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芽生え~彼此繋穴シリーズ短編~

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「どこに行くんですか?」

 僕は父の背に訊いた。

「それは着いてのお楽しみ」

 父は歩きながらそう答えて、ドアの前に着くと振り返った。そしてドアノブを回して引き、紳士的な仕草で僕にダイニングルームから出るよう促した。

 吹き抜けの天井で大きなシャンデリアが輝いている。床と階段には赤いカーペット。

 知っている光景なのに、新鮮な気持ちになった。立派な家に住んでいるのだという実感が湧いて、誇らしくなると同時に萎縮いしゅくした。

 僕がここに住んでいるのは、父に権利を与えられているからだ。

 僕には何の力もない。父がいなければ路頭に迷うだろう。

 もし父が僕を要らないと思えば――。

 ピアノの音が止み、背後でドアの閉まる音がした。

 はっとして振り返ると、父がもう隣に迫っていた。

「さ、行こう」

 父が悠々と歩き出したので、焦ったような気持ちで後についていく。

 形の良い後頭部、広い背中、やんわりと振られる手。その周囲にある、焦げ茶色の木製モールディングとケーシングに縁取られた、白い天井と壁が流れていく。

 やがて、妖精の群れが優しくノックしているような音が耳に入った。

 小雨が降りだしたのだと覚る。

 漠然ばくぜんとした不安と、足音さえ聞こえない静けさに寂しさを感じていた僕は、その控えめな雨音に救われた。心が和んでいなければ泣いていたかもしれなかった。

 父は壁際にある階段裏の通路に入ると、手近なドアの前で足を止め、ズボンのポケットから黒皮のキーケースを取り出した。そのボタンを外して鍵束を露出させると、片手で擦り合わせるようにして必要な鍵を選び出した。

 父がドアの鍵を開けて言う。

「開けてくれるかい?」

 僕は言われるままにドアノブを回して引く。

 すると、向こうから押されて一気に開いた。

 押したのは風だった。強い冷風が吹き込んできて、思わず目を閉じる。鳴らない口笛のような音が耳の側を通り過ぎていく。髪が後ろに勢いよく流されるのが分かった。

 風が止んだ。一瞬の溜め息のような吹き方だった。

 目を開けると、下に向かう木製の階段が見えた。暗くて先の方は見えない。

「父さん」僕は父の顔を見て訊いた。「ここは?」

「地下室の入口だよ」

 父は壁に備えられたランプに、オイルライターで火を灯しながら答えた。

 炎がガラスの向こうで揺らめくと、父はランプの取っ手を掴んで壁から外した。

「さ、おいで。足下に気をつけて」

 父がランプを手に階段を下りて行く。僕はその仄かな明かりの後に続いた。

 
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