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第二部 3章 手を伸ばして
第14話 辛抱強く
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「ユズハ、ただいま。俺も、お前がこっちに引き篭もった理由は何となく知ってる。でも、本当に何となくなんだよ。俺はお前から話を聞くまで、こっから引っ張り出すまで、絶対にここから動かないからな」
そう宣言して、ユースケはおにぎりを齧る。海苔に包まれたシンプルなおにぎりだが、ほどよく塩味も効いており食べやすかった。この扉の向こうにいるユズハはどうしているのだろうか。自分と同じように、きちんと何か食べているのだろうか。それすらも出来ないほど心が衰弱しているのだろうか。このユリが作ってくれたおにぎりを分けてやりたくなった。辛抱強く、生気すら感じない扉の向こうの人が開けてくれるまでユースケはひたすら待つ。
しかし、結局ユズハの母親が帰ってきて、辺りがすっかり暗くなってもユズハは出てきてくれなかった。このままこの床で眠ろうかとも考えたが、ユリが迎えに来たので一度退散して、明日再び来ることにした。
その次の日も、昨日と同じような日になった。
その次の日も、昼食が具のないおにぎりから梅干し入りのおにぎりに変わった以外何の変化もない日だった。
その次の日も、さらにその次の日も。
ある日、タケノリが、今日で大学校の方に戻るからと様子を見に来た日があり、そのおかげでユースケはいつの間にか六月末になったことに気がついた。ユズハの様子を見に来てから二週間が経過していた。
ユズハの家に訪れるうちに、湿気が増し、じっと座っているだけでじんわりと汗が滲んでくるようになった。それでもユースケは、負けてたまるかと意志を強く持ってユズハの部屋の扉をじっと睨み続けていた。
ある日、カズキ、セイイチロウ、そしてアカリがやって来た日があった。ユリやセイラたちと同じようにユズハが帰ってきたことにはすぐに気がついていたらしく、三人も時折忙しい日々の合間に見に来ていたらしいが、三人そろって来られたのは今日が初めてらしい。しかし、三人がめいめいに呼びかけても、やはりユズハは部屋から出てこなかった。
「なあ、ずっと張ってるってのもプレッシャーになっちゃうんじゃねえか? そんなことない?」
カズキがふとそんな疑問を発して、ユースケもその可能性についてもあるような気がして心が揺らぎそうになったが、アカリは力強く首を横に振った。
「ユズハちゃんに限って、そんなことあるわけない。私たちがそれこそ離れたら、ユズハちゃん、もっと落ち込むに決まってる。私たちが、ユズハちゃんを放っておけないほど大切に思ってることを示し続けるべきだよ」
「……それもそうだな」
「何より、私、納得できない。このままユズハちゃんとお話できないままなんて、そんなの絶対に嫌だ」
アカリは、高校のときとは見違えるほどの、強い意思の宿った瞳をその扉に向け続けていた。その力強さに、弱気になりかけていたユースケの心も復活した。
その日も結局ユズハは応えてくれず、アカリたち三人は帰っていった。三人は去り際に今後もまた様子を見に来ることを言ってくれたが、ユースケの中には変な意地が生まれていた。
「ユズハ、お前は俺が何とかしてやる。絶対何とかしてやる。俺じゃなきゃダメな気がするんだ。だから出て来い。この扉を開けて、俺に話してくれ。俺は絶対諦めねえからな」
七月も大きく回り、もうすぐで大学校も夏休みに入りそうだという時期にまでなっていた。授業がなくて幸いだとも思ったが、たとえ授業があったとしても自分はこうすることを選んでいただろうなとユースケは確信していた。
すっかり暑くなり、ユースケの傍らにも空のペットボトルが多くなってきていた。その本数に、中にいるユズハが心配になってきて、ユリに出迎えられて自分の家に戻るときには大きいペットボトルを置いておくことにしているが、翌朝訪れると、少ないが、それでも確かに量が減っていることに、ユースケは心の底から安心した。
ユズハは、まだ、生きる意志が残っている。
ただ、それがすっかり弱まって、上手く焚きつけられないでいるだけなんだ。
だったら、それを焚きつけるのは自分しかいない。それが、自分のやりたいことなのだと、ユースケは強く思った。
「お前、昔っから変な羞恥心あったよな」
実家に残っていた半袖のシャツもたっぷりと汗を吸って気持ち悪く感じたことで、風呂のありがたさを思い出し、その連想でユズハの家にいることも相まってそんな記憶が呼び起こされた。
「セイイチロウに幼馴染みだから一緒に風呂入ったことあるかって聞かれたけどよ、そんなこと一回もなかったよな? 何故か知んねえけど風呂となると絶対一緒に入ろうとしなかったよな。それ以外のときは何するにも、寝るのだって一緒に寝ちまうときあったのによ」
一度そんな思い出が浮かび上がってくると、玉突きのように次々と幼き頃からの日々が脳内を勢いよく駆け巡っていく。そんな思い出たちで満たされるとユースケの胸の内は郷愁でいっぱいになった。ユースケは自分で自分のことをそんなに情緒の分かる人間ではないと自負していたつもりだったが、意外にもそんな思い出たちに脳内を占められたことで甘酸っぱいような青臭いような感情が湧き上がってきて、何となく胸がすっと軽くなった。
「何か色々と昔のこと思い出して懐かしくなっちまった……でも、そんな昔から、お前は俺のすぐ近くにいたよな」
ユースケはふと、ラジオを手にしたときからの日々を思い返していた。
「俺大学校とかの存在も知らないでさ、ずっとのほほんと暮らしてたけどよ、ラジオを手にしてから俺の中で何かが変わったんだよなあ。それで、自分がバカなことも分かってたから勉強真面目にするようになって、あの賑やかな街から離れたところの、すんげー寂しい街にも二週間滞在したり、思ったらすぐ行動しまくってたな。でもよ、俺がそんな風に行動できたのって、ユズハのお陰なんじゃないかって、最近ナオキっていう奴と話してたら思うようになってきたんだよ」
扉の向こうは相変わらず不気味なほど静かである。それでも、ユズハに届いているか分からない話が、口から出てくるのを止められそうになかった。
「俺が何も悩まずに好き放題にやってこられたのも、お前が一切俺のこと本気でバカにしてこなかったからなんだと思うんだよ。というか、お前って俺のこといつもバカにしてるから、何しようが構わねえって感じだったけどな。でもそれがすっげーありがたかったっていうか……お前のおかげで何やるのも抵抗なかったんだって、俺は思う。それによ」
ユースケはある日ユズハの家を訪れたときのことを思い出す。ユリの本を借りて、世界がどうなっているのかを説明してもらった日に、ユズハが酔っぱらったようにべらべらと自分のことについて話してきた日だった。
「お前、外交官になるって言ってたよな。人類が一致団結すれば暗い未来も吹き飛ばせるんじゃないかって。そう言ってたお前が、あの大学校でもその話を忘れずに頑張っているんだなって知って、なんかすんげー嬉しかったよ。俺とお前、どっちも変わんねえんだなって、すんげー懐かしくなって、嬉しかった」
扉の向こうからは返事がない。ユースケはトントン、と中にいる者を脅えさせないように優しくノックした。
「だから俺はここに来た。そんな風に話してくれて、俺と変わらずに頑張っていた奴がここに引き篭もっちまうなんて、心配に決まってんだろ。俺はユズハがここに引き篭もっちまったことを責めてるわけじゃねえ。ただ心配だから来てんだよ。なあ、いい加減話してくれ。お前、何があったんだよ」
そう宣言して、ユースケはおにぎりを齧る。海苔に包まれたシンプルなおにぎりだが、ほどよく塩味も効いており食べやすかった。この扉の向こうにいるユズハはどうしているのだろうか。自分と同じように、きちんと何か食べているのだろうか。それすらも出来ないほど心が衰弱しているのだろうか。このユリが作ってくれたおにぎりを分けてやりたくなった。辛抱強く、生気すら感じない扉の向こうの人が開けてくれるまでユースケはひたすら待つ。
しかし、結局ユズハの母親が帰ってきて、辺りがすっかり暗くなってもユズハは出てきてくれなかった。このままこの床で眠ろうかとも考えたが、ユリが迎えに来たので一度退散して、明日再び来ることにした。
その次の日も、昨日と同じような日になった。
その次の日も、昼食が具のないおにぎりから梅干し入りのおにぎりに変わった以外何の変化もない日だった。
その次の日も、さらにその次の日も。
ある日、タケノリが、今日で大学校の方に戻るからと様子を見に来た日があり、そのおかげでユースケはいつの間にか六月末になったことに気がついた。ユズハの様子を見に来てから二週間が経過していた。
ユズハの家に訪れるうちに、湿気が増し、じっと座っているだけでじんわりと汗が滲んでくるようになった。それでもユースケは、負けてたまるかと意志を強く持ってユズハの部屋の扉をじっと睨み続けていた。
ある日、カズキ、セイイチロウ、そしてアカリがやって来た日があった。ユリやセイラたちと同じようにユズハが帰ってきたことにはすぐに気がついていたらしく、三人も時折忙しい日々の合間に見に来ていたらしいが、三人そろって来られたのは今日が初めてらしい。しかし、三人がめいめいに呼びかけても、やはりユズハは部屋から出てこなかった。
「なあ、ずっと張ってるってのもプレッシャーになっちゃうんじゃねえか? そんなことない?」
カズキがふとそんな疑問を発して、ユースケもその可能性についてもあるような気がして心が揺らぎそうになったが、アカリは力強く首を横に振った。
「ユズハちゃんに限って、そんなことあるわけない。私たちがそれこそ離れたら、ユズハちゃん、もっと落ち込むに決まってる。私たちが、ユズハちゃんを放っておけないほど大切に思ってることを示し続けるべきだよ」
「……それもそうだな」
「何より、私、納得できない。このままユズハちゃんとお話できないままなんて、そんなの絶対に嫌だ」
アカリは、高校のときとは見違えるほどの、強い意思の宿った瞳をその扉に向け続けていた。その力強さに、弱気になりかけていたユースケの心も復活した。
その日も結局ユズハは応えてくれず、アカリたち三人は帰っていった。三人は去り際に今後もまた様子を見に来ることを言ってくれたが、ユースケの中には変な意地が生まれていた。
「ユズハ、お前は俺が何とかしてやる。絶対何とかしてやる。俺じゃなきゃダメな気がするんだ。だから出て来い。この扉を開けて、俺に話してくれ。俺は絶対諦めねえからな」
七月も大きく回り、もうすぐで大学校も夏休みに入りそうだという時期にまでなっていた。授業がなくて幸いだとも思ったが、たとえ授業があったとしても自分はこうすることを選んでいただろうなとユースケは確信していた。
すっかり暑くなり、ユースケの傍らにも空のペットボトルが多くなってきていた。その本数に、中にいるユズハが心配になってきて、ユリに出迎えられて自分の家に戻るときには大きいペットボトルを置いておくことにしているが、翌朝訪れると、少ないが、それでも確かに量が減っていることに、ユースケは心の底から安心した。
ユズハは、まだ、生きる意志が残っている。
ただ、それがすっかり弱まって、上手く焚きつけられないでいるだけなんだ。
だったら、それを焚きつけるのは自分しかいない。それが、自分のやりたいことなのだと、ユースケは強く思った。
「お前、昔っから変な羞恥心あったよな」
実家に残っていた半袖のシャツもたっぷりと汗を吸って気持ち悪く感じたことで、風呂のありがたさを思い出し、その連想でユズハの家にいることも相まってそんな記憶が呼び起こされた。
「セイイチロウに幼馴染みだから一緒に風呂入ったことあるかって聞かれたけどよ、そんなこと一回もなかったよな? 何故か知んねえけど風呂となると絶対一緒に入ろうとしなかったよな。それ以外のときは何するにも、寝るのだって一緒に寝ちまうときあったのによ」
一度そんな思い出が浮かび上がってくると、玉突きのように次々と幼き頃からの日々が脳内を勢いよく駆け巡っていく。そんな思い出たちで満たされるとユースケの胸の内は郷愁でいっぱいになった。ユースケは自分で自分のことをそんなに情緒の分かる人間ではないと自負していたつもりだったが、意外にもそんな思い出たちに脳内を占められたことで甘酸っぱいような青臭いような感情が湧き上がってきて、何となく胸がすっと軽くなった。
「何か色々と昔のこと思い出して懐かしくなっちまった……でも、そんな昔から、お前は俺のすぐ近くにいたよな」
ユースケはふと、ラジオを手にしたときからの日々を思い返していた。
「俺大学校とかの存在も知らないでさ、ずっとのほほんと暮らしてたけどよ、ラジオを手にしてから俺の中で何かが変わったんだよなあ。それで、自分がバカなことも分かってたから勉強真面目にするようになって、あの賑やかな街から離れたところの、すんげー寂しい街にも二週間滞在したり、思ったらすぐ行動しまくってたな。でもよ、俺がそんな風に行動できたのって、ユズハのお陰なんじゃないかって、最近ナオキっていう奴と話してたら思うようになってきたんだよ」
扉の向こうは相変わらず不気味なほど静かである。それでも、ユズハに届いているか分からない話が、口から出てくるのを止められそうになかった。
「俺が何も悩まずに好き放題にやってこられたのも、お前が一切俺のこと本気でバカにしてこなかったからなんだと思うんだよ。というか、お前って俺のこといつもバカにしてるから、何しようが構わねえって感じだったけどな。でもそれがすっげーありがたかったっていうか……お前のおかげで何やるのも抵抗なかったんだって、俺は思う。それによ」
ユースケはある日ユズハの家を訪れたときのことを思い出す。ユリの本を借りて、世界がどうなっているのかを説明してもらった日に、ユズハが酔っぱらったようにべらべらと自分のことについて話してきた日だった。
「お前、外交官になるって言ってたよな。人類が一致団結すれば暗い未来も吹き飛ばせるんじゃないかって。そう言ってたお前が、あの大学校でもその話を忘れずに頑張っているんだなって知って、なんかすんげー嬉しかったよ。俺とお前、どっちも変わんねえんだなって、すんげー懐かしくなって、嬉しかった」
扉の向こうからは返事がない。ユースケはトントン、と中にいる者を脅えさせないように優しくノックした。
「だから俺はここに来た。そんな風に話してくれて、俺と変わらずに頑張っていた奴がここに引き篭もっちまうなんて、心配に決まってんだろ。俺はユズハがここに引き篭もっちまったことを責めてるわけじゃねえ。ただ心配だから来てんだよ。なあ、いい加減話してくれ。お前、何があったんだよ」
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