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クリスマスおでん

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 翌日、叶恵からクリスマスパーティーの提案をされた。
 今年のイブは木曜日。ちょうどごはん会の日と重なるのだ。

「せっかくだからいつもより豪華に、パーティーメニューにしようかと思って。一緒にケーキも食べましょう」
 叶恵はそれから、具体的にメニューをどうしようかと話しはじめた。
「チキンとピザは鉄板ですよね。あとサラダやスープも必要かな」

 叶恵と顔を合わせるまで、芽衣は心に決めていたことがあった。借りた本に挟まっていた写真。そこに写る女性について、それとなく叶恵に尋ねてみよう。
 しかし楽しそうにパーティーの計画を練る叶恵を前にして、思いとどまった。
 訊き方によっては、叶恵を不快にさせるんじゃないか。

(叶恵くんにとって、わたしはただの友達だもん。ここで変に詮索して、彼女ヅラしているとか、束縛しているとか思われるのは避けたいな)

 写真の女性が誰なのか尋ねた瞬間、これまで大事に築いてきた自分たちの関係が、壊れてしまう気がした。今はただ楽しく、クリスマスパーティの話をしていたほうがいい。
 そうやって自分に言い聞かせ、芽衣は真相を知ることから逃げた。もしも叶恵の口から「写真の女性ですか? はい、俺の彼女です」なんて答えが出たら、立ち直れない。
 
「だけど叶恵くん、パーティーメニューなんて作るの大変じゃない?」
「そんなことないですよ。チキンはお店のにするし、ピザ生地やソースは前もって作っておきます」
「ケーキはどうする?」
「俺、作ります。でもケーキの飾り付けは芽衣さんと葵にお願いしますね。俺、そういうのあんまりセンスないんで。葵はフルーツをたくさんのせたいって言ってました」
「いいねえ、わたしもフルーツたくさんに賛成! ケーキの飾り付けってやったことないから、楽しみだな」
「じゃあパーティーのときは前日か前々日に、材料の買い出し付き合ってもらっていいですか?」
「うん」
 
 それでひとまず、パーティーについて話し合うべきことは尽きた気がした。だけど叶恵はまだ何か言いたげに、芽衣の顔をちらりと見やる。
「あの、芽衣さん」
「うん?」
「次の日曜、空いてたりしますか?」
「日曜?」
「葵のクリスマスプレゼント選ぶの、手伝ってほしいんです」



「芽衣、何かいいことでもあった?」
 向かいの席で、トーストにバターを塗っていた母が尋ねた。
 土曜日の午前十時。
 朝ごはんと呼ぶには遅い時間に、母と娘は食卓を囲んでいる。親子揃って、朝寝坊をしたのだ。

「え? どうして?」
 芽衣はスープで汚れた口元を拭い、訊き返した。

「表情がいつもよりやわらかい感じがしたから」
「そう? 別にいつもと変わらないよ」
 にやけそうになるのをなんとかこらえる。母の鋭さにドキリとした。
 
 昨夜、叶恵から届いたメッセージ。
 改めて待ち合わせについて確かめ合った。
 明日、芽衣は叶恵と一緒に葵のクリスマスプレゼントを探しに行く。

 ――休みの日に、叶恵くんと二人きりで出かける。これってデートってことになるのかな?

 明日を思うと、胸がそわそわした。
 
 母はそれ以上追及はしてこず、窓の外を見やって目をしぱしぱさせた。
「今日はいいお天気ね」
 つぶやき、それから意味深な笑み浮かべて芽衣の顔を覗きこむ。

「な、何? 天気がどうしたの?」
「んふふ、絶好のお掃除日和だなと思って」
 
 芽衣はそこで母の考えを察し、肩をすくめてみせた。
「もちろん、わたしもお手伝いしますよ」

「あら、助かっちゃう。優しい娘を持って、お母さん幸せ者だわ」
「もう、お母さんってばうまいんだから」

 朝ごはんを終えると、それぞれ掃除にとりかかった。母の指示に従って、芽衣は窓を磨く。

「そうだ、いい機会だから押し入れの整理もしたいのよね」
 と母は言い、和室に入っていった。
「芽衣もそれ終わったら、来てちょうだい」
 
 窓を磨き終えて和室に行くと、畳の上には段ボールや小物類がぎっしりと並べられていた。すべて押し入れの中に入っていたものだろう。

「まずは要るものと要らないものに仕分けしようと思うの」
 母は言った。
 芽衣は和室の片隅に、薄い花模様の箱を見つける。「ねえ、これ何?」
 薄っすら埃を被った荷物の中で、その箱だけやけに新しい。
 
「ああ、それね。確か……そう、お鍋よ。この前、スーパーの福引で当たったの。仕舞ったまま忘れてたわ」
「見ていい?」
「いいわよ」

 箱を開けると、レトロな赤色のホーロー鍋が入っていた。
「可愛い! クリスマスっぽい色のお鍋だね」
 芽衣は目を輝かせた。

「あら、そうね。仕舞っておくにはちょっと勿体なかったかしら」
「じゃあこのお鍋使おうよ。キッチン持っていっていい?」

 母がうなずいたので、芽衣は鍋を抱えた。つややかなその表面をそっと撫でる。そのとき、芽衣の中に初めての感情がわき上がった。この鍋を使って、料理をしてみたい。

 ――そうだ、このお鍋で何か作って、クリスマスパーティーに持っていけないかな。

 芽衣はなんだか嬉しくなって、
「ねえお母さん、クリスマスにこのお鍋で料理するとしたら、何がいいと思う?」

「え? クリスマスに? 芽衣が作るの?」
「そう」
「あら、珍しい」
 母は目を丸くした後で、そうねえ、と思案顔になった。
「お料理初心者の芽衣でも作れるもの……シチューはどうかしら? 市販のルーを使えば簡単よ」

 いいかもしれない。一瞬うなずきかけたが、すぐに思い出した。パーティーのメニューに、叶恵はスープを作ろうとしている。普通、シチューとスープを同じ食卓に並べたりはしないだろう。
「シチュー以外には、何かないかな」

 それから芽衣と母は、難しい顔で頭を絞った。
 鍋で簡単に作れる料理って、何だろう。カレー、肉じゃが、すき焼き、ローストビーフ――思いついた端から料理名を口にしていくが、どれも違う気がして却下する。
 叶恵の作るパーティーメニューと一緒に並べても、邪魔にならないような料理でなくちゃいけない。さらに、チキンにピザにケーキと、すでにごちそうの詰まったお腹に入れても、負担のかからないものがいいだろう。
(そう、食べた瞬間ほっとするような、優しくて、温かいもの……)

「あ!」
 そこで芽衣は思いついた。「おでんはどうかな?」

「おでん?」
 母は意外そうに訊き返した。
「クリスマスに、おでん?」

「変かな? だっておでん、おいしいし、あったまるし」
「おでんねえ……」
「おでんって、次はどの具を食べようかなってわくわくしながら選べるから、楽しいよね」
「ああ、そういう楽しさはクリスマスらしくていいわね」
「でしょう? よし、決めた。わたし、おでん作る。お母さん、わたしにおでんの作り方教えてくれない?」



 日曜日、ショッピングモール前の広場は、待ち合わせをする人で溢れていた。
 待ち合わせの時間より五分早く現れた叶恵は、先に到着していた芽衣を見つけて、
「すみません、結構待ちましたか?」
 と焦り気味に駆け寄ってくる。それからいかにも寒そうに、首をすぼめた。
「体、冷えちゃいませんでした?」

「ううん、平気だよ。わたしも今来たところだから」

「そうですか、良かった」
 叶恵はほっとした笑みを浮かべた。
「じゃあ改めまして、芽衣さん、今日はよろしくお願いします」

 芽衣は初めて、制服と部屋着姿以外の叶恵を見た。
 シンプルなニットに、細身のパンツ、ローカットのスニーカー。どのアイテムも清潔感があって、叶恵によく似合っていた。部屋着のときは無造作にまとめるばかりの前髪を、今日は自然に流している。額が隠れているためか、いつもよりちょっと顔つきが幼い。

(私服の叶恵くん、可愛いな)

 叶恵の姿に、芽衣は見惚れた。ぽっと頬を赤らめる。そんな芽衣の顔を、叶恵は不安そうに覗きこんだ。
「芽衣さん、もしかして気分悪いですか? 熱があるとか……」

「え? ううん平気だよ。ちょっと人酔いしたのかな」
 咄嗟に芽衣はごまかした。

「ああ、今日混んでますもんね。無理しないで、辛かったら言ってくださいね」
「大丈夫大丈夫、葵ちゃんのプレゼント選びだもん。気合入れていかなくちゃ」
 本心から言った。芽衣にとって葵は、かわいい妹みたいな存在だ。

 叶恵はそうですねと、うなずいてみせた後、そっと芽衣の手を握った。「でも今日は、俺が芽衣さんを引っ張りますから」
 ドキリとしたが、それも一瞬だった。

 ――なんでだろう、叶恵くんの手、すごく安心する……。

 触れ合ったところの熱を意識して、芽衣は叶恵と出会ったばかりの頃を思い出した。柴村家のキッチンで、叶恵から包丁の持ち方を正されたことがあった。叶恵の手が触れた瞬間、芽衣はガチガチにかたまった。
 だけど今、芽衣は叶恵と手をつなぎながら、不思議な心地良さを感じていた。もちろん叶恵の存在は意識しているが、以前ように緊張することは少なくなった。

「とりあえず三階から見ていくんでいいですか?」
 叶恵が尋ねる。

「うん」
「じゃあ行きましょうか」

 そのまま芽衣は叶恵に手を引かれ、ごった返すショッピングモールの中を歩いた。
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