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10.会議と処女は皿の上で踊る

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 カッ。カッ。カッ。

 Aの目の前を、レスターが足音も高らかに行ったり来たりを繰り返している。おまけに手には乗馬鞭を携えている。何に使うのかなんて、聞くまでもない。

「お間抜けさん。どうして尻尾のひとつも振れないのぉ?」

 腰を高く上げた四つん這い状態のAの腰に座り、セラフィムがきゃらきゃらと冷笑を浴びせてくる。見た目は少年とはいえ、血肉の通った人間だ。それなりに重い。おまけにわざと勢いをつけて跳ねたりする。骨盤が歪んでしまいそうだ。セラフィムの生体家具の気が知れない。

 文句を言って振り落としてやりたいが、口には猿ぐつわを噛まされ、両手首はガッチリ縛られている。こんなところで実感したくなかったが、さすがプロだ。

「ヴァルプルギスの夜まで三か月どころか、二か月半しかない。

 これで保証人を用意できないんじゃ、この店の評判、ガタ落ちだよ。マダムたちの顔が目に浮かぶなあ……」
 ヴィクトルは控室の壁に凭れて、両腕を組んだ。完全に失敗を見越しているのだろう。表情が暗い。

「……N、眠いならもたれろ」

 長椅子に座るEの肩に、船を漕いでいたNが体重を掛けた。
 ヴォルテールの営業時間はとっくに過ぎている。Aの不始末で、全員を集めた反省会が開かれることになったのだ。

 ハイチェアに座るクレハドールも、誰にはばかることなく大あくびをしている。彼は我関せずといったふうで、成り行きを見守っている。身体の自由を奪われ椅子にされているAにも、なんの感情も抱いていない様子だ。

「大体、俺はクリニックと言ったはずだ。それがどうして、貴族相手のサロンになるんだ」

 くるだろうなと思っていた指摘が、やはり来た。
 Eに謝ろうと顔を上げたが、カッと鋭い音を発てて視界を阻んだ革靴の踵に阻まれてしまった。

「我々にクリニックのノウハウがないからですよ。第一、貴族だけを対象にするわけではありません」
「保証人が貴族では集まる人間も偏る。俺は、新興の事業家から一般市民まで、人を選ばない場所が欲しい」

 Eは落ち着きや冷静を装っていたが、明らかに苛立ちを内包している。

「へえ? あなたがねえ」

 レスターはご冗談でしょ、と言わんばかりの視線でEを舐めた。挑発的に乗馬鞭を手の中で弄んでいる。チップが黒革の手袋を嵌めた手のひらを打ち、音を発てる。
 空気が緊迫して、今にも破裂しそうだ。

「サロンを強行したら、Nと出ていくおつもりですか?」

 Aは全身をビクンと震わせる。

 引き金を引かれた。Eとレスターは性格的に合わないだろうと、Aもそれとなく気を使っていた。彼らもお互いに感じ取って、一定の距離を置いていた節がある。
 今夜は近すぎる。
 どちらも理詰めで自分の主張を貫こうとするだろう。妥協案が見いだせなければ、それこそヴォルテールはヴァルプルギスの夜を待たずに、空中分解へ向けて一直線だ。

「ンーっ!」

 Aは両肩に力を入れ、出来る限り顔を上げようとした。

「家具は喋らない」

 冷徹なセラフィムの宣言と共に、バチッと何かが爆ぜた。床が一瞬白い光を照り返す。
 Aは悶絶して崩れ落ちた。生理的な涙がはじけ飛ぶ。腹を強かに打ち付け、しかし、うめき声を上げることすらできない。呼吸すら不可能だ。
 唇が震えて閉じることができない。猿ぐつわが唾液を含み始める。

 こいつスタンガン使いやがった。

 怒りよりも驚愕が先立つ。
 セラフィムは腰に手を当て、悪ガキの顔でAを覗き込んでいる。遠慮せずに、さっさと張り倒しておけばよかったと後悔した。

「……俺は出ていくのか?」

 電流のせいで耳鳴りが酷かったが、Nの声が微かに聞こえる。
 スタンガンで動けないAとは対照的に、まだ半分眠っているようだ。

「そんな話は聞いていない」
「N、後で話す」
「今話せば良いじゃないですか! Nの意見を無視するなんて、よくないと思いますよ」

 クレハドールは、さっきまでの眠そうな態度はどこへやら。急に生き生きし始めた。踊りだしそうな勢いでハイチェアから長椅子まで駆け寄り、三人掛けの隙間に細い身体をねじ込む。
 Aはまだ動けないまま、クレハドールを苦く見上げた。

「おやおや。それでは、やはりサロンで行くしかないようですね。それとも、あなただけ辞めます?」

 Eは無言でレスターを睨む。

 睨み返すことも、勝ち誇ることもせずに、レスターはAの前に踵を返した。
 目の前に、磨き抜かれた革靴が映る。
 奴隷の視界だ。これ以上に屈辱的な視界があるだろうか。

「さて、今度はこっちの問題です。
 このおばかさんをどうやって二カ月半で、貴族に気に入られるように調教しましょうか。
 広くご意見を賜りたいですね。なにしろ、私の手には余ります」

 Aはまだ痺れが残る身体を意地だけで反転させた。両手が後ろ手に縛られているので背が床に付くことはなかったが、うつ伏せのまま見下ろされるよりはまだマシだった。

「垢ぬけない格好をどうにかしたいよね」
 セラフィムがAの右肩の脇に立った。

「もう少し色気が欲しいかな」
 ヴィクトルが壁から離れて、左肩の脇に。

「下っ端根性が染みついてるのがなあ」
 クレハドールが長椅子から利き足だけを、右手近くに放り投げる。

「プレイへの知識が足りない」
 Eが席を立ち、左手の側へ立った。

「経験も」
 Nもそれに倣い、足元に立つ。

「それ以前に、マナーがなってません」
 レスターの影が顔に落ちた。

 彼らはてんで好き勝手に、Aを腐する。
 こいつら、劣等感で人を殺す気か? という気すらしてきた。

「保証人に心当たりがあります。
 ですが、彼がAを気に入るかどうかはまた別の話です。交渉のテーブルにつけるくらいには矯正しなくては」
「心当たりというのは、Sub?」
「この際、第二性は無視していいだろう。未経験者というのが不味い」
「全員で一通りやらせてみるか?」
「自分よりテクのないやつに、この玉体を預けるの? 絶ーっ対ヤダ」
「俺も。やる方ならやっても良いけど」

 なんだろうか。この感じは。
 目の前で六体の影絵が踊っているようにしか見えない。
 自分の意見が全く尊重されていないせいか、すべてが他人事に聞こえてしまう。A自身のことが着々と決められていくのに。それも不穏な方へと。
 大皿に載せられた豚の丸焼きは、こんな気分で、切り分けられ、食べられるのを待っているのではないだろうか。

「そうですね。
 ひとまずヴィクトルに訓練を頼みます。彼はDom専門店にいたのですから、スタッフのサービスくらい見知っているはずです」
「オーケー」
「セラフィムは吊り篭市に連れて行ってください。心当たりが外れたときの代わりが見つかれば、なお宜しい。
 あと、もう少しマシな服を身繕ってやるように」
「はぁい」
「N、Aが泣き言を言い始めたら、手厚く宥めてやってください。彼に逃げられては始まりません。何といっても、この中で地元売春組合と繋がりがあるのはAだけなんですから」
「分かった」
「Eにはヴィクトルと私の穴を埋めてもらいます。当然、セラフィムが不在の時はその分も。
 オールラウンダーのくせに、手を抜いてるの、知ってますよ」
「……」
「俺は?」
「ドールはAの雑用を手伝うように」
「なんで俺だけ?!」

 クレハドールは地団駄を踏んでいる。

 やっとスタンガンのショックが抜けてきた。

「ンー!」

 無様に全身でビチビチ跳ね、猿ぐつわを外せと目で訴える。
 Aは一番の気掛かりを、ようやく唇に乗せる準備ができた。
 本当は口に出すのも恐ろしかったが、答えを聞かないままの方がなお恐い。

「お、俺の、処女、どうなるわけ……?」

 六人の男たちが、Aの頭上で互いに顔を見合せる。
 妙な沈黙が、かえってAの正気を削り取っていく。想像力を逞しくしてしまう。

「……どうする?」

 セラフィムが全員の顔を見回した。自分の中で判断がつかないから、正解を盗み見ようとしてるふうだ。
 クレハドールが共同経営者の調教を受けているという話が本当なら、少なくとも、この場の半分は非処女ということになる。自分たちが仕込まれた通りでやろうと言い出したら。そう思うと冷たい汗が噴き出してきた。

「必須ということはないだろう」

 Eは、Aを気の毒そうな目で見た。
 友情に胸を熱くする一方、こいつは絶対に非処女ではないだろうなと、どこか白けた部分で思う。Eの尻に突っ込むなんて、地雷原をダッシュするより恐ろしい。

「俺も、」
「俺が開発してあげても良いですよ!」

 役割を与えられなかったクレハドールが、場の空気にそぐわない陽気さで名乗り出た。彫刻のように計算された美しい指先が、卑猥な動きをする。
 それに紛れてしまったが、挙げかけていたNの手をEが鋭く抑えたのを、Aは見ていた。

「ドールがやるなら、僕はパス」
「本人の興味が湧いたら、ってことで良くないかな。今後、恋人ができたときに可哀想だよ」
「あるいは、ヴァルプルギスの夜に間に合わなかった時、魔女に捧げてみますか。だめで元々です」

 レスターが恐ろしいことを言う。
 恐ろしいことには、まだ続きがあった。

「今のはあなたの促成栽培プログラムに過ぎません。
 今夜の不始末へのお仕置きは追ってお知らせしますので、沙汰を待つように。
 いいですね?」

 乗馬鞭のチップが、ヒタヒタとAの頬を打つ。想像していたより、ずっとひんやりしている。
 レスターの眼鏡レンズに映ったAの顔は引き攣っていた。
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