猫被り姫

野原 冬子

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2、石塔と緋色の魔女

王宮からの使者

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りんっ

執事長室備え付けの小さなベルが、高く澄んだ音を響かせた。


 侯爵家の会計監査のため、机に積み上げられた帳簿と書類に埋もれていたモーリスは、ベルの音に顔を上げる。

窓の外の空の色は、午後も夕刻に近い頃合いのものだった。



 高く澄んだ音色のベルは、表門詰所からの知らせである。
1度だけ鳴った時は「門を開け来客を通した」合図。2度であれば「門前にてご対応を」という依頼。3度以上で警報となり、回数が増えれば増えるほど、強く注意を促すものとなる。

 
 侯爵代理の家族3人は、少し前に連れ立って王弟アーサー殿下の第三子である長男誕生を祝う舞踏会へ出掛けたばかりだから、一家帰宅の知らせではないはずだった。

出迎えのため使用人を集めるには及ぶまい。

 モーリスは、門を潜り馬車がエントランスに到達するまでの時間を考え、サッと身だしなみを整えると、執事室を出た。




 玄関を出てしばらく待つと、王宮旗をはためかせた一頭立ての一人乗り、天蓋のない四輪馬車がエントランスに滑り込んできた。

公式な通達や急な王命などを運ぶ王宮専属配達人の馬車だ。



「やぁモーリス君、久しぶりだね」
手綱を引いて笑顔で馬車を止めたのは、慕わしくも懐かしい執事仲間の先輩だった。すっきりと伸びた背筋に、丁寧に撫でつけられたロマンスグレーの髪、栗色の瞳には穏やかな笑みを含ませている。

執事界でその名を知らぬものはいないと言われる伝説の王宮執事エリオット・トンプソンだ。


「エリオット先輩!?」
流石のモーリスも驚きを隠せず、思わずその名を呼んでしまう。


今は離宮でお暮らしになっている先王陛下ヘンリ様の執事長をお勤めのはず。とてもではないが、若手が主流の王宮配達人を務めるような人ではない。

「配達人なんぞ今更できるものかと危ぶんでいたんだけど、案外できるものだね。ずっと離宮の引き篭もりに付き合わされているから、ちょっと若返った気がするよ。ふふ、たまには、こういう無茶振りも悪くないかな」

エリオットは、イタズラが成功した子供のように口角を上げると、肩掛けの皮の配達鞄から2通の白い封筒を取り出し、差し出してくる。

「・・・あ、ありがとうございます。お勤めご苦労様です」

そろそろ、王太子殿下のお妃選びの舞踏会の招待状が来る頃合いだとは思っていた。おそらくそれだろうと察したが。

差し出されたのは、全く同じ様式の白い封筒、2通だ。
モーリスは、ハッと息を呑んだ。


「グリンガルド次期侯爵、総領姫クリスティアナ嬢の王立魔術学院卒業を、心よりお祝い申し上げる、と。我が主からの伝言です。御令嬢のお誕生日当日、陛下の執務室でお待ちになるとか、もう年甲斐もなくはしゃいでおられてね。私もこの有様というわけだ」

「・・・・ありがとうございます。皆様のご尽力の賜物でございましょう。心より、心より感謝申し上げます」

モーリスはグッと熱を帯びた胸に白い封筒を押し当て、深く腰を折る最敬礼を執事の大先輩に送った。

「モーリス君も、いろいろ苦労が絶えないようだねぇ。全て丸く収まったら、休暇をもぎ取って愚痴大会を開こうじゃないか」

苦笑混じりにエリオットがいうのに、モーリスが綺麗に口角を上げて笑って見せた。
「はい、楽しみしております」

「ふふ、いい顔だ。じゃ、またね」
モーリスの極上の笑顔に目を細め、エリオットは嬉しそうに前を向いて、手綱を握り直した。




偶然ではないのだろう。

今日、王弟殿下の夜会に侯爵代理一家が招待されたその留守中に、エリオットが王宮からの祝辞と招待状を運んできたことも。

次期侯爵指名誓約の期限となるクリスティアナの誕生日に、王太子殿下のお妃選びの舞踏会が開催されることも。




モーリスは、無性に今は亡き最愛の主オーウェンの顔が見たくなった。

そして、未だかの方の魔力の残滓を残す肖像画に会うため、足は自然とロングギャラリーに向かっていた。


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