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溺愛と結婚と
125:すれ違い……なわけがない
しおりを挟むその日は幸いにも
授業をサボることなく
一日を終えることができた。
朝の屋上でも相談事も
思ったよりも早く終わったので
朝から授業に間に合ったのだ。
俺は屋敷に戻り、
着替えをして一息つく。
今日はさすがに
ヴィンセントは来ないだろう。
俺のために、何日も
仕事を休むわけにはいかないだろうし。
リタがお茶を持って来たので
俺はテーブルにお茶を置いてもらい、
宿題をするからと1人になる。
ずっと眠っていたジュは
俺が倒れている間に、
いつの間にか姿を消したらしく、
父が昨日、空の籠だけ持って来た。
俺はその籠をテーブルの上に
置いて置いたのだが。
俺が何気なくお茶を飲むために
ソファーに座った視線の先に、
ジュの籠がある。
その中に何か入っているのが見えた。
なんだ?
俺は手を伸ばして
籠を引き寄せた。
「設定集!?」
あの隠れ家で前世妹に
届けと願った設定集だ。
俺は設定集を手にぺらぺらと
めくってみる。
すると。
丸い文字で
『初ちゅーはいつ?』と書いたメモが入っていた。
前世妹の文字だ。
すげぇ!
この本に限って言えば
妹の世界とこの世界を行き来できるようだ。
小さいメモ用紙ぐらいなら
この本に挟めば大丈夫なんだな。
しかし、妹よ。
何故俺の初キスの話を聞きたがる?
いや、俺じゃなくてイクスの話を聞きたいのか?
違うよな。
物語でのイクスと俺は全く別人で
妹はイクスが死んだ兄だと理解しているし。
ということはやはり俺の
初キスの話を教えろと言ってるよな。
バカか。
誰が言うか。
それに俺の初キスって……
いつだ?と考えて
俺はあの、ヴィンセントとの
深く重なったキスを思い出した。
ジュに嫉妬した?らしい
ヴィンセントに、唇を舐められ
舌が……
「わーっ!」
俺は脳裏に浮かんだ映像を
消したくて大きう手を振る。
ヴィンセントの唇の感触が
俺の脳裏によみがえったのだ。
もう、恥ずかしくて仕方が無い。
「いまの無し」
キスの話は終わりだ。
俺はメモを挟んで
設定集をぱたんと閉じる。
行儀が悪いが俺は立ち上がり、
設定集を机の引き出しに直すと
立ったままお茶を飲んだ。
じっと座ってるなんてできそうにない。
バカ妹への返事はあとにして
今はヴィンセントのことだ。
次に会って平常心でいられる自信がない。
でも挙動不審になったら
ヴィンセントは心配すると思う。
ずっと小さい頃から甘えて
抱きついていたのに
今更なんだって思うし。
でもさ。
今更だけど、急に意識しちゃったんだよ。
俺にとってヴィンセントは
頼りがいがあって、
甘やかしてくれる兄みたいな存在で。
憧れで、かっこよくて、
好き、って思ってたけど
その感情は、おだやかで
優しい、心が温かくなるような、
そんな感情だった。
でも今は違う。
ヴィンセントを意識しちゃったから
もう、そんな気持ちではいられない。
恥ずかしいし、
なんか、わー!って
叫びたくなる。
でも、会えないとなると
寂しい気もして、
会いたいって思う。
だって俺、俺が全力で
抱きつきに行っても
難なく受け止めてくれる
ヴィンセントの大きな胸とか
力強い腕とか、安心感があって
めちゃくちゃ好きだし。
ひっついていたら
身体の力が抜けるっていうか、
何があっても大丈夫って
そう思える。
もっと引っ付きたいし、
触れたいし、それに……
触れられたいとも思う。
……触れられたい?
ヴィンセントに?
それを自覚すると
俺はまた顔が熱くなって
やばい、って思った。
こんな状態でヴィンセントにあったら
知恵熱で倒れそうだ。
今日は会えなくて
寂しいけれど、やっぱり
会えなくて良かったかな。
俺がそう思っていると
部屋にノックの音がして
リタが部屋に入って来た。
「イクス様、
お客様がお見えです」
「お客様?」
もう夕方だぞ、誰だ?
「ハーディマン侯爵家の
ヴィンセント様でございます」
え?
ヴィンセント?
本気で?
「こちらにお通しいたしますか?」
そうだ。
ヴィンセントは俺と一緒に
育ってきたようなものだから
自室に来てもおかしくはない。
だが、今の俺は恥ずかしすぎて
まともにヴィンセントの顔を
見れそうにないのだ。
どうする?
応接室で待っててもらって
その間に気持ちを落ち着かせるか。
いや、だが、そんな短時間で
俺の顔のほてりが収まるとは思えない。
断るか?
ヴィンセントが会いに来てくれたのに?
16年間生きて来て、
そんなこと、1度もしたことが無いんだぞ。
だが……
焦っていると、
リタが部屋のドアを開けているのに
何故かドアを叩く音がした。
顔を上げると
ヴィンセントがいる。
ですよねー。
この屋敷の間取りは
全部知られてるし、
ヴィンセントは案内なしでも
この部屋まで来れる。
物理的な意味ではなく、
俺に対してのヴィンセントの
行動を咎める者が
この屋敷には存在しないのだ。
ほんと、この屋敷の人間たちの
ヴィンセントに対する
信頼度の高さだけは凄いと思う。
その信頼を積み重ねた
ヴィンセントも凄いんだろうけど。
慌てる俺の前にヴィンセントが
歩いて来る。
どうしよう。
どうする?
ヴィンセントが部屋に
入って来たので、
リタは頭を下げて部屋を出ていく。
待ってくれ。
二人っきりにしないでくれ!
「イクス、体調はどうだ?」
心配してきてくれたのか。
「今日は学校に行ったのだろう。
疲れてないか?」
ヴィンセントは言いながら
俺の前に立つと、俺を
優しく見下ろした。
え?
え?
ヴィンセントっていつも
こんな瞳で俺を見てたのか?
愛しい者を見るような、
優しい瞳で見下ろされ
俺はうろたえる。
「どうしたんだ?
疲れたか?」
頬を大きな手で
触れられるが、
その大きな手に俺はもう
いっぱいいっぱいだ。
顔が熱くなって、逃げたくなる。
でも。
ヴィンセントに触れられるのは嬉しい。
好きだ。
そう、好き。
俺、ヴィンセントのことが好きで
ヴィンセントにされることは
なんだって好き。
なんだって好き、と言えるのは
ヴィンセントが俺が嫌がることは
絶対にしないってわかってるから。
「イクス?」
どうしうよう。
うまく声が出ない。
恥ずかしいし、
さっきヴィンセントと
キスしたことを思い出したから
そのことをまた意識してしまう。
すると、ヴィンセントが
俺の顎を持ち上げた。
思わず体がこわばった。
俺の様子を見てヴィンセントが
少し悲しそうな顔をする。
「俺が怖い?
この前、無理に口づけたせいか?」
「違っ、違う。
怖くないよ!
だって嬉しかったし」
と口走り、ヴィンセントは
嬉しかった?と繰り返す。
「うん。でも、ね。
あの時のことを思いだして
物凄く恥ずかしいんだ」
今更だけど。
でもちゃんと伝えないと
誤解されるのは嫌だ。
「ヴィー兄様の顔、
見れそうにない」
「……そうか」
何故かヴィンセントの声が
弾んだように聞こえる。
気のせいか?
「ようやく俺は恋愛対象に
格上げされたんだな」
何を言う?
もともとヴィンセントは
恋愛対象だったが。
俺が文句を言おうと
顔を上げると、
ヴィンセントの両手が
俺の頬を包み込む。
「嬉しいよ」
と呟いた唇が、
俺の唇と重なって……。
俺は胸の中にあった
憤りとか恥ずかしさとか
そんなのはもうどうでもよくなって。
俺はそのままヴィンセントに
抱きついた。
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