バラの精と花の姫

緒方宗谷

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話の真偽は、自分で確かめなければならない

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 バラとは、どんな植物なのでしょうか。姫はまだ見たことがありません。侍女達も知らない、と言います。2人とも8000歳を超えていますから、人間でいうと大体20代半ばです。
 なぜ2人は見たことが無いのでしょう。それは、花の里にバラが咲いていないからです。実は長い間、里には果ての岩地に住むバラの精以外にバラは生まれていません。唯一のバラが森を追い出されてしまったので、みんなどこにいるか分からないのです。本当に果ての岩地で生きているのかも知りません。
 唯一、バラの神を知っている爺やの話によると、5枚か6枚の花弁の小さな花を咲かせる神だった、と言います。遠い昔にあった神魔戦争で、行方知れずになってしまったとのことでした。
 昔、母親から聞いた神話の中に、バラの神は登場しません。ですから、神気はそれほど強くないはずです。もし強い神気の持ち主なら、戦いでも、恋愛でも、学問でも、音楽でも、運動でも、遊びでも、何かしらの神話が残っていて良いはずです。
 そういえば、トゲやイバラの話は聞きますが、その花の話は聞こえてきません。楓の木の傍を通った時、その精霊が教えてくれました。バラは、花の精であるにもかかわらず、花を咲かせず、花を咲かせないのに草の精でもない。花から仲間外れにされ、草からも仲間外れにされていたそうです。
 ただ1つ姫が疑問に思ったのは、原因はバラ本人にはない、ということです。話によると、故意に花を咲かせないのではなく、咲かなかったらしいのです。自分で花の精を名乗っていたわけでもありません。花が咲かないのに、周りが花の精と呼んでいたのです。
 姫が楓に問いただすと、楓は黙ってしまいました。楓はバラの精を見たことがありましたが、悪さをしたところは見たことがありません。そればかりか、何の根拠もないのに、バラが悪いと決めつけていました。
 今まで聞いてきた話は、どれも疑問符がつくものばかりです。ですが、姫は1つ1つを指摘しませんでした。それは、相手が間違っているにしても、大勢の前で指摘を受ければ、恥ずかしさから傷ついてしまうかもしれないし、意地を張ってしまうかもしれない。もしかしたら、反省するどころか、怒りだしてしまうかもしれないからです。そもそも、自分の考えの方が間違っているかもしれません。
 濃い緑、薄い緑、辺り一面大自然の息吹を感じます。川のせせらぎも聞こえます。本来、花の里に鳥や虫の精は住んでいません。ですが、ここに生えている木々の友達の鳥がやってきては、素晴らしい歌声を披露して、お礼に果実を貰っています。
 「ひーめー♪ ひーめー♪ 花の姫様♪ 可愛い可愛い♪ 花の姫様♪
  姫の笑顔は♪ 極上の羽毛のように柔らかく♪ 姫のお声は、ホトトギスの神さえかなわない―♪」
 自分の可愛らしさを讃える歌に感激した姫は、手を振って起こしたそよ風に神気を乗せて、お礼にあげました。姫は睡蓮の化身ですから、沢山蜜が作れるわけでもなく、美味しい実をつけるわけでもありません。ですから、神気で疲れを癒してあげたのです。神気のそよ風を受けた鳥達は、遠い鳥の里から来た時の疲れも、歌を沢山歌った疲れも全部癒されました。
 不意に爺やが微笑みます。
 「それにしても、まさかホトトギスの神より声がきれいとは傑作ですな」
 「なにが?」
 姫は、爺やをジトッと見やります。うかつなことを言った、と爺やはドギマギしました。
 護衛の兵士が調べたところによると、この辺りがバラの生まれた場所の様です。道から外れて木々の間を抜けると、一部だけ木の生えていない場所があります。姫の腰ほどの雑草に覆われたそこは、円を描いたような広場になっています。しかし、中心から少しそれたところだけ、土がむき出しになっている所がありました。
 姫達が覗き込むと、やっぱり何もありません。兵士以外の4人は草をかき分けて行って、しゃがみこんで土を触ってみました。下位神のパンジーは何も気づきませんでしたが、姫と爺やは、微かなバラの香りに気が付くことができました。
 「もう、何百年も前のことなのに、まさか・・・」
 爺やは驚きましたが、姫は黙っています。この香りには苦痛が混ざっている。姫だけはそれに気がつきました。
 「胡桃の精が言っていたアケビは、どこにいるのですか?」
 「あちらの方角に今も住んでいるそうです」
 調査を担当した兵士が答えます。姫は空を舞って雑草を飛び越え、木々の間に舞い降りると、歩いてアケビに会いに行きました。
 何本ものアケビのツルが、十数mもの高さの木々に絡まって伸びています。姫が会いに来ることを察していた1本のアケビは、既にひれ伏して待っていました。
 「アケビの精、なぜわたしが来たか分かりますか?」
 「はい、存じております。既に、色々な精が姫と胡桃の話を噂しています。ですが、そのような噂を流してはおりません。どうか、私を枯らさないでください」
 涙を流して懇願するアケビの精に、なぜそんなに怯えるのか、と訊きました。バラの精がアケビの実を独り占めしたと言うデマを流した罪で、自分を罰するために姫が兵を引き連れてここに来る、とみんなが言っている、と言うのです。
 「そんなことしませんよ」
 姫はあきれ顔で言いました。そんなことで罰せられる法は、花の里にはありません。他の里には何かあるのかもしれませんが、花の里には、不敬罪もありません。
 そんなことをする性格だと思われたことで、姫は少し悲しくなり、爺やを見上げました。爺やは、姫の身長に合わせて両ひざをつき、慰めるように背中を撫でてくれました。
 姫は少女の姿をしていても、生まれた時から神であったほど神気が強く、今では上位神です。アケビとの力差は雲泥の差でしたから、怯え慄くのも無理はありません。ですが、姫は、事実ではない噂だけでも傷つくことを、身を持って体験しました。
 怯えていては話になりません。なんせシドロモドロとしていて、何を言っているか分からないのです。侍女が敷いてくれた赤い絨毯に腰を下ろして、アップルティをアケビに勧めまました。アケビが落ち着くのを待つことにしたのです。
 平静を取り戻したアケビに、姫は改めてバラの精のことを訊きました。アケビが話した真実は、このようなものでした。
 「あの年は疲れていて、あまり良い実はなりませんでした。
  それでも半分くらいは熟れて薄紫色に色づき、袋が二つ繋がった様な真ん中の部分がフニャッとくびれた可愛い形の厚い皮に綺麗な縦線が入って、早熟のものはパックリと割れてくれました。
  順番待ちをしていたみんなにいきわたるほどの実はなりませんでしたが、それでもみんな喜んでくれていました」
 姫は、真っ白な蚕の繭のような実を想像するだけで、よだれが出そうです。頬をほころばせながら、まったり甘い味を思い出して、夢見心地でした。
 秋になると、人気のある果実がなる場所は、ちょっとしたお祭り騒ぎです。この辺りもそうだったのでしょう。大勢の精が集まり、小さな黒い種を飛ばしっこしたりしています。鳥や虫のお友達も大勢来たに違いありません。
 アケビは甘い実をみんなにふるまい、みんなは、その種を遠くに蒔いてくれる。お互い持ちつ持たれつです。神の位にいるアケビはいませんが、そこがまた良いところなのでしょう。近寄りがたくないので、地位の低い精が集まりやすいのです。
 「私以外のアケビ達は、ちゃんと実がなっていましたし、食べられなかった精達も、来年はもっと早くに並ぼうと言って、帰って行きました」
 楽しい思い出の話なのに、アケビは少し悲しそうです。
 「・・ただ・・・、私は、少し悲しい気持ちになっていました。
  半分は実りましたが、もう半分は小さくて、熟す前に黒ずんできてしまったのです。
  中にある種はあきらめるしかありません」
 生まれる前だから魂の無いただの種ですが、1年頑張って作った実と種です。まだ分身でも子供でもありませんが、悲しく思うのは当然です。
 どうしようもなく、アケビがため息をついている時でした。バラの精が遠くで様子を窺っているではありませんか。アケビは実を食べたいのかと思いましたが、どのアケビの木にも実は残っていません。バラと話したことはありませんから、話しかけることもしませんでした。
 バラは、辺りを見渡しながら恐る恐るやってきて言いました。
 「すいません、アケビのおじさん、そこに残っている実を食べてもいいですか?」
 「ああ、この実は食べても美味しくないよ。熟す前にダメになってしまったものだからね」
 バラは幼いし、アケビを食べたことはないので、どうして食べられないか分かりません。もしかしたら、桑のおばさんのように自分を嫌っているから、食べさせてもらえないのだろう、と考えました。
 「バラの坊や、私の実はもう黒くなり始めているからね。中の種はまだ無事だけど、もうダメだね」
 アケビがため息をついたので、バラはどうしてうなだれているのか訊きました。この皮の中には、甘くなるはずだった実と、子供になるはずだった種が入っていることを、アケビは話しました。
 甘く熟してくれれば、みんなが食べに来てくれて、種を遠くに飛ばして遊んだり、一緒に飲み込んで、どこか別の場所でお尻から出してくれます。そういう方法で、土に落ちた種は、そこで芽を出して繁殖してくれることを、バラは初めて知りました。
 もし、実が食べてもらえず、種がアケビの根元に落ちてしまうと、そこには既に自分の根が張っていますから、種は根を張ることができずに、土に帰るだけなのです。
 バラの精は言いました。
 「僕が残った種を蒔きますから、おじさんの実を食べさせてください」
 「良いけれど、苦くて食べられないよ」
 バラはうなずいて、自分のトゲを木の皮に引っ掛けて、よじ登っていきます。木の皮は固くて厚いので、痛みは感じませんが、ムズかゆくて仕方がありません。早く上るように急かします。
 なんとか実のついたツルが絡まる枝にたどり着いたバラは、枝にまたがって坐り、真下の実をむしり取りました。初めて食べて良いよ、と言われてもらった果物でしたから、嬉しくて大満足です。
 かじってみましたが、苦くて食べられません。皮には縦線が走っていたので、その線に沿って割ってみました。中には白くて長細い繭のようなものが入っています。うっすらと中の種が透けて見えています。
 みんなが中身を食べていたのを思い出したバラは、繭のような実を取り出して、一口食べてみました。ですが、とても苦くて食べられたものではありません。思わずバラは、吐き出してしまいました。
 「どうだい、苦いだろう? 残った実は捨ててしまいなさい」
 そうアケビは言いましたが、バラは、せっかくもらったのだから、お礼に種を遠くに蒔いてくると言って、いくつかの実を持って去って行きました。
 胡桃の精の話と、その話の当の本人であるアケビの話とは、全く食い違っています。アケビに対して、バラは何も悪いことはしていませんでした。
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