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第二部 3章 手を伸ばして

第15話 対面

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 性懲りもなくユースケは返事がない扉をノックしながら問いかけ続ける。
 そうしてどれくらい時間が経っただろうか、ユズハの母親も帰ってきて泣きそうになりながらリビングに逃げるように入っていくのを見送って、玄関からの赤い日差しが胡坐を掻いているユースケの膝元に注がれる。今日も出てこないのかと、ユースケも撤退して明日また来ようと思い始めた頃、中で蠢く気配がして心臓が跳ねた。立ち上がりかけたユースケは物音を立てないように中途半端な姿勢で固まったままじっと扉を睨んだ。すると、本当に控えめに、優しく向こう側から扉がノックされた。初めての変化にユースケは喉から飛び出そうになる心臓を何とか押さえ込もうと胸に手を当てながら、そっとその扉を開ける。
 しかし、開けられた扉の先にいたユズハの姿にユースケは一瞬目を疑った。
 学生時代、どころか、冬休みの帰省の際に会ったときまで綺麗に伸ばされた長髪はそこにはなく、肩にすら届かない短い髪を少しぼさぼさにさせているユズハがベッドに腰かけていた。頬もすっかりこけ落ちており、まるでユズハだけタイムスリップしたかのように年老いた顔は、何を見ているのかすら分からなかった。それでも不思議と服は整えられており、匂いも特段すえるような匂いはしなかった。「そういや高校の途中から部屋にも入れてくれないようになったよな」と冗談めかして言ってもユズハは特に反応を示さなかった。
「中に入るぞ? 一度部屋に入ったら、お前が話してくれるまではたとえ馬に紐括り付けられて引っ張られたって部屋から出ないからな」
 ユースケは動揺を取り繕うように、いつもの調子でユズハと言葉を交わそうとすると、そっとユズハがユースケの方を見た。ユズハの焦点の合っていない瞳に見つめられて怯みそうになったユースケはそれをごまかすように急いで中に入り、後ろ手で扉を閉める。
 部屋の中は恐ろしいほどまでに綺麗に片付けられており、かつて取っ散らかっているから部屋に上げられないと言っていたユズハの表情が幻のように記憶の奥隅に追いやられていった。その綺麗さに薄気味悪ささえ感じたユースケは適当にユズハの目の前の床に座る。
「んで、何があったんだよ」
 ユースケはなるべくユズハを刺激しないように、そっと問いかけた。幼き頃から共に遊び、あの頃と同じように部屋に訪れてみれば、ユズハも気が緩んで口を開いてくれるかもしれない。そんなユースケの期待を打ち砕くかのように、ユズハはずっとだんまりであった。ユースケは、ユズハと一緒にいて初めて沈黙が重いと感じた。しかし、それ以上にユースケはユズハの色のない顔を気に病んでいた。
 それでも、きっと話してくれると信じていた。ユースケは誰よりもユズハのことを知っていると自負していた。ユースケを部屋に上げたということは、ユズハにもユースケと話す意思があるのだということ、そして今黙ったままでいるのは単にそれを話すのにまだ勇気が足りていないということなのだと、ユースケは信じこんだ。
「焦んなくていいからな。いつまでも待つからよ。待つのは量子コンピュータっていうパソコンの計算で慣れてるからよ」
 いつもの調子を崩しては絶対にダメだと感じたユースケは、へへっ、と笑いながらそう言って、ユズハの言葉が返ってくるまでタケノリやリュウトたちから聞いた噂についてまとめてみることにした。
 ユズハの恋人が自殺した。望遠大学校に来てみればユースケは自分のように未来に希望を持っている人しかいないのかと考えていたが、その考え方は世間でも稀な方らしく、以前までのリュウトやユキオのように将来の安定さを求める者たちもいれば、チヒロのように極端に生きるためにお金に執着する者もいた。そんな望遠大学校では自殺する者も少なくないらしく、現にユースケが入学してからでも最低で四人もの人が自殺していた。しかし、件の自殺したその学生にはもう一つ追い撃ちをかける噂がまとわりついていた。ショッピングモールでのお金の盗み、その犯行は確実に行われたようで一時期はショッピングモールの一部が利用禁止になっていた。ユキオは盗んだ時もその人は苦しんでいただろうと想像していたが、ユースケも全くその通りなんだろうなと感じていた。
 ユースケはユースケなりにこの世界の厳しさを知っているつもりでいた。しかしそれ以上に、幼き頃から自分を突き動かし、今なお研究する際の心のエンジンとなっている未来への希望を失うわけにはいかないと強く感じていた。ユースケの存在で助けられる人がいることを、フローラとの交際を経て実感したユースケはその希望を今までより意識するようになっていた。世界の厳しさに屈し、この希望を失ってしまったら、それこそフローラとの絆や、アカリやユリの勇気もふいにしてしまうだろう。
 アカリやユリ、コトネやフローラを思い出し、自殺した学生を偲び、ユズハの方をちらりと見る。ユズハはもうすでにユースケを見ておらず放心した様子で空中をぼんやりと見つめていた。
 自殺した学生はユズハの恋人である。それはタケノリに聞いていたが、それでもユースケはユズハの口から真相を聞きたかった。家族のように時間を共にしてきた幼馴染みをこの片田舎の家から引っ張り出すためにも、望遠大学校で自分の知らない生活を送ってきたユズハと再び向かい合うためにも、そのことは絶対条件であるような気がしていた。
 赤い日差しが鋭く部屋の中に差し込んでいた。夕方になってくると暑さも多少は引いてきたが、そんな部屋の中で蚊の鳴くよりも小さなユズハの声が陽炎のようにゆらゆらして聞こえた。
「何があったのかは、知ってるでしょ」
 やはり水もほとんど飲んでいないのか、頼りないその声はひどく掠れていた。ユースケは、鞄に手を突っ込み、飲みかけのペットボトルを見て逡巡するが、気にすることなんてないと思いそれをユズハに渡す。ユズハは骨ばった腕を伸ばし、それを受け取りペットボトルの中身を飲もうとするが途端に噎せる。ユースケはじっくりと待った。ユズハは数分かけてペットボトルを空にすると、無表情の頬に一筋の雫が流れた。
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