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誓いのキャンディ

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「え?」
「はい?」
 叶恵と忍はぽかんとして、葉子を見た。
 一体何が起きているのか。
 両者は今度、説明を求めるように芽衣へと視線を送った。
 
 一方、芽衣にとっても寝耳に水だ。自分も何も知らないのだという意味で、大きく首を横に振ってみせる。
 野次馬の数は増え、周囲はちょっとした騒ぎになっていた。
 その中心で、葉子は滔々と語りだす。

「ここまでの流れを要約すると、両者とも彼女においしいものを食べさせたい。つまり目的は同じ。問題はどちらがその権利を有するか。さて、話し合おうにも両者譲らず、このままでは一向に埒が明かない。ならばいっそ、ここは料理対決で勝敗を決めてみてはいかがだろうか。彼女を満足させる品を作った者を、勝者と決める」
 演技がかったセリフを切ると、きょろきょろと黒目だけを動かし、葉子は両者の顔色を窺った。
「さて、両者戦う意志はいかほどか?」
 
 先に忍が返事をした。
「俺のほうは構わないぜ。面白そうじゃん」
 挑むように叶恵を見やると、
「表向きは料理対決ってことになるけど、要はただ単純に、うまいものを作ればいいだけの話。そう考えれば納得できるだろ? 君が料理は勝ち負けじゃないというなら、俺もその意見に従ってやるよ。俺たちはただ純粋に、料理をするだけだ」

「わかりました」
 叶恵は静かに答えた。
「受けましょう」

 引き続き葉子が仕切り役となり、そこへ征太郎が呼びつけた料理部員が立ち会うかたちで、料理対決の詳細が決められた。

 対決は一週間後、新入生の制服採寸日に行われる。
 対決場所は学校の調理室。ジャッジをするのは芽衣。
 料理の内容は自由。食材は各自で用意して、当日までに調理室へ持ちこむこと。また、食材の管理は対決時刻まで、料理部が責任を持って行うものとする。
 当日まで、両者は芽衣に試作品の味見を頼むことができる。そして芽衣はできる限りこの味見に協力すること。

 野次馬の生徒が去り、騒ぎがおさまる頃には、それなりの時間が過ぎていた。ひとまずごはん会は延期と決まり、忍も今日のところは引くことになった。

「どういうつもりなの?」
 叶恵と忍の姿が消えると、芽衣はすぐさま葉子に問いかけた。
「なんで料理対決なんか……」
 
「ごめんごめん」
 葉子に悪びれる様子はない。
「柴村くんたちが言い合っているの見てたら、いい企画思いついちゃったんだもん。二人に料理対決をさせて、それを公開すれば、新入生へ料理部のアピールになるんじゃないかって。そうしたらもう勝手に体が動いちゃって、気付いたら仕切ってた」

「だからってこんな公衆の面前で……」
 野次馬の数は相当なものだった。叶恵が料理対決をするというニュースは、すぐにでも学校中に知れ渡るだろう。

「あえてそうしたのよ。宣伝になったでしょ。それに、こうなったらもう柴村くんも忍さんも後には引けない。もちろん、ジャッジ役の芽衣も同じだよ」
「わたしも……?」
「そうだよ。だから逃げないで。柴村くんと忍さん、芽衣が本当に大切に思う人は誰? ちゃんと決めなきゃ。この料理対決は、それぞれが自分の気持ちに決着をつける場でもあるんだよ」
 葉子は何もかもお見通しといったように、芽衣に目配せした。



 翌日から、忍は時間を見つけては、芽衣の元へ試作品を持ってくるようになった。
 塩の加減はどうか、ソースは濃すぎないか、焼き具合はちょうどいいか。その都度、芽衣に意見を求め、細かいメモまでとっていく。芽衣好みの品を出すために、研究を重ねていく。
 一方で叶恵からは、何の音沙汰もなかった。
 試作品を持ってくる様子もなければ、そもそも料理対決の準備をしているのかもわからない状態。芽衣は叶恵が何を考えているのか、さっぱりわからなかった。

 ――忍兄ちゃんは、本気で勝とうとしている。料理対決でもし叶恵くんが負けたら……。

 そのときは、叶恵とのごはん会もなくなってしまうだろう。そういう勝負なのだ。敗者とはもう、同じ食卓を囲めない。同じものを食べて、「おいしいね」と笑い合うこともできない。

 ジャッジするのは自分だ。
 出てきた料理の味に関係なく、勝たせたいほうの皿を選べばいい。
 そんな邪な考えが浮かばないわけではなかったが、芽衣はすぐさまそれを頭から追い出した。
 そんなことは、本気で料理をする二人に対し、ひどい裏切りだと思った。

 ――それに、わたしにはどちらか一方の皿を選べる自信がないよ。

 孤独だった子ども時代を、明るい光で照らしてくれた忍。
 誰かとごはんを共にする幸せを、改めて教えてくれた叶恵。
 二人とも、とても大事な人なのだ。
 だけど――、

「わたしは二人の料理に向き合わなきゃいけない。そして葉子の言う通り、ちゃんと答えを出さなきゃいけないんだ」



 
 土曜日になった。
 叶恵はある決意を胸に、藤代の元へ向かおうとしていた。
 見送ってくれた葵には、
「今日は陽太にいのところに泊まるから。帰りは明日の夕方になると思う」
 と告げた。

 葵は少し寂しそうな表情をしていたが、兄の真剣な眼差しに気付いて、言葉を呑んだ。
「いってらっしゃい。頑張ってね」
 とだけ声をかけ、送り出す。

「ありがとう」
 叶恵は葵の頭をかるく撫でると、玄関を出た。

 歩いている途中で、藤代から『今どこ? ちょっとお使い頼んでいい?』とメッセージがあった。
『牛乳とサランラップ買って来てもらえる?』
 
 手早く返信すると、叶恵は方向を変え、まずはスーパーに寄ることにした。頼まれたものを籠に入れ、会計を済ませる。表に出ると、隣接するドラッグストアのほうから、見知った顔が歩いてきた。同じクラスの佐々木美桜だ。

 美桜はドラッグストアのビニール袋から、何かを取り出そうとしていた。奥のほうに手を突っこみ、がさごそと探っている。そのとき、袋から何か薬のパッケージがこぼれ落ちた。
 
「はい」
 叶恵はそれを拾い上げ、美桜に渡した。

「あ、どうもすみません」
 美桜は学校で会うときよりも、しっかりとした口調で言った。
「ありがとうございます」
 かるく頭を下げ、叶恵から離れていく。

 叶恵は美桜の態度に、違和感を覚えた。妙に他人行儀だったような気がした。
 
 ふと顔を向けたガラス扉には、冴えない自分の姿が映っていた。分厚いレンズのメガネをかけ、髪はぼさぼさ。身に着けているのは、古びたダッフルコート。足元は履きつぶしたスニーカーだ。

(そうか、この姿だから、佐々木さんは俺がクラスメイトだってことに気付かなかったんだな)

 教室で毎日顔を合わせているはずなのに、気付いてもらえない。もちろんこれは自分でそう望んだ結果だった。いじられキャラを卒業したくて、学校では常に自分を取り繕っている。
 願いは叶い、今はいじられることなく平穏な学校生活を送っている。
 だけど、時々不安になる。
 クラスメイトが認めているのは、所詮作られた自分のほうなのだ。
 今の状態の、ありのままの姿を見せたら、みんなの態度は変わるだろうか。

 不安になるたび、叶恵は芽衣を思った。
 芽衣はなんの偏見もなく、すんなりと素の自分を受け入れてくれた。
 中学時代の、地味で冴えない自分を明かしても、芽衣の態度は変わらなかった。
 芽衣の存在に、どれだけ救われたことか。
 
 ――俺にとって、芽衣さんは絶対に失いたくない人だ。

 叶恵は料理対決へと、気持ちを切り替えた。
 芽衣に食べてもらいたい料理を、次々と頭の中に思い浮かべる。思い浮かべるばかりで、絞りきることができない。

(芽衣さんに食べてもらいたい料理はたくさんある。だけど、芽衣さん自身が食べたいと思っている料理って、なんだろう……)
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