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二ノ巻 闇に響くは修羅天剣
二ノ巻16話 修羅と仏と
しおりを挟む――かすみたちが到着する、少し前。
地を揺らし木々を揺らし、社の柱さえ軋ませて。崇春の剣――石鳥居の柱――は、境内へと打ち下ろされた。
柱の先が地にめり込んだ、その前には。
「あ……ああぁああ、あ……」
両足を広げ、腰を地につけて震える黒田の姿があった。逃げようとするように体は後ろへ倒され、両手は地面について体を支えていた。取り落とした竹刀は境内の地面に転がっていた。
――黒田はその竹刀を、柱と打ち合わせることはなかった。
竹刀にしがみつくようにして目をつむった黒田をかわして、崇春はその目前の空を切り、地を打ったのだった――。
抱えていた柱の下部を、地響きを立てて放り出し。崇春は口を開いた。
「勝負、あったの」
黒田はただ震えていた。その体から光の粒子はすでにかき消えている。
「こんな……こんな、馬鹿、な……」
唾を飲み込み、続けた。視線をふらふらとさ迷わせながら。
崇春は首をゆっくりと横に振る。
「馬鹿なも糞もないわ。お主と怪仏の力、わしと守護仏の力が対峙し、そして勝負があった。それだけよ」
黒田は何度も目を瞬かせ、つぶやく。
「そんな……そんな、僕の力が、阿修羅が、そんな……」
崇春はまた、首を横に振る。
「お主の力ではない、怪仏の力よ。そもそもそれは――」
そのとき、黒田の背後に影が揺らぐ。影はやがて、六本腕の怪仏の形を取る。しかしその腕の二本は傷つき、残る四本も痩せて見え。どころかその体も細まり。
小さかった、その阿修羅は。崇春を見下ろすほどだった体躯は、今や腰を下ろした黒田と同じぐらいに縮んでいた。
阿修羅は高く声を上げる。泣き出しそうに目の端を下げた、正面の顔は。
「――待てよ、待てよ達己ィィ……」
左の面も同じ顔で言う。
「――そうだ待てよ、まだ終わっちゃいねぇってェェ、オレとお前の戦いはよォォ……」
黒田は何も言わなかった。座り込んだまま二つの面を見て。それから、目をそらした。
右の面は頬を歪め、牙を剥く。
「――待てよ! 何も終わっちゃいねェェ。確かに奴は強ぇ、けどそれがどうした。敵が強ぇからって終わりにすんのか、何にもしねぇで終わるのか? それでいいのか、だったらよォォ――」
左の面は泣いた。右の面はさらに顔を歪めた。正面は嘲笑って。
三面は同じ言葉を吐いた。
「――最初から。強ェェ円次のこたぁ、黙って見てりゃあ良かったよなァァ?」
黒田の座る地面の上で、小さく音がした。
竹刀を放り出していた黒田の手が、土をつかんでいた。地面に深く、爪を立てた跡を残して。その手は今も震え、さらに深く強く、土をかいていた。
震えていた、二つに分けた黒田の髪が。唇を噛みしめ、赤らんだ顔と相まって、どこか獅子舞の動きにも似ていた。
「……!」
黒田は何も言わなかった、ただ目を見開いて、震えながら。
両手を地面から離した、土に汚れたままの手で竹刀をつかんだ、それを思い切り振るった――剣道の技術とは程遠い、力任せの動きで――。
阿修羅へと。
「――ぶぐゥゥウ!!?」
阿修羅の左面から涙の滴が飛び。続いて逆から打たれた、右の面が打撃に歪む。最後に上から打ち落とされた、正面はもう笑ってはいられなかった。
「――な……なんっ……」
それぞれに瞬きを繰り返す三面に黒田は言った。震えに声を掠らせながら。
「うっるせぇぇ……! うるせぇ、うるっせぇぇ……!」
唾を吐き飛ばしながら言葉を継ぐ。
「分かってる、分かってんだよンなことはぁぁ! 円次が強くて! どんなに練習しても勝てなくて! でも勝ちたくて! でも勝ちたくて勝てなくてけど勝ちたくて勝てなくてなのに勝ちたくて! 勝てなくて――」
赤らんだ顔の上を流れる涙を、払い飛ばすように頭を振るう。言葉ごと叩きつけようとするかのように。
「――それでも! 黙って見てるなんて、できなかった……だから、お前の力を借りた! それで円次を倒して、けれど……何も、変わりはしなかった」
片手は竹刀を握り、反対側の手で顔を覆った。自分の頭を握り潰そうとするかのように、その手が震える。
手を放し、泥に汚れたままの顔で言う。
「円次に……勝ちたいままだ。何だよこれ……何なんだよ! ……教えてくれよ」
崇春に向き直る。
「……教えてくれ。たとえば。僕を倒したお前を、円次と互角に戦ったお前を……倒せば、消えるのか……この気持ちは」
崇春は、うなずきはしなかった。首を横に振りもしなかった。
前へ出た。
「試すがええ」
黒田の顔を正面から見据え、合掌する。
「試すがええ、避けはせん。わしが倒れるまで、打つがええ」
小さな阿修羅の、左右の面が目を見開く。
「――何ィィ!?」
「――バカな……」
正面は笑う。
「――いいんだなオイィィ! バカめ、今のうちにやっちまおうぜェェ達己、このバカを――ぶがっ!?」
その言葉はさえぎられた、黒田が正面へ振るった竹刀の打撃で。
「お前は手を出すな。口もだ、阿修羅。――崇春、くん」
黒田は崇春に向き直る。中段に構え、崇春の目を見る。その視線は構えと同様、貫くように真っ直ぐだった。
「いいんだな」
崇春は強くうなずく。
「おうよ。これも仏法者の菩薩道にして、わしの目立ち道……二言はないわい」
黒田もまた、うなずく。
「分かった。……行くぞおおぉぉ!」
打った。面打ち、剣道の正確なフォームでの面打ち。さらに打つ、面を、面、面面面面面。そこから左右の斜めに切り落とす面――剣道の練習で行なわれる【切り返し】の動き――。
「いやぁあああああぁああ!」
そこからさらに面。体当たり気味に突き飛ばし、引きながらの小手、再び向かいながらの面。駆けながら胴を抜き打ち、振り返っては逆の胴を打つ。
打った、面を、打った、小手を。胴を叩いて突きをくれた。
崇春はかわしもしなかった。ただ合掌し、黒田を見据えた。打撃に裂けた頭から血を流して。体当たりの際顔面同士がぶつかり、吹いた鼻血を垂らして。見据えていた。
どれほど経ったか。打ちに打ち続け、叩きつけて、叩きつけて。
「あぁあ……あぁーーーーっっ!!」
叫んでの一打を放った後、黒田は力なく。抱きつくように、崇春に寄りかかった。
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