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元伯爵夫人は遥か過去に揺蕩う

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『貴男なんて、愛さなければよかった』


 言葉とは裏腹に穏やかで優しい声だった。

 少女のように母のように妖精のように女神のように魅力的な声。

 それが一人の男を優しく詰っていた。


『これから貴男と過ごした日々の何倍も貴男のいない日々を過ごすのね。置いて行かれるのね。私たちは』

『すまない』

『心の底からそう思っているのね。けれどそれでも貴男は迷わない。こんな時ばかり。でもそういう人だから』


 柔らかく美しい声に強い悲しみが宿る。いや最初からそうだった。

 彼女がその悲しみを受け入れているから穏やかに聞こえていただけだ。


『こんなことは望んでないと、彼は絶対に言うでしょうに』

『そうだね。あいつは怒るだろうし泣くと思う。深く傷つけてしまう』

『それでも、決めてしまったのね』

『大切なものを失わないために。必要なことだから』

『……その為に何よりも大切な貴男を私たちから永遠に奪うの?』


 女性の、感情を覆い隠していた殻が破れそうになる。

 理由はあまりにも相手が無神経で揺るがないから。

 自分のことしか考えていないから。

 自分の大切なものを自分が犠牲となって守ることしか考えていないから。

 とうとう女性から呪いのように慟哭のように告白のように言葉が散らばり零れてしまった。 



『貴男なんてもう愛さない』

『でも私はもう貴男を愛してしまった』

『この身と心から貴男への愛を消すことなんて、偉大なる父でも無理でしょう』

『でも次はもう絶対貴男を愛さない』

『正しくて、正しいだけで、優しくて、優しいだけで、全てを愛していて、全てしか愛さなかった』

『次の貴男は、そうなりませんように』

『次の私は貴男と出会いませんように』

『でももし出会ってしまったら』

『私は絶対に貴男を愛さない』

『それでも愛してしまったのなら』

『それは私だからじゃない、間違えないで』

『貴男を愛する私は貴男が今から捨てる、私だけよ』



                   『死ぬまで愛し続けるわ』



『僕もだよ、幸せだった』


              『酷い人、今から死ぬ癖に』




 男が去った後も女性は泣き続けた。

 男はそうなることも知っていて迷わず去った。

 我ながらなんて酷い男なのだろう、ディアナはそう思った。


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