7 / 13
マンションへ
しおりを挟む
疲れ果てて会社から出ると、そこにはあの日と同じように一樹が待っていた。
一樹は優莉奈の姿を見つけるとすぐに近づいてくる。
優莉奈もようやく一樹の待ち伏せになれてきた。
「やぁ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
慌てて背筋を伸ばしてみるのもも、疲れからうまく笑えない。
特にパソコンの目疲れのせいで目は年中乾いてシパシパしている。
優莉奈な何度も瞬きをして過ごしでも目に潤いをもたせた。
「今日は忙しかったんだって?」
「そうなんです。もうクタクタで」
大げさに言ってため息を吐き出すと、一樹が笑ってくれた。
それだけで1日の疲れも吹き飛んでしまうそうだ。
「それなら夕飯は食べて帰る?」
「そうですね。これから帰って料理をする元気はもうありません」
優莉奈はそう答えたのだった。
一樹に誘われて優莉奈は居酒屋へと向かうことになった。
俊介の歓迎会で使われた居酒屋だ。
テーブル席もあるけれど、疲れていることを考慮して一樹は座敷を選んでくれた。
靴を脱いで畳の上に上がると、足がパンパンに張っているのがわかった。
体を動かしていない証拠だ。
座敷に座った状態で軽くストレッチをすると、少しずつ体が楽になってくるのがわかる。
体をひねるたびにどこかの骨がパキパキと音を鳴らす。
もっと若かったころにはこんなことなかったのにと、苦笑いが浮かんだ。
「事務職も大変だよな。定期的に動かないと、体を悪くするよ」
今の優莉奈を見て一樹が心配そうに眉を寄せた。
「そうなんですけど、集中しちゃうとつい忘れちゃって」
気がつけば何時間もパソコンの前に座ったままなんてこともしょっちゅうだった。
そうなると体はどんどん固くなっていくし、血液の流れも悪くなる。
一樹はそんな優莉奈のことを気遣ってくれている。
「とにかく、明日は休みだし乾杯しよう」
「はい」
優莉奈は元気に頷いた。
普段あまりビールは飲まないけれど、こういう場所だとつい欲しくなる。
ビールの炭酸が喉を刺激してくるのが心地よい。
「二杯目からはレモンサワーだっけ?」
「そうですね。レモンサワー大好きです」
疲れた体にアルコールが染み渡っていく。
美味しいおつまみも食べて、楽しく会話をして優莉奈は自分の心がだんだん満足していくのを感じる。
あとは温かいお風呂にゆっくり体をつけて、ふかふかの布団で眠ることができれば最高だ。
そんなことを考えていたら
「ご注文の追加、ありますか?」
と、声をかけられて我に返った。
声をかけてきたのは大学生くらいの女性のアルバイト店員だった。
胸のネームには石橋と書かれている。
通りかかったついでに声をかけてきてくれたのだろうけれど、彼女の視線は完全に一樹へ向けられていた。
一緒にいる優莉奈のことなど少しも見ていない。
「そうだな。枝豆をもらおうかな」
「枝豆ですね、わかりました」
そんな簡単な注文ならメモしなくてもわかりそうなものだけれど、彼女はわかりやすくメモを取る。
しかもやけに時間がかかっている。
書きながらチラチラと一樹へ視線を向けては頬を赤らめている。
一樹に見とれているのは一目瞭然だった。
こんなことに気がつくなんて、なんとなく自分が嫌なヤツみたいに感じられてくる。
だけど事実なのだから仕方ない。
一樹はカッコイイし、街を歩けば沢山の女性たちの視線を集めていることだって知っている。
優莉奈は自然を背筋を伸ばして「私はタコワサを注文しようかな」と付け加えた。
できるだけ大きな声で。
彼女の視線が一樹から離れるように。
本当に食べたかったわけじゃないけれど、この子に自分の存在をアピールしなければと思ってしまった。
「あ、タコワサですね」
女性アルバイトはここでようやく優莉奈の存在に気がついたように視線を向け、それから怪訝そうな顔をした。
この人が彼女?
全然釣り合ってない。
表情の変化だけでそう言われた気がして胸の中がモヤモヤとした気持ちになる。
アルバイト店員は「それでは枝豆とタコワサをお持ちしますね」と、一樹へ向けて声をかけて、その場を去っていった。
彼女がいなくなった瞬間に大きなため息を吐き出す。
緊張が一気にほどけていくのを感じた。
「大丈夫? 本当に疲れてるんだね」
女同士のバトルが目の前で繰り広げられていても一樹は気が付かず、心配してくれる。
優莉奈は苦笑いを浮かべて「大丈夫です」と、答えたのだった。
☆☆☆
1時間くらい居酒屋で飲み食いするとさすがにお腹がいっぱいになっていた。
外へ出ると夜風が心地よく体温を下げてくれる。
火照った頬が徐々に普段の体温を取り戻していき、優莉奈はホッと息を吐き出した。
「今日は満点の星空だね」
一樹に言われて見上げてみれば、高いビルの間の小さな空には星がまたたいている。
「綺麗!」
思わず声を上げる。
都会へ出てきてからこうして夜空を見上げることは少なくなった。
一樹が教えてくれなければ、気がつくこともなかっただろう。
「もっと高い場所から見ると綺麗だよ」
言いながら、一樹は当たり前のように優莉奈の手を握りしめてきた。
優莉奈の心臓がドクンッと跳ねる。
「スカイツリーとか?」
「俺の部屋とか」
その言葉に優莉奈は言葉を失った。
俺の部屋とか。
それはどういう意味だろう。
冗談で言っただけかもしれない。
そう思うのに意識してしまって一樹から視線を外してしまった。
同時に握りしめられた手にギュッと力が込められた。
こんなことをされたら嫌でも意識してしまうけれど、一樹はどういうつもりなんだろう。
「今から来ない?」
「え?」
突然の誘いに動きが止まってしまった。
頭の中が一瞬真っ白に染まる。
「俺の部屋。星がよく見えるよ」
それって……。
色々と質問したいことがあったけれど、ニッコリと微笑まれるとどれもどうでもいい質問のような気がした。
優莉奈はただ「行きます」と、答えたのだった。
☆☆☆
これはもう、付き合っているってことでいいのかな。
学生時代なら告白されたりしたりして、OKをもらえれば交際スタートだとわかりやすい。
だけど大人の恋愛になるとちょっと違う。
告白よりキスが先だったり、なんだったら体の関係が先になってしまうことだってある。
もっとわかりやすければいいのに。
そんな風に考えながらも優莉奈の心臓はドキドキしっぱなしだった。
一樹の暮らすマンションへの道のりでは最近見た映画の話をしていたのだけれど、会話の内容はほとんど覚えていない。
心臓が今にも爆発してしまいそうで、とてもそれどころではなかったのだ。
「ここが俺の部屋」
エレベーターで15階まで上がってきて少し歩くいたところで、一樹がスマートな動きでカードキーを取り出す。
「さ、さすがですね。こんないい場所に暮らせるなんて」
入り口のセキュリティも万全だったし、15階からだと星も綺麗に見えることだろう。
「大したことないよ」
一樹はそう言い灰色のドアを外側へと開ける。
そして優莉奈を先に「どうぞ」と、促した。
始めて入る一樹の部屋に緊張しながらも優莉奈は玄関先に立った。
中は電気が消してあって暗くて見えない。
でもきっと広いんだろうということは、マンションの外観から予想していたことだった。
「お邪魔します」
一言いって玄関に足を踏み入れる。
そのときなにかが靴先に当たった。
「ごめんなさい、一樹さんの靴を蹴ってしまったかもしれません」
慌てて足を引っ込めると、今度は別のなにかにぶつかった。
「ごめんごめん。ちょっと散らかってるんだ」
なかなか前に進めない優莉奈を自分の後ろへ移動させて、一樹が先に室内へ入っていった。
そして電気がつけられた瞬間優莉奈は自分の目を疑った。
優莉奈が想像していた通り部屋はとても広かった。
入ってすぐに30畳ほどのリビングダイニングがあり、扉がいくつもついている。
トイレにお風呂に他の部屋も沢山ありそうだ。
それはいいのだけれど……汚い。
とにかく散らかっている。
30畳という広さのあちこちにゴミが散乱していて、大きなゴミ袋まで鎮座しているから歩き場所がない。
ついさっき優莉奈が立っていた玄関先へ視線を向けると、そこにもゴミが散乱している。
一樹の靴だと思っていたものはカップラーメンの殻の容器だった。
「こ、これは……」
絶句していると一樹が頭をかいて照れ笑いを浮かべた。
「実は掃除は苦手なんだ。でもほら、あの窓から星空が綺麗に見えるんだよ」
一樹に促されて優莉奈はよろよろと玄関を上がる。
ストッキングで床を踏みしめる度になにか粘り気のあるものが足裏にひっついてきた。
ゴミとゴミの隙間を縫うようにして大きな窓へ近づくと一樹が重たいカーテンを開く。
そのカーテンは何年も洗っていないようでホコリが舞い上がった。
ケホケホと咳き込んでいる優莉奈の横で、一樹が星空を見つめる。
その表情はうっとりしているけれど、優莉奈の方は決してそんな気分にはなれない。
部屋のあちこちから生ゴミが腐ったニオイがしているし、長時間いれば気分が悪くなってきそうだった。
「ごめんなさい。少し換気してもいいですか?」
とにかくこのままにしておくわけにはいかないと思い、小窓を開けてみる。
それでも空気は淀んだままったので、キッチン側へ向かって換気扇を回した。
そこでシンクへ視線が向かってしまい、真っ黒になった得体のしれない何かを目撃してしまった。
きっと食べ物や生ゴミを放置して腐らせたんだろう。
「ごめんね汚くて」
「い、いえ。男性の一人暮らしはこんなものだと思います」
慌ててそう答えながらも、これほどの惨状は見たことがないと思った。
いくらなんでもひどすぎじゃないだろうか。
だけどここで帰るわけにはいかなかった。
一樹はきっとその気になって優莉奈をこの部屋に上げている。
仕事ができるのに片付けはできないなんて、そのギャップが可愛いんじゃない?
と、自分自身に言い聞かせてどうにか納得させる。
「実は明日母親が来るんだ。だけどどうしても片付けができなくて、手伝ってくれない?」
申し訳なさそうに言う一樹に優莉奈がまばたきを繰り返した。
「お、お母さんですか?」
「あぁ。このままじゃ部屋に呼べないから」
もしかして早くもお母さんに紹介してもらえるんだろうか。
それって一樹さんからすれば結婚前提のお付き合いということ!?
優莉奈の中で目まぐるしく思考が交錯する。
とにかく、この先どうなるかわからないもののこの部屋を放置することはできないことは事実だ。
今日ここに泊まるにしても、寝床くらいは確保しないといけない。
優莉奈は気合を入れるように腕まくりをした。
「わかりました。今から掃除をするので、掃除道具を貸してください」
優莉奈の言葉に一樹はホッとしたように微笑んだのだった。
一樹は優莉奈の姿を見つけるとすぐに近づいてくる。
優莉奈もようやく一樹の待ち伏せになれてきた。
「やぁ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
慌てて背筋を伸ばしてみるのもも、疲れからうまく笑えない。
特にパソコンの目疲れのせいで目は年中乾いてシパシパしている。
優莉奈な何度も瞬きをして過ごしでも目に潤いをもたせた。
「今日は忙しかったんだって?」
「そうなんです。もうクタクタで」
大げさに言ってため息を吐き出すと、一樹が笑ってくれた。
それだけで1日の疲れも吹き飛んでしまうそうだ。
「それなら夕飯は食べて帰る?」
「そうですね。これから帰って料理をする元気はもうありません」
優莉奈はそう答えたのだった。
一樹に誘われて優莉奈は居酒屋へと向かうことになった。
俊介の歓迎会で使われた居酒屋だ。
テーブル席もあるけれど、疲れていることを考慮して一樹は座敷を選んでくれた。
靴を脱いで畳の上に上がると、足がパンパンに張っているのがわかった。
体を動かしていない証拠だ。
座敷に座った状態で軽くストレッチをすると、少しずつ体が楽になってくるのがわかる。
体をひねるたびにどこかの骨がパキパキと音を鳴らす。
もっと若かったころにはこんなことなかったのにと、苦笑いが浮かんだ。
「事務職も大変だよな。定期的に動かないと、体を悪くするよ」
今の優莉奈を見て一樹が心配そうに眉を寄せた。
「そうなんですけど、集中しちゃうとつい忘れちゃって」
気がつけば何時間もパソコンの前に座ったままなんてこともしょっちゅうだった。
そうなると体はどんどん固くなっていくし、血液の流れも悪くなる。
一樹はそんな優莉奈のことを気遣ってくれている。
「とにかく、明日は休みだし乾杯しよう」
「はい」
優莉奈は元気に頷いた。
普段あまりビールは飲まないけれど、こういう場所だとつい欲しくなる。
ビールの炭酸が喉を刺激してくるのが心地よい。
「二杯目からはレモンサワーだっけ?」
「そうですね。レモンサワー大好きです」
疲れた体にアルコールが染み渡っていく。
美味しいおつまみも食べて、楽しく会話をして優莉奈は自分の心がだんだん満足していくのを感じる。
あとは温かいお風呂にゆっくり体をつけて、ふかふかの布団で眠ることができれば最高だ。
そんなことを考えていたら
「ご注文の追加、ありますか?」
と、声をかけられて我に返った。
声をかけてきたのは大学生くらいの女性のアルバイト店員だった。
胸のネームには石橋と書かれている。
通りかかったついでに声をかけてきてくれたのだろうけれど、彼女の視線は完全に一樹へ向けられていた。
一緒にいる優莉奈のことなど少しも見ていない。
「そうだな。枝豆をもらおうかな」
「枝豆ですね、わかりました」
そんな簡単な注文ならメモしなくてもわかりそうなものだけれど、彼女はわかりやすくメモを取る。
しかもやけに時間がかかっている。
書きながらチラチラと一樹へ視線を向けては頬を赤らめている。
一樹に見とれているのは一目瞭然だった。
こんなことに気がつくなんて、なんとなく自分が嫌なヤツみたいに感じられてくる。
だけど事実なのだから仕方ない。
一樹はカッコイイし、街を歩けば沢山の女性たちの視線を集めていることだって知っている。
優莉奈は自然を背筋を伸ばして「私はタコワサを注文しようかな」と付け加えた。
できるだけ大きな声で。
彼女の視線が一樹から離れるように。
本当に食べたかったわけじゃないけれど、この子に自分の存在をアピールしなければと思ってしまった。
「あ、タコワサですね」
女性アルバイトはここでようやく優莉奈の存在に気がついたように視線を向け、それから怪訝そうな顔をした。
この人が彼女?
全然釣り合ってない。
表情の変化だけでそう言われた気がして胸の中がモヤモヤとした気持ちになる。
アルバイト店員は「それでは枝豆とタコワサをお持ちしますね」と、一樹へ向けて声をかけて、その場を去っていった。
彼女がいなくなった瞬間に大きなため息を吐き出す。
緊張が一気にほどけていくのを感じた。
「大丈夫? 本当に疲れてるんだね」
女同士のバトルが目の前で繰り広げられていても一樹は気が付かず、心配してくれる。
優莉奈は苦笑いを浮かべて「大丈夫です」と、答えたのだった。
☆☆☆
1時間くらい居酒屋で飲み食いするとさすがにお腹がいっぱいになっていた。
外へ出ると夜風が心地よく体温を下げてくれる。
火照った頬が徐々に普段の体温を取り戻していき、優莉奈はホッと息を吐き出した。
「今日は満点の星空だね」
一樹に言われて見上げてみれば、高いビルの間の小さな空には星がまたたいている。
「綺麗!」
思わず声を上げる。
都会へ出てきてからこうして夜空を見上げることは少なくなった。
一樹が教えてくれなければ、気がつくこともなかっただろう。
「もっと高い場所から見ると綺麗だよ」
言いながら、一樹は当たり前のように優莉奈の手を握りしめてきた。
優莉奈の心臓がドクンッと跳ねる。
「スカイツリーとか?」
「俺の部屋とか」
その言葉に優莉奈は言葉を失った。
俺の部屋とか。
それはどういう意味だろう。
冗談で言っただけかもしれない。
そう思うのに意識してしまって一樹から視線を外してしまった。
同時に握りしめられた手にギュッと力が込められた。
こんなことをされたら嫌でも意識してしまうけれど、一樹はどういうつもりなんだろう。
「今から来ない?」
「え?」
突然の誘いに動きが止まってしまった。
頭の中が一瞬真っ白に染まる。
「俺の部屋。星がよく見えるよ」
それって……。
色々と質問したいことがあったけれど、ニッコリと微笑まれるとどれもどうでもいい質問のような気がした。
優莉奈はただ「行きます」と、答えたのだった。
☆☆☆
これはもう、付き合っているってことでいいのかな。
学生時代なら告白されたりしたりして、OKをもらえれば交際スタートだとわかりやすい。
だけど大人の恋愛になるとちょっと違う。
告白よりキスが先だったり、なんだったら体の関係が先になってしまうことだってある。
もっとわかりやすければいいのに。
そんな風に考えながらも優莉奈の心臓はドキドキしっぱなしだった。
一樹の暮らすマンションへの道のりでは最近見た映画の話をしていたのだけれど、会話の内容はほとんど覚えていない。
心臓が今にも爆発してしまいそうで、とてもそれどころではなかったのだ。
「ここが俺の部屋」
エレベーターで15階まで上がってきて少し歩くいたところで、一樹がスマートな動きでカードキーを取り出す。
「さ、さすがですね。こんないい場所に暮らせるなんて」
入り口のセキュリティも万全だったし、15階からだと星も綺麗に見えることだろう。
「大したことないよ」
一樹はそう言い灰色のドアを外側へと開ける。
そして優莉奈を先に「どうぞ」と、促した。
始めて入る一樹の部屋に緊張しながらも優莉奈は玄関先に立った。
中は電気が消してあって暗くて見えない。
でもきっと広いんだろうということは、マンションの外観から予想していたことだった。
「お邪魔します」
一言いって玄関に足を踏み入れる。
そのときなにかが靴先に当たった。
「ごめんなさい、一樹さんの靴を蹴ってしまったかもしれません」
慌てて足を引っ込めると、今度は別のなにかにぶつかった。
「ごめんごめん。ちょっと散らかってるんだ」
なかなか前に進めない優莉奈を自分の後ろへ移動させて、一樹が先に室内へ入っていった。
そして電気がつけられた瞬間優莉奈は自分の目を疑った。
優莉奈が想像していた通り部屋はとても広かった。
入ってすぐに30畳ほどのリビングダイニングがあり、扉がいくつもついている。
トイレにお風呂に他の部屋も沢山ありそうだ。
それはいいのだけれど……汚い。
とにかく散らかっている。
30畳という広さのあちこちにゴミが散乱していて、大きなゴミ袋まで鎮座しているから歩き場所がない。
ついさっき優莉奈が立っていた玄関先へ視線を向けると、そこにもゴミが散乱している。
一樹の靴だと思っていたものはカップラーメンの殻の容器だった。
「こ、これは……」
絶句していると一樹が頭をかいて照れ笑いを浮かべた。
「実は掃除は苦手なんだ。でもほら、あの窓から星空が綺麗に見えるんだよ」
一樹に促されて優莉奈はよろよろと玄関を上がる。
ストッキングで床を踏みしめる度になにか粘り気のあるものが足裏にひっついてきた。
ゴミとゴミの隙間を縫うようにして大きな窓へ近づくと一樹が重たいカーテンを開く。
そのカーテンは何年も洗っていないようでホコリが舞い上がった。
ケホケホと咳き込んでいる優莉奈の横で、一樹が星空を見つめる。
その表情はうっとりしているけれど、優莉奈の方は決してそんな気分にはなれない。
部屋のあちこちから生ゴミが腐ったニオイがしているし、長時間いれば気分が悪くなってきそうだった。
「ごめんなさい。少し換気してもいいですか?」
とにかくこのままにしておくわけにはいかないと思い、小窓を開けてみる。
それでも空気は淀んだままったので、キッチン側へ向かって換気扇を回した。
そこでシンクへ視線が向かってしまい、真っ黒になった得体のしれない何かを目撃してしまった。
きっと食べ物や生ゴミを放置して腐らせたんだろう。
「ごめんね汚くて」
「い、いえ。男性の一人暮らしはこんなものだと思います」
慌ててそう答えながらも、これほどの惨状は見たことがないと思った。
いくらなんでもひどすぎじゃないだろうか。
だけどここで帰るわけにはいかなかった。
一樹はきっとその気になって優莉奈をこの部屋に上げている。
仕事ができるのに片付けはできないなんて、そのギャップが可愛いんじゃない?
と、自分自身に言い聞かせてどうにか納得させる。
「実は明日母親が来るんだ。だけどどうしても片付けができなくて、手伝ってくれない?」
申し訳なさそうに言う一樹に優莉奈がまばたきを繰り返した。
「お、お母さんですか?」
「あぁ。このままじゃ部屋に呼べないから」
もしかして早くもお母さんに紹介してもらえるんだろうか。
それって一樹さんからすれば結婚前提のお付き合いということ!?
優莉奈の中で目まぐるしく思考が交錯する。
とにかく、この先どうなるかわからないもののこの部屋を放置することはできないことは事実だ。
今日ここに泊まるにしても、寝床くらいは確保しないといけない。
優莉奈は気合を入れるように腕まくりをした。
「わかりました。今から掃除をするので、掃除道具を貸してください」
優莉奈の言葉に一樹はホッとしたように微笑んだのだった。
0
あなたにおすすめの小説
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
【短編】ちゃんと好きになる前に、終わっただけ
月下花音
恋愛
曖昧な関係を続けていたユウトとの恋は、彼のインスタ投稿によって一方的に終わりを告げた。
泣くのも違う。怒るのも違う。
ただ静かに消えよう。
そう決意してトーク履歴を消そうとした瞬間、指が滑った。
画面に表示されたのは、間の抜けたクマのスタンプ。
相手に気付かれた? 見られた?
「未練ある」って思われる!?
恐怖でブロックボタンを連打した夜。
カモメのフンより、失恋より、最後の誤爆が一番のトラウマになった女子大生の叫び。
いい加減こっち見ろよ!〜見た目だけだとフラれ続ける私は、どうやら幼馴染の執着愛に気づいていなかったようです。〜
こころ ゆい
恋愛
保育士の八重と外科医の一生は、小学生の頃からの幼馴染。
傍から見れば、儚く清楚に見えるらしい八重は、実は外見にそぐわぬ性格をしていた。
そのせいで、見た目につられて告白してくる男性たちは、ことごとく彼女の中身を知って離れていく。
フラれる度に、やけ食いややけ酒に付き合ってもらっている一生は優しいが、懲りずに同じような恋愛を繰り返す八重に呆れている....と思っていたら?
「....八重の可愛さは、そんなもんじゃないんです。....誰も気付かなくていい。俺だけが知ってればいい」
ーーどうやら、かなり愛されていたようです?
※じれじれ・執着・溺愛 ラブストーリー。🌱
※この物語は、全て作者の想像で描かれたフィクションです。実際の場所・建物・人物とは関係ありません。🌱
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
貴方なんて大嫌い
ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と
いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている
それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い
彼のためにゴーストライターをやってきたのに、ポイ捨てされました
堀田げな
恋愛
主人公・美百合は、燈矢に告白されて付き合うことになった。それとほぼ同時期に燈矢のゴーストライターになることに……。
美百合は彼に褒められたいがためにゴーストライターを続け、その結果燈矢と婚約する。
だが、彼の態度が変わり始め、美百合の代わりが見つかったとして婚約破棄され、ゴーストライターもやめさせられた。
その後、美百合は自分の名義で活躍し始めるが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる