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何をしゃべっているの?

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――薬の保管庫


 薬の保管庫から腫れや捻挫などに効く塗り薬を選び出す。
 ここにある薬は、全て私のお手製。
 薬の作り方は母さまから学んだ。
 薬のことを教えてくれる母さまはとても厳しかったけど、それ以上に楽しい時間だった。
 母さまとの暖かな記憶が詰まった薬品棚を深紅の瞳に映し、治療に必要な薬を指で追う。


(これと、これっと。よし、薬は大丈夫。あとは一度自分の部屋に戻って)
 少年のもとへ戻る前に、自分の部屋へと向かう。
 部屋に入り、乱雑に積まれた本をかき分けてクローゼットの前に立つ。
 クローゼットの扉の前にも本が積まれていたので、それらを適当によけて扉を開く。

 扉を開いた先には、またも服が乱雑に積まれていた。これは整理することなく服を放り込んでいった結果だ。
 ごちゃ混ぜになった服の山に手を突っ込んで、ごそごそと弄る。


(えっと、たしかここに……あったっ)
 かなり奥の方にソレはあった。
 別の服と絡まっているようで、引っ張ってもなかなか出てこない。仕方ないので、力を込めて引っ張ってみる。
 すると、スポンッといった要領で、ソレはクローゼットから飛び出した。

 私がクローゼットから取り出したモノ、それは茶色のお椀状の帽子。

 少年は気を失っているため、私の髪の色を見ていない。
 つまり、私が魔女であることに気づいていない。だから、魔女であることがばれてしまわぬように帽子をかぶって誤魔化すことにした。


 帽子に穴が開いていないことを確認して、鏡面台の前に座る。そして、髪を帽子に押し込んでいく。
 長い髪であったため、量があり、なかなか収まりきれない。
 そこは何とかやりくりして、髪を帽子に入れ込んだ。無理に髪を入れ込んだ帽子はこんもりと膨らみ、茶色の色と相まってキノコのように見える。


(はぁ、久しぶりの格好……)
 多くの魔女は他種族と交わる際、髪色を隠す。
 その時に使う一般的な手段が帽子。

(でも、この姿は……ううんっ)
 私はすぐに首を左右に振った。
 心の隙間から漏れ出しそうになった悲しい記憶を振り捨てるために……。

 気持ちを切り替え鏡を見ながら、帽子から黒髪が飛び出していないか確認を何度も繰り返し、それが終えると薬を持って、少年が眠っている母さまの部屋へ向かった。
 


 部屋の扉を前にして、ドアノブを掴む前に一度、深呼吸をする。
 深呼吸の理由は、少年にどんな言葉をかけて起こそうかと考えていたからである。
(おはよう、は変だよね。大丈夫、怪我はない? いや、初めましてから怪我の心配か。よし、これでいこう。それから名前と目的を聞く、と)

 久しぶりの他人との会話に、いささか緊張する。
 でも、たかが会話。そんなに恐れるようなことではない……そうだとしても、念のために会話を何通りか想定してから扉を開いた。


「ふぇっ!?」
 扉を開いてすぐに私は間抜けな声を上げてしまった。
 なんと、すでに少年が目を覚ましてベッドから身を起こしていたのだっ。
 想定外の出来事に身体が固まってしまう。

(ど、どうしよう、もう起きてるなんてっ。えと、えと、そうだ。挨拶をっ!)
「おは、おはほ、ぅ……」

 どういうわけか、たかが挨拶一つにどもってしまい声が声として機能しない。そもそも掛けようとしていた言葉は、おはようじゃなくて初めましてからだ。
「ちが、えと、はじめ、は、はじめましぇ……あ、えとえと、やっぱり、おはようの方が……あの、そのぉ」


 私は何から喋っていいのかわからなくなってしまい、言葉は何度もどもり、最後にはか細いものとなってしまった。

(あれ、おかしい。こんなはずじゃ……)

 会話なんて簡単にできるものだと思っていた。
 以前は、母さまや父さま、リーディや他の魔女たち……私を魔女だと気づかずに話しかけてくれた人たちとも、普通に会話はできていたはず。


 久しぶりの会話。
 五十年以上も誰とも交流せず、この家に留まっていたためだろうか。
 私は誰かに話しかけることもできなくなっていた。
 私は声にならぬ声を漏らしつつ、指先を揉むように絡め続ける。
 すると、そんな私に少年の方から話しかけてきた。



「〇≡●◆☆■∥★▼шИ。Å▲℃▽。θ◇*∇◎‡†⇔。∴、@♯〆♪♭〓仝}」
「え……?」
「℃▽。θ◇*☆■∥★▼。♪♭〓〇≡●◆☆■」
「ええ、え? ちょっと、ちょっと待ってっ」


 私は手を前に出して、少年が喋らぬよう制止した。私の意図は伝わったようで、少年は口を開くのを止めて黙り込む。
 今の言葉はなんだったんだろうか?

 私の知らぬ、奇妙な言葉を口にする少年。
 想像の遥か外側の出来事を受け、思考は混乱の渦に放り出される。


(ど、どういうこと? 何、今の言葉? まさか私、長い隠遁生活で言葉を聞き取れなくなったとか……いやいや、そんなはずはっ。たぶん、何かの聞き間違いのはず)

 聞き間違いでないことを確認するため、ゆっくりと少年に話しかけてみた。
 しかし、返ってくる言葉は聞いたこともない言葉。
 もう一度、少年に黙ってもらうよう手振りをする。少年は手振りに従い、言葉を止める。


(この少年が話す言葉は、女神様が授与されたカクミ語とはまるで違う。となると、独自の言語ということ? たしかに、種族によっては独自の言語を持っている者もいるけど。でも、全ての種はカクミ語を使いこなせるはず。なら、どうして? 確認してみよう)


「あの、あなた、独自の言語ではなく、共通言語であるカクミ語で話してもらえない?」
「∥★▼θ◇*☆■。♭〓〇∥★▼。♪♭〓」
(駄目だ、通じてない。一体どうすればいいの?)

 世界に存在する全ての種族は、カクミ語での意思の疎通が可能。これが当たり前。
 その大前提が覆されるなんてありえなかった。
 でも、今、目の前に言葉の通じぬ者がいる。

 そのような者に今まで出会ったこともない。
 私は言葉が通じぬ者を相手に、どう会話をすれば良いかわからず途方に暮れる。
 そんな私に少年が手招きをしてきた。
 彼には何か考えがあるのだろうか? 

 私がベッドに近づくと、彼は傍に置いてあった椅子に指を向けた。
 おそらく、座れと言っているのだろう。
 少年の指示に従い椅子に腰を下ろす。彼は自身の顔を指差して、何かを喋り始めた。

 言葉の音は、同じことを繰り返しているように聞こえる。
「∇◎‡†⇔タカ。ユ、タ、カ。ユタカ。ユ、タ、カ」
 少年は何度も、ユタカと声に出している。


(どういう意味? 自分を指で差しながら何度も……あ、まさかっ。名前? この子は自分の名を口にしているの?)
 私は少年を指差して、彼が口にしていた言葉を出した。

「ユ、タ、カ。ユタカ。あなたの名は、ユ、タ、カ?」
 私が数度呟くと、少年はこくんと頷いた。

(なるほど、言葉が通じない以上、もっとも伝えやすい自分の名前を伝えたんだ)
 自分を指差しながら同じ言葉を連呼していれば、余程勘の鈍い者じゃないかぎり意図に気づく。
(会話が成立しない状況でそこにあっさり気づくなんて、中々賢そうな子。まぁ、学徒のようだし。でも……)

 どのような種族とも会話が通じて当然という前提を破られながら、少年は冷静に自身の名を伝えてくる。
 少年の態度に疑念を抱きつつも、私も彼の真似をして、指で自身の顔を差しながら名前を唱えた。
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