上 下
33 / 39
誓いのキャンディ

(3)

しおりを挟む
 翌日、水曜日。
「芽衣、もしかしてお昼それだけ?」
 ちびちびとスティックパンを口に運ぶ芽衣に、葉子が尋ねた。
「おいどうしたんだよ芽衣。腹の調子悪いのか? 拾い食いでもしたか? いつもの食欲はどこ行ったんだ?」
 などと冗談めかしながらも、征太郎は心配そうな表情を浮かべている。

「うん、昨日夕方から色々食べたせいか、なんだか胃がムカムカするんだよね」
 芽衣は力のない声で言った。
「顎も痛いし」

 昨日はイタリア料理店を出た後も、リサーチのために寿司屋、蕎麦屋、焼き肉屋と食べて回った。忍は早々に満腹となり、後半は芽衣ばかりが食べることになった。これにはさすがの芽衣も、食べ疲れを避けられなかった。

「大丈夫なの?」
「保健室に薬もらい行くか?」
 葉子と征太郎が気遣ってくれる。
「一体昨日、何があったの?」

 芽衣は二人に、昨日の出来事を話して聞かせた。
 征太郎が見当違いな感想を口にする。「寿司に焼き肉って……マジか! その忍兄ちゃんって奴、金持ってんだなあ」

「征太郎のバカ、そんなこと言ってるんじゃないでしょ。いくら芽衣が大食いだからって、女の子をそこまで連れ回すのは異常よ、異常」
 葉子はすっかり憤慨した様子だった。
「芽衣、忍兄ちゃんってほんとに大丈夫なの?」

「うん……。無理強いされて食べたわけじゃないし。わたしが勝手に食べすぎただけだから……」
 忍はきっと、自分を連れ回したなどとは自覚していない。今はただ、料理教室の構想を練るので、頭がいっぱいなだけだ。だからつい飲食店のリサーチに夢中になってしまったのだろう。

「そう?」
 葉子はちょっと勢いを落としたものの、まだ忍に対する不信感は残ったままだ。
「だけどあの人、いきなり学校の前まで来て芽衣のこと連れ去ってさ、びっくりしたよ。昨日はまた芽衣に料理部の企画のことで相談乗ってもらおうと思っていたのになあ……」
 葉子はいまだにこれといった企画を思いつけずにいた。

「ごめんね、葉子」
「ううん、芽衣が謝ることじゃないよ」

「なあ、さすがに今日はそいつ、来ないよな?」
 征太郎が、警戒の表情を浮かべる。
「なんか話聞いていると、忍兄ちゃん、芽衣に執着してる感じじゃね?」

「執着とは違うよ。忍兄ちゃんには昔、色々と面倒見てもらってて。それで今もまだ、わたしのこと気にかけてくれてるんだと思う」
「だけど長い間会ってなかったんだろ? 連絡もなかったんだろう?」
「うん」
「それが突然現れて、学校まで会いに来るなんておかしくないか?」
「料理教室について、わたしに力を貸してほしいって」
「そうだとしても、なんでずっと会ってなかった、しかも自分より年下の高校生を頼るんだよ。まともな大人の考えることじゃないだろ。何か裏があるんじゃないか?」

「征太郎、あんまり忍兄ちゃんのこと悪く言わないで」
 芽衣は跳ねのけるように言う。
 憶測なんか聞きたくなかった。
 忍は、孤独だった自分を救ってくれた人なのだ。
「忍兄ちゃんに裏なんてあるわけないよ。征太郎は忍兄ちゃんのこと、何も知らないでしょ」

「じゃあ芽衣は、そいつのことよく知ってるのかよ」
「知ってるよ。昔は毎日のように顔合わせてたんだもん」
「違うよ。俺が言っているのは、現在のことだよ。芽衣は今現在忍兄ちゃんがどんな奴か、知っているのかよ」
「え……」

 芽衣は言葉に詰まった。征太郎の指摘に、ドキリとするところがあった。
 忍は昨日、たくさんの話を聞かせてくれた。だけどそれは仕事や料理に関することばかりで、忍自身についてはあまり語らなかった。

(それに、ごはん会のこと話した途端、忍兄ちゃんの態度が冷たくなった気がしたんだよね……)
 
 ぼんやりとだが、芽衣は忍に対し、違和感のようなものを抱きはじめていた。

 芽衣の表情を窺い、征太郎はほら見てみろというように、肩をすくめた。
「昔世話になったとかどうとか、俺は知らねえけどさ、少しは警戒しておいたほうがいいんじゃねえか?」

 葉子も不安そうに芽衣の顔を覗きこんで、
「次にまた昨日みたいなことがあっても、芽衣が無理して付き合うことないんだからね」

「うん、わかった」
 二人から諭され、芽衣は素直にうなずく。
「大丈夫。あんなにたくさんごはんおごってもらうなんて、昨日が特別だったんだよ。忍兄ちゃん、教室の準備とかあるみたいだし、もうわたしに構う時間なんてないんじゃないかな」


 しかし放課後、またしても忍は校門の前に現れた。
「今日はカフェを二軒、その後で自然食レストランと天ぷら屋を回ろう」
 忍はにっこり笑う。
 芽衣が断るはずないという、確信に裏打ちされた顔だ。

「ごめん忍兄ちゃん、わたし今日バイトがあるから付き合えない」
「なんだよ。そういうのは先に教えておいてくれよ」
「ご、ごめん。でも、また忍兄ちゃんにごはん誘われるなんて思ってなかったし……」
「そうか? 俺はこれからガンガン誘うつもりだったけど。ほら昨日言ったろ? リサーチに協力してくれって。俺ひとりじゃとてもすべての店の料理を食べられないからな」
「じゃあ、これからは前もって約束してから、リサーチに行こうよ」
「そうだよな。悪かった、俺ちょっと焦ってるみたいだ。バイトがあるんじゃ仕方ないもんな。じゃあ明日は――」
「明日はごはん会があるんだ」

 ごはん会という単語に、忍の眉がぴくりと動いた。
「それって昨日言ってた、週に一度、一緒に飯食う兄妹がいるっていう……」
「うん」
「へえ」
 忍が口の端をゆがめる。
「それなら今日はさ、昨日リサーチ付き合ってもらった礼に、俺が芽衣に何か作って、持って行ってやるよ。バイト何時に終わる?」

「本当? じゃあ久しぶりに忍兄ちゃんの焼うどんが食べたいな」
「焼うどん? なんであんな貧乏くさい料理なんか……。どうせならもっといいものリクエストしてくれよ」
「ううん、焼うどんがいいの。だって大好きだったんだもん」
「ああ、そうか? うん……」忍は不満そうにうなずいた。
「バイトは九時に終わるから。じゃあ、楽しみにしてるね」

 


 家の前には、忍の姿があった。忍はこちらに背中を向けた状態で、耳にスマホを押しあてている。

(誰と話してるんだろう……)

 忍はぼそぼそと話しながら、時折苛立ったように身を揺すり、地面を蹴っている。
 芽衣はたじろぎ、忍の通話が終わるまでその場で待った。忍がスマホを耳から話したタイミングで、
「あ、おつかれ……」
 と背後から声をかける。
「バイト終わったよ」

 振り向いた忍は、さっきまでの苛立ちはどこへやら、
「おお、芽衣。今帰ってきたのか?」
 にっこりと微笑んだ。

「うん、今帰ってきた」
 呆気にとられつつ、芽衣は答えた。忍の笑顔に、何か取り繕ったものを感じとった。

「ほら、これ約束の」
 忍は使い捨てのランチボックスを差し出す。

「うわあ、ありがとう。大事に食べるね」
 受け取り、忍とはそのまま家の前で別れた。
 家に入り、手を洗いながら、芽衣は考えた。

(忍兄ちゃんは、何かを隠してる……)

 あるいは、何かをひとりで背負いこもうとしている。
 そんな気がしてならなかった。

(だけど、一体何を……?)

 疑問を抱きながら、食卓につく。ランチボックスの蓋に手をかけた。中には、思い出の味が詰められている。幼い自分を支えてくれた、忍の手作り焼うどん。

「いただきます」
 ランチボックスを開けた。
 しかしそこに、期待していたものは入っていなかった。
「違う……」
 愕然として、声をもらした。
「焼うどんじゃない……」

 ランチボックスの中身は、可愛らしい手鞠寿司だった。隣の細かい仕切りには、天ぷら、炙った牛肉、野菜をゼリーで固めたものなど、色とりどり、華やかな料理が詰められている。
 いかにも食欲をそそるビジュアル。実際、おいしいのだろう。どの料理からも、忍の自信が窺えた。
 しかし、芽衣はなかなか箸をとる気になれなかった。




 翌日も忍は芽衣の授業が終わるのを待って、校門の前にやって来ていた。

「ねえ、あの人……」
 一緒に歩いていた葉子が最初に気付き、征太郎へ目配せした。
「あいつが例の……」征太郎が苦い顔をする。

「ごめん、わたしちょっと行ってくるね」
 芽衣は二人から離れ、忍の元へ駆け寄った。

 忍は上機嫌だった。
「おお、芽衣。今日もばっちり腹減ってるか? 昨日の寿司弁当はどうだった?」
「うん、おいしかったよ。ごちそうさま」
「気に入ったんなら、また作ってやるぜ」
「ありがとう。でも――」
 芽衣はそこで、まっすぐ忍を見据えた。「焼うどんを作ってくれるって話だったのに」

 ああ、と忍は一瞬、顔を曇らせた。
「焼うどんなんて、所詮B級グルメだろ。俺は芽衣にもっといいものを食わせたかったんだよ」

「わたしは別にいいものが食べたいわけじゃ……」
「もしかして昨日は、寿司って気分じゃなかったか?」
「ううん、そういうことを言ってるんじゃなくて……」
「あ、じゃあ米じゃなくて、麺が食いたかったとか?」
「違うよ」
「じゃあ、何……」
「わたし、焼うどんが食べたかったの」

「芽衣はなんでそこまで焼うどんに執着してるんだ?」
 忍は首をひねった。
「そんなに食いたいなら、今から調べてやろうか? メニューに焼うどんがある鉄板焼き屋を……」
 スマホを操作しはじめる忍を見て、芽衣は体の芯が冷えていくのを感じた。

 ――忍兄ちゃんは、わたしに焼うどん作ってくれていたこと、忘れちゃったんだ……。

 忍が作る焼うどん。それに伴う、優しい記憶。芽衣はとって、大事なものだ。
 しかし忍にとっては、焼うどんを作っていたことなど、遠い過去でしかなかった。大切に思うどころか、懐かしむことすらしない。

「B級グルメなんか食べたがって、芽衣はまだまだお子様舌なんだな」
 忍は落胆したように言った。
「まあいいよ、これからは俺がいいもの食わせてやるからな。すぐに舌が鍛えられるよ」

 芽衣はもう答える気力すらなく、ただがっくりと肩を落とした。
 

しおりを挟む

処理中です...