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彼は何者?

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 自分に指先を向けながら名前を唱える。

「ミラ=ペルディティオ。み、ら。ミラ」
 少年は私の言葉を受けて、私を指差して私の名を復唱する。

「ミ、ラ。ミラ」
「ええ、そう。ふぅ、とりあえず自己紹介は済んだ、と。だけど、」

 今後の意思の疎通を考えると、途方に暮れる以外ない。
 しかし、私は首を軽く横に振って心配事は脇に置いた。
 まずは彼の治療が先。
 持ってきた薬を取り出して、少年が痛めている足の部分に近づき、彼の顔を見ながら声をかける。


「これ、薬。塗るから、怪我、治るよ」
 何故か、言葉が片言になる。通じないならどんな風に喋ろうとも同じなのに。
 薬のことを身振り手振りを交え説明する。
 少年はこくりと頷く。
 どうやら、理解してもらえたようだ。

 患部に薬を塗り終えて、手際よく包帯を巻く。
 その手際の良さに感心したようで、少年が小さな拍手を交え声をかけてきた。
「*∇◎‡†」
「なに、大したことではない。治療や正しい包帯の巻き方は母さまにさんざんやらされてな。どうだ、どこか他に痛むところはないか?」

 相手が年の離れた少年であるため、つい大人びた口調になってしまう。
 年相応なので当然と言えば当然なのだが、容姿とかけ離れているため違和感が生じる。
 幼い容姿――この口調はそれ故に、少しでも大人らしく見せたいのかもしれない。

 しかし相手は、言葉の通じない少年。
 この行為が無意味だとわかっている……だけど、奇妙な意地がそうさせる。
 私は他の怪我の確認のために、一度、足の怪我を指差して別の身体の部位を差していく。
 少年は動作の意味すぐに理解し、首を横に振って応えた。やはり賢い。


「そうか、よかった。他にも何か困った、あ……」
(あれ、今の私、どもりもせずに普通に喋ってる?)

 あんなにもたどたどしく喋っていたのに、気がつくと自然と会話をしていた。
(ふふ、言葉が通じない、なんてびっくりしたことがあったから忘れてた)
「〓〇∥」
「え?」 

 ユタカと名乗った少年が、こちらを窺うような態度を見せている。
 どうやら、会話を途中で止めてニヤついている私の姿に不安を覚えたようだ。

「えっと、ごめんなさい。今の忘れて」
 私は片手を振って、慌てた様子を見せた。
 ユタカは一度首を捻ったあと、こくんこくん二度と頷く。
 その頷き方は理解したというより、とりあえず納得した振りをしているという感じだ。

 私は奇妙な気まずさを感じ、顔が少し赤くなった。
 その気まずさと場の雰囲気を誤魔化すために、両手をパタパタと振りながら話しかける。


「えっと、骨に異常もないようだから、五日もすれば歩けるようになるはずだ」
 話しかけても、ユタカはキョトンとした顔を見せるだけ。
「そうか、言葉が通じないのだったな……どうしよう。えっと、あなた出身は? どこから来たのって、これもわからないっか……ほんと、どうしよう……」


 互いに名前のやり取りはできたが、これ以上どのようにして意思の疎通を行えばいいのかわからなかった。
 どう交流を持てばいいのかと、じっと考えている。
(ん?)

 ユタカが私の頭に視線を向けている。
(どうして、頭を……はっ、まさか!)

 私は帽子から黒髪がはみ出しているのかと思い、慌てて帽子を押さえようとした。
 だが、途中でボフンッと何かが手の平が当たる。そこで、今の私はキノコのような髪形をしていることを思い出した。


(そ、そっか、帽子に無理矢理髪を詰めたから、妙な状態になってるんだった)
 私は帽子から手を離し、顔を赤らめてユタカをチラリと見る。
 ユタカは口をパクパクとして何かを喋ろうとしていたが、途中で口を閉じて気まずそうに視線を逸らす。
 何とも言えない、微妙な空気が私たちを覆う。
 何とか空気を変えようと、私はパンッと軽く手を鳴らして椅子から立ち上がった。


「と、とにかく、何かお互いに意思の疎通を取れる方法を考えないといけないな」
 ぎこちない笑顔とともにユタカに話しかけるが、当然理解している様子はない。
 私は何か良い方法がないかと頭を悩ます。足は勝手に部屋の中をウロウロし始める。

 しばらく、部屋の中を行ったり来たりしていると、ユタカが自身の鞄を開けて何かを取り出した。
 取り出した物は、ノートと小さな袋に入っていたペンらしき謎の棒。
 ユタカは私を手招きで呼び、ノートを見るようにと指差した。
 彼は棒の頭をカチカチと押して、ノートに何かを書き始める。
 私は不思議な棒の構造に興味を惹かれる。


(やっぱり、あの棒らはペンだったんだ。でも、不思議な筆記用具。羽ペンとは全く違う構造。頭の部分を押すと芯のようなものが出てくるみたいだけど……それに彼の持つノート。なんて白い紙)

 普段、私が読んでいる本や書き物は、もう少しくすんだ色をしている。
 彼の持つ教本も上質な紙であったが、広げられたノートもまた美しく、雪景色のように真っ白。こんなに美しい紙は見たことがない。


(漂白したの、こんなに真っ白に? そんな薬品が? この五十年の間に想像以上に技術が進んだということ? でも、そんなことが……?)

 五十年と言えば、かなりの年月。
 とはいえ、ユタカの持つ品々は五十年という時間で到達できる技術、発明品だろうか? 
 ユタカは一体、何者? 
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