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誓いのキャンディ

(4)

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 葉子と征太郎は、少し離れた場所から成り行きを見守っていた。
「なんか芽衣とあいつ、言い合ってるっぽいけど……どうするよあれ」
 征太郎が周囲を気にしながら言う。
「見世物になってんじゃん」

 下校する生徒たちが、ちらちらと芽衣と忍に視線を送っている。痴話げんかか何かだと思っているようだ。中には興味津々の顔で、立ち止まっていく生徒もいた。

「どうするっていっても……」
 葉子は唸り、腕組みをした。そうしながら、頭はフル回転している。そして――、
「よし、征太郎。柴村くん呼んできて」
 厳しい目で征太郎を見やった。
「今日ごはん会だから、芽衣と柴村くん、校門前で待ち合わせしてるって言ってた。今ここにいないってことは、柴村くんはまだ教室のはず。行って、今の状況を伝えるの。早く!」

「はあ? なんで柴村を?」
「芽衣も柴村くんも、自分の気持ちに気付いていないか、気付いていたとしてもそれを隠してる。傍から見ていて、いい加減やきもきしてるのよ」
「何だよそれ、意味わかんねえ。それが今の状況と、何か関係あるのかよ」
「関係大ありでしょ! こうなったのは、二人とものんびりしているからだよ。友達なのか恋人なのか、中途半端な状態でいるから、ああやって余計な奴に割りこまれるの。この機会に、芽衣と柴村くんは関係をはっきりさせたほうがいいんだよ!」
「でも、それは芽衣と柴村、二人が決めることだろう。余計な奴っていうなら、俺や葉子だって同じじゃねえか」

 葉子と征太郎は言い合った。
 その間に、忍は芽衣の手をとり、強引に連れ出そうとする。

「今日はまず、鉄板焼き屋の前にハワイアンバーガーの店をリサーチしに行こう」
「待って忍兄ちゃん、今日はこれからごはん会があるの。だからリサーチには協力できないんだよ」
「ごはん会? そんなのよりうまいもん、俺が食わせてやるから。芽衣は黙って俺についてくればいいんだよ」

 二人の動きに気付いた征太郎は、忍をぎりりと睨んだ。
「くそっ、芽衣を困らせてるってわかんねえのかよ、あいつ。とにかく今日のところは俺が芽衣を助けに行ってくる」

 芽衣の元へ向かおうとする征太郎の前に、葉子が立ちふさがった。
「やめて! 芽衣を守るのは、征太郎じゃない!」

「だけど、すぐに止めないと芽衣はあいつに――」
「だから、今すぐ柴村くんをここに呼んで来てって言ってるの!」
「なんだって俺なんだよ! そんなに言うなら葉子が自分で柴村呼びに行けばいいだろう!」

 思わず語気を強めた征太郎に、葉子は語りかける。

「征太郎はさ、文化祭で誰よりも芽衣を思いやる柴村くんを見て、身を引くことにしたんでしょう? 芽衣とは友達のままでいるって決めたんでしょう? それともまだ、芽衣に未練がある?」
「……未練なんてないよ」
「だったらそれをちゃんと証明してみせてよ。友達として芽衣の幸せを考えたとき、おのずと何をすべきか見えてくるはずだよ。柴村くんを、焚きつけてやってよ。それはきっと、征太郎にしかできないことだよ。柴村くんだって征太郎の存在は意識してるはずだから」

 征太郎は葉子を見つめ、はっと瞳を震わせた。それから一目散に校舎へ向かって駆けだした。



「柴村叶恵はいるか!」
 一年A組の教室に飛びこみ、征太郎は声を張り上げた。

「……伊崎先輩」
 驚いた顔の叶恵を見つけ、征太郎は突進していく。行く手にある机や椅子をガタガタと押しのけ、叶恵の正面に立った。

「どうかしたんですか?」
 征太郎の勢いに圧倒され、叶恵は目をみはった。
 そんな叶恵に、征太郎は芽衣と忍のことを伝える。
「芽衣さんが……?」
 話を聞いて表情を硬くした叶恵に、征太郎は詰め寄った。

「おまえ、本当はもう芽衣の気持ちに気付いてるんだろ。だったらちゃんと向き合えよ! そうやっていつまでも芽衣の好意の上にあぐらをかいて、自分から行動しないでいたら、あの忍って男に芽衣を奪われるぞ。もしもあの男が奪えなかったとしても、今度は俺が芽衣を奪いにいく。何も行動しないってことは、そうなってもいいってことだよな!? 芽衣が誰かのものになるのを、おまえは黙って見ていられるってことなんだよな!?」

 噛みつくように言った後で、征太郎はちらりと叶恵の顔を窺った。
 叶恵はきつく唇を噛み、目には決意の色を浮かべている。

「俺、行ってきます」
 叶恵はそう宣言すると同時に、教室を飛び出していった。
 その後ろ姿を見送りながら、征太郎はようやく吹っ切れた思いだった。
(これで葉子の言う通り、柴村を焚きつけられたかな……)




「待ってください!」
 芽衣と忍の間に割って入った叶恵は、荒い息で言った。
「芽衣さんが困っています。ひとまず手を放してください」

 忍は怪訝な顔で叶恵を見て、芽衣の手を放す。

「叶恵くん!」
 叶恵の登場に、芽衣は目を丸くした。

「えーっと……芽衣? この彼は一体?」
 忍が芽衣に向かって尋ねる。

「柴村叶恵です」
 芽衣が答えるより先に、叶恵は自ら名乗った。
「芽衣さんとは、週に一度ごはん会をしています」

「へえ、じゃあ君が……」
 忍は値踏みするように叶恵を一瞥し、
「芽衣から話は聞いてるよ。ごはん会? っていうのをやってるんだってな」

「はい」
「悪いけど、そういうのもう終わりにしてくれないかな」
「え? 何言ってるの忍兄ちゃん」
 しかし芽衣の声を遮り、忍は続けた。
「芽衣にはこれから、俺の料理教室をサポートしてもらうんだ。そのために、まずは様々な味を覚えてもらう。つまり、芽衣にはもう素人の作る家庭料理なんか食ってる暇ないんだよ」

 叶恵の心に動揺が走る。
 だが、それも一瞬だった。
 視界の中には、泣きそうな顔でしきりに首を振り続ける芽衣がいる。

「それはあなたが決めることじゃない」
「何?」
「何をどんなふうに食べるのかは、芽衣さん自身が決めることです」

 ふん、と鼻息をもらし、忍は小馬鹿にしたように叶恵を見る。「君、料理が得意なんだって?」

「得意とか、そういうのはよくわからないけど、料理は好きです」
「なぜ?」
「おいしいものは人を幸せにします。俺は、自分の作った料理を食べた人が、おいしいって言って、笑顔になってくれるのを見るのが好きなんです。だから料理が好きなんです」

「へえ、これはまたずいぶん殊勝なことだな。だけど――」
 忍はそこで一歩踏み出し、叶恵との距離を詰めた。
「やっぱり君が語ったのは素人の理想でしかないんだよ。対して、俺はいくつもの店で修行を重ねてきたプロだ。実際、プロの料理人っていうのは、料理が好きなだけじゃつとまらない。血のにじむような努力、プライベートなんか一切なく、睡眠すら削って料理に打ちこむ。そんな日々を積み重ねてようやく身に付く技術、知識、経験というものが、プロの料理人にはある」

「……何が言いたいんですか?」
「プロの料理人である俺が作った料理、あるいは俺が目利きした店の料理。それらに比べて、素人の君が作る料理はだいぶ見劣りするんじゃないか? 本当に芽衣のことを思うなら、君は身を引くべきだよ」

「芽衣さんのことを思うからこそ、俺は引きません」
 叶恵はきっぱりと宣言した。
「おいしいものを食べさせたい。この気持ちの強さに、素人もプロも関係ないと思います」

 呆れたな、と忍は大げさに肩をすくめてみせた。
「じゃあ君は、気持ちだけでプロの俺に勝てるというのか? 俺の作る料理よりもうまいものを、芽衣に食わせてやれるのか」

「料理は勝ち負けじゃない」
「そうやって論点をすり替えれば、逃げきれると思ったか? 最初から、俺に勝てる自信なんてないんだろう。理想ばかり語るのは、逃げるための常套手段だ」
 
 芽衣はハラハラとしながら、叶恵と忍が言い争うのを聞いていた。
 いつの間にか野次馬の生徒が増えて、叶恵と忍の周りを囲んでいる。

 ――どうしよう。このままだとわたしのせいで、叶恵くんが晒し者になっちゃう……。

 忍を止めるため、芽衣は口を開いた。「やめて、忍兄ちゃん」
 だがそれを、叶恵のほうが制する。「いいんです、芽衣さん。俺は大丈夫ですから」

 そのとき、葉子が動いた。
「二人とも、そこまで!」
 群衆の前に躍り出ていくと、高らかに宣言する。
「ここから先は、料理部が仕切らせていただきます!」
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