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2、石塔と緋色の魔女
影武者と魔女
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グリンガルド王都邸の北西の端、石塔を囲む木立の向こうの東から宵闇色に染まり始めた夕刻の空に、ひらひらひゅんひゅんと獲物を狩る蝙蝠たちが舞うように飛び交っている。
川縁ではよく見られる夕暮れの風景なのだが、この日は、不規則に動く蝙蝠たちの黒い影の他に、真っ直ぐ石塔に向かって飛んでくる異質な黒い点が現れた。
ぐんぐん大きくなる黒い影は、近づくにつれて人の形をとり始める。柄の長い空飛ぶ箒に跨った黒いローブ姿。フードから溢れでた緋色の長い髪が、風に靡いていた。
緋色の魔女スカーレットは、石塔に辿り着くと減速のためくるりと上空で一周し、ひらりと屋上に舞い降りた。
勝手知ったる他人の石塔である。迷いなく階下への扉を開けると、壁沿いに作られた螺旋階段を1周半ほど降りてゆく。
まず辿り着いた2階室のドアのないアーチ型の入り口に立ち止まって室内を窺った。誰かがいれば明かりが灯っていてもおかしくない時刻なのだが、室内は薄暗いばかりで、誰もいないようだった。
さらに2周分ほど階段を降ると、1階室に続く扉が現れる。大人の女性が軽く身を屈めなければ潜れない小さな隠し扉だ。
スカーレットが身を寄せるようにして室内の気配を探ると、ここには人の気配があった。
「・・・魔女殿でしょうか?」
隠し扉の向こうに現れた人の気配を察し、ジュードは手にしていた摺子木を置いて作業台から離れた。
首なし鎧の幽霊デュラハンめいた古く錆びた鎧を移動させ、石積み模様の目眩しが施された扉を開く。
と、黒いローブのフードを目深に被り肩に鮮やかな緋色の髪を垂らした魔女が、身を屈めて戸口をくぐり室内に入ってきた。
「あら、ジュードがその姿でここにいるということは、あの子はまだ戻ってないのね?」
スカーレットが、灰色のお仕着せに洗いざらしの白いエプロン、乾燥気味の薄いクリーム色の髪を一本の三つ編みしたカツラを被るジュードの姿を見て、苦笑を浮かべた。
顔立ちは整ってはいるが、どこかぼんやりした印象のあるジュードは、男性にしては華奢で小柄な青年だった。
女性にしては長身のクリスティアナと背格好がよく似ている。というか、クリスティアナに姿を似せることができるため、選ばれてここにいる。
同じお仕着せを着たジュードが、軽く認識阻害系魔術を展開してロングギャラリーの床を磨いていれば、よほど魔力が高く魔法か魔術に長けた人間でない限りは、クリスティアナがそこにいると誤認するはずだ。
少なくとも、魔法にも魔術にも熱心ではない侯爵代理夫妻とその娘は、クリスティアナに成り変わったジュードにまったく気づいておらす、嬉々として蔑み罵ったりしている。
そんな影武者なジュードが、魔女の苦笑に苦笑で答えた。
「昼すぎには王都入りした団長と合流しているはずなんです。でも、お嬢、久しぶりの外出にウキウキで。出がけに団長がいれば採取が楽になる可能性があるとかないとか、ぶつぶつ呟いて悪い笑顔になってましたからね・・・」
ジュードの苦笑の苦味が増した。
「あらあら。ラウル卿も4年ぶりに可愛い主に会えるのだから、楽しみにしているでしょうに。お気の毒ねぇ」
魔女は、呆れど同情の入り混じった声音とともに、小さな吐息をこぼしながら、円形の室内をさっと見渡す。
1階に1室のみの作りで室内は広い。冷たい石積みの壁、天井は高く、上部には灯りとりの小さな窓が一つだけ。呪いがかかっていそうな古く錆びついた鎧が一体壁際にあって、その向かいに藁を積み上げてシーツを掛けただけのベット、窓の下の壁際に小さな書き物机がある。
中央には大きな作業台があって、透明なゼリー状の物体がてんこ盛りになったブリキの大盥と、白い粉の入った青い樹脂製のバケツが一つずつ乗っていた。
魔女は、歩きながら目深に被っていたフードを払って、作業台に身を寄せバケツの中身を確認し始めた。
緩く波打つ鮮やかな緋色の髪がふわりと揺れる。
先日、孫娘に待望の男の子が生まれて、ひ孫もとうとう3人目となったのだけど、白い肌にはシミひとつない。目尻と口元に寄った年輪は、熟年の落ち着いた魅力を引き立てる小道具でしかなく、その美しさを損なうものではなかった。
「これは、川スライム?」
熟年美魔女が、目を瞬かせて盥にてんこ盛りになった透明なぷにぷにに視線を落とした。
「はい。お嬢の卒業研究のための哀れな素材です」
「乾燥させて粉末にしているのね?」
青いバケツの手前にあった大きな摺鉢を見つけて、小首を傾げている。
ジュードは魔女の反対側に寄って、無造作に盥に盛られたスライムに手を伸ばした。慣れた手つきで3体ばかり、温風魔術で次々に乾燥させてポイポイポイと摺鉢に放り込むと摺子木を手に持った。
「ええ。川スライム粉末に僅かに松脂を加え、熱を加えて液状化させると、強度も弾力もある床のコート剤になるそうですよ」
少し肩をすくめてみせたあと、目を伏せてゴリゴリゴリと乾燥スライムを粉末にすべく手を動かし始める。
「・・・・ねぇ、ジュード。貴方って、確か、グリンガルドの諜報組織のエースよね? 庭師に化けてクリスティアナを護衛するのが任務ではなかったかしら?」
「そうですね」
乾燥スライムを擦る手を止めず、ジュードがサラリと答えた。その静かな佇まいに、『諦観』という言葉が、魔女の脳裏に閃く。
「研究助手については、別途手当をいただくことになっております。お嬢には、何がなんでも侯爵位を継いでいただき、これの代償を頂戴しなくてはなりませんよね」
ゴリゴリゴリ。
「ふ、ふふふふふふ。さすが、オーウェンの孫ねぇ。転んでもただでは起きないところなんて、そっくりだわ」
ゴリゴリゴリ。
無心でスリこきを扱い始めたジュードに目を細めて、緋色の魔女が楽しそうに笑った。
川縁ではよく見られる夕暮れの風景なのだが、この日は、不規則に動く蝙蝠たちの黒い影の他に、真っ直ぐ石塔に向かって飛んでくる異質な黒い点が現れた。
ぐんぐん大きくなる黒い影は、近づくにつれて人の形をとり始める。柄の長い空飛ぶ箒に跨った黒いローブ姿。フードから溢れでた緋色の長い髪が、風に靡いていた。
緋色の魔女スカーレットは、石塔に辿り着くと減速のためくるりと上空で一周し、ひらりと屋上に舞い降りた。
勝手知ったる他人の石塔である。迷いなく階下への扉を開けると、壁沿いに作られた螺旋階段を1周半ほど降りてゆく。
まず辿り着いた2階室のドアのないアーチ型の入り口に立ち止まって室内を窺った。誰かがいれば明かりが灯っていてもおかしくない時刻なのだが、室内は薄暗いばかりで、誰もいないようだった。
さらに2周分ほど階段を降ると、1階室に続く扉が現れる。大人の女性が軽く身を屈めなければ潜れない小さな隠し扉だ。
スカーレットが身を寄せるようにして室内の気配を探ると、ここには人の気配があった。
「・・・魔女殿でしょうか?」
隠し扉の向こうに現れた人の気配を察し、ジュードは手にしていた摺子木を置いて作業台から離れた。
首なし鎧の幽霊デュラハンめいた古く錆びた鎧を移動させ、石積み模様の目眩しが施された扉を開く。
と、黒いローブのフードを目深に被り肩に鮮やかな緋色の髪を垂らした魔女が、身を屈めて戸口をくぐり室内に入ってきた。
「あら、ジュードがその姿でここにいるということは、あの子はまだ戻ってないのね?」
スカーレットが、灰色のお仕着せに洗いざらしの白いエプロン、乾燥気味の薄いクリーム色の髪を一本の三つ編みしたカツラを被るジュードの姿を見て、苦笑を浮かべた。
顔立ちは整ってはいるが、どこかぼんやりした印象のあるジュードは、男性にしては華奢で小柄な青年だった。
女性にしては長身のクリスティアナと背格好がよく似ている。というか、クリスティアナに姿を似せることができるため、選ばれてここにいる。
同じお仕着せを着たジュードが、軽く認識阻害系魔術を展開してロングギャラリーの床を磨いていれば、よほど魔力が高く魔法か魔術に長けた人間でない限りは、クリスティアナがそこにいると誤認するはずだ。
少なくとも、魔法にも魔術にも熱心ではない侯爵代理夫妻とその娘は、クリスティアナに成り変わったジュードにまったく気づいておらす、嬉々として蔑み罵ったりしている。
そんな影武者なジュードが、魔女の苦笑に苦笑で答えた。
「昼すぎには王都入りした団長と合流しているはずなんです。でも、お嬢、久しぶりの外出にウキウキで。出がけに団長がいれば採取が楽になる可能性があるとかないとか、ぶつぶつ呟いて悪い笑顔になってましたからね・・・」
ジュードの苦笑の苦味が増した。
「あらあら。ラウル卿も4年ぶりに可愛い主に会えるのだから、楽しみにしているでしょうに。お気の毒ねぇ」
魔女は、呆れど同情の入り混じった声音とともに、小さな吐息をこぼしながら、円形の室内をさっと見渡す。
1階に1室のみの作りで室内は広い。冷たい石積みの壁、天井は高く、上部には灯りとりの小さな窓が一つだけ。呪いがかかっていそうな古く錆びついた鎧が一体壁際にあって、その向かいに藁を積み上げてシーツを掛けただけのベット、窓の下の壁際に小さな書き物机がある。
中央には大きな作業台があって、透明なゼリー状の物体がてんこ盛りになったブリキの大盥と、白い粉の入った青い樹脂製のバケツが一つずつ乗っていた。
魔女は、歩きながら目深に被っていたフードを払って、作業台に身を寄せバケツの中身を確認し始めた。
緩く波打つ鮮やかな緋色の髪がふわりと揺れる。
先日、孫娘に待望の男の子が生まれて、ひ孫もとうとう3人目となったのだけど、白い肌にはシミひとつない。目尻と口元に寄った年輪は、熟年の落ち着いた魅力を引き立てる小道具でしかなく、その美しさを損なうものではなかった。
「これは、川スライム?」
熟年美魔女が、目を瞬かせて盥にてんこ盛りになった透明なぷにぷにに視線を落とした。
「はい。お嬢の卒業研究のための哀れな素材です」
「乾燥させて粉末にしているのね?」
青いバケツの手前にあった大きな摺鉢を見つけて、小首を傾げている。
ジュードは魔女の反対側に寄って、無造作に盥に盛られたスライムに手を伸ばした。慣れた手つきで3体ばかり、温風魔術で次々に乾燥させてポイポイポイと摺鉢に放り込むと摺子木を手に持った。
「ええ。川スライム粉末に僅かに松脂を加え、熱を加えて液状化させると、強度も弾力もある床のコート剤になるそうですよ」
少し肩をすくめてみせたあと、目を伏せてゴリゴリゴリと乾燥スライムを粉末にすべく手を動かし始める。
「・・・・ねぇ、ジュード。貴方って、確か、グリンガルドの諜報組織のエースよね? 庭師に化けてクリスティアナを護衛するのが任務ではなかったかしら?」
「そうですね」
乾燥スライムを擦る手を止めず、ジュードがサラリと答えた。その静かな佇まいに、『諦観』という言葉が、魔女の脳裏に閃く。
「研究助手については、別途手当をいただくことになっております。お嬢には、何がなんでも侯爵位を継いでいただき、これの代償を頂戴しなくてはなりませんよね」
ゴリゴリゴリ。
「ふ、ふふふふふふ。さすが、オーウェンの孫ねぇ。転んでもただでは起きないところなんて、そっくりだわ」
ゴリゴリゴリ。
無心でスリこきを扱い始めたジュードに目を細めて、緋色の魔女が楽しそうに笑った。
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