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ヒミツの餃子

(3)

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「餃子ですか?」
 芽衣の提案を聞いて、叶恵は意外そうに眉を上げた。

 教室のごみ捨てのためにやって来たごみ置き場で、偶然叶恵と出くわした。
 校舎まで戻る道すがら、芽衣は次のごはん会を餃子にしないかと持ち掛けたのだった。

「そう。バイト先で聞いたアイディアなの。苦手な食べ物でも、餃子の皮で包んじゃえば知らずに食べられるんじゃないかって」
「確かにいい方法かもしれませんね。葵はピーマンを見つけると反射的に避ける癖があるんで、最初から見つけられないようにしておけば、もしかしたらうっかり食べてくれるかも」
「そうやって少しずつ食べる経験を積んでいけば、ピーマンに対する苦手意識をやわらげられるんじゃないかな」
「ハンバーグに混ぜこむよりも、抵抗なく食べられそうですね」
 芽衣の提案に、叶恵はすっかり乗り気になってくれた。

「葵が一口で食べられるように、餃子自体は小さめに包んだほうがいいな……。となると、餃子の皮は市販のを使うんじゃなくて、手作りですね」
「餃子の皮って、家で作れるの?」
「はい、作れますよ」
「だけど、大変そう」
「工程としては単純なんですけど、数を作るとなると、まあそれなりに大変かもしれませんね」
「わたしにもできるかな?」
「はい。俺、教えます。じゃあ一緒に餃子包みましょう」
「うん」
「ちょうど次のごはん会の日、葵は放課後運動会の練習があって、いつもより下校時刻が遅くなるんです」
「じゃあその間にわたしたちは、餃子作りだね。せっかくだから他にも色々具材を変えて、餃子パーティーにしちゃおうよ。バイト先のまかないでは、具の中に大葉を入れてたよ」
「大葉、いいですね。あとチーズやお餅なんか入れてもおいしそうですよ」
「わあ、すごい! 考えただけでお腹空いてきちゃった」
「俺もです。今度のごはん会、楽しみにしてますね」

 叶恵はそう言うと、ニッと白い歯を見せた。叶恵の笑顔を前に、芽衣は餃子パーティーの成功を願った。
 葵はもちろん、葵のことを思う叶恵のためにも、絶対――。



 ごはん会の日。
 芽衣と叶恵は例によってスーパーで買い出しをしてから、柴村家に向かった。並んで商店街を歩いていると、
「おお、叶恵じゃないか」
 正面から歩いてきた男性が、叶恵の顔を見つけて近づいてきた。
「今帰りか?」

「うん。陽太にい、今日お店は?」
「定休日だよ」
「あ、そうだったけ」
 男性と気安く立ち話をはじめる叶恵。どうやら二人は知り合いらしい。

「彼女は?」
 やがて男性が、芽衣のほうに視線を向けた。

「大原芽衣さん。学校の先輩で、葵とも仲良くしてくれてるんだ」
 叶恵が紹介してくれ、芽衣は頭を下げる。「大原です」

「ああ、どうも」
 男性が陽気な笑顔を浮かべる。
「藤代陽太です」

「藤代さん」
「陽太にいのお父さんと、俺の父さんは、大学の先輩後輩の仲だったんです。それで昔から陽太にいには良くしてもらってて」
 叶恵が説明する。
「陽太にいはこの近くで、飴細工のお店をやってるんです」

「飴細工職人さんなんですか」
「うん、そうだよ。あ、もしかして興味ある?」
「はい。前にテレビのドキュメント番組で見たことあります。すごい繊細な細工を手品みたいに作っちゃうんですよね」
 芽衣が瞳を輝かせると、藤代は照れ臭そうに笑った。
「良かったらこれから二人、店のほう顔出していくかい? 定休日だから他のお客さんに遠慮することもないし、ゆっくり見られると思うよ」

 それは魅力的な誘いだった。だが、今から藤代の店に寄っていては、葵の帰宅時間に間に合わない。

「ごめん陽太にい、俺と大原先輩、これから夕食の仕込みがあって……」
 叶恵が言った。

「夕食の仕込み?」
 首を傾げた藤代に、ごはん会のことを説明する。

「へえ、面白いことやってるんだな」
 藤代は感心したように言い、芽衣に顔を向けた。
「じゃあまた今度寄ってよ。あ、でも店の場所わかんないか」

「後で柴村くんから教えてもらいます」

「うん」藤代は微笑み、片手をあげた。「じゃあ俺は行くとするか。二人とも、帰り気をつけてな」
 立ち去りかけて、だがすぐにピタリと足を止める。「そうそう、思ったんだけどさあ」と、芽衣と叶恵の元へ戻ってきた。「なんか二人、他人行儀だよね」

「え?」
 叶恵が眉をひそめた。

 藤代はにやりと笑い、
「大原先輩。柴村くん。なんかお互い余所余所しい呼び方してるじゃん」
 芽衣と叶恵の顔を交互に見た。
「いっそのこと名前で呼び合えばいいのに。君ら、そういう仲なんでしょ?」

「いえ、そういうわけじゃ……」
 咄嗟に首を振って否定してみたものの、芽衣ははたと考えた。

 ――そういう仲って、どういう仲なんだろう? ていうか、わたしと柴村くんてどういう関係? ごはん友達? 週に一度、一緒にごはんを食べるだけの関係って、世間的にはどういう位置づけになるの?

 なんだか恥ずかしくなって、芽衣は顔を伏せた。叶恵を直視できない。
 そんな芽衣をよそに、藤代は呑気に手を振る。
「そんじゃあ二人、仲良くするんだよ。葵にもまた今度お店のほう遊びに来いって言っておいて~」

 藤代の姿が遠ざかると、叶恵が静かに息をついた。
「騒がしい人ですよね、陽太にい」

「ううん、気さくに声かけてくれて、すごく話しやすかったよ」
「父さんが亡くなったとき、俺、陽太にいに励まされたんです。それからも色々と力になってくれて、陽太にいのことは、本当の兄貴だと思っています」
「そうだったんだ」
「だから、偶然会ったとはいえ、陽太にいのことを紹介できて良かったです」
 そう言った後で、叶恵は続けた。
「芽衣さんに紹介できて良かった」

 瞬間、芽衣は呼吸するのを忘れた。全身にびりりと電気が走ったような衝撃を受けた。

 ――今、初めて柴村くんから名前で呼ばれた……。

 はっとして叶恵の顔を見上げた。叶恵は照れたように顔をそむけた。さらさらと揺れる髪の間から、真っ赤に染まった耳が覗いている。
 芽衣の心は、きゅんと締め付けられた。
 
 ――可愛い。柴村くんて、すごく可愛い。ううん、柴村くんじゃなくて……

「叶恵くん」
 そっと呼びかけた。
 叶恵がゆっくりと顔を向ける。
「叶恵くん」
 芽衣は繰り返した。

「はい」
 叶恵が返事をする。



 ホットプレートには、たくさんの餃子が並び、食欲をそそる音と匂いを発していた。
 そこから各自で餃子を選び、好みのタレをつけて食べる。いざ、餃子パーティーのはじまりだ。

「葵ね、運動会の練習頑張ったから、すごいお腹空いちゃったよ」
 葵はそう言って、嬉しそうに箸を取った。
「なんか今日の餃子、小さいね」

「うん。葵ちゃんが食べやすいように、小さめに包んだんだよ」
 芽衣は言った。

「見て、この餃子変な形してるー」
「ああ、それはわたしが包んだやつだから。不格好でごめんね」

「ちょっと変わった形だけど……」
 葵は芽衣の包んだ餃子を箸で取ると、ふうふうと息を吹きかけた。そしてひといきに食べた。
「すごくおいしいよ。あ、チーズの味がする」

 芽衣と叶恵は目くばせをし合った。
 作戦は成功だ。葵は餃子がピーマン入りだということに、気付いていない。

「チーズの他にも、色々な具を入れてみたんだよ。何が入っているかは、食べてみてからのお楽しみ」
 叶恵が言うと、葵は歓声を上げた。
「葵、入ってる具の種類、全部当てちゃうよ」
 とゲーム感覚で、餃子を楽しみはじめる。

 それから芽衣と叶恵、葵の三人は、次々と餃子を口に運んだ。葵は宣言した通り、順調に餃子の具を当てていった。
「さっき食べたのはタラコでしょ、今食べたのがコーン。それで今度のは……あ、エビとアボカドだ!」

 そしてとうとう、種明かしをするときがきた。

「葵」
「なあに? お兄ちゃん」
「餃子、おいしかったか?」
「うん。どれも全部おいしかったよ」
「実は、葵が今食べた餃子に、ピーマンが入っていたんだ」
「え……」

 葵は信じられないという顔をして、黙った。
 騙すような真似をして、もしかしたら葵を怒らせてしまったかもしれない。芽衣は今になって、不安を覚えた。

「葵が最後に食べた餃子に、ピーマンが入っていたの?」
 葵が恐る恐るといった調子で、口を開いた。

「いや、違うよ。全部の餃子にピーマンが入ってた」
「嘘」
 葵は叫び、顔を伏せる。

 騙したことを謝ろうして、芽衣は葵の肩が震えているのに気付いた。
「……葵ちゃん?」

 葵の肩の震えは徐々に大きくなり、やがて堪え切れなくなった様子で、笑い声がもれ聞こえてきた。
「なんだあ残念。全部の具を当てたと思ったのにぃ……。ピーマンが入っているのはわからなかったよ」
 
「葵、怒ってないのか?」
 叶恵が呆気にとられた顔で尋ねた。

「え? なんで?」
「兄ちゃん、ピーマン食べさせようと、葵を罠にはめるような真似したんだぞ」
「うん、でも葵怒らないよ。だって葵、今日ピーマンいっぱい食べられたってことでしょ? すごい嬉しいもん。やったー」

 それから葵はひとしきり騒いだ後、真剣な顔になって言った。
「葵、ちゃんとわかってるよ。お兄ちゃんと芽衣ちゃんが、葵のためにピーマン餃子作ってくれたんだって。ちゃんとわかってるから……あのね、どうもありがとう」

 その瞬間、芽衣には、叶恵が肩の力を抜いたのがわかった。
 楽しそうに振る舞いながら、きっと叶恵は餃子パーティーがはじまってから今まで、緊張していたのだ。
(良かったね、叶恵くん。葵ちゃん喜んでくれたね)
 芽衣は心の中で、叶恵に語りかけた。



 帰りは葵が見送ってくれた。
「お兄ちゃんはお皿洗ってて。葵、芽衣ちゃんとお話しすることがあるから」
 そう言って叶恵を遠ざけ、玄関先で芽衣と二人きりになると、葵はこそりと耳打ちした。
「あのね、芽衣ちゃん。前に葵とお兄ちゃんと芽衣ちゃんで、並んで帰ったでしょう?」

「うん。帰ったね」
 叶恵と一緒に買い物をし、スーパーを出たところで、学校帰りの葵と出くわしたことがあった。
 
「あのとき葵、みんなの影を見て三きょうだいみたいだねって言ったけど、やっぱりあれは無しにする」
「そう……」

 芽衣は顔を曇らせた。ひとりっ子の芽衣は、葵を妹みたいに感じていた。葵も自分を、姉のように慕ってくれているものと思っていた。だがそれは、芽衣の一方的な勘違いだったようだ。
 葵は芽衣の存在を、三きょうだいの中に含んではくれないのだ。

 ショックを受ける芽衣に向け、葵は続ける。
「だって葵、芽衣ちゃんにはお兄ちゃんのお姉さんじゃなくて、お嫁さんになってほしいんだもん。芽衣ちゃんがお兄ちゃんのお嫁さんになってくれたら、毎日一緒にごはんが食べられるよ。そうしたら葵、嬉しいな」

 ――葵ちゃん、わたしのこと毎日一緒にいたいと思ってくれてたんだ……。あれ? ていうか……

「お、お嫁さん!?」
 芽衣は声を上擦らせた。
「や、やだなぁ葵ちゃん。おかしなこと言わないでよ」
 慌てて笑い飛ばしたけれど、頬がカアッ熱くなるのを感じる。

「おかしいかな?」
「そうだよ。お嫁さんていうのは、どちらか一方だけが思っているだけじゃなれないんだから。お互いが同じ気持ちでないと」
「同じ気持ちって?」
「それはその……好きってことだよ」
 答えた声が、かすかに震えた。

 好き。
 会話の流れで、自然に出た言葉だった。だけど初めて口に出してみて、芽衣は自覚した。

 ――そうだ、わたし、叶恵くんのことが好きなんだ……。
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