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第4章

13話 行方知れずのおバカ令息

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 エフォール公爵領にて、レトリー侯爵令息こと、アルセンの捜索が開始されてから2日目。
 丸1日邸に戻って来なかったアドラシオンが、騎士達数名と邸に戻ったのは、その日の昼を過ぎた頃の事だった。

 アルマソンを含めた使用人や侍女達数名と、出迎えの為に玄関先へ出たニアージュが見た限り、アドラシオンを含め、誰ひとり怪我をしている者はいないようである。安堵の一言だ。

「旦那様! お帰りなさいませ! 騎士の皆さんもお帰りなさい! どなたもお怪我がないようで何よりです……!」

「ああ。ただいま、ニア。心配をかけてすまなかった」

 満面の笑みで自分を出迎えてくれるニアージュに、アドラシオンも穏やかな笑みを向けながら答え、騎士達数名も、少々気が抜けたような笑みを浮かべながら、ニアージュに会釈する。

「俺が留守の間、邸では何事もなかっただろうか」

「はい。ご安心下さい、何事もありませんでしたよ。……それで、アルセン様は見付かりましたか?」

「……。いや。残念だが見付からなかった。アルセン殿を攫ったとおぼしき数名の盗賊は捕縛したんだが、一歩遅かった。盗賊共が言うには、アルセン殿は既に人買いに売り払った後だったようだ」

「……。そうですか……。売り払われた先は分からないんでしょうか?」

「それが分かるかどうかは、現在行われている尋問の結果によるな。一応自警団の者達には、初めから手酷い尋問の仕方をすると、保身意識が強まるあまり出鱈目を吐かれる危険性もあるから、加減を考えるようにと言い付けてあるが……」

「はい。その辺は、自警団の手腕に期待するしかありませんね」

 アドラシオンにちらりと視線を向けられ、くすんだ赤毛の騎士が神妙な面持ちで言う。

「もっとも、侯爵令息を攫った挙句に売り飛ばしたとあっては、正直に自白したとしても、先に待っているのは縛り首の運命でしょうけど……」

「……でしょうね」

 赤毛の騎士の言葉を受け、焦げ茶色の髪をした騎士がため息交じりに述べ、ニアージュもその言葉にうなづいた。
 この世界には人権思想など存在しないし、平民相手の裁判制度は、ただ罪人に対する断罪の場を設ける為だけのものでしかなく、裁判での係争など望むべくもない。

 原告と被告が互いに弁護士を雇い入れ、裁判で互いの主張を行い、などというやり方ができるのは、基本的に王侯貴族だけだ。
 もし仮に、平民でそんな事ができる者がいるとすれば、社交界に影響を及すほどの規模を持つ大店の主か、その近親者だけだろう。

 そもそも、平民が王侯貴族相手に罪を犯したり危害を加えたりした場合は、裁判にすらならない。ただお貴族様の胸三寸によって話が進み、一方的に吊るし上げを喰らう。当然、無罪の実証も極めて難しい。

 そして大抵、その後は先の騎士が発言した通り、縛り首にされておしまい、という事になる。
 人権思想のない国家で罪人が辿る末路は、かくも惨いものなのだ。

(とはいえ、誘拐に人身売買なんて、平民相手でも縛り首待ったなしの重犯罪だわ。
 挙句、それを上位貴族相手にやらかしたとなれば、最悪奴隷制度の徹底排除を宣言してる、現王の政権への反逆行為とも取られかねないし、同情の余地はゼロね)

 ニアージュは内心でそう結論付けて頭を切り替え、アドラシオンに向き直る。

「では、旦那様もこの後また、自警団の詰め所に向かわれるのでしょうか」

「そうだな。一応、顔は出さねばならないだろうな。――そういえばアルマソン、件の手紙の、筆跡鑑定の話はどうなっている?」

「それでしたら既に、鑑定結果を記載した書類が届いております。すぐに目を通されますか?」

「……! もう出たのか。だとするなら……いや、結果は既に出ているんだ、推察は必要ない。すぐに書斎で目を通す。再度街の自警団の元へ行くのは、明日の予定だからな」

「かしこまりました」

「? 手紙の筆跡鑑定? 一体何があったんですか? 旦那様」

「そうか、そういえば、君には話していなかったな。アルセン殿から届いたあの手紙に書いてあっただろう? 君から先に手紙をもらった、と。実は例の会合の際、アルセン殿がその手紙を所持していて、現在成り行きでその手紙を預かっているんだ。

 目を通してみた所、やはり君が書いた手紙ではなかったから、一体誰が書いたものなのかを詳らかにする為、アルマソンに頼んで筆跡鑑定に出していたんだが……思っていたより鑑定結果が出るのが早かったな」

 佩いていたロングソードをベルトから取り外し、アルマソンに預けながらアドラシオンが言い、アルマソンもまた、アドラシオンからロングソードを受け取りつつ口を開く。

「はい。通常、照合作業を含めた筆跡鑑定というのは、平均して数週間、下手をすればひと月以上かかる事もある作業です。それがただの数日で終了したという事は、資料となる筆跡が既に、鑑定士の手元にあった事を意味します。それすなわち――」

「……。過去に犯罪を起こした、もしくは、それに準ずるような問題を起こした事のある人物が、今回の手紙の騒動に関わっている、という事でしょうか?」

「君は聡いな、ニア。――俺とアルマソンはそう見ているよ。更に言うならその手紙が、アルセン殿の誘拐事件の発端になったと見做される可能性も、場合によってはあるんじゃないかと考えている」

「そうですね。そもそも、アルセン様の所にそんな手紙が届かなければ、アルセン様がおかしな勘違いをする事も、今回のような考えなしの愚行に走る事もなかったでしょうし……。
 手紙の主を、誘拐事件発生の原因と見做して、間接的な罪に問う事もあると言えば……あるのかしら。うーん、ちょっと微妙な所じゃありません?」

「そうだな。手紙の主がアルセン殿の一件で罪に問われるか否かは、その人物の身分や立場に左右される可能性が高いだろう。まあ、もしそれが叶わなかったとしても、レトリー侯爵はその手紙の主を酷く恨まれるだろうが」

 アドラシオンは、疲れた顔で頭を掻きながら歩き出す。

「むしろそっちの方があり得そうですね。こう言ったらなんですが、レトリー侯爵は良くも悪くも、他人に寄りかかりがちな方に思えますから。
 さあ旦那様、疲れる話はここでいったん終わりにしましょう。少しお休みになった方がいいですよ。今紅茶をお淹れします。お茶請けに米粉のミニパンケーキはいかがですか?」

「ああ、お願いするよ。後は……そうだな。木苺のジャムも一緒につけてくれるか? パンケーキに乗せて食べても美味いが、紅茶に入れて飲むのも最高なんだ」

「ふふ、かしこまりました。たっぷり用意しますね」

 アドラシオンのリクエストに笑顔で答える。
 全部の面倒事が片付くのはまだまだ先の事になるのだろうし、ほんの一時だけでもいいから、きちんと心と身体を休めて欲しいと、ニアージュは思っていた。

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