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第3章
15話 新年祝賀会~祭りのあと
しおりを挟むニアージュはそれからしばらく、少しばかり居心地の悪い思いをした。
しかし、周囲の人々から生温い眼差しを向けられたり、からかい混じりの言葉をかけられたりする事はあっても、その根底にあるのは祝福の感情であり、悪意がない事はよく分かっていた為、さほど気を張らずに済んだ事は、幸いだったように思う。
そういう訳で気を取り直し、アドラシオンとグレイシア、そこに合流した王太子アリオールとも、素直に食事や会話を楽しむ事にした。
アドラシオンと久方振りの再会を果たしたアリオールは、喜色を隠す事なくアドラシオンに接し、アドラシオンもまた、アリオールとの会話に笑顔で興じる。
親し気な2人のその姿は、多くの貴族達の中に残っていた、王家とアドラシオンの関係に関する、古い認識を改めさせる切っ掛けとなったに違いない。
それから約束通り、アドラシオンとダンスを踊る事もできた。
華やかなパーティー会場の中心で、色とりどりのドレスをまとった美しい貴婦人達に混ざり、優しい想い人と穏やかに笑い合いながら、フロアの中で優雅に舞うひと時を噛み締める。
本音を言うなら、こんな日が来るなんて思ってもいなかった。
片田舎に住まう平民として生きていたはずの自分が、こんな世界に身を置いて、パートナーと共に踊っているだなんて。
もしこれが、辛い淑女教育を最後まで受け切ったご褒美だとするのなら、それこそもうお釣りが来るなんてものじゃない、濡れ手に粟の大儲けだと思う。
あれほどダンスに苦手意識があったというのに、それも気付けば、どこかに吹き飛んで綺麗さっぱりなくなってしまっている。
それもまた不思議な事だが、あまり深く考えない事にした。
ただ今は、この幸せな時間に浸っていたかった。
こうして、幾ばくかのトラブルはあったもの、ニアージュが初めて参加した公式行事にして、社交界デビューとも言うべき新年祝賀会は、無事に幕を下ろした。
新年祝賀会の終了が宣言されたのは、夜の21時。
ニアージュ達のように、ここから自宅の邸へ馬車を走らせていては、帰宅時間が日を跨いだ深夜となってしまう貴族家の人々は、王家の厚意によって王宮に一晩泊まり、翌朝帰宅の途に着いた。
木製の車輪が道を転がる音と、軽やかな馬蹄の音が重なって響く中、ニアージュは満ち足りた気分で馬車に揺られる。
頭の中にあるのは今朝の事。
すなわち、王宮で出てきた朝食、最高だったな、という事だ。
だが、王宮で供された朝食は、これといって特別豪華なものだった訳ではない。
トマトソースがかかったオムレツをメインに、葉物野菜のサラダとオニオンスープ、白パン、デザートに冬リンゴのコンポートがつくという、上位貴族家から見れば、珍しくも何ともないラインナップだった。
経済的に裕福な家の者からすれば、むしろ質素にさえ思えたかも知れない。
ただ、小麦アレルギーのアドラシオン用として米粉パンが登場した事には、ニアージュも少なからず驚いたが。
なんにせよ、朝食の品々が全て美味だった事は、揺るぎない事実である。
中でも、何より甘さと酸味、旨味が絶妙な形で同居しているトマトソースをかけたトロフワなオムレツは、まさしく最強と呼ぶに相応しい味わいだったように思う。
もっとも――
好きな人と差し向かいで、ゆったり談笑しながら食べる食事だからこそ、尚更美味しく感じたのだという事も、ニアージュはよく理解していた。
「どうしたんだ、ニア。何か気にかかる事でもあるのか?」
「え? ああ、ちょっと考え事をしていました。朝食で出たオムレツにかかっていたトマトソース、とても絶妙な味わいだったなあ、とか。あのソースをお邸でも作れたら、お邸のみんなやアナとも、また同じ味を楽しめるでしょう?
本当は王宮の使用人の方に声をかけて、作り方を訊けないか確認したかったのですけど、正直それが貴族女性のマナーとして正しい振る舞いなのか、いまいち分からなかったので……。ねえマイナ、ニーネ、私はどうすればよかったと思う?」
「そうですね。お伺いしても問題なかったように思いますわ、奥様。他家で供されたお食事に満足いった場合、そういった形で、その家のご当主様や料理人を称賛する事は、少なからずございますので」
「はい。侍女長様の仰る通りですわ。もし、ご自身でお声を上げられる事に抵抗がおありでしたら、その時は私共にお申し付け下さい。私共が責任持って、一言一句違わずお相手に、奥様のお言葉をお伝え致します」
「そうなのね。教えてくれてありがとう、2人共。次からはそうさせてもらうわ」
「私とニーネの言葉をお留め置き下さり、光栄でございます。奥様。今後も奥様の為、微力を尽くさせて頂きますわ」
「ええ、よろしくね。私はまだまだ知らない事も多いし、頼りにしてるわ」
どこかホッとしたような、嬉しそうな笑顔で言うニアージュに、マイナとニーネも笑顔でうなづく。
そこにアドラシオンが、わざとらしい咳払いと共に話に割って入ってくる。
「ん、コホン。そろそろ俺も話していいか?」
「まあ、旦那様。私共に対して、そのようなお気遣いをされる事などございませんのに。ねえ、ニーネ」
「はい。奥様は旦那様の妻であらせられるのですから、いつでも気兼ねなくお話されればよろしいのですわ。私共は、お二方のお話を楽しく拝聴させて頂きますので」
「い、いや、それはそれで落ち着かないんだが……。あー、まあいい。ニア、もしその、トマトソースのレシピが気にかかるというなら、俺が今度アリーに手紙を書いて、その中でレシピを訊いておく」
「えっ? よろしいのですか?」
「勿論だ。――邸のみなにもあの味を堪能させてやりたいと、そんな風に考える君の思いを無下になどするものか」
「わあ、ありがとうございます、旦那様!」
「ふふ、ようございましたね。奥様。使用人や侍女に対しても、そのようにお心を砕いて頂ける事、私も侍女長として嬉しく思います」
「私もとても嬉しいですわ。きっと、留守番をしているアナも喜ぶ事でしょう。よいお土産ができたのではありませんか?」
「ええ、それはもう! 後は、今月中に雪が積もってくれれば、言う事なしなんだけど」
「ああ、スノーワインの事か。あれは俺も楽しみにしているから、一度だけでもぜひ積もってもらいたいものだ」
ニアージュ達は笑顔で語り合う。
そろそろ、馬車が走り出して2時間ほどが経過する頃合いだ。
馬車を止めて休憩できる領地の町が、遠目に見えて来ていた。
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