猫被り姫

野原 冬子

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2、石塔と緋色の魔女

祖父のドレスと魔女の長手袋

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 クリスティアナが石塔2階へ上がって行くと、扉のない部屋の入り口から魔石ランプの柔らかい光が階段の壁まで伸びていた。

 ひょっこり首を出して室内を覗けば、初老の貴婦人が一人掛けの椅子に座って読んでいた紙の束から目を上げる。

「あら、ティナ、お帰り。お久しぶりね。元気にしてた?」
「はい。ありがとうございます。おばさまもお変わりありませんか?」
「ふふ、私は美容と健康を守る緋色の魔女ですもの。不健康になんてなってたら、商売あがったりよ?」

 軽口に載せて嫣然と笑む緋色の魔女は、お年なりの目尻と口元の年輪もお茶目で魅力的だ。

 そして相も変わらず美しかった。



 緋色の魔女スカーレットとクリスティアナが初めて顔を合わせたのは、祖父オーウェンが亡くなった日の深夜だった。
 オーウェンが息をひきとってから半日が過ぎた頃で、真夜中を過ぎた冬の終わりの夜空には、上弦の細い月が上がっていた。

 クリスティアナは、祖父の横たわるベッドの傍に椅子を置き、魔石ランタンを手元に引き寄せて専属執事のモーリスが取り急ぎまとめた葬儀参列者の名簿に目を通していた。

 不意に、テラスに続く大窓の外でひゅぅと風が鳴いた。
誰かに呼ばれたような気がして顔を上げると、窓の外に緩やかに波打つ緋色の長い髪を風に揺らす美しい人影が忽然と現れていたのだ。

 いつか祖父の話に聞いた、曰く「腐れ縁の緋色の魔女」がお別れに来たのだと、すぐに察した。迷うことなくテラスの大窓を開くと、緋色の髪の美女は艶やかな中に少しだけ寂しさを滲ませた笑みを浮かべて躊躇なく祖父眠る私室に足を踏み入れた。

「いい子ね」
迎え入れたクリスティアナの頭を優しくひと撫ぜしてくれた。
魔女の慈愛に満ちた神秘的なエメラルドの瞳が美しかった。



 あの夜の記憶は、今でも鮮明だ。 



 以来、魔女は季節ごとにクリスティアナの様子を見に来てくれていた。なんでも、成人までの4年を見守るよう生前のオーウェンに依頼されたのだとか。頼まれたのは、あくまでもただの見守りだからと、グリンガルドの抱えている問題について、情報提供も助言もするつもりはないようだったけれど。

 それでも、空を飛べるほどの魔女が、自分を気にかけ様子を見に訪れてくれるのは、嬉しかったし、心強かった。


 クリスティアナは、魔女の軽口を楽しそうに受けとりつつ、さっと部屋の中に視線を走らせる。おもてなしに不足はないか確認しようとしたのだ。・・・けれど、立ち上がった魔女に一瞬で間合いを詰められて、両手で頬を挟まれぐいっと顔を引き寄せられた。

 「あらやだ、ティーナ、あなた、うっすらだけど目の下に隈があるじゃないっ まぁ、なんてこと! 肌もこんなに荒れてるわっ!」
 魔女がこの世の終わりと言わんばかりに驚愕に目を見開き、嘆きの声を上げた。


 その迫力に、どんな罵詈雑言にも耐えてきた鋼のメンタル保持者のはずのクリスティアナの腰が引ける。
「えええぇー? と、ですね、これは、その学院卒業のために捧げられた尊い犠牲と申しましょうか、決して健康維持を疎かに考えていたわけではなく・・・」

「そんな言い訳、私に通用すると思って?」
「・・・力不足でございました。いたらず、申し訳ございません」
「ああ、もうっ 信じられないっ ・・・いいかしら? お誕生日まであと半月ないのよ? 成人の日、侯爵継承の席に中途半端な状態で臨むなんて、許されると思わないでね。 私は、見守りの最後はしっかり送り出すように、オーウェンに頼まれているの。今日から徹底的にメンテナンスするわよ。覚悟なさいっ」
「・・・はい」
美と健康の守護者と謳われる緋色の魔女の厳しい叱責に、クリスティアナはしょんぼり項垂れた。


 いつの間にか戸口の脇に2つの首が生えていて、叱られる主の姿に、ニヤニヤくすくす笑っていたけれど、まるっと無視してやった。




 それから、誕生日当日まで、クリスティアナは緋色の魔女にぴったりマークされ、磨きに磨かれた。

 乾燥気味だった髪は、静謐な月の光を帯びたように艶めき、絹糸のように背中に流れ落ちる。荒れていた肌は、仄かな光沢を放つ真珠のごとき整いようだ。血色の悪かった薄い唇も薄いなりにふっくら潤う桜色に染まった。



 そんなこんなで迎えた、王太子のお妃選びの夜会当日。とうとう18歳の誕生日を迎え成人となったクリスティアナは、朝から緋色の魔女にかまい倒されていた。

 今は最後の仕上げとばかりに、2階に持ち込まれた姿見———女性の居室に鏡の一つもないのは何事か、とラウルが買いに行かされ、地下水路を経由して持ち込まれた———の前に立たされている。

 この日のロングリャラリーの床磨き担当は、ジュードだった。つい先ほど、主棟の一家3人が出掛けたからと、リリア子飼いの侍女に引きずられ、1階正面入り口から放り込まれて外から関貫をかけられていたから、今頃は着替え終わっている頃だろう。


「ふふ、できた。とても美しいわ、ティナ」
 満足げに笑んだスカーレットが、背後からクリスティアナの両肩に手を置いて鏡ごしに覗き込んできた。

「ありがとうございます」
鏡の中の魔女に目を合わせ、クリスティアナが綺麗に口角を上げて微笑む。

 幼い頃から、祖父のお眼鏡にかなった家庭教師と貴族学園の一等生だった母に扱かれ抜いて身につけた御令嬢スマイルも、実はこの4年でちょっとばかり錆びついていたのだけど。すぐに魔女に見抜かれて、この半月弱でビシバシ再教育をされた成果の微笑みだ。

 身につけたドレスは、祖父の髪の色を写したような渋い銀色をベースに、母とクリスティアナの色の群青の差しを入れた絹地。純金を練り込んだ月色糸で刺繍を典雅に散らした最高級品で、生前のオーウェンがデザインを選び素材を用意ていたものだった。18歳直前のクリスティアナを採寸し、最後の仕上げを魔女が請け負った。

 少しばかり女性らしさには欠けるけれども、整った淡麗怜悧な顔立ちのクリスティアナの魅力を遺憾なく引き出している。夜の帷を支配する月の女神さながらの、端正で静謐な、一分の隙もない佇まいだ。


「これは、私からのお祝いね」
仕上げにと、スカーレットが取り出したのは、繊細なレース編みの、群青色の長手袋だった。

差し出されたそれを何気なく手にとり、「え?」と声をこぼしたクリスティアナの顔から、一瞬で侯爵令嬢の笑みが剥がれ落ちる。ポカンと口を開き、ついでに目も見開いて、手袋を凝視している。

そして、何度も何度も手触りを確認してから、体を捻ってスカーレットに詰め寄った。

「これは、あ、あ、アラクネーではっ しかもロアンの最強最高級品ではっ!?!?!?!」
「あら、さすがね。ご名答」
さらっと答えた魔女に、クリスティアナは息を止めて絶句する。


そうか、緋色の魔女は、ロアンの魔女なのか、と、クリスティアナは一瞬で理解した。
おそらく、王弟閣下のお妃様、ソフィー妃殿下のお身内の、前ロアン伯爵その人だ。


「どんなに魔女の技をもって磨いても、子供の頃から育てたペンだこと剣だこのある、その尊くも素敵な手の魅力は隠せないものです。隠すなら、それくらいの品を身につけるべきですよ、我が友、クリスティアナ・グリンガルド侯爵令嬢」

静かに微笑む、美しい緋色の髪の貴婦人がそこにいた。

クリスティアナは心の震えるままに、渡された手袋を両手にもって胸に抱き、深く腰を落とす、端正で揺るぎないカーテシーを、目の前に現れた貴婦人に送る。

「由緒深く誇り高きロアンに連なる御方さまへ、暖かく深い御厚情に心より感謝を申し上げます」





それからきっちり3秒数えて、

魔女がぷっと吹き出した。
「はい、よくできました」

「これ、本当に頂いても!? 返しませんよ、いえ、もう返せませんよっ」
体を起こしたクリスティアナは、アラクネー織の手袋をさらに深く抱き込んで、肩越しに魔女を見た。

「あらあら、それを誰が作ったと思ってるの? 私よ、わ、た、し。あなた以外に身につけられる人はいないわ。 あなたの髪を食べさせた女王魔蜘蛛の糸混合、さらに魔女の祝福つきの一品モノよ」
「おばさま、どうしましょう!私、嬉しすぎて気を失いそうです!」



うふふふふ。

クリスティアナの喜びように、魔女はそっとほくそ笑んだ。



 成人の誕生日に、誰が一番クリスティアナのを喜ばせることができるか。
生前の氷の古狸と、王宮離宮の古狐と、ロアンの化け猫の、腐れ縁トリオは賭けをしていたのだ。



あの赤ワイン、もう私のもじゃない?


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