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第4章
14話 非常識令嬢、終焉の時
しおりを挟むエフォール公爵領にて、人攫いの盗賊達が捕縛された数日後。
バラト侯爵家のエーゼルは、自室の隅で青い顔をして縮こまっていた。
エーゼルが、ニアージュの名前を騙って出した手紙が要因となって酷い騒動が起きていると、侍女達の噂話を立ち聞きして知ったからだ。
曰く、レトリー侯爵家のアルセンは、エーゼルが書いた偽の手紙を盾に、男性貴族会の会合の場でエフォール公爵に詰め寄って喧嘩を売り、家名に傷をつけかねないほどの酷い失態を晒したらしい。
挙句、エフォール公爵夫人と会う為に、主が留守にしているエフォール公爵家の邸に押しかけようとして、共も護衛もつけずに夕暮れ時の野道を単身馬で走った事で、盗賊に遭遇して攫われた末、人買いに売り飛ばされ、今も行方が知れないままだという。
そして。
息子が奇行に走り、攫われて売り飛ばされる羽目になった原因……つまり、偽手紙の存在を知ったレトリー侯爵は、手紙を書いた人物に対して怒髪天となっており、草の根分けてでも手紙の主を探し出し、八つ裂きにしようと息巻いているらしい、と。
更に言うなら、エーゼルにとって深刻な話はそれだけではない。
レトリー侯爵だけでなく、エフォール公爵も偽の手紙を実際に目にして、妻を侮辱されたと大変腹を立て、アルセンから没収した手紙を筆跡鑑定にかける事で、手紙を書いた人間を探し出し、厳罰に処そうとしているらしいのだ。
「なにをやってるのよあの馬鹿男……! ていうか、アドラ様に正面から喧嘩を売るとか、変な時間に馬を走らせてニアージュに会いに行こうとするとか、頭が悪いにも程があるでしょ!? 頭の中に虫でも湧いてるんじゃない……!?
もし、もしあの手紙を書いたのが私だってばれたりしたら、とんでもない事になっちゃうわ……っ! どうしてくれるのよ本当にもうっ! それもこれも、あいつが上手くやらなかったせいだわ! どれだけ無能なのよ!」
エーゼルは右手の親指の爪を噛みながら、しかめ面でブツブツと呟くように独り言ちる。
しかも、その独り言の中でさえ、エーゼルは自分が悪いとはほとんど思っておらず、責任の大半をアルセンに転嫁している始末だ。つくづくどうしようもない。
「い、いえ、落ち着いて、落ち着くのよ、エーゼル。手紙を出す時だって、家令には何も言わなかったし、手紙を持たせた使用人も、ちゃんと脅し付けて口止めしたじゃない。だから大丈夫、私の事は誰にもばれないわ。そう、大丈夫よ……」
自分に暗示をかけるかのように再び独り言ち、強く自分に言い聞かせていると、不意に部屋のドアがやや強めにノックされた。途端にエーゼルの肩が反射で跳ねる。
「エーゼル。私だ。入るぞ」
「お、お父様……。は、はい。どうぞ……」
びくびくしながらも父親の言葉に応えたエーゼルは、座り込んでいた部屋の隅から立ち上がり、皺の寄ったドレスのスカート部分を手早く伸ばす。
「ど、どうなさいましたの? お父様……」
「…………」
「お父様?」
「……今思えば私は、お前を含めた子供達の教育の多くを、妻に任せ過ぎたのやも知れん。
しかしそれでも、長男のリードや長女のアンヌ、次女のローラは立派に育ってくれた。乳母や侍女長の厳しい言葉に、きちんと耳を傾ける気概があったからだろう」
怪訝な顔をするエーゼルを前に、バラト侯爵はいかめしい表情を崩さぬまま、滔々と語り始めた。
「だが、末の娘のお前はどうだ。優しく甘い母の言葉にばかり縋って寄りかかり、乳母や侍女長の言葉には一切耳を貸さず、社交の場に出れば、耳障りのいい言葉にばかり踊らされるようになり……挙句、自身の思い通りにならない事があらば、癇癪を起して騒ぐような娘になってしまった。
だからこそ……此度のこの件はある意味、私の父親としての浅はかさと、怠慢が招いた結果なのやも知れんと、そう思っている。慙愧の念に絶えぬとは、このような気分の時に使う言葉なのだろうな……」
「お父様、何を仰っているの……?」
「エーゼル。件の騒ぎは既に知っているな。アルセン殿が起こした会合での暴走と醜態、そして人身売買に巻き込まれ、未だ行方が知れぬ件に関してだ」
父親の射貫くような眼差しにたじろぎつつ、エーゼルは小さくうなづく。
「それら全ての案件の要因である、エフォール公爵夫人を騙った手紙を書いたのは、お前だな」
もはや問いかけではなく、事実の確認としてその言葉を口に出したバラト侯爵に、エーゼルは再び肩を大きく跳ねさせた。
「……っ、な、何を仰るの、わ、私は……」
「8年前、ステパノス公爵家の令嬢……現王太子妃殿下に対してお前が嫌がらせの手紙を書き、停学と謹慎処分を受けた際に行われた、筆跡鑑定の時の手紙が、鑑定士の手元に資料として残っていた。その手紙の筆跡と、今回の手紙の筆跡が完全に一致したそうだ」
「……っ!」
声にならぬ声を絞り出そうとした喉から、小さな空気の塊が押し出され、ヒュッ、という音が微かに響く。エーゼルはどうにか言い訳を口にしようとするが、何をどう言っていいのか結局思い付かず、口籠った。
「栄誉ある我がバラト侯爵家から、そのような愚か者が出てしまった事は、実に残念極まりないとしか言いようがないが……当主である私までもが、既に起きてしまった事でうろたえて、然るべき行動を速やかに取れぬ愚物に成り下がる訳にはいかん」
「ち、ちが、違うの、お、お父様……」
「なにが違う。エフォール公爵閣下からお寄せ頂いた情報にも、お前が件の手紙を書いた事が、筆跡鑑定で証明されたとあった。もはや、申し開きや言い訳が通用する段階はとうに過ぎ去っているのだ。
……お前の今後の処置処遇は、レトリー侯爵やエフォール公爵閣下との話し合いののち、正式に決まる事となる。それまでここで大人しくしていろ。今の段階でこれ以上下手を打てば、処遇が決まる前にお前の首を差し出す事にもなりかねん。……分かったな」
「お、おとう、さま……。そんな、だって、私は……」
呆然と呟きながらその場に崩れおる愚かな娘に、一瞥をくれたのち、バラト侯爵は踵を返して部屋から出て行く。
その双眸の奥は、自身のこれまでの行動への後悔と、僅かに残った末娘への憐憫の情で揺れていた。
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