青井くんはプールの底

江乃香

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 気付けば青井くんはエマちゃんのお世話係二号として、朝や休み時間、そして放課後に私の手助けをしてくれるようになった。
 青井くんが職員室にエサの在庫を取りに行ってくれている間、私はエサをあげながら小声でエマちゃんに話しかける。サマーがいた時もこうして話しかけるのが日課だった。
「それでねエマちゃん、昨日晩ごはんにハンバーグ作ったんだけど見事に失敗しちゃってさ。しかもびっくり、お米炊くのも忘れてたんだよ? もう家族みんな大ブーイングで……」
「まーた話してる」
「わっ! いるなら言ってよ!」
「言わないよ。見てる方は楽しいのに」
「……いつから見てたの」
「最初から」
 青井くんは「ははは」と楽しそうに声を上げる。そして水槽の横に新しいエサのパックを置くと、近くの席に腰を下ろした。
「しっかりしてるように見えて意外と不思議ちゃんだよね、葵は」
 青井くんは頬杖をつきながら口角をへらりとゆるめた。 
──葵
 いつからか呼び捨てで呼ばれるようになった名前。
 青井くんの名前と同じ響き、そして青井くんと過ごす二人きりの時間に、私は次第に優越感のような少し面倒で厄介な感情を抱きはじめていた。どんどん膨れ上がっていく青井くんへの想いは恋なのか分からないまま冬を越え、そしてそのまま春を迎えた。

 青井くんとは不思議と波長も合った。それは青井くんも同じだったようで、新緑が芽吹く季節に私たちの距離はさらに縮まった。
「はいエマちゃん、ご飯ですよ」
 いつも通りの放課後。そしていつも通りの二人きりの時間。窓から入り込む五月の風が、心地良く髪を梳き頬を撫でる。
 私は制服のポケットからスマホを取り出すと、水槽の中でぱくぱくと口を動かすエマちゃんにピントを合わせ、シャッターボタンを押した。
「写真?」
 青井くんが首をこてんと傾げる。
「うん。青井くんが来る前にここで飼ってた子がいなくなっちゃって……写真一枚くらい撮っておけば良かったなあって後から後悔したの。だからエマちゃんはたくさん撮るようにしてるんだ」
「……へぇ。前に居た子はどんな魚だったの」
「ブルーエンゼルフィッシュって分かる?」
「うん。知ってる」
「すごく綺麗な魚だったんだよ。青井くんにも見せてあげたかったな」
 スマホの写真フォルダをスライドするが、やはりサマーの写真は一枚も無かった。
 ふと顔を上げると、青井くんは切なげに目をほそめていた。不思議な美しさと儚さをまとった青井くんは、少しだけサマーに似ている気がする。
「ちょっと、青井くんに似てたかも」
 そう小さく呟くと、青井くんは自分の頬をぺたぺたと触りながら「そんなに俺って魚顔!?」と真面目なトーンで言い放った。私はそれがおかしくて、声を出して笑う。
「違う違う。なんだろう。雰囲気かな」
「ふうん。その子はもう、死んじゃった……とか?」
「ううん、ほんとに突然いなくなっちゃったんだ」
 あれから数ヶ月も経っている。
 もしかするとサマーはもうこの世にはいないかもしれない。けれど私はまだどこかでサマーの無事を信じている。
「この狭い水槽の中が窮屈で、どこかに行っちゃったのかも」
 青井くんは目を伏せながら「かもね」と小さく笑うと、私のスマホを背後からひょいと取り上げ、カメラをインカメラに設定した。
「ちょっ、いきなりなに……」
 青井くんに肩を抱かれ、そのまま引き寄せられる。そしてそのまま青井くんはシャッターのボタンを押した。
 頬が触れそうなくらいの距離。その出来事はあまりにも一瞬で、星が舞ったように目の前がチカチカした。
 はい、とスマホを返される。
 ふわふわしたままスマホを受け取ると、画面の中には水槽をバッグに不意打ちで撮られた青井くんとの写真が残っていた。
「世話係とエマちゃんのスリーショット」
 これも記念だろ?と笑う青井くんに、私の胸はまたきゅうっと甘くしめつけられた。
「その愛情、エマちゃんにもしっかり伝わってるよ。も、きっと葵に感謝してると思う」
 青井くんは窓の外を見つめながら呟くと、猫のようにぐうっと背を反らした。
「はーのど乾いた。ジュース買ってくるけどなんかいる?」
「んー、じゃあ……」
「「オレンジジュース」」
 重なった声に私と青井くんは顔を見合わせて笑った。
「じゃあ行ってくる」
 教室から出て行く青井くんの後ろ姿に手を振り、じっと見つめる。
 頬はまだ熱を帯びている。フォルダの中の写真にはしっかりと二人の顔が刻まれていた。私はほころぶ口元を必死に抑えながら、スマートフォンを両手で握りしめた。
『サマーも、きっと葵に感謝してると思う』
 先ほどの青井くんの言葉をふと思い出し、顔を上げる。
「あれ? 私、名前言ったっけ……」


 青井くんと出会ってから半年が経った。男女の距離を埋める期間など、半年もあれば充分だった。
「葵」
 朝礼の後、青井くんが私の席の前に立つ。
「今日の放課後、話があるんだけど」
 真っ赤な顔でそう言う青井くん。同じく真っ赤な顔でこくこくと頷く私を、クラスの皆がニヤニヤと囃し立てた。
「ちょっと葵ー! ついに! ついにじゃん!」
 友人の渚沙が興奮気味に私の肩をばしばしと叩いた。私は紅潮した頬を両手で押さえながら体を小さく丸める。
「いつ見ても二人の世界なんだもん。こっちからしたら、やっとかって感じだよ」
 周りからそう見られていたことにさらに気恥ずかしさを覚え、「それ以上言わないで」と渚沙の口を塞いだ。
「第一青井くん、葵以外の女の子には全く興味ないもんね。この前も隣のクラスの女子に連絡先聞かれてたみたいだけどバッサリ断ってたらしいし」
「……青井くん、モテるんだ」
「そりゃあの顔で高身長ならモテるでしょ」
 男子に小突かれながら赤い顔でうろたえる青井くんを見て、私はふにゃりとゆるむ口角を隠すように両手で口元を覆った。
 今日、私は青井くんの彼女になれるかもしれない。

そのはずだった。
そのはずだったのに……

『先生!! 青井くんがいません!!』
 今でも脳裏にこびりついているあの瞬間が、青井くんとの幸せな日常を全て破壊してしまった。

 
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