猫被り姫

野原 冬子

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2、石塔と緋色の魔女

石塔の秘密

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 グリンガルドの忘れられた石塔には、入り口が1つしかない。

 表からも裏からも関貫のかかる分厚い扉の前には10段ほどの階段があって、中へ入ると吹き抜けの大きな円形の広間が一つあるだけ、のように見える。

 しかし、真の姿は地上2階、半地下室と地下2階という多重構造になっていた。

1階の大広間は、石積みの壁の積み石の大きさを徐々に小さくし、絶妙に円周を小さくしてゆくことで実際よりも天井が高い位置にあるよう巧妙にカモフラージュされている。


 少し考えてみれば、入り口前に階段が10段もあるのだから、地下室があってもおかしくない。
 屋上の縁の作りも、弓兵が身を隠しながら地上の敵に矢を射るため凹凸をつけた鋸歯型になっているのだから、屋上へ上がる階段があるのかもしれないと疑える。

 ただ、端から塔の構造に関心を持って臨まないと1階石壁の目眩しに騙され、別階へ移動するための隠し扉に気づかず仕舞いになりそうなだけだ。



 この塔に放り込まれた時、クリスティアナはまず1階広間の床面積に違和感を覚えた。

外観から想像するよりも随分と狭いなと思ったのだ。

地下室と地下に繋がるなんらかの設備はあるはずだと考え壁を丹念に調べたら、地下ではなく階上へ続く扉を先に見つけてしまった。

 地下へ続く通路は、一部板張りになっている床の下に隠されていた。


半地下階から旧館へ、今はロングギャラリーになっている大広間の隠し部屋に続く地下通路があった。さらに、もう一つ下の地下2階室では、地下水路への出入り口まで見つけてしまった。


 驚愕に値する恐るべき建築技術である。クリスティアナは、すぐにでも主棟の当主執務室傍にある資料室に駆け込み旧館建築当時の資料を掘り出し貪り読みたい衝動に駆られたけれども、忍の一文字で耐えた。

 ラウルとモーリスに我慢を強いた自分が、目的を忘れて興味の赴くまま行動するわけにはいかなかったから。







 前を歩くクリスティアナに続いて地下水路から石塔地下2階室へ続く、扉のないアーチ型の入り口を潜ったラウルは、目前の光景に軽く目を見開いた。

 円形の空間の奥に半円形の泉があって、細い水路が外の地下水路に向かって流れ出している。

 泉の左側に正方形の水槽のようなものがあり、クリスティアナはそこに背負い籠いっぱいのスライムを流し込むように放り込んでいた。


 泉の右側には大人一人がすっぽりと入れそうな大きな木製の樽が設置されており、泉から渡された樋で水を引き込めるようになっていた。



 クリスティアナは泉で洗った手を右側の大樽の水の中に突っ込んでぐるぐると水をかき混ぜながら、樽の側面に貼り付けた魔術陣を稼働して少し熱めのお湯を沸かす。



 「ちょっと冷たいですけど、まずは頭から水を浴びてください。最初からお湯を使うと粘膜が凝固して落ちにくくなってしまうんですよね」

 泉の傍に二つある手桶の一つをラウルに押し付けると、まずやってみせようとばかりに、水を汲んで実に潔く頭からざぶんと浴びた。

「つめたっ」とぼやきながら、ざぶざぶ水を浴びているクリスティアナを見るラウルの目は、呆れの境地に達し、完全に残念な子を見るそれに至った。

「・・・なんで手桶が二つあるんだ? 用意が良すぎないか?」
「ああ、それは、いつもはジュードが使うから」

しれっと答えると、「・・・いつも、ね。そうか、ジュードか」と痛ましげに呻かれた。



 スライムの粘液を流し終えたクリスティアナは、お仕着せに仕込んだ浄化と温風を合わせた魔術陣で全身を乾かす。

「ラウル叔父は、脱いでお湯を使ってください」
「うん? 面倒だから俺も魔術で乾かしてもらいたいんだが」
「うーん、すぐにとなると魔法ですけど。・・・ちょっと距離があると操作が難しくて、せっかくの正装を焦がしてしまいそうなので。・・・ああ、でもジュードをそこの泉に飛び込ませちゃった時よりは上達しているはずです。うん、できなくはないかな?」

 クリスティアナは軽く首を傾げて、水を浴びてずぶ濡れになったラウルに手を伸ばそうとした。

「あー・・・ジュードがね。そうか、えー、やっぱり俺は湯を使わせてもらう。せっかく沸かしてもらったしな」

 ラウルは苦味走った笑みを顔に貼り付けてヒョイっと後退してクリスティアナの手を避けると、銀鼠色のマントに手をかける。

「そうですか? じゃ、脱いだ衣類は全部そこの金盥に入れてください。まとめて浄化魔術をかけますから」
「・・・・焦げたりは?」
「人体ごと魔法で丸っと、というわけではありません。盥に仕込んだ陣を稼働するだけですから、そんなに難しくありません」
「じ、人体って、、、ま、そ、そうか。じゃ頼む」




 「お嬢、おかえり~。団長は、お久しぶりです」

階下の気配を察したのだろう、クリスティアナの灰色のおお仕着せを着たジュードが階段室の扉を開けて現れた。手には乾いたタオルを持っている。

「ああ、ジュードか。久しぶりだな。・・・影武者、ご苦労」
パッパと脱いだ服を金盥に投げ込む手を休めて、ジュードの姿を確認すると、ラウルは神妙な顔になった。

護衛兼影武者のはずのジュードが、クリスティアナと連れ立って地下水路に出て、スライムの粘液まみれになってここに戻って冷たい水を浴び、挙句に焦げて泉に飛び込む、一連の出来事を想像してしまったから。



「お嬢、2階の居間で魔女殿がお待ちだよ」
「えっ おばさまが!?」

クリスティアナはパッと顔を輝かせて階段を見て、しかしすぐにラウルの衣類が気になったのだろう、床の金盥に視線を走らせた。

「団長が脱ぎ終わったら、お嬢のところへ持って行くから、居間で浄化魔術をかければいいんじゃないかな? 湯を使い終わる頃に僕が戻れはいいんだし。・・・そもそもね、いくら親愛なる団長といえども、だよ、自分の前で男を脱がせないでよね? もう子供じゃないんだよ? もうすぐ成人しようっていう御令嬢なんだよ? ・・・団長も、ホイホイお嬢の前で脱がないでくださいよ。ほんとお嬢はそういうとこ、」

「あああ! そうですねっ お、おばさまをお待たせしてはいけませんでしたねっ!? じゃ、ジュード、ラウル叔父上をよろしくお願いします!」

渋い顔でお滔々と説教を始めたジュードを食い気味に遮って、クリスティアナはサッと体を返すと階段室に飛び込んだ。

「じゃ、またあとで!」とお愛想わらい一つを残し、階段を駆け上がって行く。



「ちっ、逃げたな、お嬢めっ」

ジュードの本気の舌打ちに、ラウルは自分がクリスティアナから離れていた4年に思いを馳せる。

随分と気安くなったものだと思う反面、たった一人の護衛で影武者の苦労が偲ばれた。


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