
彼の手を握り返し、隣合って歩く。
向かうのは、彼の肌と同じ、雪のような白い花の咲き乱れる花園だ。
「いい天気だね」
彼はまだ、心からの幸せを溢れさせることはしない。それでも、グレンは幸福だった。
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