青井くんはプールの底

江乃香

文字の大きさ
5 / 7

5

しおりを挟む

「先生!! 青井くんがいません!!」
 夏の中で幾重にも重なる蝉の声が、ぴたりと止まった気がした。

 その日はプール開きだった。
 全員が五十メートルを泳ぎ切った後、一人の男子が大声で叫んだ。
「え……?」
 私は聞こえたその名前に分かりやすく狼狽えた。みんな一斉に自分の周りを確認するが「いない!」「こっちにも!」と次々に悲鳴のような声を上げた。呼吸と心臓が止まりそうになる。私の頭は真っ白だった。
「みんな一度プールから出て!!」
 体育教師の指示により、全員がプールサイドに慌ただしく上がる。しかし目視でも青井くんの姿は確認できなかった。動揺した私はプールサイドに膝を突き、プールの水に手を伸ばした。
「あ、あおいく……」
「葵! なにしてんの! 危ないって!」
 そのまま頭から転がり落ちそうになる私の体を渚沙があわてて引っ張る。
 それからたくさんの教師が授業を中断して走ってきて、現場を見るなり「警察に通報!」と叫んでいた。耳の中を掻き回すサイレンの音と鼻を突くようなカルキの匂いは今でもしっかりと私の中にこびりついている。


 青井くんと約束していた放課後は、とうとう来ることはなかった。青井くんがいなくなってからの一週間は皆悲嘆に暮れた。涙も枯れ果ててしまった私を、渚沙は抱きしめながらわんわんと声を上げて泣いてくれた。
 この悲しみはいつまで続くのだろう。
 クラス中に漂う暗い雰囲気に、誰しもがそう思っていたはずだった。

 しかしその次の週には段々と青井くんの名前は出なくなっていった。
 当時近くに居た男子生徒も授業中に冗談を言うようになり、責任を感じていた体育教師の笑顔も戻ってきた。周りが徐々に日常を取り戻し始めていることに、私だけがかすかな違和感を抱いていた。
「あおいーっ! 音楽室行こっ!」
 この一週間、私の顔色を窺っていた渚沙もいつもの調子に戻っていった。少しずつではなく、突然に。
 皆辛い出来事を乗りこえて前を向き始めている。私もしっかりせねばと両頬をぴしゃんと叩き、渚沙ににこりと笑いかけた。
「うん! 行こ行こ!」
「ここ一週間ずっと暗い顔してたけど、やっと元気になってきたね」
「まあ、ずっと落ち込んでるわけにはいかないしね。青井くんが戻ってきたら、どこ行ってたの!って詰め寄ってやらなきゃ」
 渚沙は考えるように眉根を寄せる。
「……ねぇ、葵」
 それから訝しげに私を見つめた。
「青井くんって誰?」

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

処理中です...